千々石(ちぢわ)の地名について~長崎県雲仙市千々石町
住んでいると、そんなにも不思議に思わないのですが、「千々石」と書くと「せんせんいし」
と読まれるし、「ちぢわ」と言うと「千々岩」と書かれるし、今日は「千々石」の地名について。
一般的には、「肥前国風土記」の中の「高来の郡」について書かれたところがあり、それを
根拠にしています。
「・・・土歯(ひじは)の池。俗(くにひと)、岸を言ひて比遅波(ひぢわ)と為す。郡の西北(に
しきた)のかたに在り。この池の東の海辺に、岸あり。高さ百丈(ももつゑ)余り、長さ三百
丈余りなり。西の海の波濤(なみ)、常に濯(あら)ひ滌(すす)く。土人(くにびと)の辞(こと
ば)に縁(より)て、号(なづ)けて土歯(ひぢわ)の池と曰ふ。池の堤、長さ六百丈、広さ五
十丈余り、高さ二丈余りなり、池の裏(うち)は、縦横と、廿町(はたまち)余りばかりなり。
潮(うしお)くれば、常に突き入る。荷(はちす)・菱、多(さは)に生ふ。秋七八月(ふみつき
はつき)に荷の根甚甘し。・・・」とあり、この「土歯(ひぢわ)」が「千々石」の名前の元になっ
たと言われています。
赤で囲んだ所が、この間「ちん釣り石」の所で書いた、温泉神社ですが、多分このあたりま
で入り江がきていたのでしょう。
高くて長い岸があると書いてありますが、ここらは有名な千々石断層が走っていて、
こんな感じで、高くて長い岸という事になるのでしょう。
なお、最初の写真、黄色の部分、数十年前までは蓮根を作っていました。「荷(はちす)の
根甚甘し。」ですから、「蓮(はす)の根」です。
こうして見れば、「肥前風土記」に載っている地勢等とピッタリという事になり、めでたしめで
たしなのですが・・・・
「西の海」については、「高来郡(現雲仙市)の西の海で橘(千々石)湾をいう、その波が岸
に打ちよせるのである。」と書いてあるのもあり、「南高来郡国見町(現雲仙市)付近の西
の海、有明海。」と解釈してあるのもあり、ここら辺は難しいですね。わずか数行のことで、
何百年前の事を解釈しなければならないのですから。
さて、まだ別説があり、これは伝説になりますが、千々石灘のことにつき、「明治十二年
千々石村村誌」によれば、島原半島の諏訪の池に大蛇が住んでいて、熊本県天草の鬼の
池に住んでいる大蛇と相対して、睨み合い、「然ルニ此ノ二大蛇海ヲ隔テヽ大格闘ヲナシ
海中ハ血ヲ以テ紅ヺ染メタリ 依リテ血々灘ト称シ轉ジテ千々石灘トナルト」ともあります。
まあ、こちらの方が何となく面白いですね。
しかし、この村誌にもう一つ。「又、地名の稱ハ地形産物ノ名ヲ取リテ稱スル所アリ 千々
石ハ至ル所小石多キコト眞ニ其ノ名稱ノ如シ 天然ノ山水地形ハ宛然タル千々石ノ感アリ
故ニ是ニ起因セシニアラザルカ」というもので、確かに川の拡幅工事で川を浚っていると、
石の多いこと、多いこと。どうも、これが正解ではないんですか?
(参考:千々「石町郷土誌」「千々石町誌」「風土記~秋本吉郎・校注」「肥前國風土記」)
今日のおやつ:
健診が終わったので安心して、イチゴとクリームたっぷりの白くん君を。暑いときはこれが
一番。
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