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2012年7月12日 (木)

千々石ホテル~雲仙市千々石町

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             (千々石町史談第2号)
      

千々石にも昔ホテルがあったのです。建物はもうありませんが、場所は、公民館の裏側あ

たりになり、当時の千々石町(現雲仙市千々石町)が公園化しています。公園化するまで

は木が生い茂っていたのですが。

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一番上の写真で、門の所に人力車が止まっていますが、この門は現存しています。

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敷石がありますが、これも当時のままで、敷石が終わった所にホテルが建っていたのでし

ょう。


千々石史談第2号の、橘周次郎氏(橘中佐のお孫さんで、現在橘神社の宮司をつとめら

れてます)の記事によると、ホテルを作ったのは、城代良治。橘家(橘中佐)の親戚で千々

石有数の資産家であったそうです。城代家は幕末、財政難に苦しむ島原藩に貸し付けを

おこなうほどの豪農であったそうです。

城代良治は、町会議員、南高来郡々会議員も務めていたそうですが、ホテルの営業時期

については不明だそうです。


さて、雲仙のビジターセンターで、展示会をやっているとき、行って見ると、当時のホテルの

宣伝記事が展示してあり、富貴屋ホテル、一角楼ホテル、九州ホテルに並んで千々石ホテ

ルの宣伝が掲示してあり、

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   (長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース展示より)

左は「雲仙案内記(明治42年)に掲載されたもので、上の方は英字、下の方はロシア語で

書かれています。当時はロシアからの観光客が多かったことが伺えます。また、長崎から

近いこと、石と松林が多く、素晴らしい海水浴場であり、雲仙へのメインの入り口である事

などを宣伝しています。外人客が多かったのでしょう。


長崎から愛野まで2時間、愛野町から人力車で50分、雲仙までチェアー(以前書いたこと

がありますが、椅子に担ぎ棒を付けて担ぐもの)又は馬で5マイルである事が書いてありま

す。


右の記事は、長崎の英字新聞「THE RIGING SUN AND NAGASAKI EXPRESS」と「THE 

NAGASAKI  PRESS」に掲載されたものだそうです。


なお、このホテル跡には大きな岩に囲まれた庭がありますが

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昔を知っている方と話していると、この岩は持って来たものでは無く、雲仙の爆発で吹き飛

ばされてきたか、溶岩だということです。すぐ近くに小学校がありますが、校舎を作るとき

も岩石がたくさん出てきていたそうです。


よく手入れしてありますから、季節が良くなったら二人で来てね。何にも無いけど、返って

落ち着いて、静かで良いとこですよ。

(参考及び写真:「長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース」「千々石史談第2

 号」)


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