「百花台遺跡」~47年ぶりの里帰り展~★雲仙市国見町雲仙市歴史資料館
7月22日~8月31日まで、国見町の雲仙市歴史資料館で、「百花台遺跡」~47年ぶり
の里帰り展~があったので出かけて見ました。私も若いとき、長崎で2~3ヶ月ほどアル
バイトで、資料の整理をしていたことがあったものですから、何となく懐かしく。
百花台は現在「百花台公園」があり、現天皇陛下と美智子妃殿下がお越しになり、全国植
樹祭がおこなわれ、また2年後の国体の少年男子サッカーの会場になるところです。
百花台の名前については、昔からの名前だと思っていたのですが、太平洋戦争後、50組
の入植者によって開拓されたことにあり、50組の夫婦による「百」と百花繚乱の「百花」に
ちなんで「百花台」と名付けられたそうです。
今回の展示品は、主に昭和38年・39年に、國學院大學などにより発掘調査されたもの
が、47年ぶりに国見町に寄贈されることになり、それにともなう企画展です。百花台遺跡
は、旧石器時代~奈良時代まで続く大規模な集落遺跡だそうで、日本の旧石器時代研究
の幕開けともいえる遺跡だそうです。
一番上の写真「装身具」ですが、思わず、茨木のりこさんの詩、「娘たち」の一節「イヤリン
グ見るたびに おもいます/縄文時代のおんなたちとおなじね/ネックレスつらねるたびに
おもいます/卑弥呼のころとかわりはしない・・・・・」を思い出しました。
下の写真が、特に「百花台型台形石器」と名付けられた、旧石器時代終末期の重要な指
標石器だそうです。
でも、良く作っていますね。私も鏃(やじり)を何回か作って見ましたが、うまくいきませんで
した。(もともと不器用だから)
ちゃんと作り方も説明してありますから、子供と一緒に見に行って、夏休みの宿題に作っ
て見ませんか?いい、自由研究になりますよ。カワイイ職員の方からご案内いただき、良
き一日でした。(参考・引用:展示場各説明資料より)
昔の「娘たち」を思ってポチね。
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