小浜神社の天井絵~雲仙市小浜町小浜神社
小浜には、小浜神社と劔柄神社があり(その他にもありますが)、小浜神社は島原領主松
平忠房公の命により小浜大明神として建立し、のち小浜神社として祀ってきたそうです。
劔柄神社も同じ頃の建立だそうです。その後、多分近年でしょうが、新しく社殿を立て、小
浜神社として合祀をして、現在の小浜神社になっています。鳥居の横に残る、額束。
旧小浜神社跡、昔の写真を見ると、立派な建物だったようですが、合祀したとき、このよう
に作り替えたのでしょう。
灯籠には寛政六年の文字。天井には絵が描いてありましたが、これは、移転したときに、
記念として新しく描いて、奉納したものでしょう。
さて、下の方が現在の、小浜神社の本来の天井絵です。旧の小浜神社から移設したもの
でしょう。
かなり色あせていますが、ガイドブックの史跡巡りには「大蛇」と書いてあります。「龍」のよ
うな感じ?
作者不明ですが、金箔を使って、一夜で描いたそうです。これだけ大きなもの、かなりの
実力を持った絵師のものだと思われます。実に生き生きとしています。
さて、この大蛇、口伝によると、寛政四年の島原地震の折、天に舞い上がり、大津波が来
るのを告げ、普賢岳から流れる溶岩を身をもって防いだそうです。
なお、「フルベッキの写真」まだ、無事にかかげてありました。
小浜神社に寄られたら、天井絵、玉垣額之助の祈念碑、フルベッキの写真は是非ご覧下
さい。 (参考・引用:「小浜町史談」「おばまー史跡巡りガイドー」より)
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初めまして、こんにちは。
「八斗木」の地名由来を調べていたら、こちらにたどり着きました。
劔社系(十拳劔とか劔柄とか)が、複数あったようですね。
私は『島原半島の神社を訪ねて』(林田秀晴先生著)で、ききかじった程度ですが、劔柄は昔は「たかひ」と読んでいたそうですね。とても興味深いです。
宮崎県に高鍋という地があるんですが、昔は「高日」と言ったそうです。また日向国風土記(逸文)に天よりお降りになった神が剣を残し、そこから「劔柄(たかひ)の村」となった云々とあります。
島原はほんとに謎の多い地ですね。島原にお詳しいようですが「八斗木」の由来はご存知ないでしょうか。
投稿: ぎんくじら | 2013年10月25日 (金) 20時52分
「劔神社」は確か、何カ所かありますね。
神社については、各県、神社庁(公的機関ではありません)があり、ホームページに、各市町村の神社名、祭神名、旧社格、例祭日、住所が載っています。
又、明治に各県の神社について調査があり(明治8年?)、神社明細帳という絵図面帳あるようで、多分県庁か神社庁にあるようです。お問い合わせを。
神社については、古事記あたりからの勉強ですね。
島原半島は、キリシタン関係もあり、有馬晴信により、一時、全寺社破壊されています。
「八斗木」については、今日26日の私のブログに書いていますので、ご参考に。
投稿: sugikan | 2013年10月26日 (土) 22時10分