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2012年9月10日 (月)

島原城の門の行方~長崎県雲仙市小浜町

P9100023

湯の町小浜と切っても切れないのが、湯大夫本多家です。上の写真、現在は、市の施設と

して「小浜歴史資料館」になっていますが、昔は「湯大夫本多家」の屋敷です。

慶長19年、初代の本多親能(ちかよし)氏と、同族の島田氏が共に小浜村に来て、温泉場

の管理を始めたそうです。


本多親能氏は、城主(島原藩、松平忠房公)に取り締まりを命ぜられていたそうですが、城

主の許しを得、長男に庄屋職を、次男の親次氏を湯大夫としたそうです。


小浜温泉は今でこそ、交通便利なところですが、以前書いた雲仙鐵道、バスの運行が無

かった時代は、陸路では不便なところ、長崎の茂木港から船に乗って来ていたような所で

す。


10代目の本多西男氏が、海岸の埋め立てなどを行い、今日の小浜町が出来たわけで、

昔の方と話をすると、雲仙鐵道についても、「本多さんの力じゃもん(本多氏の力によるとこ

ろだ)」と言う話を良く聞きます。


下の写真が、昔の小浜の風景です。

Photo

    (長崎大学附属図書館・古写真データーベースより)

さて、話は変わって島原城のことですが、島原城は元和4年から、松倉重政が築いた城

で、島原一揆で攻められながらも耐え、寛政の地変でも倒壊を逃れることが出来たのです

が、明治の御一新。明治3年に島原城は国有化、また、佐賀での江藤新平による反乱の

影響、明治6年、政府による「全国城郭在廃の処分並びに営地等撰定法」、いわゆる「廢

城令」等で、立木一本に至まで民間に払い下げられたそうです。


島原城には、大手門、先魁門、田町門、北門、桜門、東虎口(こぐち)門、西虎口の七つの

門があったそうです。なお、この東虎口(こぐち)門、西虎口は、葬列のために使う門で、市

内の快光院、江東寺の門になっているそうです。


残る門のどれかになりますが、明治4年、そのうちの一つを本多家が買い受け、自宅の門

にしたそうです。門柱が大きすぎ少し作り替えてあるそうです。


天守閣は、明治7年、400円で払い下げられたそうですが、早く分かっていれば・・・

この門は、100円で買い受け、解体し船で運んだそうです。当時は米一升で7銭だったそ

うです。今買えばいくらになるか、あとは計算して下さい。

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いつもは、開いているのですが、今日は休館で門が閉めてあり、ゆっくりと見られました。

これが、島原城の何百年前の門かと思うと感動ものでした。

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裏側です。休館日で入れなかったのですが、忍法「すり抜けの術」で・・・

(参考:「小浜町史談」・「島原城ネットサイト」)


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