滝の観音~長崎市
昨日、長崎の病院通いで、お客さんは少なかったものの、予約して行った方が20名くらい
いるとか。昼過ぎまでかかるなと思って、ちょっと長崎の友人宅へ行って戻ったら、予約の
方がまだ全然いなく、あっという間に診察終わり。
諫早に用事があったので、たまには別の道をと、国道34号線。矢上から古賀を通って諫
早の道へ。
途中「滝の観音」というのがあって、知ってはいたのですが、行ったことも無く、時間があっ
たので寄ることに。(小さい写真はクリックすると大きくなります。)
通称滝の観音と言いますが、正式には「長瀧山霊源院」といい、禅宗の一派黄檗宗に属し
ているそうです。長崎県指定「名称文化財」第一号の地です。
寺の由来については全部書ききれないので、興味ある方は、本堂の所に「滝の観音小縁
起」というのが置いてありますから、行かれた方はお読みください。
第一の門、第二の門を過ぎたところ、右の写真、「伏樹門」どちらが根か分からず、「不思
議門」とも言うそうです。
正門の所にある仁王様、1697年に、長崎の仏師福島市郎右エ門の手になるものだそう
です。
ずっと中に入っていくと
左が「普済橋」、右が「羅漢橋」。渡った所が、こんな感じの所ですが
左の階段の所から登って行くと、石仏と、磨崖仏がとにかくあちらこちらに。
みんな、それぞれに苔むしていますが、それだけに風格が。磨崖仏の方は、苔に隠れて
いるところがありますから、よく見て行くことが必要。
滝ですが、いつもお参りに来ている方と話をしていたら、雨がずっと降ってないため、
滝の水が少なくなっているとか。
なお、ここに弘法大師がおとずれ、滝の懸崖に梵字を記したそうです。滝の観音小縁起
に「梵字は今もなお霊瀑中央の水苔深いところに跡を留めている。」と書いてあります。
見れれば見たいものですが・・・でも弘法大師さんと、水戸黄門さん、全国どこにでも行っ
ている見たいですね。我が千々石町にも、隣町の小浜町にも弘法さんの話があります。
滝壺の側に「竜王様」が、この「竜王様」撫で撫でしながらお願い事をするとかなうとか。私
も撫でながら「妻がいつまでも元気でありますようにと、心にも無いことを、御願いしてきま
した」
その他とにかく、石仏の多いこと。ただ、ここも神仏分離の廃仏運動で、傷つけられた仏
様もおられました。
石仏が好きな方は何ともいえないところでしょう。境内の石仏は近在の篤信者の喜捨によ
り、佐賀砥川の石匠、平川四右エ門等が1690年代に彫刻したもの。磨崖仏は長崎の油
屋徳兵衛が亡父の追善のため、1705年に奉納されたものだそうです。
なお、もみじが多く、多分紅葉の時は綺麗ではないでしょうか。また、その頃今度は二人
で来ましょう(かみさん以外)。
ここは、昭和57年の長崎大水害の時、大被害を受けたそうで、この梵鐘はその時の物だ
そうです。
本堂です。ご本尊は「魚籃観世音菩薩」だそうですが、一年に一回だけ、五月五日の花祭
りの時、ご開帳があるそうです。諫早の領主茂照公の帰依があつく、何度もご参詣に来ら
れたそうです。
本堂に護摩木があり、願い事を書いておくと、年末に祈祷をしていただけるそうで、私も
ひとつ「女房元気で留守が良い」と書いておきました。
(参考・引用:「滝の観音」小縁起より)
あしたは、ここの近くにちょっと変わったソーメン流しがあるのでそのことを。
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