原城の乱・余話②~ここ掘れワンワン・忍術使ひ登場(浦田観音他)
以前、「島原鉄道南目線廃線駅(左のカテゴリーに入れています)」を書いたとき、「浦田観
音駅」の所で、浦田観音は「乳出の守り本尊」で、おじさんには関係なく、スルーしたことを
書きましたが、今日はここにやってきました。別に乳が出るように拝みに来たのではないの
ですが・・・
再度、書いてみますが、キリシタン大名で有名な有馬晴信に子供が生まれたとき、乳不足
で、家臣山崎飛弾守が観音菩薩の小祠を作り、祈願したところ、乳が出るようになったとい
う事で、以来、「乳出安産」の守り本尊として、多くの方がお参りになっているそうです。
ご本尊さまです。
なんで、私がここに来たかというと、この掘られた穴が、原城攻撃のため使われた「甬道
(ようどう)」なのです。宮崎県から工夫を招いて、「ここほれワンワン」ということで、原城ま
で掘らせていたそうです。
残念ながら、原城の方はこれを知り迎穴を掘ったそうですが、原城側が3名討たれたそう
です。その後、生薬をいぶし、糞を注いで、この策略、幕府軍は失敗したそうです。
この場所は、原城から少し離れた所、浅間神社の鳥居をくぐったところから、少しいったと
ころにあります。
左右の階段、どちらも浅間神社に行きます。なお、浅間神社も「安産乳出の守り本尊」とし
て崇拝されているそうです。
さて、、無頼派作家の坂口安吾が、この原城の乱の事を書くために、長崎に来ましたが、
読んで見ると、県立の長崎図書館でかなりの資料を調べたようです。
昨日、鉄砲の弾が天草四郎の袖を貫いたと書きましたが、安吾の「島原の乱雑記」による
と、「砲丸よりも、旧式な一本の弓矢が、さらに大きな被害を与へた。正月十六日、四郎が
本丸で碁を打ってゐると、敵の矢が飛んできてその袖をぬいた。
生き神なる四郎にすら矢が当たるといふので、陣中の動揺限りなく、遂に脱走する者数名
が現れたのである。」と書いてあり、弾丸が当たったのか、矢が当たったのか分かりません
が、期日についても、有家郷土誌では、3月6日になっており、違っておりますが、島原の
乱についての資料は数多くあるので、よく分からないところです。
次に、安吾は「甲斐守輝綱」の日記から引用して、「この戦争に、忍術使ひが登場した。二
月十五日、甲賀衆者を城中に忍び込ませたのである。忍者使ひは近江の甲賀から呼び寄
せたものであった。
忍術使いは失敗した。九州の言葉が分からぬうへに、切支丹の用語や称名を全然知らな
かつたからである。忽ち看破され、慌てて逃げた。それでも忍びこんだ印に、塀に立てた旗
を抜いて担ぎ出したが、石で強(したた)か頭をどやされ、決して見事な忍術ぶりではなか
った。・・・・」と書いています。
まあ、いろいろと考えて、手を打ったことが分かると思います。
この雑記は、昭和16年頃に書かれたようですが、一つ気になる文章が、原城がある南有
家町は今でこそ、キリシタン文化を重要視していますが、安吾は「宿屋で、何か切支丹のこ
とを聞き出そうとしたが、・・・・ややあってのち、このあたりではキリスト教を憎んでゐます、
といった。」と書いています。
戦前と、前後ではキリシタンについての受け取り方が違っていたのか、気になる部分であ
りました。(参考・引用:「各説明版」「島原の乱雑記・坂口安吾著」)
ここ掘れワンワンと言えば、犬。犬の名前と言えば、ポチよ。
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