原城の乱攻防・余話①~下手な鉄砲数打ちぁ当たる(重箱山)
言わずとも分かると思います。天草四郎の像です。
原城の乱について、読んでいると、ちょっと面白い攻防戦があるので、2回ばかりに分け
て、書いてみます。
読んでいると、良く「重箱山」というのが出てきます。南有馬町郷土誌にも、「山を築き井楼
を作らせて城内を一望のうちに眺められるように築かせ・・・・鍋島家が築いたといわれる
『重箱山』はその一つで、ここへはオランダ船から下ろした大砲を運び込み砲撃をし、効果
をおさめることができたのである。」と書いてあり、この「重箱山」以前からどこか探していた
のですが、小浜町~諏訪の池~北有馬町へ下る途中、南有馬町、西望公園へ曲がる道
がありますが、その道の途中
よく見ないと、分からないくらいの看板が。黄色い方向が西望公園です。ここを左に行きま
す。車は、まあまあ通れますが、私はここに置いて、10分弱歩きました。
標示も何もありませんが、ここらあたりが、「重箱山」というらしく、散歩の途中の方がおら
れたので、聞くと、はやりここらあたりらしく、特に四角で囲んだところ、ここが、開けていれ
ば原城本丸は一望でしょう、多分ここが盛り土した所ではないでしょうか?下の写真は少し
角度を変えて写したものです。
赤の所が本丸あたり。黄色で囲んだ所が、本丸の所に植えてあるシュロの木です。
「旅する長崎学」には「約900mといったところでしょうか。」と書いてありますが、まあ、そ
れくらいでしょう。
さて、この距離で、大砲はともかく、鉄砲の弾が届くのか、命中精度はどのくらいなのか?
You Tubeで、火縄銃の実演とか、火縄銃のクレー射撃が見られ、これはとにかく面白い
ので是非ご覧下さい。音が現代の銃より大きく、それだけでも、心理的に圧迫をかけたの
でしょうはないでしょうか?
「南有馬町郷土誌」によれば「陸上の砲台から打ち出す弾は次第に的確になって遠い城
内にも届くようになってきた、それによって起こる土煙が井楼から見え城内では負傷者を
運び、城壁と柵の修理に懸命な活動をする様子が望楼から見られるようになってきた。」と
あります。下の写真、逆に原城から重箱山を確認したのですが、よく分からず、左の枠が
「原城文化センター」。右が重箱山の近くにある塔でしたから、この間になると思います。も
う少し背が高ければ分かったのでしょうが。「わたしゃ、もう少し背が欲しい」。
有家町郷土誌には、「鍋島から打った弾丸が、本丸で碁を打っていた四郎の袂をつらぬ
き、傍にいた数名の者が即死した。神の御使である四郎に弾があたったのであるから全員
の士気には相当の打撃を与えたらしい。」とありますが、火縄銃で、この距離で命中させる
は、ゴルゴ13くらいでしょう。まあ、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる。」だったのではないので
しょうか。
なお、現在、一部発掘中で、詳しくは調査中で、教えてもらえませんでしたが、興味ある方
は、参考のために見学してみてはいかがでしょうか?
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