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2012年9月

2012年9月30日 (日)

この一曲~美しき天然&さよならトコロテン

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以前、ソウルフルフラワーというバンドが、ちんどん屋形式で演奏をしたCDを紹介をしまし

たが、今回は本物のちんどん屋さんです。


左のCDは「小一堂宣伝社社中」「万宣社社中」「野村宣伝社社中」さんの演奏。右のCDは

「ちんどん通信社」さんの演奏。


このCDを思い出したのは、長崎新聞の

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この記事だったのですが、この記事に出てくる、林幸治郎さん、上のCD、「ちんどん通信

社」の代表です。


実は、わたしもリストラされたら、ちんどん屋さんになろうと(クラリネット、サクソフォーン吹

けますから)、ひそかにCDを買って研究していたのですが、無事定年を迎えることが出来

ました。(本当はなりたかった。)


昔は、お店さんの開店、大売り出しの時は、必ずちんどん屋さんが来て、チラシを配りな

がら、町内をねり歩いていたものですが・・・

都会では、復活しているようですが、残念ながら、この片田舎では聞く機会はまったくあり

ません。


左のCDは、伝統的な演奏が多く、右のCDはモダン・チンドンというか、これ、ちんどん屋さ

んかというような、グーな、のりのりな演奏です。ハッピーになりますよ。


さて、ちんどん屋さんと言えば、「美しき天然」。この曲、私立佐世保女学校(現県立佐世

保南高等学校、県立佐世保北高等学校)で音楽を教えていた音楽教師、田中穂積氏の

作曲。九十九島の美しい風景を、表現しようとしたものだそうです。作詞は滝廉太郎の

「花」の作詞をされた、竹島羽衣氏ですが、田中氏がこの詩を目にして、作曲したものだそ

うです。明るくも哀愁を帯びた曲は、いつまでも耳に残っています。


美しき天然

空にさえずる 鳥の声

峯(みね)より落つる 滝の音

大波小波 とうとうと

響け絶やせぬ 海の音

聞けや人々 面白き

この天然の 音楽を

調べ自在に 弾きたもう

神の御手(おんて)の 尊しや (2,3,4番略)


一番最後の行「神の御手の 尊しや」と書いてありますが、ブログの「池田小百合なっとく

童謡・唱歌」によると、母親が、熱心なクリスチャンの影響ではなかったかと書いてありま

す。「美しき天然」について詳細に書いてありますので、興味ある方はご覧下さい。


★さて、いつも登場する「ところ天屋」さんですが、来年の7月まで店じまいです(営業は7

月~9月)。この店が閉まると、本格的な秋が来るのを感じます。来年まで食べられないの

で、3つほど買ってきて食しました。

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今日は近くの小学校の運動会。「よーいドン」ではなく「よーいポチ」。

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2012年9月29日 (土)

島原城★キリシタン墓碑・鯨の事~長崎県島原市

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引き続き、島原城の事です。

島原城の入り口、城に向かって右側に西の櫓があり、ここの前の庭に、四基のキリシタン

墓碑が置いてあります。


一番右側

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市内の三会(みえ)地区で発見されたそうです。中央に干十字、かすかに見えるような気

が・・・


説明版には右側に「慶長八年十二月二十二日」と刻まれているそうですが、最近出版され

「日本キリシタン墓碑総覧」では、「本稿では『慶長九年十二月廿日/辰』とする」、とな

っていました。紀年銘としては、雲仙市小浜町土手之元の墓碑に次ぐ2番目に古い墓碑

だそうです。左側に文字が彫られているそうですが、判読は出来ないそうです。


右から2番目、

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説明版では、南島原市西有家町で発見と書いてありますが、上記「日本キリシタン墓碑総

覧」では「昭和10年有家町下前田の畑から出土したもので、昭和37年に島原城内に移

設されたという(有家町郷土誌)」と記述されています。はっきりと干十字がみられます。


その左側に、二つ同じような物が並んでいますが、

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旧島原藩家老職 奥平家から発見されたものですが、碑面の所を削り、立ち上げて手水

鉢として使われていたものだそうです。この間見てきた、大村の今福キリシタン墓碑の横

にも、手水鉢が置いてありますが、あれもキリシタン墓碑を利用したものだそうです。


この、キリシタン伏墓の墓碑を手水鉢に転用したものは、現在8基確認されているそうで

す。非常に貴重なものといえるでしょう。


さて、この西櫓には、面白い話があって、島原の乱の時、一揆軍に攻められ、籠城し食料

が少なくなったとき、、田中宗夫という人が、城を建てたとき、緊急の兵糧の足しにと、松

倉重政公が鯨を二匹、西の櫓の下に埋めたと言い、取り出してみたら、痛みもせずにあっ

たそうです。



この話は、「四郎乱物語」という、島原の乱を、物語風に詳細に書いてある文献に載って

いるそうです。


鯨の事

一、嶋原の城内武士すくなしといえ共町人之妻子あまた籠城せし事なれば 先日三会村

の蔵より取入し兵糧も残りすくなに成 如何すべきと言合処に 田中宗夫申けるは 豊後

守殿御時 当城若加様成時節 兵糧の足しにとて鯨二本西二階矢倉の下にうずめ置為

へりと 取出しこれを見れば廿余年以前に塩をもつけず赤土にうずみたるくじら 少しもい

たまずそのままあり 名将の仕置は平人の思慮に及ばざる事と糧のたしに用ひけり(説明

版より引用)


島原城お越しの節は、本城だけでなく、回りも見てください。貴重な物がありますよ。   

(参考・文引用:島原城各説明版 「日本キリシタン墓碑総覧」)


台風が接近しています。戸締まりとポチね。

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2012年9月28日 (金)

島原城★「御馬見所(おんうまみしょ)」~島原市

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昨日からの続きで、島原城、「御馬見所」を見にに寄ってみました。


いつもは、この幟、上げてあったのかな?ひょっとしたら、この9月29日、30日に「島原城

秋祭り」に合わせてあるのかもしれませんが、幟の名前を見て行くと、歴代城主の名前で

すね。順番に並んでいます。


一番右、「松倉豊後守重政」。島原城を作ったお殿様。次に書いてある「松倉長門守重

次」。このとき「島原の乱」が起こります。幟は、まだ左の方にも並んでいます。


島原城は、1618年から4~7年かけて作られますが、1873年(1874年?)、明治の廃

城令で取り壊され、民間に払い下げられますが、お城の横の小学校、旧島原中学校(現

島原高校)は三の丸だったそうですから、想像以上に大きな城だったことが分かると思い

ます。今のお城は、1960年から数年かけて復元されたものです。


さて、島原城行かれた方は、多いと思いますが、ほとんど本丸だけで、回りを見た方は少

ないと思いますが、なかなか面白いものがあり、今回、城の裏側にある「御馬見所」が、国

登録有形文化財(建造物)に登録されるように、文部科学相に答申されたそうです。(多分

なるでしょう)江戸時代から残る重要な建物だそうです。

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意外と小さい建物(私の家より小さい)。四畳半が二間のようでした。本来島原城三の丸

にあったものを、多分払い下げられたとき、もらい受けたものでしょうが、口之津町の方が

保存されたものを、ここに移築したそうです。藩主が藩士の訓練状況を見るものに使われ

たそうです。


お殿様が、藩士の訓練を視察されたところかと思うと、風格はあります。屋根は、杉の皮

を重ねて葺いてあり、いい作りですね。


明日は、島原城の入り口、城に向かって右側の所に櫓がありますが、ここの前に、キリシ

タン墓碑が置かれています。その他、ちょっと面白い話があるので・・・・

(参考:各説明版等より)


今日はNECがパソコン8001を発売した日で、パソコンの記念日だそうです。パソコンの

キーをポチね。

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2012年9月27日 (木)

2012 三十路苑・水屋敷&お昼ご飯は「庵 牡丹」で(長崎県雲仙市・島原市)

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今日は、またまた、カミサンが行方不明で、天気も良いし、島原の古本屋で本探しに。

ついでに、あちらこちらと、羽を伸ばしてきました。


最近有名になったきた、紅葉で有名な「三十路苑」。小浜から雲仙に登る、国道の途中に

ありますが、まだまだ、青紅葉。でも、これはこれで、なかなか趣のあるもの。また、見頃に

なったら、記事にします。


それなら、雲仙の仁田峠まで足を伸ばしてみようと。

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平成新山です。ずいぶん緑は増えてきましたが、土砂崩れの傷跡が。先日の雨の影響

でしょうか?

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下界は25度、こちら仁田峠は19度。紅葉というにはまだまだですが、若干色づき始めて

いました。


このあと、布津町の天ヶ瀬古墳を見て、島原によって古本屋で本をあっせって、やっと一

息。水屋敷に寄ってみました。ここ、商店街の中にあるのですが、入り口が小さく、ちょっと

見つけにくいところ。中に入ったら、以外と広いのですが。

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開店が午前11時ころ~午後5時ころ、休みが、不定休。私も、何回かいったのですが、開

いてないときが多くて・・・明治時代の建物を利用したものだそうです。

久しぶりに、寒ざらしを。

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寒ざらしといえば、昔、島原の浜の川の湧水の所に「銀水」といって、お婆ちゃんがやって

いた店があり、杉村春子さんなど有名人も寄っていましたが、平成10年に逝去されたそう

です。


白玉粉の小さな団子に、あっさりした蜜をかけたもの。単純なものですが、上品で、くどくな

い甘さが、夏にはピッタリ。


この、お店は、明治時代の屋敷を利用したものだそうですが、「猫」でも有名な所で、

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猫の置物だらけ。猫好きな方にはたまらないでしょう。どんなわけか、虎の猫が。タイガー

スファンの猫でしょう。


もっとも、トラは動物学的にいうと「哺乳網ネコ目(食肉目)ネコ科ヒョウ属」だそうですから、

まんざら無関係ではないみたい。


さて、おみくじが置いてあったので、引いてみたら、「旅立~遠方が吉」。家出でもします

か。「恋愛~一線を越えるな」。小林旭の「熱き心に」。「くちびるに ふれもせず 別れた女

(ひと) いずこ」とか、与謝野晶子「柔肌の 熱き血潮に 触れもみで 寂しからずや 道を

説く君」を思いだします。それにしても「触れたいな(カミサン以外)」。


★お昼ご飯は「庵 牡丹」で

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ご主人と話していたら、昔の武家屋敷を改造して、外人のホームステイ用に作ったものだ

とか。ちょうど、円高で思わぬようにいかなくて、一時的に、喫茶、食事の店にしているとの

ことで、宣伝も何もやってないという事でした。名刺には、「島原藩勘定所跡」となっていま

した。


ご自分も外国生活があり、島原の発展のために、外国にいた経験を生かして、頑張ってみ

たいと、熱く語ってくれました。

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食事は、家庭料理でしたが、庭でも眺めながら、なかなか、落ち着いた感じで良いもんでし

た。場所は、島原第一小学校の側です。

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ついでに、島原城の「御馬見所(おんうまみしょ)」が、国の登録有形文化財に答申された

とかで、見学に行ったので、明日はそのことなどのことを。


「にゃんこ」でポチ。

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2012年9月26日 (水)

「じゃGaぱん」食べました~長崎県立島原農業高等学校開発商品

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こちらで、「ひゃーもん好き」という言葉があります。「新しいものが好きな奴」と言うことで

す。私も、この「ひゃーもん好き」で、職場でワープロを買ったのも一番、もちろんパソコンを

買ったのも一番、i Pod,i Pad,i phoneを買ったのも最初。


今日の新聞を読んでいたら、

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       (長崎新聞より)

なにやら、心をくすぐる記事が。島原農業高校が、ローソンと共同開発した「じゃGaぱん」を

発売したとか。新聞によれば、九州ローソン支社が「高校生ベーカリー」として、長崎、熊

本、大分の各県から、アイディアを募集し、長崎では島原農業高校生の作品が1位にな

り、商品化されるとのこと。


「ひゃーもん好き」の私としては、売り切れては大変と、すぐに買いに走りました。

このパンは、長崎県のジャガイモ、米粉を使い、中にジャガイモフィリングと、味噌ソース

で、少しピリ辛にし、揚げパン風に作ったものです。なかなかいけますよ。


ちなみに、ジャガを使っていますが、ジャガの生産量は、長崎県は、日本で第2位を誇りま

す。もっとも、農水省によれば、1位が北海道で77パーセントの生産量、2位が長崎で4

パーセントですから、勝負になりませんが・・・


余談になりますが、ネットで調べると、長崎県が日本で1位のものは、「高校サッカー2000

年代勝率」、もう過去の話ですが・・・。「あじ消費量」、「タイ漁獲量」、「外科医師数」、「男

子Vリーグ選手出身地」、国見高校が過去強かったせいでしょう?「男性医師数」、要する

に、女性の医師の数が少ないと言うことでしょう。NHK朝ドラ「梅子先生」を見習って、がん

ばれ、長崎の女性達よ。


逆に、長崎が47位、最下位のものは、「イエローハット店舗数」、「イエローハット」って、な

んですか?。「サンマの消費量」、うちでは結構食べているんですけれど。「マグロの消費

量」、県民所得がワースト5に入る所ですから、高級魚なんて、とてもとても。「おにぎり消

費量」???。


さて、パンを買ってきて、裏の方を見ると、思わず可笑しくなって。

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しっかりと、高校入学の案内が。少子化時代ですから、学生の確保も大事。


以前、某コンビニが、地元の大学と共同で、地元の食材を使った弁当を作ったことがありま

すが、あれは、年配者向けで、良かったですね。残念ながら、期間限定でしたが。コンビニ

も、若者向けの脂っこいものだけでなく、高齢者向けのものも作ってほしいですね。

なお、地産地消がいわれているなか、コンビニも、積極的に取り上げてもらってもらいたい

ものです。

このパン、一月間の限定だそうですから、食したい方はお早めに。高校生がこのような取り

組みをしているのは、心強いですね。


「じゃGaぱん」食べて「ポチ」しよう。

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2012年9月25日 (火)

米一升は、何粒か?&ため池のオブジェ(諫早市森山町)

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稲刈りが、あちらこちらと、始まる季節になりました。


今年も、あと少しで新米が食べられるかと思うと。それも、日本の棚田百選の米ですよ。

去年も書きましたが、うちでは一年分、玄米を買って、毎日いるだけ、家庭用の精米機で

精米して食べています。田んぼはすっかり黄金色。


「稔るほど頭の垂れる私かな」

「稔らずに頭の垂れないカミサンかな」

昨日は、大喧嘩したので、これくらいは言わないと。


さて、一昨日法事があり、米一升、何粒かという話になり、プロの農家の義兄が「64,827

粒だよ」と何気なく。え!暇なときにでも数えたのかな、と思っていたら、コロンブスの卵。

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これ、一合枡です。今や、使う人はいませんね。米も、一カップ、二カップです。一合は180

㏄。一合枡を使うのは、お祝いの時の、樽酒を飲むときくらいのもの。

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一合の米を広げるとこんな感じになります。少し黄ばんでますが、玄米です。さて、何粒で

しょう。一合だって数えるの大変ですよ。これ、一升の米を数えるというと・・・


さて、「64,827粒」の種明かしですが、要するに、一粒の米を「一分立(一立分だったか

な?)」として。すなわち、一粒の米の大きさを、米は楕円ですけれど、平均して「一分×一

分(一分は約3㎜)」、「3㎜×3㎜」として、一升の枡に何粒入るか、後は「64,827粒」

が、合っているかどうか、それぞれ計算をして下さい。


ただ、米の種類で大きさが違い、大体一升で「65,000粒」と思えば良いだろうとのこと。

上の一合を広げた米、だいたい「6,500粒」になります。暇な方は、本当かどうか数えて

みてください。


★ため池のオブジェ

時々登場していただく、諫早市森山町のため池のオブジェです。先月までは、オリンピック

がテーマでしたが、今月行くと、諫早の皿踊りの人形に変わっていました。先週、諫早の

「のんのこ祭」にあわせたのでしょう。

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昨日の、ひがん花まつりも、このオブジェも、地域の人が自分たちで、企画、実行したも

の。地域の連帯が薄れ行く中、こんな試みを見るのは楽しいものですね。


わたしに「64827回」のポチを。

 

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2012年9月24日 (月)

2012 「鉢巻山ひがん花まつり」(長崎県大村市)★お昼ご飯は「おおむら夢ファームシュシュの『ぶどう畑のレストラン』」で

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昔、「百万本のバラ」という歌があり、「百万本のバラの花を あなたにあなたにあげる」

という文句だったと思いますが、百万本のバラをもらってどうするんでしょう。

先日、

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          (長崎新聞より)

新聞に長崎市の上浦下大中尾町の大中尾棚田のヒガンバナの事が載っており、ここは、

地域住民の方が約9万本の株を植えたとか。


ここで、思い出したのが、大村市の鉢巻き山のヒガンバナのこと。ここも、数十年前に圃

場整備があり、あぜ道のヒガンバナを鉢巻山に移植し、100万本になっているとか。

9月の中旬から下旬にかけて「鉢巻山ひがん花まつり」を開催しています。


場所は、大村の国道から野岳に向かう途中です。のぼり旗が、あちらこちら立っています

から、すぐに分かると思います。


平日だから、人が少ないだろうといってみると、結構、多い人出。知っている方にも出会い

ました。各写真、クリックすると拡大します。

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白と赤のひがん花が咲いていますが、白ひがん花の方が咲くのが早いのか、赤ひがん花

は、まだ蕾が多いみたいな感じでした。


いつまで生きる 曼珠沙華咲き出した   山頭火

曼珠沙華 抱くほどとれど 母恋し     中村汀女

一つ家に 辿る道あり 彼岸花       阿部ひろし

「秋七草」へ 一つ足したき 彼岸花    小野寺せつ子

彼岸花 静かに咲いて 消えにけり    榎本みや

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ここには、普段は車が通れる舗装道路がありますが、まつり中は、車が混むためか、歩

行のみ。さて、左の写真、坂道を取るか、階段をとるか?膝が完治していないみたいなの

で坂道の方を。ゆっくりと歩くこと20分程度でした。


右の写真、頂上には「虚空菩薩」が祀ってあり、寛政11年建立だそうです。

頭の働きがよくなり、若い人には縁結び、お年寄りにはボケ防止、あらゆる願いをかなえ

てくださるというので、いつものお願い。「女房元気で留守がいい。」


頂上は公園化され、良い眺め。

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大村市一望です。お弁当持ってくれば良かったかな。上に登るまで少しきついですが、お

薦めの所ですよ。


お昼ご飯は 「おおむら夢ファームシュシュの『ぶどう畑のれすとらん』」で。

ここは、ホームページがありますからゆっくりとご覧下さい。地場産の食材を使っていま

す。


ただ、ここもバイキングで、弱りましたね。バイキングは食べ過ぎるんですよね。おまけに、

昨日が法事で、ご馳走で・・・・又、今日も食い過ぎか。

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写真の他にも、ドリンクとデザートをいただいて、太り過ぎはどうなるんでしょう。

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なお、ここには、アイスジェラードとパン工房。洋菓子工房、地場産の野菜を販売するとこ

ろがありますが、ジェラードと洋菓子、おいしそうで食べたかったな。我慢、我慢で「夢ファ

ーム」を後にしました。


我慢の私にポチを。

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2012年9月23日 (日)

この一曲★鳥の歌・カザルス~プレミアロビーコンサート:雲仙市国見町「まほろば」にて

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雲仙市国見町に、図書館と一緒になった、文化会館「まほろば」があります。この、ホール

が少し広く、回りがガラス張り、天井も高いため、音が非常に良く聞こえます。担当者の熱

意もあってか、年に数回、このロビーで小規模ながら演奏会が開催されます。


今回は、「長崎県美術館名品展移動展 in うんぜん」に合わせて「プレミアムロビーコン

サート」が開催されました。後の絵は、特に版画で有名な、小崎侃氏の作品です。(島原

市所有)


演奏者は、野田昭穂氏、九州交響楽団のチェリストとして活動、現在はフリーランスのチェ

ロリスト、九響合唱団員。ピアノ、野田恵美氏、桐朋学園大学音楽卒、ドイツ国立北西ドイ

ツデトモルト音楽大学卒。各地で活躍をされておられます。


コンサートはほとんどが、野田氏による声楽でしたが、一曲だけチェロの曲「鳥の歌」。

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「鳥の歌」といえば、パブロ・カザルス。スペイン生まれですが、チェロの現代奏法の確立、

それまで、チェロの練習曲だとしか見られていなかった、バッハの「チェロ無伴奏組曲」を

世に出したことで有名です。


このCDは、1961年11月13日、ホワイトハウスでの演奏会での録音です。このときのホ

ワイトハウスの主人はケネディです。この観客の中には、バーンスタイン、オーマンディ、ス

トコフスキー、バーバー、コープランド、等々も招かれていたといいますから、凄いものです

ね。ちなみに私はいません。


カザルスは、1898年のマッキンレー大統領、1904年のルーズベルト大統領の時にも

ホワイトハウスに招かれて、演奏会をしたことがあるそうですが、このCDはホワイトハウス

での3回目の演奏会になります。


さて、カザルスはスペイン生まれですが、フランコ政権に反対し、故郷を去りますが、フラ

ンコ大統領を支持していたアメリカでの演奏会を、1983年以降中止していたのですが、

ケネディ大領の招聘に応じた理由は、「彼自身が、危機に立つ世界の実情を深く認識した

ことと、ケネディ大統領への彼の信頼と誠意を象徴しようと欲したこと」の二つをあげてい

るそうです。(ライナーノーツ・藁科雅美著より)


この鳥の歌は、カザルスの故郷、カタロニアの民謡ですが、1971年の国連デーで演奏を

しています。このときのカザルスの「生まれ故郷の民謡をひとつ弾かせてもらいます。鳥

の歌という曲です。カタロニアの小鳥たちは、青い空に飛び上がるとピース、ピース、とい

って鳴くのです。」という有名な言葉を残しています。You Tubeにて聞かれます。


このCDでは、カザルスが「鳥の歌」をチェロで弾きながら、ところどころ口ずさんでいるの

が聴かれます。



さて、ホールでチェロを聴いているとチェロの音って、何か深くていい音ですね。宮沢賢治

も、「セロ弾きのゴーシュ」という作品を書いていますが、彼自身も、プロの所に行って、習

ったそうです。(ものにならなかったようですが・・・)


私も、来年このホールで演奏会をする予定で、頑張っています。楽器はなんにするかっ

て?もちろん「ほら」ですよ。 (参考・引用:ライナーノーツ 藁科雅美著)


「ほら吹き」の私にポチを。

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2012年9月22日 (土)

小野の六地蔵石幢(せきどう)群~長崎県諫早市小野&お昼ご飯は「えんげ坂」さんで(諫早市内)

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石幢(せきどう)とは、製造物の一。六角または八角の柱状幢身と龕(がん)部・笠・宝珠な

どより成る(三省堂・大辞林)。だそうで、本地域のものは「佐賀型六地蔵」といわれるそう

です。


普通6体の地蔵が並んでいるのも見かけますが、この形は、佐賀、福岡、熊本に分布し

ているそうです。この地蔵は天文年間の銘を持つ、県下でも古いものだそうです。


残念ながら、顔が削られていますが、明治の神仏分離令による、行き過ぎた、廃仏毀釈

によるものでしょう。

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上の左の写真の四角いところが、六地蔵です。なお、ここは、昨日書いた「十王供養塔」

をはじめ、興味ある石造物があり、好きな方は、一日見ていても飽きないでしょう。


さて、もう一カ所は、ここから300メートルくらい離れた、天満神社内の若宮社にありま

す。

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手前の鳥居には「天満神社」と書いてあり、奥の唐風の鳥居には「天満宮」と書いてありま

した。この、奥の鳥居をくぐり、右手の方に、「若宮社」があり、4基の六地蔵があります。

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真ん中の、仏像の左右に2基づつ祀ってありました。

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なお、上の写真の左から2番目。九州でも珍しく、上竿石に金剛界の四方仏を陽刻し、そ

の下に梵字が刻んであります。建立者は、「悦岩宗喜」「藤原信尚」等、西郷氏一門だと思

われるそうです。


これも、残念ながら顔が削られてありました。石造物に興味がある方は、一度は見に行っ

た方が良い所の一つでしょう。  (参考:各説明版・山口八郎著「諫早を歩く」)

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今日のお昼ご飯:

また、カミサンが行方不明で、帰りがけ図書館によって、諫早公園近くの「えげん坂」さん

でお昼ご飯。

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「えげん坂ランチ」、チキンのトマトクリーム煮。これに、食後の軽いケーキがつきます。こ

れで、1000円以下です。お味?お客さんが多いので、それだけで分かるでしょう。

薬を出していると、「普通のお水をお持ちしましょうか?」と、気配りも心良いものでした。


この前まで暑いと思っていたら、あっという間に朝夕は寒いほどになりました。季節の変わ

り目は、体に変調をきたすことがあるそうです。ポチして体に、ご注意を。

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2012年9月21日 (金)

十王供養塔~諫早市小野町馬場谷

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実は、諫早の三大名勝「富川渓谷」「長田の御手水観音」は、この間からブログに書いた

ので、あとは「小野の金比羅山」ということで、大体の感でいってみました。


山頂らしきところまでいったのですが、ここには、お社、神社等があるはずなのですが、何

もなく、帰って調べたら、この少し先だということで、何事にも予習は必要ですね。最も、学

生時代から、予習はしたこともなかったもので。(復習も。)

帰りがけ、ウロウロしていたら、小野の郵便局あたりに、

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せっかくだから、寄ることに。

最初に近いところから。

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この近くには「性空寺(しょうくうじ)跡」といわれるところがあり、そこにあった石仏、供養塔

でしょう、まとめて祀られていました。真ん中の背の高いのが「六地蔵」です。


六地蔵については、明日書こうと思っていますが、下に並んだ石造物に、一番上の写真

のが置いてあって、どこかで見たなと思って調べたら、山口八郎著「諫早を歩く」に、のっ

ていました。「十王(じゅうおう)供養塔」と呼ばれるものだそうです。


以下「諫早を歩く」を要約してみると、十王とは、死後、生前に犯した罪の軽重を裁く十名

の裁判官のことで、良く知られるものに閻魔大王がいるそうです。


さて、この写真、よく見てください。「天秤」なのです。罪の重さを量っている図だそうです。


「性空禅寺」には、「栄守(えいしゅ)」という住職がいて、無常道を感じ、「十王堂」を建て、

「十王経」を人々に講釈しておられたそうです。


おりしも、その頃、諫早の「西郷紀」(西郷氏は伊佐早、後に諫早を支配していましたが、

天正15年に龍造寺に落とされます。)に、天正15年に「怪異の事」として書かれている

そうですが、年の初めに、不思議な異変が起こり、陰陽博士に占わせたところ、「・・・五ヶ

月後、五ヶ国の守護になるであろう。」といったのに対し、栄守は「・・・五ヵ月のあと、在所

を離れねばならなくなるだろう。」と占い、怒りをかって追放されますが、七月には龍造寺

家晴が諫早に入部。西郷氏は落ちのびていきます。


結局、栄守の占いが正しかったということで、この、十王供養塔は、栄守の形見ということ

ができるでしょう。単なる、石造物だと思っていたのですが、調べると歴史って意外と面白

いもんですね。  (参考・引用:山口八郎著「諫早をあるく」)


あなたもこの天秤で、罪の重さをポチと量ってみませんか?

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2012年9月20日 (木)

工事状況★ミニ眼鏡橋・県立総合運動公園&「ベジーテ」さんでお昼ごはん~長崎県諫早市

P9190398

諫早に買い物に行ったついでに、以前に書いた「ミニ眼鏡橋」と「県立総合運動公園」を見

に行ってきました。


「ミニ眼鏡橋」は先日より、随分工事が進んだみたいですが、工期が10月30日になって

いましたから、あと、少しというところですが、回りも整備をする予定のようです。


これ見ていて、下の支えを取ったとたんに、ガラガラといかないんでしょうね。はやり、人柱

がいるのでは?私でよければ、なって良いんですが、まあ、むくつけき爺が人柱はあまり

似合わないか。うちのカミサンで良ければ喜んで・・・

P9190402

眼鏡橋の向こうに小さな橋が。眼鏡橋では無いんですが、何か親子を見ているようで、私

の好きな風景です。

P9190405

諫早の「県立総合運動公園」です。2014年に国体の主会場になるところです。詳しい設

計図等は→こちらをクリック

この間、半分だけだった屋根もすっかりできあがったみたいです。アップしてみると

P9190408

椅子も取り付けられたみたいですが、右側の工事の方、やっと涼しくなりましたが、あの炎

暑の夏、日陰も無いところで、上からは照らされ、下からの照り返しがひどい中で大変だ

ったでしょう。完成するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。


お昼ご飯は「ベジーテ」さんで

いつも、気になって一回は入ろうと思っていたのですが、今日はカミサンがいないので、コ

ンビニのご飯も飽きたし、入って見ました。

場所は以前記事にした「干拓の里(諫早ゆうゆうランド)」(遊園地)に附属する形の、バイ

キングレストランです。

P9160279

入るなり、従業員の方が、「本店は野菜中心で、お肉やお魚の料理はありませんが、よろ

しいでしょうか?」


近ごろ、太り気味の私。もちろんOK。年取ると、肉より野菜の方が口に合いますね。

P9160278 P9160277

連休の日でしたが、雨が降り、台風も接近とあってお客さんは、あと家族連れが一組だ

け。


子供向けのスパゲッティにはソーセージなども入っていましたが、あとはほとんど野菜料理

ばかり、手作りの豆腐とか、納豆もあって、このバイキングというやつ、いつも食べ過ぎて

困るんですが、・・・この後も、あと2,3品食べましたが、まあ、野菜料理ですから、良いで

しょう。


野菜で作る美貌と健康。ついでにポッチもよ。

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2012年9月19日 (水)

田んぼアート鑑賞会~長崎県大村市★県立大村城南高校・竹松農場

P9160274

2014年に長崎で国体が開催されます。「長崎がんばらんば国体(第69回国民体育大

会」そして「長崎がんばらんば大会(第14回全国障害者スポーツ大会」です。

「がんばらんば」とは、「がんばろう」という長崎弁です。


その、国体のマスコットが「がんばくん」と「らんばちゃん」です。

Ganba01 Ranba01

左が「がんばくん」、右が「らんばちゃん」。長崎県の鳥。仲の良い鳥として知られている

「オシドリ」がモチーフだそうです(うちとは大違い)。着ぐるみもあり、長崎のいろんなイ

ベントの場所で活躍をしています。


大村の城南高校で、この「がんばくん」をモチーフに、田んぼアートをしていると新聞記事

がでていたのでお出かけを。


あいにくの雨で、学校に行ってみたのですが、回りは住宅ばかり、先生がおられたので聞

いてみると、もっと離れた所の竹松農場でやっているとのこと。


場所は、大村市立郡中学校、県立虹の原特別支援学校の所だとか、車を走らせている

と、手作りの小さな看板が。入っていくと、雨の日もあってか見学者は私ひとり。


やぐらが組んであるので登りかけたら、プレハブの中から高校生が、さっと走り出してき

て、少しお話をすると、(こちらは、ひげを生やして、アロハシャツでサングラス、生徒さん、

多少ビビリ気味)今年で5回目だとか。自分たちで、デザインを出しあって、今年は「がん

ばくん」にしたそうです。「GANBA★」の文字も。

P9160272_2   P9160273

そのうち、先生も登ってこられ、5年間試行錯誤だったそうですが、この色の濃い所は、い

わゆる、古代米といわれる「緑米」だそうです。私も「黒米」「赤米」は使った事はあり、「緑

米」は噂だけは聞いていたのですが、見るのは初めてでした。炊くと、普通の白米と同じ色

になるそうです。回りの稲に比べると、穂の丈が高く、色が濃く、非常に見やすくなっていま

した。


「黒米」「赤米」は、普通の米に少しばかり混じぇて(混ぜての長崎弁。キーボード打ってて

も時々長崎弁がでるもんで・・・)食すると、もちもち感があっておいしいですよ。是非お

試しを。緑米はどんな味か、食べてみたいものです。


生徒さん、先生の応対も気持ち良いものでした。新聞によると10月14日までの、土日と

祝日(平日は授業がありますから)の午前10時~午後3時までだそうです。是非寄って見

てください面白いですよ。

大村城南高校の皆さん来年も「GANBA★」よ。来年も楽しみにしています。


「GANBA★」でポチね。

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2012年9月18日 (火)

敬老の日~またまた、皿回し

P9180358

先日は、敬老の日。65歳から老人クラブですから、私もボチボチ心構えをなんですが。

私の義兄、73歳ですが、まだ下っ端で、事務方を任されているそうです。なんせ、80歳代

で、まだ、ばりばりしている方が、たくさんがおられますから。


さて、今年は、大丈夫だろうと思っていたら、昨年に続いて、先週、皿回しの依頼。断れな

い、弱い私。今年もお隣の町の、小さな老人クラブでのアトラクション。私の前に、きれい

どころが、お二人ばかり踊り()。

その次、私の出番。

P9180376 P9180388

いつものように、皿だとか、お盆だとか、盥だとか回してきましたが、一年ばかりサボって

いたせいか、緊張、緊張。なんとか回して、お年寄りの方を、ちょっとお手伝いして

P9180371

何名かの方に回していただきましたが、これは喜ばれました。左の方は皿が落ちた時の

助手。


芸は身を助く、と言いますから皆さんもいかがですか。大分県が本部で、大分社会福祉セ

ンターで、教室を行っています。私も、長崎から通ったものですが、東京から習いに来た方

もおられます。


東京は文京区湯島スタジオKSというところでやっているそうです。長崎は、佐世保市の広

田町いで湯荘、相浦公民館でやっているそうです。お問い合わせを。


なお、私の写真、顔を隠しておりますが、時々、変なところを、うろついているので・・・


今日は、ドット疲れたのでこのへんで・・・ポチ忘れないでね。

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2012年9月17日 (月)

「長崎県謎解き散歩」

Img

意外と知らないのが、地元のこと。この「謎解き散歩」という名前がいいですね。


前書きを読んでいると、廃藩置県の時、長崎は「幕府直轄領の長崎と島原藩六万五千

石・平戸藩六万一千石・対馬藩五万二千石・大村藩二万七千石・五島藩一万二千石・平

戸新藩一万石・ほかに佐賀鍋島親藩の諫早領・神代領など小藩乱立で、時流に適応する

人材の育成、藩内の整備、殖産事業の振興などでの遅れが目立った。」、いわれれみれ

ば、なるほど、長崎には小藩が乱立していたのですね。そのせいで、県民所得ランキング

は下位5位くらいですか・・・


この本「第1章 長崎県ってどんなとこ?」「第2章 幕末維新編」「第3章 考古・歴史編」「

第4章 人物編」「第5章 民俗・文化・宗教編」「第6章 自然・地理・産業編」と、ほとんど

のジャンルに及び、それぞれに詳しい方が執筆しています。


「『島原の乱』ー半島北目不参加の謎!」、「出島はどうして扇の形なの?」、「『二十六聖

人』ー最初は何人だったの?」、「諫早の民謡『のんのこ節』は箱根の関所で誕生し

た?」、「『島原手延べそうめん』のルーツは中国福建省?」、「島原半島の有家町には謎

の石造が点在している」、「平戸松浦氏の始祖は光源氏のモデル!?」等々いろんな項目が

並んでいます。


各項目、大体2~4ページですから、気楽に読め、こんな事があるのかと思うことが、てん

こ盛り。長崎在住の方はご一読を。光源氏が長崎と関係あったとは!まったく知りません

でした。


今光源氏と言われる私にポチを。

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2012年9月16日 (日)

2012 第14回千々石中学校吹奏楽部定期演奏会~この一曲★北国の春

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去年も書きましたが、「千々石中学校吹奏楽部定期演奏会」、今年で第14回を迎えまし

た。


今年は、ジオパーク世界大会での出場(御神楽)、雲仙市観光PR大使で上海へ、長崎県

の吹奏楽コンクールでは、初めての銀賞。かなり上位の銀賞でだったみたいです。


高校生のOBを2名含めて17名の出演です。以前書きましたが、私も、吹奏楽、オーケス

トラをやっていましたが、あの当時は金管楽器はほとんどが男子。特に、トランペット、トロ

ンポーンは、女子が吹く姿は見たことがなかったのですが、今は普通になって、男子より

迫力あるんじゃないですか。


今日の演奏会は、第一部がクラッシックステージ。第二部が千々石ファミリーコーラスのゲ

スト出演。第三部が、ここの吹奏楽部でしか見られない、御神楽。第四部がポップスステ

ージ。

P9160299

この千々石ファミリーコーラス。若い方も()交え、30年以上も良く続いています。皆さ

ん、本当にお元気で・・・

P9160316

全国、広しといえど、吹奏楽部部で御神楽を舞うのは、ここだけでしょう。あちらこちらと、

引っ張りだこです。


第四部では、サッカー部だったか、テニス部だったかも友情出演、ちょっと緊張気味で、

「栄光の架け橋」を。

P9160336

さて、この第四部で「北国の春」の演奏があったのですが、「北国の春」といえば、私の持

ち歌、というより、カラオケはこれしか歌えません。


曲が始まる前、誰か歌いませんかと言われたので、私、手を上げて、マイクをもって、「唄

い続けて30年、心を込めて歌います。『北国の春』。」と言うことで、絶唱しました。もちろ

ん、これ冗談です()。でも、歌いたかったな。カラオケと、生バンドのバックでは迫力が

違うから。


と言うことで、今日は楽しい一日を過ごしてきました。来年もガンバッテね。楽しみにしてい

ますよ。


応援のポッチね。 

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2012年9月15日 (土)

御手水観音(おちょうずかんのん)~諫早市

P9150230

諫早の三大名勝といえば、以前、記事に書いた、「富川渓谷」、「金比羅山頂」、そしてこ

の、「御手水観音」だそうです。中世山岳宗教の修験霊場として開かれたものだとされてい

ます。石仏がたくさん並んでいます。神仏習合で祀っているのでしょう。


右側、小さな滝が流れていますが、近くまで来ると、冷気(霊気)とオゾンがドット襲ってき

て、身が清められる感じ。


ここに至る参道左側に、磨崖仏が49体彫ってあるといいます。

富川渓谷の五百羅漢と違って、領主諫早家が作らせたのではなく、信者の方が、長年の

間に刻んだものと思われるそうです。


全部ではありませんが、下に貼っておきますので、クリックすれば拡大します。

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P9150228 P9150229

ここを通ってくると、一番上の写真のところに着き、その奥に千手観音を本尊とする、観音

堂があります。

P9150237

さて、一番上の写真、四角の所に「鏡」が取り付けてあります。これは、戦国時代末期、佐

賀の龍造寺に西郷氏が滅ぼされた時、西郷純堯(さいごうすみたか)の姫が、ここに籠も

って難を逃れ、その折、銅鏡を納めたという言い伝えがあるそうです。


戦時中に行方不明になったので、関係三か町で話し合って、復元したものだそうです。

この下に梵字が三つ並んで、その脇に、至徳二乙丑歳(1385)と彫ってあるそうですが、

不勉強で行ったため、気づきませんでした。

P9150232

なお、この鏡の上の方の出っ張りに

P9150250

こんな感じの所があり、丁度、鏡の大きさ。ひょうっとしたら、本来ここにあったのでは?


鏡で、三遊亭小朝さんの小話を思い出しました。うる覚えで少し違っているかも知れませ

んが。


美術館にて、

「これ、ルノアールでしょう。」

「いいえ、モネでございます、奥様。」

「これ、ドガでしょう。」

「いいえ、ゴッホでございます、奥様。」

「これ、ピカソでしょう。」

「いいえ、奥様、これは鏡でございます。」


ポチして、おあとがよろしいようで・・・

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2012年9月14日 (金)

「特定健康診査受診結果」来る★あ~大ショック

Img_3


今日は、「雲仙鐵道」の工事中の、珍しい写真があったので、それをご紹介、と思ったので

すが、先日、7月5日に「特定健診に行きました」という記事を書いたところですが、やっと

結果が来ました。あ~大ショックというところで、今日は、この事を。


十数年ほど前、体重が75㎏。これではいかんと、毎日、歩くこと一万歩。半年ほどして、今

度は、毎日走ること一時間。5年ほどかけて、57㎏まで落とし、健康診断では、それまでD

(最下位)だったのが、Aになり、指導の女性の方から、どうしたらそんなに体重減るんです

か、とまで言われたのですが、膝を悪くして少しサボっていたら、なんと今回69.4㎏。もち

ろん、メタボリックシンドローム。


夏前は65㎏だったのですが、この夏、甘い物の取りすぎ。原因は分かっているのですが。


特に、この肝機能の所。ALT(GPT)のところ、基準値が5~30なのですが、私の価が

102。3倍以上。前年は38です。これ見てホントにショック受け、具合悪くなりました。


ネットで調べてみると、少し基準値から外れていたからといって、神経質にならないでくださ

い、とは書いてありますが、3倍以上は、少しではないでしょう。結果を見たとたん、神経質

になりました。


これが、高値の場合、急性肝炎。慢性肝炎、アルコール性肝炎(酒は止めたのでこれは関

係なし)、肝がん、脂肪肝、急性心筋梗塞、進行性筋ジストロフィ、などがあるそうです。

その他も、どうもおもわしくなく・・・


とにかく、太り過ぎが一つの大きな原因なので、もう、ブログを書くどころではなく。今から

歩いて来ます。それでは・・・


特定健診は必ずポチして受けましょう。

 

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2012年9月13日 (木)

そろばんを持った恵比寿様

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何とも愛嬌のある顔でおられます。


二日ほど前から書いていた、「原城の乱~余話」ですが、原城から、海岸線を通って、浦田

観音に行っているときに、恵比寿様が目につき、なんか変だなと思って、よく見ると、

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そう、恵比寿様は、竿を持って、鯛を持っているのですが、この恵比寿様、そろばんをお持

ちなのです。


以前から、そろばんを持った恵比寿様がある事は聞いたことがあるのですが、お会いで

きたのは今日が初めてでした。なんと、ハッピーな顔と、私も負ける「美腹線」

年代は書いていないので分かりませんでした。


この恵比寿様、佐賀県、熊本県にも散在するそうですが、特に、原城の乱があった、島原

半島の南目(南部)に多く、「そろばんを持った恵比寿・大黒様」が百体くらい点在している

のではないかということです。農家の神棚、海岸、自治会の公民館、道端、山の中にもあ

るそうです。ちなみに、私は西目に住んでいますが、こちらでは、確かに目にしたことは、

今までありません。


有家史談会から発行の「嶽南風土記 18号」に、林田津誉毅氏が書かれた「和算とキリシ

タン」では、かくれキリシタンとの関係も示唆されてありました。


何はともあれ、難しい話は別にして、見ているだけで幸せになれる恵比寿様でありました。

(参考:有家史談発行「嶽南風土記 18号」)


幸せのポチね。

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2012年9月12日 (水)

原城の乱・余話②~ここ掘れワンワン・忍術使ひ登場(浦田観音他)

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以前、「島原鉄道南目線廃線駅(左のカテゴリーに入れています)」を書いたとき、「浦田観

音駅」の所で、浦田観音は「乳出の守り本尊」で、おじさんには関係なく、スルーしたことを

書きましたが、今日はここにやってきました。別に乳が出るように拝みに来たのではないの

ですが・・・


再度、書いてみますが、キリシタン大名で有名な有馬晴信に子供が生まれたとき、乳不足

で、家臣山崎飛弾守が観音菩薩の小祠を作り、祈願したところ、乳が出るようになったとい

う事で、以来、「乳出安産」の守り本尊として、多くの方がお参りになっているそうです。

P9110076

ご本尊さまです。


なんで、私がここに来たかというと、この掘られた穴が、原城攻撃のため使われた「甬道

(ようどう)」なのです。宮崎県から工夫を招いて、「ここほれワンワン」ということで、原城ま

で掘らせていたそうです。


残念ながら、原城の方はこれを知り迎穴を掘ったそうですが、原城側が3名討たれたそう

です。その後、生薬をいぶし、糞を注いで、この策略、幕府軍は失敗したそうです。


この場所は、原城から少し離れた所、浅間神社の鳥居をくぐったところから、少しいったと

ころにあります。


左右の階段、どちらも浅間神社に行きます。なお、浅間神社も「安産乳出の守り本尊」とし

て崇拝されているそうです。

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さて、、無頼派作家の坂口安吾が、この原城の乱の事を書くために、長崎に来ましたが、

読んで見ると、県立の長崎図書館でかなりの資料を調べたようです。


昨日、鉄砲の弾が天草四郎の袖を貫いたと書きましたが、安吾の「島原の乱雑記」による

と、「砲丸よりも、旧式な一本の弓矢が、さらに大きな被害を与へた。正月十六日、四郎が

本丸で碁を打ってゐると、敵の矢が飛んできてその袖をぬいた。

生き神なる四郎にすら矢が当たるといふので、陣中の動揺限りなく、遂に脱走する者数名

が現れたのである。」と書いてあり、弾丸が当たったのか、矢が当たったのか分かりません

が、期日についても、有家郷土誌では、3月6日になっており、違っておりますが、島原の

乱についての資料は数多くあるので、よく分からないところです。


次に、安吾は「甲斐守輝綱」の日記から引用して、「この戦争に、忍術使ひが登場した。二

月十五日、甲賀衆者を城中に忍び込ませたのである。忍者使ひは近江の甲賀から呼び寄

せたものであった。

忍術使いは失敗した。九州の言葉が分からぬうへに、切支丹の用語や称名を全然知らな

かつたからである。忽ち看破され、慌てて逃げた。それでも忍びこんだ印に、塀に立てた旗

を抜いて担ぎ出したが、石で強(したた)か頭をどやされ、決して見事な忍術ぶりではなか

った。・・・・」と書いています。


まあ、いろいろと考えて、手を打ったことが分かると思います。


この雑記は、昭和16年頃に書かれたようですが、一つ気になる文章が、原城がある南有

家町は今でこそ、キリシタン文化を重要視していますが、安吾は「宿屋で、何か切支丹のこ

とを聞き出そうとしたが、・・・・ややあってのち、このあたりではキリスト教を憎んでゐます、

といった。」と書いています。


戦前と、前後ではキリシタンについての受け取り方が違っていたのか、気になる部分であ

りました。(参考・引用:「各説明版」「島原の乱雑記・坂口安吾著」)


ここ掘れワンワンと言えば、犬。犬の名前と言えば、ポチよ。  

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2012年9月11日 (火)

原城の乱攻防・余話①~下手な鉄砲数打ちぁ当たる(重箱山)

P9110096

言わずとも分かると思います。天草四郎の像です。


原城の乱について、読んでいると、ちょっと面白い攻防戦があるので、2回ばかりに分け

て、書いてみます。


読んでいると、良く「重箱山」というのが出てきます。南有馬町郷土誌にも、「山を築き井楼

を作らせて城内を一望のうちに眺められるように築かせ・・・・鍋島家が築いたといわれる

『重箱山』はその一つで、ここへはオランダ船から下ろした大砲を運び込み砲撃をし、効果

をおさめることができたのである。」と書いてあり、この「重箱山」以前からどこか探していた

のですが、小浜町~諏訪の池~北有馬町へ下る途中、南有馬町、西望公園へ曲がる道

がありますが、その道の途中

P9110043 P9110042

よく見ないと、分からないくらいの看板が。黄色い方向が西望公園です。ここを左に行きま

す。車は、まあまあ通れますが、私はここに置いて、10分弱歩きました。

P9110057_2

標示も何もありませんが、ここらあたりが、「重箱山」というらしく、散歩の途中の方がおら

れたので、聞くと、はやりここらあたりらしく、特に四角で囲んだところ、ここが、開けていれ

ば原城本丸は一望でしょう、多分ここが盛り土した所ではないでしょうか?下の写真は少し

角度を変えて写したものです。

P9110050

赤の所が本丸あたり。黄色で囲んだ所が、本丸の所に植えてあるシュロの木です。


「旅する長崎学」には「約900mといったところでしょうか。」と書いてありますが、まあ、そ

れくらいでしょう。


さて、この距離で、大砲はともかく、鉄砲の弾が届くのか、命中精度はどのくらいなのか?

You Tubeで、火縄銃の実演とか、火縄銃のクレー射撃が見られ、これはとにかく面白い

ので是非ご覧下さい。音が現代の銃より大きく、それだけでも、心理的に圧迫をかけたの

でしょうはないでしょうか?


「南有馬町郷土誌」によれば「陸上の砲台から打ち出す弾は次第に的確になって遠い城

内にも届くようになってきた、それによって起こる土煙が井楼から見え城内では負傷者を

運び、城壁と柵の修理に懸命な活動をする様子が望楼から見られるようになってきた。」と

あります。下の写真、逆に原城から重箱山を確認したのですが、よく分からず、左の枠が

「原城文化センター」。右が重箱山の近くにある塔でしたから、この間になると思います。も

う少し背が高ければ分かったのでしょうが。「わたしゃ、もう少し背が欲しい」。

P9110097_2

有家町郷土誌には、「鍋島から打った弾丸が、本丸で碁を打っていた四郎の袂をつらぬ

き、傍にいた数名の者が即死した。神の御使である四郎に弾があたったのであるから全員

の士気には相当の打撃を与えたらしい。」とありますが、火縄銃で、この距離で命中させる

は、ゴルゴ13くらいでしょう。まあ、「下手な鉄砲数打ちゃ当たる。」だったのではないので

しょうか。


なお、現在、一部発掘中で、詳しくは調査中で、教えてもらえませんでしたが、興味ある方

は、参考のために見学してみてはいかがでしょうか?

P9110101


下手な鉄砲じゃなく、ポチ打ってね。  

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2012年9月10日 (月)

島原城の門の行方~長崎県雲仙市小浜町

P9100023

湯の町小浜と切っても切れないのが、湯大夫本多家です。上の写真、現在は、市の施設と

して「小浜歴史資料館」になっていますが、昔は「湯大夫本多家」の屋敷です。

慶長19年、初代の本多親能(ちかよし)氏と、同族の島田氏が共に小浜村に来て、温泉場

の管理を始めたそうです。


本多親能氏は、城主(島原藩、松平忠房公)に取り締まりを命ぜられていたそうですが、城

主の許しを得、長男に庄屋職を、次男の親次氏を湯大夫としたそうです。


小浜温泉は今でこそ、交通便利なところですが、以前書いた雲仙鐵道、バスの運行が無

かった時代は、陸路では不便なところ、長崎の茂木港から船に乗って来ていたような所で

す。


10代目の本多西男氏が、海岸の埋め立てなどを行い、今日の小浜町が出来たわけで、

昔の方と話をすると、雲仙鐵道についても、「本多さんの力じゃもん(本多氏の力によるとこ

ろだ)」と言う話を良く聞きます。


下の写真が、昔の小浜の風景です。

Photo

    (長崎大学附属図書館・古写真データーベースより)

さて、話は変わって島原城のことですが、島原城は元和4年から、松倉重政が築いた城

で、島原一揆で攻められながらも耐え、寛政の地変でも倒壊を逃れることが出来たのです

が、明治の御一新。明治3年に島原城は国有化、また、佐賀での江藤新平による反乱の

影響、明治6年、政府による「全国城郭在廃の処分並びに営地等撰定法」、いわゆる「廢

城令」等で、立木一本に至まで民間に払い下げられたそうです。


島原城には、大手門、先魁門、田町門、北門、桜門、東虎口(こぐち)門、西虎口の七つの

門があったそうです。なお、この東虎口(こぐち)門、西虎口は、葬列のために使う門で、市

内の快光院、江東寺の門になっているそうです。


残る門のどれかになりますが、明治4年、そのうちの一つを本多家が買い受け、自宅の門

にしたそうです。門柱が大きすぎ少し作り替えてあるそうです。


天守閣は、明治7年、400円で払い下げられたそうですが、早く分かっていれば・・・

この門は、100円で買い受け、解体し船で運んだそうです。当時は米一升で7銭だったそ

うです。今買えばいくらになるか、あとは計算して下さい。

Monn

いつもは、開いているのですが、今日は休館で門が閉めてあり、ゆっくりと見られました。

これが、島原城の何百年前の門かと思うと感動ものでした。

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裏側です。休館日で入れなかったのですが、忍法「すり抜けの術」で・・・

(参考:「小浜町史談」・「島原城ネットサイト」)


あなたの家の門にも、おひとついかがでしょうか?ノックじゃなくてポチしてね。

 

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2012年9月 9日 (日)

この一曲~G線上のアリア★小澤征爾:浦上天主堂の想い出

Cimg0175

図書館に本を借りに行ったら、少し時間が早すぎて、開館までの間、自動ピアノの演奏を

やっておりました。


見ていると、面白いもので、鍵盤が動いて、ちゃんとピアノのペタルまで、上がったり、下が

ったり、何か透明人間が演奏しているみたい。


演奏している曲がバッハの「G線上のアリア」でしたが、ボンヤリ聞いていると、小沢征爾さ

んが、長崎の浦上天主堂で演奏会をしたことを思い出しました。浦上天主堂は、私の家か

ら500m強くらいの所にあります。


この演奏会、ハガキで応募して抽選するというもの。私も10枚ほど出しましたが、くじ運

と、女運には恵まれておらず、後日NHKの放送でで見ることになりました。


調べて見ると、1995年6月14日。曲目はマーラーの第2番「復活」でしたが、その前に小

沢征爾さんが出てこられ、ここから少し、うる覚えなのですが、この年の1月に阪神・淡路

大震災が起こり、多数の犠牲者を出したのですが、「この曲(G線上のアリア)は、阪神・淡

路震災の犠牲者の方に捧げたいと思います。拍手のかわりに祈りを、拍手はなさらないよ

うに。」 と言われたような記憶があります。


確認しようと思って、You Tubeと、ニコ動調べましたが、削除してありました。


小澤征爾さんは指揮棒は使わずに、素手で指揮をして、曲が終わってからの、拍手なしの

静寂、実に感動的で、おもわず涙がこぼれたものでした。あのような感動は、いまだに経

験したことがないといっても、言い過ぎではないでしょう。


さて、このピアノを弾いている透明人間さん、どんな人かなと想像していると、私の好きな

「グレン・グールド」ではなさそう。彼なら、椅子がもっと低く、大げさ言えば、顔が鍵盤にくっ

つきそうにして弾きますから。まあ、こんな下手に演奏したくっても出来ないだろうし。


この椅子の高さ、鍵盤までの距離、演奏のたどたどしさを聴くと、まだ、小さい子供みたい

ですね。もうちょっと練習して上手になってね。また、聴きに行きますよ。


ピアノを弾く代わりに、下のバナーをポッチよ。

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2012年9月 8日 (土)

指輪物語・フロドの旅・「旅の仲間」のたどった道~バーバラ・ストレイチー著・伊藤盡訳&「千々石ミゲル研究会」に出席の事

Photo_2

きょうは、千々石町の「ミゲル研究会」で、千々石、小浜の古写真で確認したいとかで、出

席してみました。こちらの方は30分ほどの確認で終わったのですが、このあと「島原天草

一揆~原城籠城の意味と鉛の十字架」ということで、研究者の森脇あけみさんのお話。

(下の写真の真ん中の方、森脇さんではありません。このようにして勉強しています。)

P9080007_3

原城から、十字架が出土しますが、この中で

4
                (本日の資料より)

首にかけるとき、穴の所にヒモを通しますが、見れば分かるとおり「逆さ十字架」(首に架け

れば、上の方が下より長くなって、普通の十字架の逆になる)になり、なぜこのような物を

身につけていたかの話で、書くと長くなりますので止めますが、はやり、研究者は目の付け

どころ、熱心さが、違いますね。

研究会、この次は、五島の教会あたらりを研修するそうです。


さて、熱心と言えば、この「フロイドの旅」。どうも、私、この「ファンタジー物」あまり得意でな

いのですが、あんまりの人気なので、映画で見てすましましたが、この作者の熱心なこと。


「熱烈な『指輪物語』のファンだった著者のバーバラ・ストレイチーは、トールキンの手にな

る地図以外に、より詳しい地図を、長い間待ち望んだ。そしてとうとう、自ら困難な作業に

挑むことにした。」ということなのです。


左右見開きで、一組になります。左のページ

2

物語の、地図の中身が書いてあり、右のページには

3_3

見にくいので、私の方で、赤の四角をつけてみましたが、「1月10日」「1月11日」「雪が降

る始める」「休息と話し合い」「6時間眠る」などと、地図が実に詳しく書いてあります。

この本を横に置いて「指輪物語」を読むのも楽しいかも。


作者は残念ながら、1,999年に亡くなられたそうです。と、ここまで書いて出版年を見ると

2003年、随分前ですね。「指輪物語」が好きなあなた、もう読んでますね。


とにかく、何でも熱心な方はおられるもんで、頭が下がりますが、あなたも熱心にポチして

ね。

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2012年9月 7日 (金)

ミニ眼鏡橋工事中★長崎県諫早市&「和元」さんでお食事

P9050318

諫早といえば、眼鏡橋。本来は本明川に架かっていたのですが、昭和32年の集中豪雨

のため、市内の川が氾濫。眼鏡橋は一部破損のみで、流されずに済みましたが、この橋

が流木を受け止め、多くの被害が生まれたとされました。


その後、本明川が拡幅され、この眼鏡橋も壊される運命だったのですが、紆余曲折を経

ながら、現在の諫早公園に移設されたものです。移設に関しては、そのデーターを取るた

め、石工達が五分の一の模型を造ったそうです。


その模型の出来があまり良く、市内で展示する予定であったそうですが、適地がなく、19

64年西武鉄道が運営していた、所沢のユネスコ村に譲渡されるも、2006年に閉園。

その後、市民有志が里帰りに取り組み、復元されることになったそうです。


以上、新聞で何となく読んでいたのですが、昨日、眼鏡橋の近くを通りかかり、眼鏡橋と道

路を隔てた、芝生公園をみると

P9050306

看板があってミニめがね橋の里帰り工事。車を停めて覗いて見ると。

P9050307

これ、出来上がりかなと思ってよく見ると、ベニア板で造ってあって、多分完成のイメージ

でしょう。近くを見るとありました、工事中の眼鏡橋。

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工期が平成24年7月26日~平成24年10月31日になっていましたから、もうじき完成。

いってみれば、親子の眼鏡橋が見られるわけで、楽しみになります。


なお、発注者は「ミニ眼鏡橋里帰り実行委員」、施工者は「社団法人 長崎県建設協会諫

早支部」となっていましたから、工事の方も、諫早市の建設業者の方、全員協力しておら

れるのでしょう。


さて、今日もカミサンが留守で、昼飯を食べるところを探していると、諫早駅の近く

P9070385

「ちょっとおしゃれに昼ごはん」の看板に誘われて、「和元(わげん)」さんへ。初めてのお店

ですが、いつもの通り、一番安いランチで「味覚膳」

P9070382

これで、食後の飲み物、デザート付き、ご飯、味噌汁、おかわり可。税込みで1,050也。

もちろん、見た目、味ともグーでした。


なお、この店の玄関に以前取り上げた、「フルベッキの写真」が置いてあり、思わずのご対

面でニヤリとしました。店の方に聞くと、いわれはご存じらしく、「いろいろあるらしいです

ね。」


入ったときに、「ご予約は」と聞かれましたので、予約のお客さんが多いらしく、予約して行

った方がいいでしょう。なお、ほとんど個室みたいでしたが、一人、個室で食事するのは何

ともわびしいもので・・・・


ひとりわびしく、昼飯食えば、古い虫歯がポチと痛む。ポチしてね。

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2012年9月 6日 (木)

中島古墳~長崎県雲仙市愛野町

P8280005

ちょっとミステークをしまして、愛野町(現雲仙市愛野町)には「愛野町郷土誌」と「増補改

訂愛野町郷土誌」の2種類があり、後者の方には、指定文化財として、先日の「一本松古

墳」と「首塚」として書いてあるのですが、前者の方に、「愛野町古墳」として、あと二つ「権

現山古墳群」と「稲荷鬼塚古墳」というのが載っており、そして今日の「中島古墳」、合計5

つの古墳がある事になります。


さて、この「中島古墳」は、ネットを見ていると載っていたので、場所を特定して行ったので

すが、全然それらしきものはなく、ウロウロすること30分ばかり、通りかかった人がいたの

で聞くと、そこの屋敷内の家の裏だろうということで、道理で分からないはず。

P8280010

敷地の広い家でしたが、人の敷地内なので、恐る恐る尋ねると、気持ち良く案内をしてい

ただきました。


回りを廻ると綺麗な円形になっており、古墳を思わせるものでしたが、夏場でもあり、上の

方の木が茂っており、ちょっと全景を見にくい感じでした。

P8280004

古墳の上の方には、祠があり、石仏が祀ってあり、上の写真でも分かるように階段が作っ

てありましたが、本来はここにあったものではなく、他から持ってきたものだそうです。

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さて、この古墳、他の古墳が、丘陵の眺めが良いところにあるのに比べて、低地にある事

が違っています。


中島は愛津というところにあり、「津」といえば昔、船を着けるところの名。そこの中島地区

であり、郷土誌の「旧海岸線と地名」の所に、「・・・・中島は中島川の下流にあるこのような

三角州に位置した平たい砂の島であろう。」との記述があり、「愛野町郷土誌」にも、「入り

江の一番奥の低地にあってこれまでの二つの古墳とは立地が大きく異なっている。しか

し、農業を基礎にしたものとは考えられず、おそらくこの古墳は、船泊のすぐ傍ということ

を意識して造られたのではないだろうか。」と書いてあります。


なお、この橘湾沿岸は、森山町(現諫早市森山町)の唐比から「刳り船」も見つかってお

り、また、先に書いた、牧島(長崎市)の「曲先古墳」、愛野町の古墳等から、「海人集団」

が有明海、橘湾で活動していたのではないかとの見解もあります。


この「中島古墳」については、個人が居住している敷地内でもあり、調査はしていないそう

です。


最初に書いた「権現山古墳群」は、病院の建設工事があり、現地にはなく調査不可能。「

稲荷鬼塚古墳」については、場所が特定できたら、またいつか。


ポチしてお休みなさい。

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2012年9月 5日 (水)

首塚古墳~長崎県雲仙市愛野町

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愛野町のジャガイモ畑の所に、こんもりと盛り上がった墳丘があります。直径10メートル、

高さ5メートルです。地元では「首塚」と呼んで、3つの異なった説があります。


一つは、島原の乱後、キリシタン1万人の首を、三等分し、長崎の西坂、天草の富岡、そ

して、この「首塚」に埋めたという説で、地元では年配の方に聞いても、昔からそのように

聞いていたという事でした。墳丘の下、自然石に「首塚」とのみ彫ってあり、マリア様の絵

が置いてありました。この話を信じている方が今もおられるのでしょう。

P8290015

一番上の所になにやら立っていますが、

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「南無妙法蓮華経」の文字が、島原の乱で亡くなったキリシタンを偲ぶのなら、なにやら奇

妙な?誰が立てたかは不明です。


さて、二つめの説は、島原の乱が起こる前、半島の東側は代官が打ち殺されたり、島原

城(島原の乱は島原城ではなく、南有馬町の原城が主になります。時々誤解される方がお

られるので。)への攻撃が起こったりしています。


こちらの、千々石村では治右衛門庄屋が、一揆の参加を求められますが、愛津村(現雲

仙市愛野町)の代官へ通報し、愛津村、野井村(この両村が合併をし「愛野町」になりま

す)、山田村、守山村(合併し現雲仙市吾妻町)から、農民を集め、防戦したそうで、その

時の双方の戦死者を葬ったという説。


三つめは、古墳時代後期、6~7世紀に、この地方を支配した豪族の墳墓ではないかとい

う説。

説明版には、この3つの話が書いてありましたが、愛野町郷土誌には、古墳として扱って

あり、「内部構造は、横穴式ではなく箱式棺だろうと思うが・・・」と書いてあります。


故宮崎康平氏も「「島原半島の切支丹」で、この首塚のことについて「島原の乱の首塚と

伝えられている。実は円墳」と書いておられます。


さて、最初の説については、南島原市南有馬町の八幡神社の供養塔の碑文には「乱後幕

府は凶徒の首を三分して天草、南島原、長崎の3カ所に埋葬した」とあるそうです。(島原

半島の歴史~監修・松尾卓次)


また、愛野郷土誌にも「他の資料によると三分の場所は、有馬、長崎と天草となっており、

また、これらの地には供養碑が建っていた」と書いてありますので、キリシタンの首を埋め

たという説は誤りでしょう。


現在は、古墳説が有力なようですが、ただ、気になることが一つ。あちこち古墳を見ている

と、埋葬された副葬品を狙った盗掘がかなり見受けらますが、このように目立った古墳で

ありながら、盗掘の跡が無いということは、どうも「?」でした。


私見ですが、この墳丘は、古墳時代のものではなく、第2の説が本当のことであり、島原

の乱に結びついて、第1の説になっていったのではないでしょうか?ですから、だれも手を

着けられなかったのでは・・・


掘れば、すぐにでも分かるのですが、なかなか、おっかなくて手が出ないでしょう。謎は謎

のままの方が良いのかも。


なお、このすぐ近くに「原口番所址」と「龍馬が歩いた道」の標識があります。ここの番所

を、勝海舟、坂本龍馬一行が通ったことでしょう。


参考:「愛野町郷土誌」「増補改訂愛野町郷土誌」「島原半島の歴史」「千々石町郷土誌」

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朝夕、涼しくなりました。ポチポチ秋ですね。ポチよ。

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2012年9月 4日 (火)

一本松古墳~長崎県雲仙市愛野町

P9030284

近ごろ、古墳の記事が何となく多くなって来ていますが、別段、古墳オタクではないのです

が・・・


隣町の愛野町には、3つの古墳があるということで出かけてみました。2つの古墳は、明

日、明後日、書ければ書こうと思っていますが、調査済みの古墳は、ここ一本松古墳の

みです。

P9030297_2

場所は、愛野町の「光西寺」の後方の台地の先端にあります。赤線の所から登って行きま

すが、四角の所に牛舎があり、その近くです。

Photo

               (愛野町郷土誌より)

四角の所が光西寺ですが、昔はここらあたりまで入り江があったことが伺えます。

P9030275

標柱はありますが、小さいのでよく見なければ分からない感じ。

P9030276

標識から数十メーター、道も意外としっかりしていて、中も綺麗にしてありました。

昭和四十二年に、早稲田大学と島原史学会で発掘したそうですが、基底部は、直径16メ

ートル、高さ2メートル、玄室1.9メートル×3.2メートル、前室1.2メートル×1.3メート

ル、前室に続く羨道部まで7.1メートル。


古墳時代後期、六世紀中期のもので、島原半島では、最大級の横穴式石室古墳だそうで

す。


出土品は、耳飾、勾玉、馬具、須恵器、土師器、刀子(とうす)があったそうですが、他は

盗掘されていたそうです。

P9030285

玄室ですが、盛り土は流され、天井石は外されています。壁面の朱塗り等の跡はありませ

ん。多分、天井石らしき石が横に積まれていました。

P9030294 P9030295

説明版によれば、この墳墓は有明海、橘湾を中心に交易した、海人集団の長であったろ

うと書かれてありました。地図をご覧になれば分かるとおり、愛野町は島原半島のネック

でもあるところです。

愛野町郷土誌によれば、愛野町は「水陸十字路」であるとの論考も書かれてありました。


この場所は、林に囲まれていますが、林を取り払うと、有明海、多良岳等を臨む景勝の地

だったと思われます。  (参考:「愛野町郷土誌」「一本松古墳説明版」)


9月4日は「櫛の日」。もちろん9(く)、4(し)で、「くし」。あなたの美貌にポチよ。 

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2012年9月 3日 (月)

国語入試問題必勝法★清水義範~受験生必読の本?

Photo_2

今日から2学期が始まりますが、受験生にとっては、いよいよ入試勉強の終盤戦。


いつものように図書館に行って、本を捜していたら、懐かしい本が。「国語入試問題必勝

法」。この本、7つの短編からなっていますがその一つが「国語入試問題必勝法」。初出が

1986年、「小説現代」で、「入試国語問題必勝法」を「国語入試問題必勝法」に改題し、

吉川英治文学新人賞を取っています。


とにかく、意表を突くような、国語問題の解答法。国語が苦手な受験生を、家庭教師が教

えるという物語ですが、


「きみはその問題を与えられて、まず問題文を読み始めたね。それが間違っている」

「それから、もっと悪いのは、きみは読んだ文章の内容を理解しようとした。違うかい」

「・・・・もっと修行すれば問題文も読まずに正解を出すことも不可能じゃない」

なんていう、セリフがあったり、


「こういう、内容を三十字にまとめろとか傍線の意味を五十字で説明しろ、という問題は本

当はむちゃくちゃなんだよ。最低の愚問だと思ってもいい」

「そうに決まっているよ。三十字で言えることなら原作者が三十字で言っているはずじゃな

いか。それじゃ言えないからもっと長く書いているんだ。・・・・」

なるほどですね。


解答のために必要な技法として、「・・・例えば選択肢が四つある場合は、大、小、展、外、

の四つになっていることが多い。選択肢が五つの場合は普通これに、誤、というのが加わ

る。」


問題を読まなくとも回答する方法として、「・・・その、第一の法則は、長短除外の法則」

「そこで第二の法則が役に立つんだよ。それは、正論除外の法則だ」

具体的にどんな法則かというと、本をお読み下さい。面白いから。


で、私の場合は、この本が出版されたのが、受験が終わって十数年経っていましたから、

時すでに遅しでした。


と、ここまで書いて思いだしたことが、福岡で谷川俊太郎さんの朗読会を聴きに行ったら、

「いるか」という詩を朗読していました。


いるかいるか
いないかいるか
いないいないいるか
いつならいるか
よるならいるか
またきてみるか


いるかいないか
いないかいるか
いるいるいるか
いっぱいいるか
ねているいるか
ゆめみているか



朗読後、「この詩、教科書に載っているらしく、この詩にイルカが何匹いるか、という問題

が出ているらしく、作者の責任があるので数えたんですが、・・・よく分からないんですね。

数えてもしようないだけど・・・」ということを言われていました。まあ、作者にも分からない

問題もあるんですね。

さて、この「国語入試問題必勝法」、お役に立つかどうか受験生諸君、ご一読を。



入試頑張ってね。おまじないのポチを。

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2012年9月 2日 (日)

この一曲~カローラⅡにのって★小沢健二

Photo

「カローラⅡにのって」、1994年、今から18年前に流行った歌でした。「トヨタカローラⅡ」

のCMソングです。若い方はほとんど知らないでしょうが。お年の方は、この車に乗ってデ

ートされた方もおられるでしょう。


カローラの初代が1982年~1986年。この歌に歌われているカローラⅡは、4代目で、1

994年~1999年まで生産されていました。


7~8年ほど前までは、私、某外車に乗っていたのですが、ウィンドー関係が弱いのか、毎

年1~2回は故障して、そのたびに2万円。そのうち、あちらこちら故障が来て、最終的に

修理代だけで年20万程度。


最後に動かなくなり、JAFの車に牽かれて行く時、話をしていると、外車は故障が多く、部

品が高い、高級車は機能が多いため、これも故障が多い。一番良いのは、安いカローラ

あたりですねと言われ、今はカローラフィルダーに乗っていますが、本当に故障が少なくて

と言うより、一回も故障はしていない状態。もっとも、今度はベンツを狙っていますが・・・・


カローラⅡにのって


カローラⅡにのって 買い物にでかけたら

サイフないのに気づいて そのままドライブ


彼を迎えにでかけて もう1時間待ちぼうけ

カローラⅡはその時 私の図書館


信号待ちで並んだ 同じカローラⅡは

幼なじみの彼が 彼女とドライブ


こんど友達を誘って 遠い町まで行こう


口笛を吹きながら カローラⅡでドライブ

(口笛)~ 日曜日


カローラⅡにのって パーティーにでかけよう

お酒飲めない あなたは 私のドライバー


あしたきみのカローラⅡで 僕の家までおいで


カローラⅡにのって どこまでも行きたいな

ずっとすっと どこまでも 道はつづくよ

カローラⅡにのって どこまでも行きたいな

ずっと ずっと どこまでも 道はつづくよ


カローラⅡにのって

ララララララララ ラララ

ララララララララ ラララ

ララララ  (※繰り返し)

(作詞:佐藤雅彦 内野真澄 松平敦子  作曲:内野真澄)


なにか、宣伝みたいになりましたが、私、ポチに誓って、トヨタ自動車の関係者ではありま

せん。ポチネ。

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2012年9月 1日 (土)

第62回 長崎県地域婦人団体研究大会(雲仙・南島原大会)~長崎県雲仙市

P9010090_2

今日は「第62回 長崎県地域婦人団体研究大会(雲仙・南島原大会)」が、南串山町の

ハマユリックスホール(旧南串山町の町花が浜百合で町木が楠の木、合わせて、ハマユリ

ックスだったかな?どこかにも同じような名前の所があるのですが・・・)で開催されました。


昨年は、離島の壱岐市で開催予定だったのですが、台風で船が出なくて中止になったの

ですが、今年は無事開催。

P9010097_2

これ、全部おばちゃん方(失言取り消し)女性の方です。長崎県下から、婦人会の方が

集まった研究大会ですが、長崎は壱岐、対馬、五島と離島を抱え、船に乗り、飛行機に乗

り集まるだけでも大変。


最初のオープニングアトラクションが、小浜中学校のマーチング、全国大会でも金賞を何

回も取った学校。真ん中の丸いのは「小浜せんべい」、ちゃっかりと宣伝です。みんな、ノ

リノリでした。もう一つが、南有馬中学校、島原の乱の「原城」があるところですが、しっと

りと、郷土芸能「落城の賦」、婦人会の方が指導されているそうです。

P9010072_2

P9010088_2

後は、挨拶関係とか歓迎の言葉とか、型どおりの開会式。その後、分科会。


でもって、休息時間にトイレに入っていたら、「こっちも空っとよ(標準語訳:こちらも空いて

いるよ)」と、どっと男子便所へ御乱入(全員女性の方ですから女性トイレは満員)。おかげ

で、私の出かかっていた小便、ビックリして止まってしまい、男は私だけですから、こそこそ

と退散しました。女性の方も歳をとると・・・・

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P9010148 P9010159

分科会の様子です。


それでもって、婦人でもない私がなぜ参加しているかというと、カミサンが関係者で(写真

のどこかに写っていますが・・・)、「写真撮っといてよ。」と言うご命令、「いやだ」と断れな

い、弱い私。


さて、昔は婦人会、青年団というと、地域の中心になって活躍していましたが、今や婦人会

も高齢化、千々石の青年団も解散、自治消防団も、若い人が入らなく困っている状態。自

治会の話し合いも欠席する人が多いことも。


まさに、地域のために、何かをやろうという気持ちが無くなった、自己中時代の到来でしょ

う。その中でも、こうして頑張っている姿みるにつけ、応援したいですね。


町村合併後、地域が崩れていくのを感じます。前にも書きましたが、「大きいことは良いこ

とだ。」の幻想に、いつまでとらわれているのでしょう。道州制絶体反対しますよ。


男便所には入らないでね。お願いだから。ポッチ。

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