千々石ホテル~雲仙市千々石町
(千々石町史談第2号)
千々石にも昔ホテルがあったのです。建物はもうありませんが、場所は、公民館の裏側あ
たりになり、当時の千々石町(現雲仙市千々石町)が公園化しています。公園化するまで
は木が生い茂っていたのですが。
一番上の写真で、門の所に人力車が止まっていますが、この門は現存しています。
敷石がありますが、これも当時のままで、敷石が終わった所にホテルが建っていたのでし
ょう。
千々石史談第2号の、橘周次郎氏(橘中佐のお孫さんで、現在橘神社の宮司をつとめら
れてます)の記事によると、ホテルを作ったのは、城代良治。橘家(橘中佐)の親戚で千々
石有数の資産家であったそうです。城代家は幕末、財政難に苦しむ島原藩に貸し付けを
おこなうほどの豪農であったそうです。
城代良治は、町会議員、南高来郡々会議員も務めていたそうですが、ホテルの営業時期
については不明だそうです。
さて、雲仙のビジターセンターで、展示会をやっているとき、行って見ると、当時のホテルの
宣伝記事が展示してあり、富貴屋ホテル、一角楼ホテル、九州ホテルに並んで千々石ホテ
ルの宣伝が掲示してあり、
(長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース展示より)
左は「雲仙案内記(明治42年)に掲載されたもので、上の方は英字、下の方はロシア語で
書かれています。当時はロシアからの観光客が多かったことが伺えます。また、長崎から
近いこと、石と松林が多く、素晴らしい海水浴場であり、雲仙へのメインの入り口である事
などを宣伝しています。外人客が多かったのでしょう。
長崎から愛野まで2時間、愛野町から人力車で50分、雲仙までチェアー(以前書いたこと
がありますが、椅子に担ぎ棒を付けて担ぐもの)又は馬で5マイルである事が書いてありま
す。
右の記事は、長崎の英字新聞「THE RIGING SUN AND NAGASAKI EXPRESS」と「THE
NAGASAKI PRESS」に掲載されたものだそうです。
なお、このホテル跡には大きな岩に囲まれた庭がありますが
昔を知っている方と話していると、この岩は持って来たものでは無く、雲仙の爆発で吹き飛
ばされてきたか、溶岩だということです。すぐ近くに小学校がありますが、校舎を作るとき
も岩石がたくさん出てきていたそうです。
よく手入れしてありますから、季節が良くなったら二人で来てね。何にも無いけど、返って
落ち着いて、静かで良いとこですよ。
(参考及び写真:「長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース」「千々石史談第2
号」)
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