島原鉄道南目線廃線駅(6)~東大屋駅・口之津駅・白浜海水浴場前駅
「有馬吉川駅」から4.0kmで「東大屋駅」に着きます。駅は少し入り込んだところにあり、待
合所の横に珍しくトイレが設置してありました。
以前の写真を見ると、待合室の後ろ側に、「東大屋駅」という大きな看板があったのです
が、撤去されてありました。
この駅、意外と雑草も少なくスッキリしていました。ホーム1面、線路1線。昭和3年開業。
「東大屋駅」から1.2kmで「口之津駅」に着きますが、ここは、駅らしきものはなく、ウロウロ
していたら、
島原バスの営業所がありましたが、バスの車庫になっているみたいで、この後の方に、線
路跡がありました。駅舎は撤去されたのでしょう。
多分、列車の乗降口になるところでしょう。「ワンマン下りのりば」の文字が。ホーム一面、
線路1線の駅です。昭和3年開業。
この口之津町にある口之津港は、永禄十年(1567)にポルトガル船3隻が入港し、南蛮
貿易港の一つであり、宣教師も多かったそうです。キリシタンの町でもあり、「口之津町史
郷土の歩み」の中に、永禄11年(1568)「口之津の全人口1,200人、全員キリシタンと
なる。」との記述もあります。
「口之津駅」から1.0kmで「白浜海水浴場前駅」があります。
ホーム1面、単線の駅です。昭和7年「女学校前駅」として開業したそうです。
この白浜海岸の砂丘から数基のキリシタン墓碑が発見されたといますが、県指定の墓碑
が展示されています。
小型ではありますが、花十字入りの実に美しい形をした、樽型の墓碑です。
なお、ここの近くに、「流死者供養塔」があります。
寛政3年(1791)に、雲仙岳で地震が群発し、4月に前山(眉山)が崩壊し、島原城下を
埋め、津波を起こし、対岸の天草、熊本地方にも被害をもたらし、島原領9,640人、天
草領343人、熊本領5,653人、合計14,636人の流死者を出しており、各海岸には流
死者が打ち寄せたそうです。「島原大変肥後迷惑」と言われています。
その霊を供養するため、島原領内に「流死者供養塔」を建てたそうで、その一つがこの白
浜に建てられています。真ん中の大きいのは、昭和53年に町内有志の手で建立された
そうですが、左側にも石碑がありますが、そのうちの一つ
寛政4年の文字が彫られていますから(表は「流死塔」の文字)、これが最初に建てられた
ものだと思われます。 (参考:「口之津町史 郷土の歩み」)
いよいよ次回は最後の「加津佐駅」です。
今日は旧暦の七夕。織り姫さんと彦星さん、逢えたらチュの前に、ポチよ。
« ペコロスの母に会いに行く~岡野雄一 | トップページ | 島原鉄道南目線廃線駅(7)~加津佐駅 »
「島原鉄道南目線廃線駅」カテゴリの記事
- 島原鉄道南目線廃線駅(7)~加津佐駅(2012.08.25)
- 島原鉄道南目線廃線駅(6)~東大屋駅・口之津駅・白浜海水浴場前駅(2012.08.24)
- 島原鉄道南目線廃線駅(5)~北有馬駅・常光寺前駅・浦田観音駅・原城駅・有馬吉川駅(2012.08.21)
- 島原鉄道南目線廃線駅(4)~堂崎駅・蒲河駅・有家駅・西有家駅・龍石駅(2012.08.18)
- 島原鉄道南目線廃線駅(3)~瀬野深江駅・深江駅・布津新田駅・布津駅(2012.08.16)
コメント