山領(やまりょう)その1~長崎県雲仙市小浜町山領
左が現在の小浜町の中心地の温泉街になりますが、ここは昔は中心街ではなく、右の写
真のように、湯元本多家が私費を投じ、明治28年、明治43年に埋め立てたもので,小浜
温泉の発展に寄与しています。その後昭和48年に小浜港が埋め立てられています。
昔は、長崎方面から小浜へ下る坂道の終わるところ、小浜高校があるあたりが中心地で
あったそうです。
大ざっぱに、黄色で囲んだ所が北野地区、昔は古賀千軒、塩屋千軒、金屋などと言い、「
千軒」といわれたくらいですからかなり栄えていたことが分かると思います。
ここが栄えた理由は、雲仙が昔、仏教のメッカとして栄えていた頃、僧坊が1000坊くらい
あったといい、雲仙の札ノ原に300、別所に700ばかりあったといいます。
そして、別所へ行く最短の道が山領~別所の山領道であり、その人々の食料、生活用具
の生産、集積地としてここらあたりが発達したものといわれています。
赤い丸印が、現在の国道の山領入り口で、現在の国道は後からできたものですから、少し
違うと思いますが、大体ここらあたりから、この山と山の間の谷間を上がって雲仙の別所
へ登って行く道が山領道です。
別所は現在別所ダムになっており、ここらに700くらいの僧坊があったのでしょう。当時の
見る影もありませんが・・・
さて、この山領道は別所ダムの少し下の方、千々石~雲仙に至る道に廃屋があり、この廃
屋の道路を隔てたあたりに出るらしく
赤の四角で囲んだところが、さっきの北野地区になります。この谷間を登ってくるということ
であり、これが山領道です。
はじめは本当の事かと思っていたのですが、何名かの方に聞いていくと、昔はこの道を登
っていたという方もおられ間違いは無いようでした。
80歳くらいの方と話していると、石合いの港(小浜の昔の港)から外人が降りてきて、この
道を登って(雲仙は外人客が多いところでした)行ったそうで、「あら、又外人さんが行きよ
らすばい」などと話をしていたそうです。
その方自体も、岸惠子と佐田啓二(知らない人が多いかな?)の「君の名は」の撮影が雲
仙であったとき、赤ん坊を負ぶって、この山領道を登って見に行ったそうです。
確かに、今の雲仙道路、これも昔の道とは全然違いますが、よく考えるとこの山領道の方
がはるかに近くて、楽なような感じです。でも、昔の人ってすごいですね。こんな所を登って
いったなんて。この道を探しているのですが、また、寒くなってからのお楽しみというところ
で。
この、山領というところ、「隠れキリシタンの像」と思われる像が二つあり、以前載せたこと
がありましたが、その他にも興味があるところがあるので又明日。
「隠れキリシタン像 その1」は→こちらをクリック
「隠れキリシタン像 その2は」→こちらをクリック
よかったらクリックしてね。
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