高下古墳&茶寮六三郎~長崎県雲仙市国見町
国見町の高下古墳です。有名な古墳ですが、行ったことがなく島原の病院の帰りがけに寄
って見ました。大きな石が使ってありましたが、説明については、説明版の方がよく分かり
ますから下に張っておきます。
説明版はクリック知れば拡大します。
左横の岩は外れていて、横からも見ることができます。
説明板に「室全体が塗朱されていたと考えられます。」と書いてありますが、入り口から見
て右と奥の壁に朱の色がわかります。
横から入り口方向を見た写真です。
なお、肥前風土記に「土歯(ひぢわ)の池。俗(くにびと)、岸を言いて比遅波と為す。郡(こ
ほり)の西北(にしきた)のかたに在り。」という記述があり、「郡」とは「郡家」のことであり、
国の政庁を「国庁(国衛・国府)」といい、郡の政庁を「郡家」と言っていたそうで、郡の下に
「里」が置かれて、霊亀三年(715)にこれを改め条里制が施行されたそうです。
さて、この「郡」について、「肥前風土記」の解説書を読むと「郡家の位置は・・・郡家を国見
町高下付近とする松尾貞明説は正しい。」と書いてあったり、「新考は島原半島の北部、神
代駅の地(神代村)を郡家の遺跡地とするが、・・・・郡家を池の東南方の近く(千千石町千
千石)(注:千々石の誤りか?)の地とすれば峰の湯(注:雲仙)のおよそ北となって記載の
方向にある。」というのもあり、ここらは学説の問題でになるので、専門家に任せましょう。
さて、国見町には「五万長者」の伝説、遺跡等が在り、雲仙に寺を建てるときに、五万長者
が資材、労力を提供していたという伝説もあり、又百花台遺跡を初め、国見町一帯遺跡が
あちらこちらあるところを見ると、昔からかなり発展していたことが伺えます。
なお、場所は愛野からグリーンロードを走り、百花台への交差点をそのまま200~300m
直進すると、高下地区への標識と、国見町古墳群と書いた白い丸太が立っていますので、
左に曲がって、しばらく行くと道の右に「高下古墳」と小さな標識がありますので、見損なわ
ないように。なお、住居の中庭を通りますので一言断って。
(参考:「国見町郷土誌」「八斗木むかしむかし」「島原半島の歴史」)
今日の昼食:
今日も、かみさんが福岡へお遊びに。折角、国見町に来たので、久しぶりに「茶寮六三郎」
へ。かみさんが留守なのは気が軽くて良いのですが、その分、外食が多くなって財布も軽
くなって・・・。
最初、ジャガイモの冷スープが出てきたのですが、少しとろりとして、この中に温泉卵が入
っていて、これはグッド・アイディアですね。久しぶりにおいしいスープでした。
もちらん料理もおいしくて、シャーベット、ドリンク付きの「茶寮ランチ」1,200円(だったか
な?)でした。
ポッチ御願いネ。
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コメント
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私は国見に住んでいるのですが、小学生のときに授業で高下古墳に見学に行ったのを覚えています!
国見にはいくつか古墳があって、高下古墳のすぐ近くにも金山古墳、原口古墳があり、昔はもう一つ古墳があったそうですが、現在はないようです。最近金山古墳に行ってみましたが、結構荒れてました。おじいさんがいらっしゃったので、金山古墳について聴いてみると、半分しか残っていない理由はなんと、昔畑の石垣を作ろうと近くにあった石山を古墳と知らずに重機で壊して、石垣の石にしてしまったからだそうです!
途中人骨などがでてきたので役場に届けると、「それは古墳かもしれない!」といわれ、調査したところ色々出てきたため取り壊しは中止。人骨は元の所に埋め戻し今に至るそうです。
あと国見高校にも出土品が展示してある資料館や、高下古墳を再現したものなどがあるので、おすすめです。
投稿: | 2016年9月24日 (土) 16時01分
貴重なコメントありがとうございました。
国見方面、古墳が多いところですね。金山古墳は、夏行ったときには草が生え茂りわかりませんでしたが、冬に行ったとき形が分かり、なんとなく中途半端な古墳だとは思ったのですが、謎がとけました。
金山古墳が完全で、土がかぶさっていたら、多分、愛野町の首塚(古墳)のような感じだったと思います。
人骨が出てきたときは、さぞやびっくりしたと思います。
高下古墳も少し荒れてて、あの古墳に土がかぶさって完全な形の頃を見たいものでした。
貴重な情報、重ね重ね、ありがとうございました。
投稿: sugikan | 2016年9月25日 (日) 00時10分