木津・弁天公園(富津)・小浜・鵜の穴~長崎県雲仙市小浜町
海から見た木津です(島みたいに見える所です)。明治初年に「喜津」から「木津」に変わっ
たそうです(小浜町史談)。
以前、雲仙鉄道のことで書きましたが、雲仙鉄道が敷かれて、一般にも知られるようにな
った所です。しばらく行くと、富津です。
富津の弁天公園の一角にある立石(だったかな?)。奇岩といえる風景でしょう。
こちらが、富津の六角井戸からしばらく行ったところの、富津の弁天公園(以前書きました
が)。これも以前書いたところですが、富津は元来「日比ケ浦」といっていたのですが、江
戸時代2回の大火事があり、「日」は「火」に通じると言うことで「富津」に地名を改めたそう
です。
ここらの岩石は、この上の猿葉山が火山だった頃の溶岩だそうです。
先の方に近づいてみると
陸の方からは数回行ったのですが、こうして海の方から見ると良い風景ですね。弁天公園
の一番先の方です。なお、ここの松林は、地元の方が松の苗木を植え、育てたものだそう
です。
この後、小浜を沖から撮影しようと思っていたのですが、残念ながら少し霞んで、良い風景
が取れませんでした。
海の方を見るとなにやら、不思議なものが浮いていて・・・
これ、釣り堀だそうです。白い小屋みたいなのは便所だそうです。
さて、今回一番見たかったのが「鵜の穴」。本とかガイドブックにのっているのですが、海岸
からは近づけないということで。どうしてもみたくて・・・
もう一つ、山領の所で少し触れましたが、島原の乱を避けて隠れていたところが、山領の
鍋ノ穴、鬢串の与平納戸、富津の四郎穴。
木津に行ったとき、木津と富津を勘違いして四郎穴のことを聞くつもりが、「島原の乱の時
に逃げ込んだ穴があるそうですが、どこらあたりですか」と聞くと、即答で「鵜の穴の事や
ろ」。
これだけあっさり答えられると、木津はの人は「鵜の穴」へ逃げ込んで、その話を代々聞か
されてきたのではないでしょうか?
さっきの富津公園の少し千々石側。大きな穴と言えばここしかなく、ガイドブックの写真と見
比べながら・・・
意外と大きな穴で、小浜史談によると「穴は二つにわかれ、左の天井の高さは一メートほ
どであるから小舟では抜けられないが、右のは三十メートルほどの奥まで船で行ける。」
と書いてあり、近づけるところまで近づけてもらいましたが、
ご覧の通り、千々石の「鳩の穴」と同様、天井の岩盤が崩れ、船ではまったく入れない様に
なっていました。
本当にここに逃げ込んでいたかどうかは分かりませんが、船で逃げ込んで、船で暮らして
いれば確かに誰にも分からないでしょう。夜になって、家に帰り必要品を積んでくれば、し
ばらくの間は暮らせますから。
海側から見た風景は思ったものより素晴らしいものでした。皆さんも機会があったら是非ど
うぞ。(参考:「小浜町史談」「おばま~史跡巡りガイド」)
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