中島古墳~長崎県雲仙市愛野町
ちょっとミステークをしまして、愛野町(現雲仙市愛野町)には「愛野町郷土誌」と「増補改
訂愛野町郷土誌」の2種類があり、後者の方には、指定文化財として、先日の「一本松古
墳」と「首塚」として書いてあるのですが、前者の方に、「愛野町古墳」として、あと二つ「権
現山古墳群」と「稲荷鬼塚古墳」というのが載っており、そして今日の「中島古墳」、合計5
つの古墳がある事になります。
さて、この「中島古墳」は、ネットを見ていると載っていたので、場所を特定して行ったので
すが、全然それらしきものはなく、ウロウロすること30分ばかり、通りかかった人がいたの
で聞くと、そこの屋敷内の家の裏だろうということで、道理で分からないはず。
敷地の広い家でしたが、人の敷地内なので、恐る恐る尋ねると、気持ち良く案内をしてい
ただきました。
回りを廻ると綺麗な円形になっており、古墳を思わせるものでしたが、夏場でもあり、上の
方の木が茂っており、ちょっと全景を見にくい感じでした。
古墳の上の方には、祠があり、石仏が祀ってあり、上の写真でも分かるように階段が作っ
てありましたが、本来はここにあったものではなく、他から持ってきたものだそうです。
さて、この古墳、他の古墳が、丘陵の眺めが良いところにあるのに比べて、低地にある事
が違っています。
中島は愛津というところにあり、「津」といえば昔、船を着けるところの名。そこの中島地区
であり、郷土誌の「旧海岸線と地名」の所に、「・・・・中島は中島川の下流にあるこのような
三角州に位置した平たい砂の島であろう。」との記述があり、「愛野町郷土誌」にも、「入り
江の一番奥の低地にあってこれまでの二つの古墳とは立地が大きく異なっている。しか
し、農業を基礎にしたものとは考えられず、おそらくこの古墳は、船泊のすぐ傍ということ
を意識して造られたのではないだろうか。」と書いてあります。
なお、この橘湾沿岸は、森山町(現諫早市森山町)の唐比から「刳り船」も見つかってお
り、また、先に書いた、牧島(長崎市)の「曲先古墳」、愛野町の古墳等から、「海人集団」
が有明海、橘湾で活動していたのではないかとの見解もあります。
この「中島古墳」については、個人が居住している敷地内でもあり、調査はしていないそう
です。
最初に書いた「権現山古墳群」は、病院の建設工事があり、現地にはなく調査不可能。「
稲荷鬼塚古墳」については、場所が特定できたら、またいつか。
ポチしてお休みなさい。
« 首塚古墳~長崎県雲仙市愛野町 | トップページ | ミニ眼鏡橋工事中★長崎県諫早市&「和元」さんでお食事 »
「史跡」カテゴリの記事
- 今日の「諌早の眼鏡橋」と「島原城の古絵はがき」(2022.04.11)
- 島原城の説明版~これで良いのかな?(2022.04.07)
- 千々石ミゲル墓所調査プロジェクト報告~2021.9.18(2021.09.18)
- 稲荷鬼塚古墳発掘調査~雲仙市愛野町(2021.09.06)
- 原城=春城の名称について(2021.08.21)
コメント