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2012年8月

2012年8月31日 (金)

8月の終りに

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今年は西暦2012年。日本では平成24年。8月が今日で終りです。


人類が、あと何百万年、何千万年続くか分かりませんが、この、2012年の8月は、2度と

来る事はありません。


8月といえば夏休み。小さいときは、夏休みが待ち遠しいものでした。大学4年、夏休み最

後の8月31日、「あ~、これからの人生、もう夏休みが来ることは無いのか。」と思ったも

のですが、退職してしまうと、夏休み、冬休み、春休み、おまけに秋休みに梅雨休み・・・


萩原枯石という俳人が下のような俳句を作っておられます。


    八月や六日九日十五日



もちろん、六日は広島に原爆が落とされた日。九日は長崎に原爆が落とされた日。十五

日は終戦の日。


最近になって、この八月という月が、我々日本人にとって、どんなに重たく、また、その影

響を引きずっているのかが、今になって分かってきたような気がします。


もう来ることはない、2012年の8月を静かに送ってやりたいと思います。


心静かにポチね。

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2012年8月30日 (木)

事典、辞典って面白い

いつも利用している図書館ですが、「参考図書室」というのがあって、要するに事典等が

置いてあり、調べ物をするための部屋なのです。


時々利用をしていますが、多種多様の事典を見ていると、調べて書いた方の情熱という

か、執念というか、ひしひしと感じるので今日は、ほんの一部をご紹介。

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「地名読み方事典」、「足温泉」読めませんね。「たるおんせん」、岡山県にあるそうです。

「日本女性人名辞典」、女性有名人が載っています。

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「難読稀姓事典」、「百面相」、「ひゃくめんそう」ではありません。「どおめき」又は「とどめ

き」だそうです。もちろん人の名前です。全国、いちいち調べたんでしょうか?「戦国全

史」、ちょっと欲しい本です。

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「国際紛争・内戦史事典」。「新編 日本地蔵辞典」、全国の地蔵さんの、いわれ、場所等

が書いてあります。これも手に入れたい本。

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「日本史人物生没年表」、山田風太郎の「人間臨終図鑑」を思い出しました。「医者から

もらった薬がわかる本」。いまやネットで調べるとすぐに分かりますね。

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男の子が好きな、「恐竜事典」と「世界の妖精・妖怪事典」。

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「日本未確認生物事典」、「怪物の事典」、「ケープ・カナヴェルのモンスター」なんて載って

ますが、これ映画に出演しているモンスターのようです。

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「食のフランス事典」。「日本石造美術事典」。何となく、私好みの本。

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「法名戒名揮毫實典」、法名、戒名がいろいろ書いてあって、自分で戒名を考えるのも楽

しいでしょう、以前にも書きましたが、故立川談志の戒名、自分で生前に決めていて、「立

川雲黒斎家元勝手居士(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。「歌舞伎 浄瑠璃 

外題よみかた辞典」、「採雑而植込石台」、「とりまぜてしこうしてうえこみのせきだい」。こ

んなのがあたっかって?初演明治15年5月、東京、中島座ってなってました

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「珍説愚説辞典」、なかなか面白い説が書いてありますよ。「企業博物館事典」、学校あた

りで見学に行くのに役立つでしょう。

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「魔法事典」、恋の魔法をかけたいあなた。是非ご一読を。「世界の神話百科」。

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「新宗教教団・人物事典」もちろん、世間を騒がせた例の方も入っています。

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「新聞小説史年表」、考えれば新聞小説にも、優れたのがいろいろありました。「架空人名

辞典」。

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「日本架空伝承人名事典」、大体想像はつかれると思います。面白かったのが「国鉄乗車

券類大事典」。かくの如く、乗車券がずらりと印刷されています。愛好家の方が読まれてい

るのでしょう。

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さて、私が一番気に入った本。

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実に良い本で、「のだて『野点』=お茶の会の野外でのお手前。転じて××××。」とか、

「のぬふ法=男は××に××した××を、ただ激しく××××をしがちだが、静かに右や

左と×××すような動きをするのが大切である。そこで、××を抜き差ししながら「の」

「ぬ」「ふ」と言う字を描くように×を動かすのが良いと、判りやすい方法が考え出された。

この××××を俗に「のぬふ法」と言う。」

××はここでは書けませんが、勘の良いあなたなら分かると思います。分からない方はご

一読を。


さて、今やネットの時代で、何でも分かると思いがちですが、ネットの記事を読むと、孫引

きが目につき、やはり、このような心血を注いで書かれた事典、辞典などをきちんと調べ

ることも必要なのではないでしょうか?


たまには図書館で事典などを広げて見てね。面白いよ。ポチして図書館へ。

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2012年8月29日 (水)

センゴク天正記★宮下英樹~マンガと侮(あなど)るなかれ

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中学生の時から、歴史が苦手というより、あの年号を覚えるのが苦手で、日本史、世界史

の授業はまったく上の空で聞いていたものですが、近ごろ、少し興味を持ち始め、といって

も簡単に読めないものはないかと思っていたら、このマンガが本屋の棚に並べてあり、あ

まり期待もしなかったのですが、「史上最も失敗し挽回した男・千石権兵衛秀久」との宣伝

文に釣られ、読み始めたら面白く、あっという間に14巻読破。


主人公は千石秀久。秀吉の古参の家臣。信濃小諸藩の初代藩主だそうで、ウィクペディ

アにを読んでいると、「一色軍記」では石川五右衛門を捕らえたとの記述が残されている

そうです。

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仙石さんと、秀吉さんですが、まあ、マンガだからマンガ的には書いてあり、最初の方に、

老眼では見えないような、小さな文字で、「この物語はフィクションであり、実在の人物、団

体等はいっさい関係ありません」、と書いてありますが、なんのなんの。


一巻目の最初に「言合戦(ことばがっせん)」のことが書いてあり、「言合戦」とは戦国時

代盛んに行われた神経戦術だそうで、「細川幽斎覚書」にある「言争い(ことばあらそい)

の条」によるとその戦術とはー「正楼(せいろう)の上に二~三人も上がり、拍子木を打

て音頭を取り(中略)竹束の裏に有之同勢一同に声をそろえ、時の声をつくり、鉄砲をは

たはたと打ちかけ候、左様に致す時は、夜の五つ時、また夜明けにも致し候、幾度も右の

如くに致し候へば、城中(中略)殊の外騒ぎ、慌てるものにて候」という風に、本格的に書

いてあります。


そのはずで、参考文献が「改選 仙石家譜」、「信長公記」、「甲陽軍鑑」、「武功夜話 前

野家文書」、「雑兵物語」、「寛政重修諸家譜」、「細川幽斎覚書」、「北条印判状」、「武田

信繁家訓」、「日本史(ルイスフロイス)」「桑山基氏文書」、「早雲寺殿廿一箇条」、「耶蘇会

通信」、「革島一宣宛信長朱印状」というものですから、まさに本格的に調べて書いたも

の。マンガといえども侮れません。


さて、主人公は仙石秀久なのですが、一番重きを持っているのが、織田信長。

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かっこいいですね。典型的な肉食男子。あまり、表には出てきませんが、実質的な主人

公。


戦いについても、

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ちゃんと図示してあり、分かりやすいですね。このマンガで学校の授業をしてくれたら、興

味が持ったんですけれど。


ただ、この本、14巻目が「中国戦略編」の所までで、次が武田との戦い、まだ本能寺まで

も行ってなく、どこまで続くんでしょう?本の帯には、「センゴク天正記」は次の15巻で完結

だそうですが、「センゴク第3部(仮)」がヤングコミックで連載されるそうです。ここまで来た

ら、最後までお付き合いでしょう。年金暮らしには本代が辛いんですがね。


マンガでお勉強なんて良い時代ですね。ポチね。

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2012年8月28日 (火)

こうぼうさま~南島原市南有馬町菖蒲田

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民俗学を研究している人と話をしていたら、「歴史上有名な人物が出てくるが、それとは別

に、我々民衆の歴史があるはずだ。それを研究していくのが民俗学だ。」といわれたこと

がありました。私は専門でないので、それが正確な言葉かどうかは、わかりませんが。


しかし、あちらこちら廻っていると、確かに、平将門とか徳川家康などとは違った、歴史書

などにも出てこない、民衆の歴史というものを感じることがあります。


先日から、島原鉄道の廃線になった南目線を廻っていると、南有馬町で、ふと目にした、

神社でもないし、なんと言ったらいいか分かりませんが、不思議なものが。


立ち寄って見ると、お二人の女性の方がいたので聞いてみると、愛野町に嫁がれている

そうですが、昔から「こうぼうさん」と言って、いわれも何も分からないそうですが、中を見る

と「弘法大師様」の像が祀られていました。


こちらに帰ってこられたときは、寄るそうで、お願い事は必ずかない、特に、子作りに効果

があるそうですが、私も、お祈りを。子作りは関係ないので、いつもの如く「女房元気で留

守が良い」。


年代が書いて無いか調べると、「安政七?(安政七は庚申ですから多分「庚」でしょう)申

二月」と書いてありました。安政七年(1860)と言えば「桜田門外の変」が起こったときで、

今から152年前の事で、その時代から祀られていたのでしょう。


一番上の写真の四角で囲んだところ、何ともいえない石造物が

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狛犬のようでもありますが、耳の所に穴が空いています。なんのためか?笠がありますか

ら灯籠のようでもあり・・・

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正面から見ると、はやり狛犬を感じさせます。ひょうっとしたら、狛犬と灯籠をかねて、穴の

所にローソクでも立てていたのかな?とにかく、面白い石造物でした。


どのような理由から、ここに「こうぼうさん」を作ったかは分かりませんが、152年もの間、

この付近の方で守られてきたもの。庶民の歴史を感じました。


近くに来られたら寄って見てください。島原バス「菖蒲田バス停」の付近にあります。ちょっ

と不思議な感じのする所でした。


願い事がかないますように。ポチね。

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2012年8月27日 (月)

平山古墳(島原市指定史跡)~長崎県島原市有明町&昼食は「はなざしき 和香」へ

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この間から、長崎の「曲崎古墳群」、吾妻町の「守山大塚古墳」、国見町の「高下古墳」、

飯盛町の「鬼塚古墳」、千々石町の「犬丸古墳」など、見に行ったらなかなか古墳も興味

深く、今日も島原の帰りがけ「平山古墳」を見学してきました。


場所は、愛野~島原のグリンロードを通っていると、有明町に「平山古墳」の標識が建て

てあり(あまり大きくないので要注意)、少し狭い道に入って(十分車は通れます)1km弱くら

い行くと、「平山古墳」があります。

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フェンスが張ってありますが、中に入って奥の方へ行くと一番上の写真の所に出ます。

回りは、コンクリー、石垣で固めてあり、若干本来の形とは違っているみたいでした。

残念ながら、私、古墳はあまり詳しくないので、説明版を貼り付けておきます。

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羨道から中を見た写真と玄室です。各写真クリックすると拡大します。

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あまり大きな古墳ではありませんが、古墳の作りがよく分かる古墳でした。隣の愛野町に

も二つほどあるというので、行って見るつもりです。


さて、今日も帰ってもカミサンはいないし、外食ということで、有明町の国道沿い「はなざし

き 和香」へ寄って見ました。初めての店で、和食系統ですが・・・ちょっと張り込んで、野

点弁当を(一番安かったので・・・・)。これ平日のみですが。

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左の写真の、一番左のお皿、しゃれた野菜サラダでした。ご飯は、白米と、じゃこ飯。じゃ

こ飯を頼みました。なお、予約のお客さんが多いみたいで、もし行かれるなら予約した方

が良いでしょう。なお、「美人ランチ」というのもあり、これ、食べると美人になるという意味

でしょうか、美人の方が食べるというものでしょうか?


美人になりたい人はポチよ。

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2012年8月26日 (日)

この一曲~バッハ無伴奏チェロ組曲★パブロ・カザルス

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説明しなくても良い曲、というより、私ごとくには説明が不可能な曲。バッハの「無伴奏チェ

ロ組曲」全6曲です。


これも、レコードとCD二つ持っていますが、左がLP3枚組で片面に一曲づつ入っていま

す。楽譜付です。右のCDは2枚組。


バッハの音楽を聞くときは、何となく背筋を伸ばして聞かなければいけないような雰囲気。


ご存じのように、バッハは音楽の父といわれていますが、その死後1世紀ばかり忘れられ

た音楽家でした、メンデルスゾーン、シューマンなどによる発掘、特に「マタイ受難曲」あた

りで復活してきています。


「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」(新潮社)に、このチェロ組曲との出会いについて、次

のように書いてあるそうです。


「つぎに、私たちは港の近くの古い楽器店に立ち寄った。束ねて積んである楽譜の拾い読

みをしていたが突如、一束の楽譜を見つけた。古くさくなっていてくしゃくしゃになっており、

色もあせていた。それがなんとヨハン・セバスチャン・バッハの無伴奏組曲ーチェロのため

の独奏だったのだ。私は驚きの目をみはった。なんという魔術的な神秘がこの標題に秘

められているかと思った。この組曲の存在を聞いたことは一度もなかった。先生さえも私

に話したことはなかった。・・・・・・・部屋に入るなり、楽譜をむさぼるように繰り返し読ん

だ。あれは私が13歳の時だった。・・・・・・私は12年間、日夜この曲を研究し弾いた。私

が組曲の一つを演奏会で公開する勇気が出るまで、そうだ12年かかり、私も25歳になっ

ていた。」


カザルスの曲を聴くと、この曲にかける思いが分かってくると思います。でも、凄いです

ね。公開するまで12年間かかったなんて。


ところで、バッハは二回結婚して、最初の妻との間に7名、二回目の妻、有名なアンナ・マ

グダレーナの間に13名の子供を持たそうですから、こちらの方も凄いですね。(成人した

のは10名。架空の息子も存在する、と書かれてもいますが。)奥さんも大変だったでしょ

う。(参考:各ライナーノーツ)


奥様のご苦労にポチね。

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2012年8月25日 (土)

島原鉄道南目線廃線駅(7)~加津佐駅

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「白浜海水浴場前駅」から1.7kmで終着駅「加津佐町駅」に着きます。加津佐の方から言え

ば、ここが始発駅になるわけですが。


やっとたどり着きましたが、廃線駅が20。廃線になった部分が、「島原外港駅」から始まり

「加津佐駅」まで35.3kmになります

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駅の向こう側見える、三角帽子の建物がバンガロー村になります。

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ホームが1面、線路1線だったそうです。

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待合室の中が見えていたので、写真に撮ってきましたが、ポスターなど貼ったままにして

あり、何かまだ使えそうな感じ。


加津佐町には、前浜海水浴場、日本の白砂青松100選の野田浜があり、また、キリシタ

ンゆかりの地で、コレジョ、セミナリオがあったところであり、キリシタン墓碑が残ってお

り、、日本で最初に活版印刷がおこなわれた町です。


また、大智禅師ゆかりの巌吼寺を麓に置く岩戸山があり、この岩戸山については、ルイス

フロイスの「日本史」にも出てくるところです。


加津佐の風光明媚な風景は、ブログの「かづさふるさと紀行」をご覧下さい。私の方も、い

ずれ加津佐を訪れ、ブログに載せたいと思っています。


この駅に関しては、「子どもと歩く戦争遺産Ⅲ」(熊本の戦争遺跡研究会)によると、岩戸

山に砲台が設けらていたそうですが、「海上を照らす探照灯は、とうとう設置されず、加津

佐駅内に待機したままで敗戦を迎えました。」との話が載っておりました。


さて、最後になりますが、大正11年に口之津鉄道が開業をし、昭和3年に加津佐まで全

線開通、昭和18年に島原鉄道が合併、平成20年に、島原外港駅~加津佐駅が廃止に

なるわけですが、この間、第二次大戦があり、髙成長の時代があり、バルブがあり、ま

た、雲仙普賢岳による災害があり、その他いろいろな時代を経てきた鉄道だったと思いま

す。


出征兵士として、金の卵として、就職で、結婚で故郷を後にした人、出世して、また定年

で、そして傷心を負って故郷に戻って来た方。朝夕の通勤通学に使われた方。


廃線の跡に立ってみて、いろいろな人生を運んできた事を思うと、何となくジンと来るもの

がありました。跡地がどうなるかは分かりませんが、廃線になって約4年半。10年目にな

ったらどうなっているか、また、訪れたいと思います。 

                               (島原鉄道南目線廃線駅終り)


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2012年8月24日 (金)

島原鉄道南目線廃線駅(6)~東大屋駅・口之津駅・白浜海水浴場前駅

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「有馬吉川駅」から4.0kmで「東大屋駅」に着きます。駅は少し入り込んだところにあり、待

合所の横に珍しくトイレが設置してありました。


以前の写真を見ると、待合室の後ろ側に、「東大屋駅」という大きな看板があったのです

が、撤去されてありました。

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この駅、意外と雑草も少なくスッキリしていました。ホーム1面、線路1線。昭和3年開業。


「東大屋駅」から1.2kmで「口之津駅」に着きますが、ここは、駅らしきものはなく、ウロウロ

していたら、

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島原バスの営業所がありましたが、バスの車庫になっているみたいで、この後の方に、線

路跡がありました。駅舎は撤去されたのでしょう。


多分、列車の乗降口になるところでしょう。「ワンマン下りのりば」の文字が。ホーム一面、

線路1線の駅です。昭和3年開業。

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この口之津町にある口之津港は、永禄十年(1567)にポルトガル船3隻が入港し、南蛮

貿易港の一つであり、宣教師も多かったそうです。キリシタンの町でもあり、「口之津町史 

郷土の歩み」の中に、永禄11年(1568)「口之津の全人口1,200人、全員キリシタンと

なる。」との記述もあります。


「口之津駅」から1.0kmで「白浜海水浴場前駅」があります。

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ホーム1面、単線の駅です。昭和7年「女学校前駅」として開業したそうです。


この白浜海岸の砂丘から数基のキリシタン墓碑が発見されたといますが、県指定の墓碑

が展示されています。

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小型ではありますが、花十字入りの実に美しい形をした、樽型の墓碑です。


なお、ここの近くに、「流死者供養塔」があります。

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寛政3年(1791)に、雲仙岳で地震が群発し、4月に前山(眉山)が崩壊し、島原城下を

埋め、津波を起こし、対岸の天草、熊本地方にも被害をもたらし、島原領9,640人、天

草領343人、熊本領5,653人、合計14,636人の流死者を出しており、各海岸には流

死者が打ち寄せたそうです。「島原大変肥後迷惑」と言われています。


その霊を供養するため、島原領内に「流死者供養塔」を建てたそうで、その一つがこの白

浜に建てられています。真ん中の大きいのは、昭和53年に町内有志の手で建立された

そうですが、左側にも石碑がありますが、そのうちの一つ

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寛政4年の文字が彫られていますから(表は「流死塔」の文字)、これが最初に建てられた

ものだと思われます。   (参考:「口之津町史 郷土の歩み」)

いよいよ次回は最後の「加津佐駅」です。


今日は旧暦の七夕。織り姫さんと彦星さん、逢えたらチュの前に、ポチよ。

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2012年8月23日 (木)

ペコロスの母に会いに行く~岡野雄一

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今日は半日、この本のおかげで笑ったり、泣いたり、というか、泣いたり、笑ったりという

か。


内容は、表紙を見ていただければ分かると思いますが、認知症の母と息子さんの物語で

す。「ペコロス」とは、作者のペンネームだそうで、小タマネギだということだそうです。


作者は、長崎の方で、長崎弁満載ですが、ほかんとこの(他のところの)人にも、十分わか

っと(分かる)思います。


お父さんは若いとき酒乱で、苦労したそうですが、ボケが始まって、死んだお父さんの幻

想が見えるようになった来たそうですが

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この、幻になって現れるお父さんも、他の登場人物も、ペコロスさんの絵のおかげで、心

温かくなります。


坪内稔典さんの俳句に

「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」

「ほとけのざすずなすずしろ父ちびる」


という句があり、数年前に読んだのですが、私事ですが、母は本当に、あっという間に縮

んでしまいしました。父もこの一ト月、入院で、まったく、父ちびるの状態になってしまいまし

た。


父はビルマ戦線へ行き、20㎏くらいの荷物を背負って、毎日20㎞ばかり行軍したそうで

すが、その父があの状態になるとは、考えもしませんでした。まあ、89歳と、88歳ですか

ら無理もないのでしょうが・・・・


まだまだ、お父さん、お母さんが元気だと思っている方も、老いていくのはあっという間。と

いうより、自分自身が老いるのも、あっという間。私もこの歳になるとは思いませんでした。

何年かしたら、ちびるようになるのでしょうが。


皆さんの回りも、あの人がボケてしまうなんて、ということがあると思います。ボケについ

て、また、ペコロスさんとお母さんの小さいときの話などもでてきて、人と人との繋がり、家

族の事にも考えさせられました。


全国民の方に読んで欲しい本の一冊です。


うちのカミサンとも、もう少し仲良くしようかな。ポチしてね。

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2012年8月22日 (水)

2012 はだしで遊ぼう雲仙~長崎県雲仙市雲仙

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お~、いい足ですね。カモシカのようなすらっとした足。今日は雲仙で「はだしで遊ぼう雲

仙」というイベントがあって出かけて見ました。私も、はだか(失礼)はだしになって、気持

ちいいですね。子供心にかえります。


場所は「雲仙ゴルフ場」。大正2年、日本で最も古いパブリックコースだそうで、明治36年

の神戸ゴルフクラブに継ぐ、二番目の歴史を持つそうです。その、ゴルフ場を一日開放し

て、子どもたちを思いっきり遊ばせようというイベントです。確か、以前は県が主催してみ

たいですが、今は実行委員会形式で実施しているみたいでした。


ゴルフは金持ちがやるもので、我々、下々の庶民はやれるものではない、ということで、

私、まったくやったこともなく、まして、ゴルフ場には入ったこともなく、なにもかも珍しく。


左がティーイング・グラウンドですか、ここから球を打って、右の旗の所のカップに入れる

んだそうですが、パチンコと違って景品も何もないそうです。でも、うちと違って芝の手入

れ、良い仕事してますね。

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ところで、ゴルフ場の中の砂場。何に使うんでしょう。倉庫には高級車がずらり。

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冗談はさておき。でも、自動販売機が置いてあって、「ポ○リ○○○ト」がなんと200円。う

ちの近くでは150円。はやり、庶民が足を踏み入れるところではありません。


今日のイベントはメニューもいろいろあり、小浜中学校吹奏楽部、中国の湖北省少年交

響楽団代表団の交流演奏会。


小浜中学校はマーチングでも全国大会に出場し、金賞を取った学校ですが、しっかりと

「小浜せんべい」の宣伝も。両楽団の合同演奏。民間レベルでは、こんなに和気あいあい

とやれるんですけれどね。

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この子の演奏は素晴らしかった。中国の「葫芦(フルス)」という楽器だと思いますが、広々

としたゴルフ場の中に、朗々と響く音は今日一番の感動でした。


「吾妻町はた保存会」の方も参加して、連凧、昔のはた、創作したはたを持ってきておられ

ましたが、この「どらえもん」、ちゃんと空高く飛んでいました。子供用のはたも、たくさん準

備してあって、みんな走り回って飛ばしていました。

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羊さんも(ヤギさんかな?)もいて子どもたちも喜んでいました。

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これ鍋蓋をつかって、浴衣を着てする「なべブタっ球」

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他に、長崎のプロサッカーチーム「V・ファーレン」のボールで遊ぼう。「親子で楽しむウォー

キング・ヨガ教室」など開催されていました。


ここのゴルフ場は、標高が750mのところにあり、下界は暑かったものの、ここでは黙って

立っていると少し肌寒い感じがありました。家族、団体で思い思いのところに陣取り、昼

食。私は、農協の婦人部で、おやつに「雲仙こぶ高菜まんじゅう」を買って、会場を後にし

ました。


たまには、広々としたところで、裸足で歩くのも良いもんですね。ところで、ゴルフも裸足で

するんですか?

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今日のおやつ:「雲仙こぶ高菜まんじゅう」。あんこの代わりに「こぶ高菜」が入っていま

す。

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はだしは健康にも良いとか、来年はぜひお越しを。ポチね。 

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2012年8月21日 (火)

島原鉄道南目線廃線駅(5)~北有馬駅・常光寺前駅・浦田観音駅・原城駅・有馬吉川駅

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西有家町の「龍石駅」から1.9kmで「北有馬駅」に着きます。北有馬町唯一の駅でした。

キリシタン大名 有馬晴信の居城「日野江城」があるところで、調査、整備がおこなわれ

るそうです。

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2面のホームと、線路2線。


「北有馬町」から0.8kmで「常光寺前駅」に着きます。大正15年に開業。

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常光寺前駅の後には、田んぼが広がっていました。

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ホームが1面、線路1線。南有馬町(現南島原市南有馬町)。ホームのところに、説明版

が立っていて、「百間馬場 有馬氏時代騎馬武者が日野江城と原城を往来したところで、

北岡の田園地帯は乗馬の練習場として使用した場所といわれている。」と書いてありま

す。

「常光寺前駅」から1.0kmで「浦田観音駅」に着きます。

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ホームが1面、線路1線。昭和7年の営業です。待合室にフォークリフトが置いてありまり

ました。南有馬町です。



浦田観音は、有馬晴信の子供が生まれたとき、乳不足で観音菩薩の祠を作り、祈願した

ところ乳が出るようになったそうで、乳出の守り本尊になったそうです。

行って見ようかと思ったのですが、おじさんにはあまり関係ないのでスルーしました。


「浦田観音」駅から1.1kmで「原城駅」に着きます。

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「原城駅」の前の駐車場は、飲食店の駐車場になっているようでした。駐車場の所有者は

もちろん島原鉄道株式会社です。

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この「原城駅」は立入禁止になっており、多分他の駅も徐々に立入禁止になるのではない

でしょうか。駅舎左側には駐輪場と、映画館の看板の枠が残っていました。

大正15年に開業。2つのホームと、線路2線の駅です。南有馬町です。


「原城駅」から2.4kmで「有馬吉川駅」に着きます。

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「有馬吉川」はこの路地の突き当たりになります。

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駅の所に記念碑があって、「有馬吉川驛建設記念」と書いてあり、文字が随分薄れている

のですが、「大正15年」に建てられたみたいで、「金○○円也○○○○(氏名)」とびった

りと彫られていました。読んでいるとバイクでおじさんが寄ってきて、30分ほど立ち話をし

てきましたが、この記念碑の後の駐車場に駅舎が建っていたそうで、その建設費を寄付

した方の名前が書いてあるそうです。


しかし、記念碑が「大正15年」で、記録によるとこの駅の開業が「昭和3年」で少しズレが

あるのですが、駅舎から先に作ったのかな?


この駅に張ってあった時刻表を外して、近所の幼稚園に置いているとのことでした。

待合所後に駅名のプレート、ホームに駅名の標識があったそうですが、記念に貰ってお

けば良かったとの事でした。南有馬町です。


加津佐町まであと4駅です。


一日の終わりは、お休みのチュッとポチでね。(私の所はしませんが・・・)

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2012年8月20日 (月)

国見町小路(くうじ)遺跡発掘説明会~雲仙市国見町

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昨日、国見町の「小路(くうじ)遺跡」発掘調査の見学会があるというので、出かけて見まし

た。


いやはや、暑い、暑い。あまり暑いので見学者も、私一人ぐらいではないかと思っていた

ら、意外や意外。はやり、好きな方は多いもので・・・


島原半島は、当時、キリシタン大名有馬晴信が納めていましたが、その一部の、神代(こ

うじろ・国見町)、伊古(いこ瑞穂町)、古部(こべ・瑞穂町)を、豊臣秀吉が島津氏を征伐

し、九州割りをおこなったとき、割いて鍋島直茂に与えたそうです。


これは、以前より、島原の有馬氏、佐賀の龍造寺、鹿児島の島津氏に、領土をめぐる戦

いがあり、有馬、島津両氏を牽制するためであったそうですが、キリシタンへの対策だとい

う方もおられました。(佐賀の龍造寺隆信は沖田畷(おきたなわて・(島原市)の戦いで討

ち死に)。あと、まあ色々あるのですが、それは自学自習で。


この地区は平成22年度から、まちなみ環境整備事業に伴う調査をおこなっており、江戸

時代の水路跡、橋、道路などが発見されたそうですが、今回は

Photo_2

アバウトで、赤く囲んだ2カ所でした。下の部分、白いところは「国見繊維」の跡地ですが、

こちらは、神代村(現雲仙市国見町)役場も建っていたそうで、ここから、江戸時代の屋敷

の基礎、青い○印の所に橋がありますが、橋の内側の「枡形」(お城の出入り口の内側に

設けられた方形の広場)、神代村役場の基礎等が見つかったそうです。

Photo_13

昔の絵図面の写しです。

二番の写真、下の赤い色で囲んだ部分。調査をした所です。

Photo_4

発掘現場の横の所に橋が架かっていますが、川の中に見える石が、昔の橋の基礎になる

そうです。

Photo_5

「枡形」、江戸時代の「屋敷の基礎」「玄関跡の基礎」「役場のトイレ跡」。

当時の役場のトイレは役場の建物の外に作られていたと言うことです。

Photo_6 Photo_7

Photo_8 Photo_9

今回のあと一カ所の現場は、二番目の写真の上の四角いところですが、ここは、木造一

階立ての校舎が三棟建っていたそうで、前の二棟は「雲仙市歴史資料館」として使われて

いますが、三棟目の跡は、国見繊維の倉庫として使われていたそうです。ここからは、校

舎の基礎等が発掘されています。

Photo_11 

石が並んでいますが、これが校舎跡の基礎だそうです。

ここの校舎は立派なもので、

P8190365

屋根は葺き替えたそうですが、80年配の、ここの卒業生の方と話をしていると、天井裏を

走っても、突き抜けることはなく、頑丈に作ってあり、お金をかなりかけていたようで、多

分、神代鍋島家の影響もあるではないとかいう話でした。


この暑い夏、発掘する方も大変だったでしょうが、ここに神代役場があったことなど、若い

方は全然知らないでしょうし、頑張って後世に記録を残して欲しいものです。


私もいろいろ回って見ましたが、特に若い方は(時として高齢者の方も)住んでいるところ

の事を知らない方が多いですね。


本当に昨日は、説明される方、見学される方、猛暑のなかお疲れ様でした。今度は、少し

涼しいときにね。お願いよ。(参考:「当日配付資料」「島原半島の歴史・松尾卓次監修)


残暑がまだまだ続くみたいです。アイスとポチで涼しくね。

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2012年8月19日 (日)

この一曲~小さな竹の橋の下で★バッキー白片

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暑い毎日が続きます。昔は、ハワイアンがめちゃ流行して、夏といえば、ハワイアン音楽

一色の時代がありました。懐かしのバッキー白片さんですが、ハワイアンの大物でした。

多分、若い方は知らないと思いますが・・・


さて、このCDの中に「小さな橋の下で」という有名な歌があり、サッチモことルイ・アームス

トロングが歌った歌ですが、ハワイアン音楽は、アメリカ人がハワイをイメージして作った

歌が多く、これもその一曲になります。


で、この曲いつも不思議に思うのですが、原題は「On a Little Bamboo Bridge」、当然のこ

とながら、訳してみれば「小さな橋の上で」なんですが、訳はどういうわけか「小さな橋の

」なんですが・・・?

Photo_4

まあ、日本語では意訳していますし、クラッシック音楽と違い、ハワイアンは何となく、「ゆる

ゆる」したところが魅力なので、まあ、良いでしょう。



小さな橋の下で


小さな橋よ 竹の橋の下

川の水に流れていく

あの日の夢も 楽しい想い出も

川の水にながれていく


長い年も月も 水面をいろどり

やがては消えていく 赤いバラの花びら

小さな橋よ 竹の橋の下 恋いも夢も流れていく


長い年も 水面をいろどり

やがては消えていく 赤いバラの花びら

小さな橋よ 竹の橋の下 恋いも夢もながれていく

(作詞 A.Flecher  作詞 A.Sherman)


ハワイ気分で、ゆったり、ポチポチね。 

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2012年8月18日 (土)

島原鉄道南目線廃線駅(4)~堂崎駅・蒲河駅・有家駅・西有家駅・龍石駅

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Photo_2 Photo_3

「布津駅」から3km「堂崎駅」に着きます。有家町(現南島原市有家町)です。

プラットフォームの横に、現役の公衆電話と史跡の標柱が。ここの駅の所に「堂崎尋常小

学校」があったのでしょう。下の左の写真の待合所の後に「堂崎駅」の看板があったはず

なのですが、撤去してありませんでした。奥の方には自転車の駐輪場が。かなりの台数が

停められるようでした。

この駅が、大正11年、口之津鉄道開業当時の終着駅になります。ホームが一つと、線路

単線です。


「堂崎駅」から1,5kmで「蒲河(かまが)駅」になります。「蒲河駅」は坂を少し登った所にあり

ます。有家町です。昭和7年に開業。

Photo_4

Photo_5 Photo_6

駅のそばに駐輪場がありましたが、ご覧の通り草に覆われていました。単式ホーム、線

路は単線。


「蒲河駅」から1,5kmで「有家駅」に着きます。

Photo_7

有家駅はバスの発着所になっているみたいで、数台のバスが停めてありました。駅舎は

そのままにしてあり、待合室はそのまま島原バスの待合室として使われています。

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線路を敷くとそのまま使えそうな感じですが。ホーム2面、路線2線。


「有家駅」から1.3kmで「西有家駅」につきます。有家町、西有家町といえば「そうめん」の

町。

Photo_15

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Photo_12 Photo_14

駅の事務所はブラインドがあって覗けませんでした。少し離れた所に信号機が・・・

ホーム一面。線路単線。


「西有家駅」から2.2kmで「龍石駅」があるはずなんですが?

行ったり来たりして捜たのですがどこにもありません。やっと近くの方に聞いたところ。どう

もここらしかったのですが、完全撤去でしょう。フェンスの右側が線路だったことは間違い

ありません。西有家町(現南島原市西有家町)です。

Photo_17

次回は「北有馬駅」からです。加津佐駅まであと9駅です。

(各写真クリックすると拡大します)


残暑厳しき中ポチっと涼しくならないかな?ポチっとね。

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2012年8月17日 (金)

守山大塚(もりやまおおつか)古墳~長崎県雲仙市吾妻町

P8160303

今日は、今からカミサンの方の兄弟会で、魚が取れたので緊急集合の連絡が。で、短い

話を。


この、守山大塚古墳については、以前から、長崎県内最大級の古墳だと言うことを聞いて

いたのですが、近くにもかかわらず、見たことがないので出かけてみました。


が、なんと全部墓なのですね。多分、この標示がなかったら分からなかったでしょう。

P8160305

説明版も何もなしの、古墳らしきものは分かりませんでしたが、回りを一周してみると、な

るほど、前方後円墳の形が分かるのですね。

Moriyama_2

       (島原半島の歴史~監修 松尾卓次)

航空写真ですが、こうしてみるとお分かりになるかと思います。


この古墳は「まぼろしの邪馬台国」を書かれた、故宮崎康平氏が発見されたそうです。

平成21年の発掘調査で、4世紀初頭の土器片等が発見され、県内でも最大級の前方後

円墳である事が分かったそうです。


調査によると(回りの水田等を調査したみたいですが)、本来の墳丘は3mほど外側に広

がっていたそうです。全体としては、現在より一回り大きく、80m前後の墳丘長になるそう

です。


この、全面墓というのがものすごく、下に眠ってらっしゃる方は、なにか可愛そうな感じ。

これだけ墓が立っていると、本格的な調査は無理でしょうね。

(参考・引用・写真 「島原半島の歴史」 監修松尾卓次)


今日、8月17日はパイナップルの日だそうです。パ(8)イ(1)ナ(7)ップル。

関係ないけどポチね。

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2012年8月16日 (木)

島原鉄道南目線廃線駅(3)~瀬野深江駅・深江駅・布津新田駅・布津駅

P4270465

安徳駅からすぐの所の鉄橋です。左が廃線になった鉄橋、右が国道の鉄橋になります。

下に流れるのが水無川です。「安徳駅」までは島原市になります。


「安徳駅」から2.1kmで「瀬野(せの)深江駅」駅に着きます。ここから深江町(現南島原市

深江町)になります。昭和7年から開業。

Photo_2 Photo_3

ホームが1面と単線。待合所が置かれてありますが、ここにも廃線のお知らせのポスター

が張ったままでした。災害のため平成5年営業休止、平成9年営業再開。


「瀬野深江駅」から2.1kmで「深江駅」に着きます。

Photo_4 Photo_13

ホームが2面、線路が2線。駅舎の中には待合室と事務室があります。

Photo_6

普賢災害の時の写真などが、まだ張ったままにしてありました。「ご支援ありがとうござい

ます」「新たなる旅立ち 新生 深江町へようこそ」の文字が・・・


「深江駅」から2.4kmで「布津新田駅」につきます。ここから布津町(現南島原市布津町)に

なります。

Photo_7 Photo_8

線路跡は草が覆い尽くしていました。駅の後は保育園だったか幼稚園のようでした。

Photo_9 Photo_10

駅はこの路地の突き当たりにあります。近くに、気にいったお堂があったのでパチリ。


「布津新田駅」から1.9kmで「布津」駅に着きます。

Photo_11 Photo_14

ホームが2面。線路が2線。駅舎の中には待合室と事務室が。

ホームから少し離れたところに、プレハブのような小屋があり「第4保線分區」と書いてあり

ました。

P6220209 P4270494

右の写真、どこだったか思い出せません。


次回は「堂崎駅」からです。加津佐駅まであと14。長いですね。まあ、最後までおつきあい

を。(写真はクリックすると大きくなります)


盆が過ぎるとすぐにお正月。ポチポチ年賀状のアイディアでも考えるか。ポチね。

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2012年8月15日 (水)

島原鉄道南目線廃線駅(2)~秩父が浦駅・安徳駅

少しばかり説明を。

島原鉄道南目線は、「口之津鉄道」により、大正11年に島原湊駅(現南島原駅)~堂崎

間(南島原市有家町)が開業。大正15年に堂崎~南有馬(原城駅)、昭和3年に南有馬

~加津佐まで全線開業。昭和18年島原鉄道が口之津鉄道を合併しています。


「秩父が浦駅」です。島原外港駅から1.1km。いかにもローカル駅という感じ。

Photo_5

ホームには待合所が設置してありますが、基本的には他の駅もほとんど同じ作りです。

単線、ホームもひとつだけの無人駅。昔は下の写真の様に、駅の標記があったのです

が、ほとんど他の駅も撤去されていました。(下の駅は現在も運行の北目線の阿母崎駅)

P8020554_3

「秩父が浦駅」の待合所の先の方に黄色棒が少し見えますが、安全確認のためのミラー

が設置してあったのでしょう。撤去してありました。もちろん線路も全撤去です。


駅の側の道路に、線路の一部が残っていました。

Photo_7

鉄路の間がアスファルトで埋められていますが、どうも、線路があると一時停止をする習

慣があって、 線路跡の手前で一時停止をしてしまってから苦笑い。


写真を撮っていると、近くのおばさんが寄ってきて、少し話をしましたが、向こう側からこち

らに来るときは止まらなくても良いのですが、長年の習慣が残っているのでしょう、やはり

線路跡の所で一時停止をするそうです。


「安徳駅」です。「秩父が浦駅」から1.1km。大正11年に「安中村駅」として開業、昭和35年

に「安徳駅」に改称したそうです。

Photo_8

「安徳駅」は高架の上にあります。もちろん立入禁止になっていました。

普賢岳の火砕流で平成5年に営業休止、平成9年に100mばかり移動して、高架駅になっ

て再開。

Photo_9

四角いところに、「安徳駅 ANTOK ST」の看板が。左か鉄橋になっており、国道の鉄橋と

平行に走っています。国道からよく見えます。


次回は、「瀬野深江駅」からです。加津佐まで、あと18駅です。


お盆も今日まで、長崎では派手に「精霊流し」。田舎は静かなものです。長崎育ちなもので

この時期になると血が騒ぎます。ポチね。

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2012年8月14日 (火)

島原鉄道南目線廃線駅(1)~はじめに

Google1

女性から「おじさんっぽい」と思われてしまう趣味9パターンというのが書いてありまして、

1 服装からイケてない「釣り」

2 おじさんを通り越してお爺さんっぽい「盆栽」

3 接待のイメージがつきまとう「ゴルフ」

4 画的にも地味すぎる「切手集め」

5 縁側で指しているイメージがある「将棋」

6 オタクな印象がぬぐえない「鉄道」

7 雀荘の荒んだイメージが頭に浮かぶ「麻雀」

8 ほっこりしすぎな感もある「温泉めぐり」

9 それなりの年齢にならないと楽しめなさそうな「骨董収集」

だそうなんですが、まあ、今から若い子にもてようとも思わないし、喋っていても話は合わ

なくて、疲れてしまうし・・・


さて、今回はこの「6」の鉄道で迫ります。どうせ、おじさんなんだから。


上の地図、アバウトで大体こんなもんかと思って下さい。黒い四角が諫早市、黄色い四角

が島原市、赤い四角が加津佐町(南島原市)あたり。


ここを、島原鉄道が通っており、諫早駅~南島原駅(島原市)を北目線、南島原駅~加津

佐駅を南目線といっていたのですが、この南目線、南島原駅と島原外港駅が残っていま

すから、正確には全線廃止というわけでは無いのですが、その他の駅は全部廃止になっ

ています。

P6180059

まだ、廃駅に残っている張り紙。

「平成20年4月1日、鉄道一部区間(島原外港~加津佐間)を廃止しました」の文字。あ

れから4年半ほどですか。


某日、何となく廃駅を訪れてみると、ふと「兵どもが夢のあと」という句をふと思い出しまし

て、これからどうなるかも分からないし、今のうちに、記録してみようと2~3日かけて回っ

て見ました。


写真を撮りすぎてどれがどれだか分からなくなり、整理しながら、何日かかるか分かりま

せんし、飛び飛びになると思いますが、ひたすら廃駅の写真をご覧いただきたいと思いま

す。


私自身は、南目線を2回ほどしか利用したことがなく、間違いもあるかと思いますので、

気がつかれた方はコメント欄で指摘を御願いします。

P6290067

懐かしいですね。島原の映画館の看板を張ってあったのですが。何となく哀愁を誘います

ね。(歳ですかね・・・・)


こちらは、南目線で残っている「南島原駅」。この風格が何ともいえません。好きな風景で

す。入り口上の大きな時計の風格。駅の半分はお薬やさんが使ってているのですが・・・

Photo

最終駅の「島原外港駅」。これから先が廃線になっています。

P6290121

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2012年8月13日 (月)

おそうざいのヒント365日~朝日新聞社

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暑い日が続くなか、毎日3食作っていただいているカミサンには感謝しているところです。

この間、料理しているとき、ちょっとある事で文句をいったら「飯作りは、自分でせんね!

(自分でしたらどうか)」と怒られましたが、顔見ると汗びっしょり。本当に夏の料理は大変

ですね。


私も料理は嫌いな方でなく、独身時代は時間が取れるとき、ほとんど自分でやっていたも

のです。結婚してからも、結構料理はしており、NHKの「今日の料理」は毎月定期購読をし

ております(今も)。


娘が小さいとき、友達が遊びにきており、晩飯を作っていたら、皆こちらを見て、小さい声

で「なっちゃんのお父さんって、料理するの」というのが聞こえましたが、はやり田舎では、

まだまだ夫たるもの、料理はしないものなのでしょう。


私の義理の兄も、まったく料理を作ったこともなく、「料理をするなら、腹んへったとば、我

慢するばい(料理をするぐらいなら、腹が減ったのを、我慢する方がましだ)」という具合。


さて、毎日の献立につては皆さん頭を痛める方が多いみたいですが、私が重宝したのが

上の本。

2

ご覧のとおり、写真も何もなく、1ページにその日の一品のみ、もちろん一品では足りない

ので、後は適当にパラパラとページをめくってもう一品。書き方は、簡潔かつツボを押さえ

てあります。


現在「30分で作る おそうざいのヒント」として、中身も改訂して出版されているようです。

皆さん方の、台所に置いておくと便利ですよ。

スマートフォーンで料理のアプリを入れていますが、こちらの方が良いみたい。

3

本格的に勉強したい方はこちら。

なにせ、「だし汁の取り方」「包丁の扱い方」「野菜の切り方」「ゆで方・もどし方・アク抜き」

「魚介類のしたごしらえ」等々。これに書いてあるレシピ通り作ると、ひと味違いますね。

一手間かけると、ひと味違ってきますから、是非お勉強を。


余談ですが、料理学校の先生と話をしていて「毎日、違う料理をよく教えられますね」と聞

いたら、さりげなく「五年先まで考えてます」。やはりプロは違いますね。


今日のおやつ:「雲仙ワッフル」

娘が盆休みで買ってきたやつ。長崎から雲仙に帰ってくるのに「雲仙ワッフル」買ってくる

とは、大物かボケか?まあ、自分が食べたかったからでしょうが、雲仙らしく「じゃがいも」

「いちご」「雲仙茶」味でした。皆さんも観光の時のお土産にどうぞ。

P8130302

ポチより、おいしい料理が大切だよ。

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2012年8月12日 (日)

この一曲~正信偈

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日曜日は、音楽の事を書いてきましたが、今日は何にしようかなと思っていると、今日は

「君が代記念日」。ただ、君が代については、前に書いていたので、明日からはお盆でも

あるし、お経でも。


お経と言えば、仏様の教えなのですが・・・


昔はお経など、早く終わればと思っていたのですが、千々石に移り、カミサンの兄弟が五

人もおり、兄弟また、両親の月命日などに良く集まり、手作り饅頭でも持ち寄って、思い出

話などをして、最後にこの「正信偈」(千々石は寺が一軒で浄土真宗。町民ほとんど浄土

真宗です)を、皆で読経して終わり、と言うことになるのですが・・・


最初は、正座して足がどうにも痛く、もっと早く読めよ、なんと思っていたのですが

2

近ごろは、このお経が楽しくなって(歳のせいか?)


読経していると、なかなか良くできているお経で、最初は同じ調子で延々続き、飽きてくる

と言うか、眠たくなってくると言うか、その時に突如、調子が変わって、ハット目が覚め、こ

のところ、音楽と同じように転調する所がなかな面白く、感心をする所です。皆で読経して

いると楽しいですよ。


他の宗派のお経、ご詠歌などのCDも何枚加持っていて、時々出し、読書するときのバック

グランドミュージックとして聞いていますが、不謹慎ながら、これ音楽の範疇でないのと思う

のであります。

3_2

これに、「お経」と「御文書(ごぶんしょう)」 (蓮如上人の文書)が載っていますが、「白骨の

章」、「夫(それ)、人間の浮生(ふしょう)なる相を、つらつら観ずるに。」に始まる文書です

が、「我やさき、人やさき、けふともしらずあすともしらず。・・・されば、朝(あした)には紅顔

ありて、夕べには白骨となれる身なり。・・・野外におくりて夜半のけむりとなしはてぬれ

ば。だだ白骨のみぞのこれり、あわれというも中々をろかなり。・・・」

はやり読んで見ると、名文ですね。最近は実感するとが多くなりました。


明日から折角のお盆ですから、お経の一つでもじっくり読んでみませんか。読経するのも

も優れた呼吸法の一つであり、健康法だと書いてある本もあり、心も静まりますよ。キリス

ト教の方は賛美歌を歌うも良いし。


心静かに、ポチ。 

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2012年8月11日 (土)

大友宗麟のローマ字印章★実物印譜

2_2 

まあ、驚きましたね。


住んでいる島原半島は、ご存じのように、キリシタン遺物といわれるものが多く、説明され

ても何となく疑問がわくところがあり、あちらこちら資料を読んでいるのですが、

Photo

この本を読んでいるとき、一番上の写真ですが、57ページの所に、和紙に印が捺してあ

り、貼り付けてあるのですが、これが実際に大友宗麟が使用した「ローマ字印章」を捺して

あるのです。決して写真ではありません。実際に大友宗麟が使用した印章を捺したもので

す。


大友宗麟と言えば、説明するまでもなく、キリシタン大名として有名ですが、その大友宗麟

が実際に使った印章の印譜ですよ!拡大すると

2_3

この印章は、このような形をしているそうです。

3_2

この印章は大分の西寒田神社に秘蔵されているものだそうですが、著者によれば、「次の

ページに添付した印譜は、西寒田神社総代の許可を得て、一つ一つ押した実物印譜であ

る。かって約三百八十年前、キリシタン大名大友宗麟がみずから捺したこの印を、静かな

同神社の社務所の中で、私自身の手で捺したとき、私の手は、感激にこまかくふるえてい

た。」と書いてありますが、私もこれを見たとき、ビックリして半日間見とれておりました。


さて、この印、水牛の角だそうですが、印の上に三のように見えるのは「大友家歴代の家

紋で、易(えき)に用いる算木」だそうです。


下の方のRが崩れたように見える字は、「FとRとが組みあわせ(monogram)になっている」

そうで、右の方はそのまま「C」と「O」。「FRCO」で「FRANCISCO」を略したものだそうです。

大友宗麟は天正6年洗礼を受け、霊名フランシスコ(FRANCISCO)の名を得ています。


いや、本当に感動し、驚いた一日でした。

(参考・写真・文引用:竹村覚著 「キリシタン遺物の研究」)



ビックリのポチよ。

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2012年8月10日 (金)

「百花台遺跡」~47年ぶりの里帰り展~★雲仙市国見町雲仙市歴史資料館

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7月22日~8月31日まで、国見町の雲仙市歴史資料館で、「百花台遺跡」~47年ぶり

の里帰り展~があったので出かけて見ました。私も若いとき、長崎で2~3ヶ月ほどアル

バイトで、資料の整理をしていたことがあったものですから、何となく懐かしく。


百花台は現在「百花台公園」があり、現天皇陛下と美智子妃殿下がお越しになり、全国植

樹祭がおこなわれ、また2年後の国体の少年男子サッカーの会場になるところです。


百花台の名前については、昔からの名前だと思っていたのですが、太平洋戦争後、50組

の入植者によって開拓されたことにあり、50組の夫婦による「百」と百花繚乱の「百花」に

ちなんで「百花台」と名付けられたそうです。


今回の展示品は、主に昭和38年・39年に、國學院大學などにより発掘調査されたもの

が、47年ぶりに国見町に寄贈されることになり、それにともなう企画展です。百花台遺跡

は、旧石器時代~奈良時代まで続く大規模な集落遺跡だそうで、日本の旧石器時代研究

の幕開けともいえる遺跡だそうです。

3_2 4

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一番上の写真「装身具」ですが、思わず、茨木のりこさんの詩、「娘たち」の一節「イヤリン

グ見るたびに おもいます/縄文時代のおんなたちとおなじね/ネックレスつらねるたびに 

おもいます/卑弥呼のころとかわりはしない・・・・・」を思い出しました。


下の写真が、特に「百花台型台形石器」と名付けられた、旧石器時代終末期の重要な指

標石器だそうです。

P8100261 

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でも、良く作っていますね。私も鏃(やじり)を何回か作って見ましたが、うまくいきませんで

した。(もともと不器用だから)

P8100248

ちゃんと作り方も説明してありますから、子供と一緒に見に行って、夏休みの宿題に作っ

て見ませんか?いい、自由研究になりますよ。カワイイ職員の方からご案内いただき、良

き一日でした。(参考・引用:展示場各説明資料より)


昔の「娘たち」を思ってポチね。

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2012年8月 9日 (木)

2012 長崎原爆の日~北村西望の言葉

P8080213

今日、8月9日は長崎に原爆が落とされた日で、長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典が開

催されました。


去年も書いたように、母方の父が、友人の葬式の手伝いに朝から出かけ、被爆をしまし

た。兄弟で捜しにいき、女性は長崎駅から先へは立入禁止で入れなかったそうですが、

伯父2人で行ったそうですが、跡形も無かったそうです。


長崎で育ったので、その時の悲惨な話は、小さいときから聞いたり、見たりしていました。

腹が裂け腸が出て、引きずりながら歩いて人がいたこと、実際にケロイドの跡を見せてく

れた方もいました。水を求めながら死んでいった人々の話・・・


さて、福島県の原発のことですが、直後は、福島ナンバーの車が通るのを阻止していたニ

ュースも流れ、非常に悲しい思いをしたものでした。


数十年前、東京で就職試験を受けたとき「あなたの両親は被爆者ですか」と聞かれ、何の

ために聞かれたのか知りませんが、何ともいえない気持ちになったものです。合格通知は

来ましたが、こちらからお断りしました。


今、福島の瓦礫をどうするか、問題になっています。子供の影響が心配だと、各地で反対

運動が起こっています。反対運動を見ていると、反対のための反対にしかみえず、本当の

議論がなされているのでしょうか?(政府の一貫しない発言も問題なのですが)

もっと同じ日本人としてどうしたら良いのか、考える必要はないのでしょうか?



反対しているあなたの子供が、大きくなって、福島の子供と結婚したいと言ったらあなたは

どうするのでしょう?被爆者ということで、結婚に関する悲劇は嫌と言うほど聞いていま

す。

P8080223

今日は会場には入れないかなと言うことで、昨日出かけてお参りをしてきましたが、記念

写真を撮る団体が並んで笑いあいながら、次から次へと撮影。この記念像、作られたとき

は、色々批判もあったのですが・・・・


さて、平和祈念像の裏に、この像を造った、北村西望の言葉が刻んであります。

多分、裏まで来て読まれる方はいないと思いますので、紹介します。北村西望の平和を祈

る気持ち、そして力強い決意、意気込みが述べられています。

P8080221_2

平和祈念像作者の言葉


あの悪夢のような戦争

身の毛もよだつ凄惨悲惨

肉親を人の子を

かえり見るさえ耐えがたい愼情

誰が平和を祈らずにいられよう

茲に全世界平和運動の先駆として

此平和祈念像が誕生しました

山の如き聖哲それは逞しい男性の健康美

全長三十尺

右手は原爆を示し左手は平和を

顔は戦争犠牲者の冥福を祈る

異人種を超越した人間

時に佛時に神

長崎始まって最大の英断と情熱

今や人類最高の希望の象徴

     昭和30年 春日 北村西望





2012年8月 8日 (水)

曲崎古墳群(国指定史跡)~長崎市牧島町

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先日、「結の浜マリンパーク」について書きましたが、その前に牧島町に寄って見たのです

が、牧島町という名の通り「島」です。橋があって渡れるようになっています。実はこの町の

こと全然知らなかったのですが、後で調べるとなかなか興味のあるところがあるようでし

た。


港にペーロンが並べてあって、長崎市のペーロン体験施設もありました。

2_2 3

少しウロウロしていると、「国指定史跡 曲崎古墳群」の標識が。「国指定」の標識にして

は少し小さすぎかな?見たからには行かねばなるまい、と言うことで、標識通り行って見る

と、小さな半島みたいな所が。右の写真、四角で囲んだところまでは、車で行けましたが、

林の中に入っていくと、

4_3 5 

ちゃんと見学用に通路が作ってありましたが、林の中は、ご覧のように石がゴロゴロしてい

て、いままで見て来た古墳とは雰囲気が違い、説明版を読んで見ると、普通の古墳は、遺

体を入れる室を石で築き、土を盛り上げるが、ここの古墳群は、丸い石を積み上げている

のが特徴で「石積古墳」と言うそうで、日本でも非常に珍しいものだそうです。

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説明版が昭和53年のと、平成17年に立てたのが二つあり、昭和53年のによると、昭和

52年の調査によると99基が確認され、ほかに500基におよぶ積石塚と思われるものが

あるそうです。平成17年の説明版によると、101基の積石塚古墳と性格不明の落ち込み

が498か所確認されているそうです。すごいもんですね。


こちらが23号棺。後の石柱には「管理団体 長崎市」と書いてあります。

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こちらが21号棺。

10_2

発掘当時はもっとはっきりしていたらしく、長崎県のホームページ「長崎県の遺跡大辞典」

を見ると」こんな感じで、こちらは22号古墳

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こちらが「3号墳石室」だそうです。詳しくは前述の「長崎県の遺跡大辞典」をご覧下さい。

12

分布状況は下のようになっているそうです。

13

はじめて報告があったのが1940年、1970年に長崎市教育委員会によって範囲確認調

査が実施されたそうです。随分風化したものと思われますが、もう少し分かりやすいように

整備して欲しいものですが・・・

でも、昔は島であったところに、どうしてこんな大古墳群があるのでしょう。

(参考:各説明版 長崎県ホームページ「長崎の古墳大辞典」)


暑い夜をポチで涼しく。

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2012年8月 7日 (火)

家庭菜園~草刈機の事、白ゴーヤその他

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暑い毎日が続きますが、今日は朝から少し雲が出たので、朝は墓掃除、昼からは草刈

り。


上の写真が、愛用の草刈り機ですが、ここ、一月半ほど膝を痛めていたので、畑(30坪

程度)をそのままにしていたら、草が生えている生えている。


手ではとうてい処理できないので、久しぶりに草刈りを。この草刈り機、草を刈る所、金属

の円盤ではなく、通帳「ひも」と言われているのを使っていますが、「ナイロン」の紐です。


使っていると段々すり減って短くなりますが、回したまま、真ん中をトントンと、石など硬い

所に打ちつけてやると、自動的に延びるという優れもの。

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これが、高速回転して草を刈っていくわけですが、大きな草は、切り難いのですが普通の

草なら十分。左が刈る前、右が刈った後。

Cimg0131_2 Cimg0133

「ヒモ」を使うと岩が多かったり、植木があるところは、金属のものと違い、岩にあたったシ

ョックが少なく、植木を傷めることも少なく、また歯を磨く手間も省け便利なものです。女性

の方にも扱いやすいと思います。ここ数年、こればかり使っています。


ただ、小石をかなり拾って飛んできますので、顔のガードを必ずして下さい。顔や目にも飛

んで来ますので要注意。


左の中型のトマトはかなり良くなりました。右の大型のトマトもなりましたが、カラスから突っ

つかれるので、赤くなる頃に袋が必要でしょう。

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サトイモはあまり水やりをしてなかったのですが、意外と葉が茂っていました。敷藁が必要

かなと言うところです。柿は結構なっていますが、これからが問題で毎年ボタボタ落ちて、

やはり少し殺虫剤が必要かな?あまり、使いたくないのですが・・・

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今年は植え付けるのが遅くて心配だったのですが、ようやくなり始めました、「白ゴーヤ」で

す。

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あと、キュウリ、茄子はカミサンが取っていて夕食に出ていました。


今年は、足を痛め、カボチャ、サツマイモが植えられませんでしたが、ボチボチ秋に何を

植えるか、考えなければならないのですが・・・土も少し耕がやかそうと思っていたら、雨

が何日も降っていないので、硬い、硬い。熱中症にになりそうなので中止しました。

でも、雑草は水もやらないのに、何であんなに元気に生えているんでしょう?


ポチして、雑草のように元気で、しぶとく生きていきましょう。 

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2012年8月 6日 (月)

2012 千々石海水浴場なう~長崎県雲仙市千々石町

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昨日は日曜日とあって、海水浴場を見に行ったのですが、お客さん少ないですね。昔の風

景はどこへいったのでしょう。


昭和58年に、21世紀に残したい「日本の自然百選」に選ばれ、昭和62年には「白砂青

松百選」にも選ばれたものですが。


昔は遠浅で、干潮になると200mの沖合に州潟ができ、浅蜊貝なども取れたそうですが、

自然の変化ですっかり変わって来たそうです。昨年は、ゴミが浜辺に打ち寄せひどかった

のですが、今年は意外に綺麗な砂浜になっています。


昔の海水浴場の写真です。

Photo

             (千々石町郷土史より)

数十年前までは、国道の方に駐車場があり、駐車場はいつも一杯で、大型バスでも乗り

付けていたものです。たしか、海水浴場横の車道は、夏の期間は通行止めにしていた記

憶があります。


いつも愛読しているブログの「かづさふるさと紀行」を読んでいると、加津佐町の野田浜海

水浴場も同じような状態とか。


昔は、夏休みというと、友達と良く海水浴に行ったものですが、今の子供はプールもある

し(ちなみに、諫早競技場にある屋外プールは満杯です)、他に遊ぶものもたくさんある

し、親は面倒くさい事を厭がるし(子ども会の活動をみればよく分かります。昔みたいに、

キャンプにでも皆で行こうという所はほとんど無くなったし)、まあ、アウトドアライフと言って

も、一部の家族だけのことでしょう。もっとも、オートキャンプ場なんて車で乗り付ける、イー

ジーなアウトドアライフも増えてきていますが・・・・

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海岸の端にある、福石様の所で遊ぶ一家。良い風景ですね。お父さんが「海を甘く見るな

よ」なんて教えていました。いいお父さんですね。

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昔は、魚もたくさん捕れ、海岸には煮干し小屋が並んで、煮干しを作っていたもんですが。


私は長崎市出身で、夏になれば、今は無くなりましたが、毎日の如く「ネズミ島」へ。定期

券代わりの木札と、小袋に入れた「はじき豆」(空豆を煎ったやつ。海に浸けていると、ほ

どよく柔らかく、塩味がきき乙な味)を首から提げ船に乗って行きましたが、あれが夏の一

番の楽しみでした。

でも、毎日、海に行ってたのに、なぜ泳げないのかな?私に関する七不思議の一つです。

(参考:千々石郷土誌)


ポチして、海に行こう。

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2012年8月 5日 (日)

この一曲~花火&ふるさと夏祭り(長崎県雲仙市千々石町)

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昨日は、第5回目を迎えた「ふるさと夏祭り(平成24年度)」が、温泉神社内で開催されま

した。都会と違い、いろんな団体で実行委員会を立ち上げた、手作りの夏祭りです。

昨年も、書きましたが、以前は青年団がやっていたのですが、その青年団も少数化、2年

ほど前に解散してしまいました。


知っている方と話していると、やはり皆が集まる催し物も必要じゃないかとの話。特に、町

村合併になって、町民体育祭の廃止、町民駅伝の縮小。なんとなく、人と人との繋がりが

薄くなっていくような気がします。若い人の意識の変化。昔は、役場の人も積極的に町内

行事に参加していたのですが・・・・市長さんも挨拶が終わると、すぐにお帰りになられまし

たが、公務が忙しいんでしょう・・・近ごろ市役所になってしまうと、自治会に入らない職員

もいたりして、これで道州制になったらどうなるんでしょう。「大きいことは良いことだ」って

いうCMが流行りましたが、「大きいことは良いことだ」は幻想だと分かったはずだったの

ですが。


さて、湿っぽい話は止めにして

例年どおりの「茅の輪くぐり」 、出店もあり、年々人手が増えてきているようです。

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神主さんも加わってのじゃんけんゲーム、児童の踊り、

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千々石第一小学校による「エイサー」、練習をかなりしたみたでピッタリあっていました。第

二小学校の歌で、「棚田へいこう」、この学校の地区に日本棚田百選の地があります。「棚

田サミット」のテーマソングらしいですが「棚田へ行こう」。なかなか良い曲で、「晴れた日

は/棚田へ行こう/じいちゃんの軽トラに乗ってね/かあちゃんは 後から来てね/ばあちゃ

んのおにぎり 待ってるよ・・・・」

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千々石中学校吹奏楽部による「御神楽」すっかりお馴染みになりました。ラムネの早飲み

競争。近ごろの子供は、ラムネの飲み方が分からないらしく、中に入っている玉に手こず

っていました。

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地元の「ちぢわ舞華連」と、お隣、愛野町の「愛やぁ連」(よさこい)の総踊り。地元「ブルー

アイランド」によるフラダンス。皆なお若い方ばかりです。遠くから見ると。

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そのほか、カラオケ等あり、21時頃終了。(各写真クリックすると拡大します)

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このあと、家が近くで歩いて帰りましたが、何となく物足りなく。そう、夏祭りといえば花火。

一発上げて何万円もので、手作りの夏祭りでは費用が・・・


一人で「花火」歌を歌いながら帰りましたが、後で調べると「花火」という歌、多いですね。

「サースティロード」「TUBE]「aiko」「研ナオコ」「くるり」「所ジョージ」「AAA」「椎名へきる」「浜

田省吾」「うたいはねびと」「森進一」。全然知らない歌ばかりですが。

もちろん、私が歌ったのは、童謡の「花火」




花  火


どんとなった 花火だ きれいだな

空いっぱに  ひろがった

しだれやなぎが ひろがった


どんとなったなんびゃく 赤いほし

いちどにかわって あおいほし

もいちどかわって きんのほし

(作詞 井上他赳 : 作曲 下総皖)


一番上の写真、婦人会の音頭(踊り)ですが、うちのカミサンも確かどこかに。

「どんと」でななく「ポチ」よ。

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2012年8月 4日 (土)

教訓~つもりちがい十ヵ条

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今日は祭だとか。といっても、手作りの村祭り。急いでいるので今日は簡単に。


「つもりちがい十カ条」、随分有名になりましたが、何回読んでも反省また反省。


これを、ある先生からいただいたのが30年ほど前。その頃は、この教訓、まだ世に知ら

れていない時で、初めて読んだときは、自分の生き方に恥じたものでした。


その時、先生曰く「あんたたちゃ、こんげんもん貰うても、ほったらかしにして、紙くずに出

してしまうじゃろうがな。(標準語訳:あなががたは、こんな大切な物をいただいても、その

ままにして、紙くずに出してしまうだろう)」「一番良かとはな、便所に張っとくことじゃ、気ば

るときに、見えるとこに張っとけば、毎日見るじゃろが。(一番良いのは、便所の中に貼っ

ておくことだ。大の方をするときに、目の前に張っておけば毎日見るだろう)」

皆さんも、この教訓、便所の中に貼って置いて、毎日読んで反省を。


私の場合、もう一つ加えて「(かみさんが)優しいつもりで結婚したら大違い」


小浜を通っていたら海産物屋さんに、「はなまるマーケット 釈由美子紹介 秋芽のり」の

看板が、釈由美子さんといえば素通りもできず、一つ買ってきました。

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釈由美子さんの美しさにポチよ。

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2012年8月 3日 (金)

「てっぺい」さんのソーメン流し(長崎市・滝の観音付近)&「ため池のオブジェクト」(諫早市森山町)

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昨日「滝の観音」の事を書きましたが、すぐに帰るつもりが、見ほれてしまって気がつけ

ば、いつの間にか1時過ぎ。腹が減ったので、どこかないか帰りながら運転していると、滝

の観音から少しいったところに、ソーメンという字と、鮎という字が目に入って。特に「鮎」

が。

5

「てっぺい」さんという店。地鶏焼きが専門みたいでしたが。左の建物に入ってビックリ。

2

ソーメン流し、竹を使ったり、ぐるぐる回したりするのは見たことがあるのですが、これは初

めて。中央から水が出て、各場所に流れて来る仕掛け。一枚岩を加工した物でしょうが、

これはグッドアイディアもの。もう一台ありましたが、老人ホームの団体が囲んでいました。

大勢で行くのに良いですね。


千々石のやまめの里では「やまめ」、有家の鮎帰りの滝では「ニジマス」、そして滝の観音

さんの所で「鮎」。続けざまに川魚。それぞれに微妙に味が変わっていて、川魚もおいしい

ものでした。

3

鮎が2匹並んでいる?ひょうっとしたら、何方かとお二人で?と言いたいところですが、2

匹でワンセット。そんなに大きい魚ではないし、一人で2匹食べてちょうど良い加減でした。

ソーメンのちょっと変わった食べ方をしたい方は是非どうぞ。


若い方は、ここに来るまでに、「モー○ル・けご○」もありますから、ゆくっりと涼んで行って

ください。(涼むどころではないか)


帰りがけ、2月に取り上げましたが、久しぶりに諫早市の森山町へ「ため池のオブジェク

ト」を見に。この地区の土曜会の方(飲み仲間)が、なにかしてみようと作っている物です

が、少し前は、菖蒲だったかアヤメの花だったのですが、オリンピックイヤーとあって、

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オリンピックの人形ですね。真ん中は、体操個人で金メダルを取った、地元諫早市出身の

内村航平選手でしょう。内村選手のご両親は諫早で体操教室をされていて、私の家から

車で30分程度なので、私も習いに行こうかな?次のオリンピックを目指して。


ため池のオブジェクト、以前の記事は→こちらをクリック


ばんがれニッポン、ポチしてメダル。

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2012年8月 2日 (木)

滝の観音~長崎市

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昨日、長崎の病院通いで、お客さんは少なかったものの、予約して行った方が20名くらい

いるとか。昼過ぎまでかかるなと思って、ちょっと長崎の友人宅へ行って戻ったら、予約の

方がまだ全然いなく、あっという間に診察終わり。


諫早に用事があったので、たまには別の道をと、国道34号線。矢上から古賀を通って諫

早の道へ。


途中「滝の観音」というのがあって、知ってはいたのですが、行ったことも無く、時間があっ

たので寄ることに。(小さい写真はクリックすると大きくなります。)


通称滝の観音と言いますが、正式には「長瀧山霊源院」といい、禅宗の一派黄檗宗に属し

ているそうです。長崎県指定「名称文化財」第一号の地です。


寺の由来については全部書ききれないので、興味ある方は、本堂の所に「滝の観音小縁

起」というのが置いてありますから、行かれた方はお読みください。

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第一の門、第二の門を過ぎたところ、右の写真、「伏樹門」どちらが根か分からず、「不思

議門」とも言うそうです。

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正門の所にある仁王様、1697年に、長崎の仏師福島市郎右エ門の手になるものだそう

です。

ずっと中に入っていくと

9 8

左が「普済橋」、右が「羅漢橋」。渡った所が、こんな感じの所ですが

10

左の階段の所から登って行くと、石仏と、磨崖仏がとにかくあちらこちらに。

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みんな、それぞれに苔むしていますが、それだけに風格が。磨崖仏の方は、苔に隠れて

いるところがありますから、よく見て行くことが必要。

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滝ですが、いつもお参りに来ている方と話をしていたら、雨がずっと降ってないため、

滝の水が少なくなっているとか。


なお、ここに弘法大師がおとずれ、滝の懸崖に梵字を記したそうです。滝の観音小縁起

に「梵字は今もなお霊瀑中央の水苔深いところに跡を留めている。」と書いてあります。

見れれば見たいものですが・・・でも弘法大師さんと、水戸黄門さん、全国どこにでも行っ

ている見たいですね。我が千々石町にも、隣町の小浜町にも弘法さんの話があります。

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滝壺の側に「竜王様」が、この「竜王様」撫で撫でしながらお願い事をするとかなうとか。私

も撫でながら「妻がいつまでも元気でありますようにと、心にも無いことを、御願いしてきま

した」


その他とにかく、石仏の多いこと。ただ、ここも神仏分離の廃仏運動で、傷つけられた仏

様もおられました。

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石仏が好きな方は何ともいえないところでしょう。境内の石仏は近在の篤信者の喜捨によ

り、佐賀砥川の石匠、平川四右エ門等が1690年代に彫刻したもの。磨崖仏は長崎の油

屋徳兵衛が亡父の追善のため、1705年に奉納されたものだそうです。


なお、もみじが多く、多分紅葉の時は綺麗ではないでしょうか。また、その頃今度は二人

で来ましょう(かみさん以外)。

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ここは、昭和57年の長崎大水害の時、大被害を受けたそうで、この梵鐘はその時の物だ

そうです。

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本堂です。ご本尊は「魚籃観世音菩薩」だそうですが、一年に一回だけ、五月五日の花祭

りの時、ご開帳があるそうです。諫早の領主茂照公の帰依があつく、何度もご参詣に来ら

れたそうです。


本堂に護摩木があり、願い事を書いておくと、年末に祈祷をしていただけるそうで、私も

ひとつ「女房元気で留守が良い」と書いておきました。

(参考・引用:「滝の観音」小縁起より)


あしたは、ここの近くにちょっと変わったソーメン流しがあるのでそのことを。


願いがかないますように、ポチしてください。
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2012年8月 1日 (水)

江の浦・熊野神社の天井絵と絵馬&「る・しえる」さんでお食事~諫早市飯盛町・平山町

Photo

昨日、飯盛町の田結の観音様について調べていたら、飯盛町にも、なんとあの「鯖くさら

かしの石」があるとか、これで、時津、西有家、雲仙に続いて4個目であり、捜しに行こうと

思って251号線を走っていたら、

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この看板が。向かいの山は「飯盛山」。この道何十年と通っていたのですが、まったく気付

きませんでした。200mと書いてあったので、たいした距離でなし、ちょっと寄って見ようか

と。

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まあ見かけは普通の神社。鳥居の年代は彫ってあるが古くて読めません。


教育委員会の説明版を読むと、天正2年9月に勧請(かんじょう)。明治39年に神殿その

他が全部改修された折、(天井絵と絵馬が)奉納されたものと思われると、言うことであ

り、作者不明とされていました。


天正2年と言えば安土桃山時代。随分と古い神社です。明治39年に奉納の天井絵なら、

少し調べれば素性が分かるはずなのですが、教育委員会の調査の手抜きかな?説明版

は昭和63年に建てられたものした。


あまり期待感もなく、入ったところが天井を見てビックリ。天井一杯にたくさんの絵が、数え

てみると180枚。

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人物あり、植物あり、動物あり、 物語の主人公みたいなのあり、しばし時間を忘れ見ほれ

ておりました。

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こちらが正面に飾られた絵馬なのでしょうが、これには「秀吉耐忍図」と書いてあり、「明治

三九年一二月四日」の日付と「江之浦村」の奉納者の方の名前が書いてありました。


あと、左側にも、もう一枚あったのですが、写真を忘れました。こちらは「西郷月照之図」と

なっており、天草郡鬼池村と本土町の方の名前が書いてありました。


こんな素晴らしいものを、こんな所で見られるとは意外でもあり、感動しました。教育委員

会の方、もう少し、いわれ等を調べて欲しいものですが・・・看板には「今後の保存が必要

である。」といつものごとく書いてありましたが、本当に保存が必要な感じでした。


場所は、飯盛町のAコープ。レストラン「アニー・オークレー」の近く。国道を少し入ったとこ

ろです。おかげで、「鯖くさらかしの石」、探しましたが、あまり暑くて途中で断念しました。


カミサンがいないので、諫早の「る・しえる」さんへ。以前「オカリナ」という名前でレストラン

をやっていた記憶があるのですが・・・

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アミューズが海老とパスタの味噌風味。スープが冷たいジャガイモのスープ。手作りパン。

赤いのが気になって、「人参パン?」と聞くと、「トマトです」、えっ、と思ってもう一枚貰って

今度はゆっくり味あうと、本当にトマトのほんのりとしたすっぱみが。おいしかった。もちろ

ん、自家製。


カボチャとキュウリのサラダ。メインは、鰺のすり身とゴボウのパネソテー、豚ヒレ肉のソテ

ーストロガノフ。真ん中に見えるほんのりと黄色いソース、甘酸っぱい中にピリッとした味

がマッチしてなかなかのもの。デザートがおからケーキとシャーベット。もちろ紅茶かコーヒ

ーつき。


場所は諫早警察署の交通信号機から、諫交自動車学校の方へ入ってしばらく行った所で

す。18席の店ですから、予約して行った方がいいかな?当日もほとんど予約の方が多か

ったようでした。

昨日は良い物を見られたし、旨いものは食べられたし、実に幸せな一日でした。


幸せになりたい人はポチよ。

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