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2012年7月 9日 (月)

力石後日談~雲仙市千々石町 付録:おっぱいパン

Photo Photo_2

6月13日に「力石★温泉神社&千々石少年自然の家」と言うことで書きましたが、その後

のことを。


記事を書いたあと、四日市大学の高島先生から、力石について情報提供の依頼があり、

そんな研究まであるのかとビックリしましたが、ちゃんと本まで出版されてあり、ホーム

ページもあり→こちらをクリック 。なかなか興味あるものでした。

Photo_3

連絡するとともに、こちらの力石ついても分からないところがあり、同時に質問をお願いし

ました。


ひとつは、一番上の温泉神社の力石に書いてある文字の判読。もう一つは台にかいてあ

る「美多良志」の文字の意味。

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はやり専門家は専門家ですね。この石は以前調査をしており、その折はこの台はなく、地

面に転がしてあったそうですが、この文字については、「奉納 力石 目方三百四十斤 東

京相撲 荒飛甚大夫 明治十六年三月九日」と書いてあるそうで、340斤というと、1斤が

600グラム、0,6㎏ですから、340×0,6=204㎏で、長崎県の重量刻字では最重量で

あり、年代が刻字してあるものでは最も古いものだそうです。


郷土誌にも、荒飛という力士が小脇に掲げて浜から持って来たという話が書いてあります

が、本当のようです。


先日、かみさんの兄弟会(食事会)で話をしていたら、義兄が若い頃この石を持って、力比

べをしていたとのことで、持ち上げることは出来たが、肩まで持ち上げることは出来なかっ

たとのそうです。ただ、1,2名の者が肩まで持ち上げたそうです。204㎏ですよ。


さて、「美多良志」ですが、この台は「手水鉢」を転用してしるのだろうとの事。「御手洗(み

たらい)」を「みたらし」とも読み(辞書を調べたらちゃんと載っていました)、その当て字では

ないかとのこと。(「みたらし」は神社で参拝者が神様に拝む前に水で手や口を洗い清める

所とあります)


たしかに、この神社の「御手洗」は新しいものができているので、これは古いものに間違い

ないでしょう。寄進するときに「美しい」ことが「多く」、「良い」「志」でありますようにということ

で「美多良志」と当て字にしたのではないでしょうか。


自然の家の力石は、郷土史家と、その当時の事を知っている方と確認に行ったところ、昔

は、山の上に畑があり、山道を登りきったところに「休み場」という所があり、「力石」と書

いた、大きな浜の石が置いてあったとのことです。

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左が山道、ここを牛を引いて登ったこともあるとか。右の写真が「休み場」あたりですが、駐

車場ですっかり変わっています。


もう一つ

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文久二年に建立された郷土出身の力士の碑。この裏にあったそうですが、無くなっていま

した。まだまだ、散逸した力石があると思いますが、勉強していくと面白いもんですね。


付録:おっぱいパン

南有馬まで調べものをして、帰りがけ見つけました。

Photo_8 Photo_9

浦田観音様というのがあって、拝めば母乳がでるというご利益があるそうですが、それに

あやかって作っているそうです。おやつに買ってきて、しゃぶったり、ねぶったり、揉んだり

した後(久しぶりでした)、いただきました。おいちかったヨ


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コメント

こちらのブログを知ったのが昨日だったので、
過去記事へのコメント失礼します。

力石についてですが、
この位置に移されたのは、おそらくここ10年以内のことです。
以前は鳥居をくぐったあたりにころんと置いてありました。

台は以前は手洗い場で、
水がちゃんと入っていました。
なので、台といっても、本来台だったわけではありません。

正直、手洗い場の上に移されたことに驚いています(笑)

千々石の町の様子や閉店した店などなど
過去記事を見ながらかなり懐かしい思いにふけっております。
でも、お店や幼稚園など、
当時賑わっていたところが無くなっているのは淋しいですね。。。

力石のこと、昔の方から聞いたことがあります。
御手洗を新しく作ったので、捨てるのももったいなく、転用したのでしょう。

瑞穂町の神社では、「 美太良志」と書いてありました。

七十歳の義姉に聞いたところ、昔の神社あたりは、森みたいで、夜は怖くて通れなかったそうですが・・・・

千々石は廃れるばかりで、まだまだ倒産する店がありそうです。

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