十王供養塔~諫早市小野町馬場谷
実は、諫早の三大名勝「富川渓谷」「長田の御手水観音」は、この間からブログに書いた
ので、あとは「小野の金比羅山」ということで、大体の感でいってみました。
山頂らしきところまでいったのですが、ここには、お社、神社等があるはずなのですが、何
もなく、帰って調べたら、この少し先だということで、何事にも予習は必要ですね。最も、学
生時代から、予習はしたこともなかったもので。(復習も。)
帰りがけ、ウロウロしていたら、小野の郵便局あたりに、
せっかくだから、寄ることに。
最初に近いところから。
この近くには「性空寺(しょうくうじ)跡」といわれるところがあり、そこにあった石仏、供養塔
でしょう、まとめて祀られていました。真ん中の背の高いのが「六地蔵」です。
六地蔵については、明日書こうと思っていますが、下に並んだ石造物に、一番上の写真
のが置いてあって、どこかで見たなと思って調べたら、山口八郎著「諫早を歩く」に、のっ
ていました。「十王(じゅうおう)供養塔」と呼ばれるものだそうです。
以下「諫早を歩く」を要約してみると、十王とは、死後、生前に犯した罪の軽重を裁く十名
の裁判官のことで、良く知られるものに閻魔大王がいるそうです。
さて、この写真、よく見てください。「天秤」なのです。罪の重さを量っている図だそうです。
「性空禅寺」には、「栄守(えいしゅ)」という住職がいて、無常道を感じ、「十王堂」を建て、
「十王経」を人々に講釈しておられたそうです。
おりしも、その頃、諫早の「西郷紀」(西郷氏は伊佐早、後に諫早を支配していましたが、
天正15年に龍造寺に落とされます。)に、天正15年に「怪異の事」として書かれている
そうですが、年の初めに、不思議な異変が起こり、陰陽博士に占わせたところ、「・・・五ヶ
月後、五ヶ国の守護になるであろう。」といったのに対し、栄守は「・・・五ヵ月のあと、在所
を離れねばならなくなるだろう。」と占い、怒りをかって追放されますが、七月には龍造寺
家晴が諫早に入部。西郷氏は落ちのびていきます。
結局、栄守の占いが正しかったということで、この、十王供養塔は、栄守の形見ということ
ができるでしょう。単なる、石造物だと思っていたのですが、調べると歴史って意外と面白
いもんですね。 (参考・引用:山口八郎著「諫早をあるく」)
あなたもこの天秤で、罪の重さをポチと量ってみませんか?
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