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2012年7月

2012年7月31日 (火)

古文書はこんなに面白い★油井宏子~さあ、勉強だ&私的お知らせ

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いろいろ郷土史等調べていると、どうしてもぶち当たるのが古文書。

以前、勉強しようとし思い、何冊か本は買ったものの、何回も中途半端というより、挫折。


今回はなんとしてでもと思って、古文書入門の本をあせくって、探し出したのが上の本。

主人公は、宝暦五年(1755年)、十歳の寺子屋へ通うおでん(淺田傳)ちゃん。その、お

でんちゃんが使った「手本」の後にのっている、寺子屋の規則が材料。


「基本的な心構え」「早朝の学習」「読書は静かに」「復習が第一」「午後の学習」「清書は

入念に」「自宅学習」等々の心構えが書いてありますが、今の学校で注意していることと同

じですね。


でも、十歳の子供が勉強しているものと、あなどっては

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これが原文で、クリックすると拡大します。


しかし、この本一行一行分かりやすい解説があり、最初の行

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縦にすると、長くなるので、首を横に向けて読んでください。

「可相守絛々」返り点等は省きますが、「あいまもるべくじょうじょう」。要するに、「守らなけ

ればならない条文」のことだそうです。


さて、2行目の途中までが

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「夫、手習稽古之道たる」「それ、てならいのけいこのみちたる」。「そもそも、手習いの道

を究めようとするからには」。「夫」「手習」までは何となく分かりますね。「稽古」少し難しい

ですが、まあ、なんとなく。「之」も慣れれば分かる字。「道」はそのまま。


さて、最後の「たる」これは、最後からの2文字目は「堂」の崩し字で「た」と読ませるそうで

すが、そんなの、ありかよと言う感じですね。最後の字は「留」の崩し字で「る」。


読んでいるとルール違反じゃないの、当て字なんか使うと今の学校では×貰うよ、というの

があちらこちらに。


でも、こんなの本当に十歳のおでんちゃんが読んでいたのですかね。恐るべし昔の子供た

ち。今の子供の学力では到底太刀打ちできないでしょう。


最初は、何が何だか分からなかったのですが、やっと十分の一くらいは読めるようになり

ましたが、分かりはじめると古文書もなかなか面白く、皆さんもいかがですか。この本、入

門書としてお薦めしますよ。


さて、私的なことですが、このブログで365回目を迎えました、最初は知人から「ブログな

んて簡単だよ」と言われ、まあ、はじめるなら365日間は、休まずに書いてみようかと思

い、国立病院で診察してもらっても不明の眼病になった2週間を除いては、毎日休まずブ

ログを書けたことは、読んでいただいている皆さんのおかげでだと感謝しています。


読み返してみて、はやり勉強が足りんな、と言うことを実感し、ブログを書く時間を少し勉

強の時間にあてたいと思いますので、今後、時々休む事もあると思いますが、「千々石に

もいた隠れキリシタン」とか「「肥前温泉災記」とか地域情報とか、調べている事もたくさん

あり、出来るだけ書いていきますので今後もご愛読を。


ただ、「平清盛」と「踊る!さんま御殿」が放映されるときは、ズル休みかなと言うところで、

ご勘弁のほどを。


久しぶりに諫早の競技場の近くを通りかかりましたが、大体の感じはできてきた見たいで

す。

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365回目。お祝いのチュじゃなく、ポチよ。

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2012年7月30日 (月)

夫と妻~永六輔

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結婚、人生で一番難しい問題ですね。

いまや、結婚できない人が段々増えているとか。私たちの時代は何とかなったもんです

が・・その上離婚も増加中。



実感として、結婚より、夫と妻になった後が難しく、久しぶりに永六輔さん、「夫と妻」を読ん

で見ました。


永六輔さんについては前にも書きましたが、NHK「夢で逢いましょう」で見たのがはじめて。

いい男では無いけれど、なにかキラキラした、いなせなお兄さんという感じでしたが、いま

や、あのような状態になるとは。ファンとしては早く元に戻ってもらいたいものです。


結婚している人も、婚活中の人も、離婚した人も、この本是非読んで欲しいものです。

2000年に出版された本ですが、中身はまったく色あせていません。気にいった話をつま

み食いで書いてみます。


「十代の夫婦は、セックスで夫婦です。

 二十代になると 愛で夫婦。

 三十代になると、努力して夫婦。

 四十代になると、我慢の夫婦。

 五十代になると、あきらめの夫婦。

 六十代になると、お互い、感謝で夫婦。

 やっと夫婦です。」

あくまで、理想の形でしょう、うちなんかお互いに感謝のかけらもありませんから。


「他人が夫婦になったんや。夫婦が他人になたっかて、いいやんか」


「アカの他人同士が起こす奇蹟。それが夫婦というものです」


「(女はね、どんな高価な化粧品よりも、「キレイだね」という一言できれいになるのよ)

女房がそう言うからさ、毎日キレイだって言っているんだけど、全然、、効果がでない」


「あなたね、女房だと思うから腹が立つんです。どこかの見知らぬ女だと思えば、いいんで

す。どこかの見知らぬ女が、炊事、洗濯、そのうえ、いっしょに寝てくれる。これには頭が

下がりますよ」


「家にこの犬がいなかったら・・・わたしども、夫婦ではいられませんでしたねエ」


下町のさんざん道楽した果ての頭がしみじみ言った言葉。

「歳をとったら、女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する。これは愛情じゃあ

りません。生きる知恵です」


「亭主が亡くなった実感ですか?・・・・・背中がかゆいときかしら」


「人間になるまえに、男にされたり女にされたりするから、いけないんだよ。まず、人間にな

らなきゃ」


「夫婦の愛情ね。愛情と言われてもねエ。(愛)はもうありません。いまは(情)でつながって

います。(愛)よりも、あなた、(情)のほうが優しいですよ」

ほかにもたくさんありますが、エッセイ、対談もありで、一度は読んでおいた方が良い本で

しょう。


一番気にいったやつ。

「腹上死は変死になりますので、死体は解剖します。そばにいる女性は殺人容疑の扱い

になりますので・・・・・・注意しながらやってください。」


本当に夫婦関係って難しいですね。

「老夫婦はね。女房小ボケ、旦那中ボケ、それでいいバランスです。」

近ごろ、この言葉よく分かるようになりました。うちはどちらもボケなくて困りもんですが。

(と、自分たちでは思っています。)


夫婦円満、婚活のおまじない、ポチですよ。

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2012年7月29日 (日)

この一曲~シューベルト・未完成★私的思い出

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音楽をされる方はご存知だと思いますが。オーケストラの指揮者用のスコアーといわれる

もので、これを見ながら指揮者は指揮をしていきます。これはドボルザークの「新世界よ

り」の途中の所ですが、上からフルート、オーボエ、クラリネット、バスーン(ファゴット)、ホ

ルン、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニー、バイオリン(第一、第二)、ビオ

ラ、セロ、ベースという順番になります。


「のだめカンタービレ」の「千秋様」が指揮をするとき、オーケストラのメンバーが腕前を見

るために、クラリネットとオーボエのメロディーを取り替えて演奏し、それが分かるかどうか

試すシーンがありましたが、某指揮者がラジオで話をしているのを聞くと、ままある、という

事でした。


さて、私もクラリネットをやっておりまして。

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一応は「クランポン社」の楽器で、今は普通に買えますが、40年くらい前はフランスからの

取り寄せということで、私の先生が持っていてうらやましい限りでした。まじまじと見るのも

はじめての方もおられると思いますので、これ、5つの部分に分かれます。

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楽器で易しいのは無いと言っていいのでしょうが、結構、性にあっていたのか良い線をい

っていたのですが、

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若かりし頃の私の写真です。すぐに分かりますね。一番いい男。この頃は、もててもてて困

ったものでしたが・・・・これは、長崎の子どものバイオリンオーケストラの客演演奏者とし

て出演した時で、客演演奏者の模範演奏の時のものですが、このとき18歳で、高校3年

生の時。受験勉強しなければならない時期でしたが、音楽にどっぷりはまっていました。


生れて初めて、借り物のスーツなる物を着て、蝶ネクタイを締めて出ましたが、演奏した

のが、シューベルトの「未完成」。


第一クラリネットを吹きましたが、この曲、初めの方にクラリネットが同じ音を、長く吹く部

分があり、途中で息継ぎが出来ないために、はじめに、大きく息を吸っておいて吹くのです

が、大きく息を吸ったとたん、蝶ネクタイがぐっと首にしまって、息が半分しか吸えず、とに

かく音は出さないといけないし、人生あの時ほど困ったことはありませんでした。


顔を真っ赤にして何とか吹き終わりましたが、カミサンからリコンを言いわたされても、あ

の時ほどは困らないでしょう。


あの時以来「未完成恐怖症」になってしまい、40数年この曲聞いていません。この写真

久しぶりに見ていると思い出しました。



今日は「福神漬けの日」だそうです。福神漬けの由来である七福神から、七(しち)二(ふ)

九(く)で「しちふく」の語呂合わせ。関係ないけどポチしてね。

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2012年7月28日 (土)

平松(へいまつ)かぶり★千々石騒動~雲仙市千々石町

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千々石にしか通じない言葉があります。「平松かぶり」。残念ながら若い人は段々知らない

人も増えつつあります。


時は幕末、弘化四年。江戸時代、農民は重税に苦しみ、加えて不作があり、困窮した生

活。

11月頃から小作人が、各名の乙名宅等へ小作の引き下げを相談。12月17日の夜、上

の写真の専照寺へ500~600名(橘家々記によれば、「弘化四年十二月十七日夜四ツ

頃より、専照寺へ作得一件につき小前(注)共大勢相集り・・・)農民が集まり談合。


ある程度の要求は受け入れられたが、他の項は藩へ持ち越され落着かと思われるが、農

民の無届け談合、しかも島原は「原城の乱」が起こったところ。


島原藩から役人が出向き、多くの者が捕らえられ、島原まで送られたが誰が首謀者が分

からず、小倉(おぐら)名の平松が自分一人で罪をかぶり、本当の首謀者は誰か分からな

いまま獄門にして解決。


これから、千々石では何事も一人で事を負うこと(かぶること)を「平松かぶり」と言うように

なり、宴会などでその費用を一人で負担する場合にも使われるそうになったそうです。


と、ここまでくれば義侠心にとんだ話なのですが、平成54度版千々石郷土誌には「平松

は決断力の乏しい、ぐづぐづした性格の人で外の百姓におしたてられて、それに反対する

ことが出来なかった。」とあり、さらに、昭和43年出版の「千々石町誌」にも、「小倉名の有

志のなかでは一人で『かぶって』犠牲的精神を発揮した、平松氏の顕彰碑を建てようと計

画したこともある。それは昭和30年ごろもその案が持ち上がったが、みずから進んで騒

擾罪を一人で被ったのでなく、あまりにも無言で鈍重で正直であったため、他の人からな

すりつけられたのであるから顕彰には価しないとて、とりやめた。」との記述もあり、可愛そ

うな「平松」さんでした。


なお、平松は小倉名のKという所に住んでいたと言うことで、私の家の近くで、近所の人を

見るとなんとなく子孫ではないかと・・・


なお、下の写真は小倉名の古い墓地ですが、ひょっとしたたここに眠っているのかな。


(注:小前とは本百姓ではあるが特別の権利・家格を持たない百姓、また小作人層。大辞

林より)

参考:「千々石町郷土誌」「千々石町史」「平成54版千々石町郷土史」「島原半島の歴史」

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今日のおやつ:

いただき物の水ようかん。

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あまり見事なので、食べきれず大事にとっておいております。皆さんは見るだけ。

ポチしてね。

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2012年7月27日 (金)

鮎帰りの滝★涼を求めて~南島原市有家町

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へたばってしまいそうな毎日ですが、涼を求めて滝でも見ようかと、数十年前訪れた有家

町の「鮎帰りの滝」へ。


この「鮎帰り」の名前、鮎がここまで帰ってきたのかと思って、ネットで調べると、他にも「鮎

帰りの滝」という所があり、鮎がここまで遡って来たが、ここから先には行けないので、Uタ

ーンして帰ったので、「鮎帰り」というのもありましたが、こちらの郷土誌には「止まることの

ない清流に鮎が群生したという鮎帰の滝」と書いてありますから、Uターンはしなかった方

の話でしょう。


この滝壺近くまでくると、驚くほどさわやかな涼しさ、クーラーとは比べものにならないくらい

の気持ちよさ。そして、肺の奥まで届くオゾン。いや~本当に気持ち良かったですね。高さ

13.7m,巾1.7m。ここの滝の面白さは、滝の上に行けること。

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左の方が「千畳石」だったかな。広さ7.3aの一枚石だそうです。子供も水遊びをするのに

丁度良いでしょう。右の写真の岩の所から滝が落ちています。

ここのところに、「湯河内社」と書いてありますが、「湯河内神社」があります。

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左右の石灯籠は「文久元年(1861)八月吉日」となっているそうですが、創建は宝永年間

だと思われるそうです。鳥居は新しく、昭和四年十月、御大典記念になっています。ご神

体を拝ませていただいたら、・・・

いろいろ見て来ましたが初めてみるご神体でした。いわれがあるのでしょうが。

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この「湯河内神社」明治八年の県へ提出された書類によると、

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               (有家町郷土誌より)

となっており、山の頂上にあるような感じ。今は左の滝の上の所にあるのですが、ひょっと

したら移転をしたのかな?


この滝は島原の殿様が訪れたこともあるらしく、庄屋さんの記録には「文政三年四月八

日、御巡在ノ節、殿様隅田村、御昼休直ニ当村鮎帰リ御登御帰ノ節此方エ御立寄・・・」

とあり、何回か来られたことが記せられているそうです。


さて、もう一つ、ここは千々石の人物にも多少関係があり、千々石の三偉人「軍神橘中

佐」、「千々石ミゲル」、そして江戸時代の日本画家「釧雲泉」。この「釧雲泉」が、この滝を

書くために訪れたが、あまりの絶景に見とれて、描く自信をなくし筆を捨てたという、「筆捨

石」の言い伝えがあります。最も当時は本当の山の中で、林の中を分け入ってきて、それ

だけ感動があったのでしょうが。


ここの滝のすぐ横に「滝の茶屋」というのがあり、昼時だったので、今日はソーメン流しなら

ぬ、ソーメン回しとニジマスの塩焼きを

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「鮎」が食べたかったのですが残念ながら鮎はありませんでした。でも、ここのニジマスも、

川の水を利用して、店の下の生け簀で生かしていますから、新鮮でおいしいものでした。


場所は、雲仙から島原方面に下り、途中の俵石展望所から右折して有家町に下る所。標

識がありますから道は間違わないと思います。

ただ、途中の道が狭くて要注意。「滝の茶屋」の駐車場はありますが、夏休みは少し混む

かな?

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このあと、西有家の「戸の隅の滝」を見に行く予定でしたが、滝の所まで下り坂がひどく、

暑くはあるし、膝は完治してないので、また今度来ることに。

紅葉(こうよう)の頃が綺麗だとか、秋になったら、来うよう(こよう)かな。(親父ギャグで少

しは寒くなりましたか)   

 (参考・引用:「有家町郷土誌」)


あと半年でお正月。ポチして頑張りましょう。

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2012年7月26日 (木)

平家物語~猛暑の日にはマンガでいこう

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とにかく、梅雨が明けたら猛暑の毎日。少しは古典でも読んでみようかなと思っているので

すが、この猛暑では、原書では読む気にもならず、訳文の文字を読んでも字が霞んでくる

し、本屋さんによったら、マンガの「平家物語」が。丁度、NHKで「平清盛」をやっていること

もあって買ってきました。


祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり 

沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす


ここら辺までは、高校の古典の時に習って覚えているのですが、どんな物語だったか?

確か日本史の時間でも、源平の争いについては習ったはずですが、まったく頭になく、習

った私が悪いのか、教えた先生が悪いのか。


この古典、源氏物語にしても、平家物語にしても人物の関係が、ごっちゃになって分かり

にくく

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一日で読んでしまいましたが、たかがマンガと思わずに、これで興味を持って原典を読む

人も出てくるでしょう。とにかく、知らないより、知っていた方が良いということ。


誰もが挫折するプルーストの「失われたときを求めて」、ドフトエフスキーの「罪と罰」もマン

ガで読みましたが、それなりのツボは押さえて書いてあります。


昨日は、我が尊敬する、夢枕獏先生の「翁~秘帖・源氏物語」を読みましたが、主人公は

もちろん「光源氏」。


ところが、後書きで夢枕獏先生も、この「源氏物語」、何度か読み返して挫折したとか。出

版社から依頼され、引き受けたのは良いが、最後まで読んだことがない本。結局、「大和

和紀さんのお描きになった少女マンガ『あさきゆめみし』があることを、ぼくはころっと忘れ

ていたのである。」、と言うことで「こうして、ぼくは、マンガという現代語訳で、『源氏物語』

をなんとか最後まで読むことができたのである。」マンガも役に立ちますね。


猛暑の時の読書ははマンガでいきましょう。「あさきゆめみし」書店に行ったのですが、残

念、置いてありませんでした。わたしも「源氏物語」、入門書を読むだけで、最後まで読ん

だことがないもんで。


今日のおやつ:

夏はやっぱり、みんなの味方「白くま」くん。プラスいつものトコロテン店やさんのトコロテ

ン。カロリーが少なく、原材料が海草で食物繊維豊富。この、ツルッとした喉ごしがなんと

もたまりません。

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猛暑の時も忘れないでポチよ。

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2012年7月25日 (水)

木津・弁天公園(富津)・小浜・鵜の穴~長崎県雲仙市小浜町

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海から見た木津です(島みたいに見える所です)。明治初年に「喜津」から「木津」に変わっ

たそうです(小浜町史談)。

以前、雲仙鉄道のことで書きましたが、雲仙鉄道が敷かれて、一般にも知られるようにな

った所です。しばらく行くと、富津です。

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富津の弁天公園の一角にある立石(だったかな?)。奇岩といえる風景でしょう。

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こちらが、富津の六角井戸からしばらく行ったところの、富津の弁天公園(以前書きました

が)。これも以前書いたところですが、富津は元来「日比ケ浦」といっていたのですが、江

戸時代2回の大火事があり、「日」は「火」に通じると言うことで「富津」に地名を改めたそう

です。


ここらの岩石は、この上の猿葉山が火山だった頃の溶岩だそうです。

先の方に近づいてみると

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陸の方からは数回行ったのですが、こうして海の方から見ると良い風景ですね。弁天公園

の一番先の方です。なお、ここの松林は、地元の方が松の苗木を植え、育てたものだそう

です。


この後、小浜を沖から撮影しようと思っていたのですが、残念ながら少し霞んで、良い風景

が取れませんでした。

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海の方を見るとなにやら、不思議なものが浮いていて・・・

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これ、釣り堀だそうです。白い小屋みたいなのは便所だそうです。


さて、今回一番見たかったのが「鵜の穴」。本とかガイドブックにのっているのですが、海岸

からは近づけないということで。どうしてもみたくて・・・


もう一つ、山領の所で少し触れましたが、島原の乱を避けて隠れていたところが、山領の

鍋ノ穴、鬢串の与平納戸、富津の四郎穴。


木津に行ったとき、木津と富津を勘違いして四郎穴のことを聞くつもりが、「島原の乱の時

に逃げ込んだ穴があるそうですが、どこらあたりですか」と聞くと、即答で「鵜の穴の事や

ろ」。


これだけあっさり答えられると、木津はの人は「鵜の穴」へ逃げ込んで、その話を代々聞か

されてきたのではないでしょうか?


さっきの富津公園の少し千々石側。大きな穴と言えばここしかなく、ガイドブックの写真と見

比べながら・・・

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意外と大きな穴で、小浜史談によると「穴は二つにわかれ、左の天井の高さは一メートほ

どであるから小舟では抜けられないが、右のは三十メートルほどの奥まで船で行ける。」

と書いてあり、近づけるところまで近づけてもらいましたが、

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ご覧の通り、千々石の「鳩の穴」と同様、天井の岩盤が崩れ、船ではまったく入れない様に

なっていました。


本当にここに逃げ込んでいたかどうかは分かりませんが、船で逃げ込んで、船で暮らして

いれば確かに誰にも分からないでしょう。夜になって、家に帰り必要品を積んでくれば、し

ばらくの間は暮らせますから。


海側から見た風景は思ったものより素晴らしいものでした。皆さんも機会があったら是非ど

うぞ。(参考:「小浜町史談」「おばま~史跡巡りガイド」)


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2012年7月24日 (火)

弁天様・よけ石・鳩の穴~長崎県雲仙市千々石町

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今日は船を頼んで、千々石から小浜あたりまで。富津公園あたりに「鵜の穴」というのがあ

って、これは明日書こうと思っていますが、ちっと気になることがあり、磯づたいには行けな

いということで、船でお出かけ。


まあ、例によって「穴」と聞けば出かけたくなるのが性分ということもあって。あなたも好きで 

しょう。競馬、競輪の大穴狙いあれと一緒ですよ。


さて、私泳げないこともあって、浜育ちの知人も一人同行してもらいましたが、漁船に乗

るのは初めてで・・・でも、海から見る景色は、普通に見ている風景とは違い楽しいもので

した。

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港から撮った釜山(かまやま)です。千々石少年自然の家があるところです。この山の後に

猿葉山があり、約26万年前に噴火した火山だそうですが、「弁天神社(富津弁天公園内)

の林を抜けると、島原半島には珍しい断崖絶壁の海岸が迫ってくる、崖は堅い縞模様の

安山岩の溶岩で出来ている。」(長崎遊学7 島原半島をひと筆書きで一周する~寺井邦

久編著より)と言うことで、この千々石から小浜にいたる海岸の絶壁は、猿葉山の火山の

影響といえるでしょう。


船が浮かんでいる少し上の、こんもりした林の中に、地元では弁天様と呼ばれる宗像神社

があります。

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灯籠を見て行くと一番古いのが宝暦四年(1754年かな?)随分古い神社ですが、

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立派な飾りまで作ってありますが、獅子の口に玉が咥えられているのが分かるでしょうか。


この弁天様にはいわれがあるということで、知人と共に、ここの神社を預かっている方の所

へ。

当主は五代目の方だそうですが、祖先が島原半島の村々を回り、お金を集めて(何とかと

言う制度だそうですが、名前を忘れました。)島原に納めに行くとき、夢枕に弁天様が現れ

「帰ってこい」と言いわれ、これが三日間続き、戻って来たときに、「島原大変」が起こり一

命をとりとめたそうです。代々伝わっているという話だそうです。

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港を出るとこのような風景が続きますが、まあ、海の方からでしか見られない風景で感

動します。これも猿葉山の火山の影響だと思われます。なお、この林の上の方を雲仙鉄道

が通っていました。

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この穴「鳩の穴」という名前だそうで、昔は小舟で入れ、蝙蝠なんかも住んでいたそうです

が、今は崩れて入れなくなっています。

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こちらは千々石で一番大きいと言われる「よけ石」といわれる石です。昔はここまで歩いて

行かれたそうです。


大正七年の「千々石村郷土誌」によれば、「千々石字釜ニ辨天神社アリ海岸ニ臨ミ風景殊

ニ麗ハシク奇岩怪山老松の間ニ点在シ千々石村ノ海岸中殊ニ目ヲヒクトロコタリ 其怪石

中ニヨケ石ナル大石アリ」と言うことですが、今は港などもでき、風景が変わって、普通に

は見えなくなっています。


この、よけ石にも話があり、「千々石村郷土誌」によれば二つ話が載っており、

一つは、信心深いおばあさんがここらあたりに薪を取りに行ったとき、崖上から大きな石が

転がってきて、あわや押しつぶされてるところ「南無阿弥陀仏」と手を合わせていたら、お

ばあさんをよけて転がり落ちたそうです。これからこの石を「よけ石」というそうになったそう

です。


もう一つの話は、山の中腹に村民が植樹していたところ、石が転がり落ちてきて海岸に落

ちたそうですが、植えた樹木をことごとく「よけて」いったそうです。


あしたは、木津、富津、そして「鵜の穴」のご紹介です。これも、めったに見られない海から

の風景ですよ。お楽しみに。

(参考:「千々石町郷土誌」「長崎遊学7」「昭和54何版千々石郷土史」「大正七年千々

 石村郷土誌」)

 

辨天様とよけ石のご利益あやかってにポチよ。

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2012年7月23日 (月)

千々石海水浴場&松林と松倉重政~雲仙市千々石町

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千々石の海水浴場です。昨日の日曜日は少し多かったらしいのですが、今日は月曜日と

あって、中学生が4~5名と一家族だけ。ビキニスタイルは見られませんでした。ゆたっとし

て良いですね。私も泳げれば・・・・ちゃんと監視人も置いてあります。

昨年も書きましたが、

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十数年前は、このコンクリート一杯に桟敷席があって、賑わったものです。海開きも、お偉

いさんが出席して、太鼓を叩いて安全を祈願していましたが、今は向こう側にテントが二張

りばかりあるだけで。食べ物があまりないようなので、近くのコンビニで調達した方が良い

でしょう。


さて、この海岸の後ろに松林があり、日本100選になったこともあるのですが、いま松食い

虫などにやられて、段々減少してきています。元に戻すべく植林はしていますが。

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松林は昔の写真で見るともっと広がっているようでした。


この松林、自然のものかと思っていたら、なんと島原城を築いた松倉重政が命じて作った

ものだとか。


元和二年、五条(奈良県)城から松倉重政が島原の領主として移ってきます。初めは北有

馬町の日野江城に居住しましたが、一国一城の令により、島原に森岳城(島原城)を作り

ますが、多額の費用が必要であり、領民にかかる苦労は多く、松倉重信を継いだ重次に

なると、さらに過酷な重税を強いられ、棚を作れば棚税、小屋を作れば小屋税、人が死ん

で埋めるために穴を掘ると穴税、子供が生まれると頭税、畳税、窓税、と何でもかでも、税

金がかかり、加えてキリシタンへの弾圧。原城の一揆へ。一揆の原因については諸説ある

ので、又いつか。


さて、松倉重政は「森岳城ヲ築クヤ 本村小倉名(現雲仙市千々石町小倉名)住 和田四

郎左右衛門義長(橘氏三世慶安三年卒)ヲ召シテ普請係ニ命ス」とあり、これで松倉重政

と千々石の関係が出てくるのですが、「重政ガ本村ヲ視ルコト極メテ重ク」ということで、和

田四郎が千々石で困っている事がないかと聞かれたとき、西海岸一帯は波風がひどく秋

稼(注:稼は穀物のこと)夏麥(注:麦のこと)が稔らず村民が困っていると答えると、実地調

査をし、代官に命じ住民を指揮し「堤防ヲ築キ ソノ上ニ松樹ヲ植エタリキ」ということで、海

岸の松林は松倉重政の命でできたものなのです。


なお、松倉重政は、日本のキリシタンを広める司令所がマニラにあったため、フリッピンの

ルソン島攻略を計画し、実際に偵察隊まで送ったそうです。


寛永七年十一月十七日、長崎奉行、竹中采女正重義に報告に行き、その帰路、小浜温泉

に入浴中に急死をしています。これについては、ルソン島攻略が成功すれば、幕府に発言

権を与える糸口になるか、九州独立を計画するかも知れないと言うことで、暗殺されたとい

う説もあります(島原一揆~渋江鉄郎著)。


(参考:「千々石町郷土誌」「千々石村郷土誌(大正七年)」「小浜町史談」「島原一揆~渋

 江鉄郎」)


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2012年7月22日 (日)

この一曲~ラムネの飲み方★SKE48チームKⅡ (ラムネ→ラムネ氏→坂口安吾)

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ラムネですね。昔はよく飲まれたものですが、いまや、清涼飲料水、缶ジュースなどに押さ

れて段々見かけなくなってきましたが、ストアーの端っこに細々と売ってあったので買って

きました。


大人が、サイダーなんか飲んでいるのは不思議では無いのですが、ラムネを飲んでいる

姿は何となくカワイイという感じ。中に玉が入って、それをうまく、途中のくぼんだところで

止めておいて飲むという行為が遊び心があり、子供ぽっく見えるんでしょうか?

Cimg0121

元来、イギリスで作られたそうですが、今や絶滅だとか。日本の有形文化財にしてでも残

したいような形。これ発明したのはどんな人かな、と考えていると、どこかで、こんな事読ん

だなと、そう、「坂口安吾」の「ラムネ氏のこと」。確か高校の教科書に出てなかったかな?


小林秀雄と島木健作と三好達治が、小田原へ鮎釣りに行って、ラムネを発明した人物に

ついて話をしていくところから、茸取り名人が茸にあたって死ぬ話、キリシタンが渡来した

とき「愛」という言葉の翻訳に苦労して「御大切」にしたこと、そして戯作者のことについて話

は続いていくのですが・・・


坂口安吾は時として、復活して来るときがありますが、本が手元に無いので、ネットの「青

空文庫」で検索すると、意外や意外200~300ほどアップされ、安吾ファンがと多いのに

驚きました。安吾は終戦後、太宰治、織田作之助などと共に無頼派と呼ばれていました。


2~3編ざっと読んでみましたが、戦後すぐは凄い時代で「安吾巷談の麻薬・自殺・宗教」

を読んで見ると「織田作之助(注:代表作は夫婦善哉)はヒロポン注射が得意で、酒席で、

にわかに腕をめくりあげてヒロポンをうつ。」とか、「田中英光はムチャクチャで、催眠薬

を、はじめから、ねむるために飲むのではなく、酒の勢いを速く利かせるために用いた・・・

あれぐらいの大酒飲みは、いくら稼いでも飲み代に足りないから、いかにして速く酔うか

という研究が人生の大事になるのである。」とか書いてあって、いくら薬事法が無かった時

代でも凄いですね。


故立川談志の本にも、楽屋でヒロポンを打って、高座に上がっていた落語家がたくさんい

たと書いてありましたが・・・もっとも、坂口安吾自体も中毒になり、病院に入ったりします

が。


しかし、坂口安吾の時代を見抜く眼光は鋭く、「安吾巷談 世界新記録病」なんて、オリンピ

ックを前にして読んで見ると、今でも十分に通じる所があるし、「風と光と二十のわたしと」

は学校の先生に読んでもらいたいところです。なにせ、二十歳で代用教員(終戦直後は学

校の先生が少なく、そんな制度がありました)になり、70名の生徒を受け持っていた時の

話です。

ずるさをした子供について「ずるさが悪徳ではないので、同時に存している正しい勇気を失

うことがいけないのだと私は思った。」と書いています。しっかりと人間を見つめている目で

しょう。


無頼派と言っても、安吾ほど純真な心を持った小説家はいないでしょう。だからこそ、今の

時代読んでもらいたい小説家の一人です。


さて、ラムネの話から脱線しましたが、ラムネをネットで検索していたら、SKE48チームKⅡ

というアイドルバンドがあるそうで(「SKD」とか「OSK」なら知っているのですが)、その歌に

「ラムネの飲み方」というのがありましたので。長いので途中をはしょって。ラムネに関係あ

るところだけ。



ラムネの飲み方


一気にラムネを飲めないだろう

もっと、もっとゆっくり飲めばいい

真っ青な空 見上げながら

瓶のビー玉 落ちて一休み

心の泡が苦しいなら

息をついてごらん


大人はラムネを飲まなくなるよ

きっと きっと嫌いじゃないけどね

忙しい日々 疲れ切って

そんなビー玉なんか面倒で・・・

楽に生きていくその方法は

頑張らないことさ


一気にラムネを飲めないんだろ

半分 半分残せばいいんだよ

胸のビー玉 息が詰まるまで

今は何もかんがえないで

そっと休息しよう?

(作詞:秋本康 作曲:夏 海)



何となく甘ったるい歌ですが、ラムネも甘ったるいものだし、いいでしょう。分かる所もあ

るし。でも、この曲ヒットして欲しいですね。ラムネが売れるように。


ラムネを飲んでポチしよう。

 

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2012年7月21日 (土)

高下古墳&茶寮六三郎~長崎県雲仙市国見町

1

国見町の高下古墳です。有名な古墳ですが、行ったことがなく島原の病院の帰りがけに寄

って見ました。大きな石が使ってありましたが、説明については、説明版の方がよく分かり

ますから下に張っておきます。

P7200142

説明版はクリック知れば拡大します。

左横の岩は外れていて、横からも見ることができます。

3

説明板に「室全体が塗朱されていたと考えられます。」と書いてありますが、入り口から見

て右と奥の壁に朱の色がわかります。

4

横から入り口方向を見た写真です。

5

なお、肥前風土記に「土歯(ひぢわ)の池。俗(くにびと)、岸を言いて比遅波と為す。郡(こ

り)の西北(にしきた)のかたに在り。」という記述があり、「郡」とは「郡家」のことであり、

国の政庁を「国庁(国衛・国府)」といい、郡の政庁を「郡家」と言っていたそうで、郡の下に

「里」が置かれて、霊亀三年(715)にこれを改め条里制が施行されたそうです。


さて、この「郡」について、「肥前風土記」の解説書を読むと「郡家の位置は・・・郡家を国見

町高下付近とする松尾貞明説は正しい。」と書いてあったり、「新考は島原半島の北部、神

代駅の地(神代村)を郡家の遺跡地とするが、・・・・郡家を池の東南方の近く(千千石町千

千石)(注:千々石の誤りか?)の地とすれば峰の湯(注:雲仙)のおよそ北となって記載の

方向にある。」というのもあり、ここらは学説の問題でになるので、専門家に任せましょう。


さて、国見町には「五万長者」の伝説、遺跡等が在り、雲仙に寺を建てるときに、五万長者

が資材、労力を提供していたという伝説もあり、又百花台遺跡を初め、国見町一帯遺跡が

あちらこちらあるところを見ると、昔からかなり発展していたことが伺えます。


なお、場所は愛野からグリーンロードを走り、百花台への交差点をそのまま200~300m

直進すると、高下地区への標識と、国見町古墳群と書いた白い丸太が立っていますので、

左に曲がって、しばらく行くと道の右に「高下古墳」と小さな標識がありますので、見損なわ

ないように。なお、住居の中庭を通りますので一言断って。

(参考:「国見町郷土誌」「八斗木むかしむかし」「島原半島の歴史」)


今日の昼食:

今日も、かみさんが福岡へお遊びに。折角、国見町に来たので、久しぶりに「茶寮六三郎」

へ。かみさんが留守なのは気が軽くて良いのですが、その分、外食が多くなって財布も軽

くなって・・・

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P7200124_2 P7200127

最初、ジャガイモの冷スープが出てきたのですが、少しとろりとして、この中に温泉卵が入

っていて、これはグッド・アイディアですね。久しぶりにおいしいスープでした。

もちらん料理もおいしくて、シャーベット、ドリンク付きの「茶寮ランチ」1,200円(だったか

な?)でした。


ポッチ御願いネ。

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2012年7月20日 (金)

山領(やまりょう)その2~長崎県雲仙市小浜町山領

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山領の集落から坂道を登り、この前紹介した「山ん神様」「天狗天使像(地元では金比羅さ

ん)」の手前の方に、「這子」という所があり、そこから山に登る急坂を登ったところに「婆泣

き」という地名があり、鍋に似た形から「鍋」といわれているそうですが、そこから急坂をさら

に登り、藪の中を行くと大きな石があり、そこに穴があり「鍋ノ穴」と言い、詰めれば50名

ほど入るそうです。

2

           (小浜町史談より)

ここには島原の乱を避け、老人達が隠れていたところです。ここまでたどり着いた婆さん

達が、背中から幼児をおろし、幼児はそこらを這い回ったので「這子」。それを見ながら、

先々のことを考え、無心に這い回っている孫達を見ながら、婆さんたちが泣いたので「婆

泣き」。


実は、ここまで登って見ようと思っていて、入り口までは見つけたのですが、

3

ご覧の通り、イノシシ除けの柵が山道全面張ってあり、道も荒れ放題で、一人では無理と

いうことで断念しました。


なお、この島原の乱を避けて避難したところは他に「富津の四郎穴」「鬢串(びんぐし)の与

平納戸」。残念ながら調べて見ると、ここも山の中で、荒れ果ていて入れないとの事でし

た。3,4人いればなんとかなるのでしょうが・・・海の方では崖に自然浸食した穴に避難を

したということです。


こうして見ると、小浜だけでも避難したところが3~4カ所。よく、島原の乱で全滅した村も

あるということが言われますが、雲仙の山深く逃げ込めば分からない。郷土史家の人と話

をしていると全滅はあり得ないだろうという話になります。宮崎康平氏も「島原半島の切支

丹」で同様のことを書いておられます。


こうして残った村民が38戸、男68人、女73人、牛2頭、馬9頭といいます。(小浜史談よ

り)



ここの地区の途中に石造物がありますが、これはこのあたりに散在していたものを集めた

ものだそうですが、右から2番、道祖神の「小夜姫」。この像珍しいらしく、某大学からも調

査に来たそうです。ここのすぐ横にもう一つ顕彰碑が建っています。

4

5 6

左が「小夜姫」。笠を右手に持った可愛い像です。場所によっては「さやごぜん」「さおごぜ

ん」「さようひめ」、場所によって多少の違いがありますが、松浦の「作用姫伝説」が形を変

えて伝わって来たみたいです。

この「小夜姫」については、物語があるのですが、ちょっと差し障りがあるところがあるので

省略します。


右の顕彰碑が「五左衛門の碑」。島原の乱後、荒廃した田畑を拡大するにつけ水が足りな

く、雲仙の加持川(別所ダムはこの川を塞いで作ったものです。)から水を引こうと思ったの

ですが、加持川は千々石の川に繋がり、千々石にとっても命の水。水争いが絶えなかった

そうです。


そこで、この五左衛門さんが交渉にいって、話し合いで決着をつけたそうです、と簡単な紹

介が本に書いてありましたが、地元の人に聞くと、千々石側がウンといわず、一計を案じ、

酒をしこたま持って行き、酒の飲み比べで勝ったら水を分けてくれと言うことで、飲み比べ

て見事勝ったそうです。川の水を7割と3割に分け、山領に3割流すようになったそうです。

はやり、本で読むだけで無く、地元の人に話を聞くのが面白いですね。


さて、気になるでしょうが一番上の写真。「這子」「婆泣」と「天狗天使」の途中に分かれ道

があり、

7

黄色の方向が「天狗天使像」に行く道ですが、、右の赤線の方向に行くと、突き当たりが

市の上水道と思われる建物があり、その手前にある観音様です。まったく目につかない、

人里離れたところに何のために。はじめて見たときはビックリしました。


観音様の赤い四角の所、銘版がはめ込まれていたはずですが、はがしてありました。途中

で誰か聞こうと思ったのですが、誰にも出会わなくてまったくの謎でした。


氏神様として、若宮神社がありますが、一番古い灯籠が「文化九年」とありますから、それ

以前の神社でしょうが

8 9

普通奉納するといえば、鳥居か狛犬か灯籠でしょうが、どういうわけか、どこから見ても立

派な牛が。

「明治」という字と「出征」という字が、そして人名が彫ってありましたから、日清か日露戦争

の時でしょうが珍しいものでした。いわれがあるんでしょうが、またもや誰もいなくて聞かれ

ませんでした。


山領という所、色んな意味で興味のあるところでした。山の方は、イノシシと蛇の季節なの

で、又寒くなったら。(参考:「小浜町史談」「おばま~史跡巡りガイド」)

                                           山領の項:終了


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2012年7月19日 (木)

山領(やまりょう)その1~長崎県雲仙市小浜町山領

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左が現在の小浜町の中心地の温泉街になりますが、ここは昔は中心街ではなく、右の写

真のように、湯元本多家が私費を投じ、明治28年、明治43年に埋め立てたもので,小浜

温泉の発展に寄与しています。その後昭和48年に小浜港が埋め立てられています。


昔は、長崎方面から小浜へ下る坂道の終わるところ、小浜高校があるあたりが中心地で

あったそうです。

P7070444

大ざっぱに、黄色で囲んだ所が北野地区、昔は古賀千軒、塩屋千軒、金屋などと言い、「

千軒」といわれたくらいですからかなり栄えていたことが分かると思います。


ここが栄えた理由は、雲仙が昔、仏教のメッカとして栄えていた頃、僧坊が1000坊くらい

あったといい、雲仙の札ノ原に300、別所に700ばかりあったといいます。


そして、別所へ行く最短の道が山領~別所の山領道であり、その人々の食料、生活用具

の生産、集積地としてここらあたりが発達したものといわれています。


赤い丸印が、現在の国道の山領入り口で、現在の国道は後からできたものですから、少し

違うと思いますが、大体ここらあたりから、この山と山の間の谷間を上がって雲仙の別所

へ登って行く道が山領道です。


別所は現在別所ダムになっており、ここらに700くらいの僧坊があったのでしょう。当時の

見る影もありませんが・・・

P1060661

さて、この山領道は別所ダムの少し下の方、千々石~雲仙に至る道に廃屋があり、この廃

屋の道路を隔てたあたりに出るらしく

Cimg0042_4

逆に下を見ると

P6200073_2

赤の四角で囲んだところが、さっきの北野地区になります。この谷間を登ってくるということ

であり、これが山領道です。


はじめは本当の事かと思っていたのですが、何名かの方に聞いていくと、昔はこの道を登

っていたという方もおられ間違いは無いようでした。


80歳くらいの方と話していると、石合いの港(小浜の昔の港)から外人が降りてきて、この

道を登って(雲仙は外人客が多いところでした)行ったそうで、「あら、又外人さんが行きよ

らすばい」などと話をしていたそうです。


その方自体も、岸惠子と佐田啓二(知らない人が多いかな?)の「君の名は」の撮影が雲

仙であったとき、赤ん坊を負ぶって、この山領道を登って見に行ったそうです。


確かに、今の雲仙道路、これも昔の道とは全然違いますが、よく考えるとこの山領道の方

がはるかに近くて、楽なような感じです。でも、昔の人ってすごいですね。こんな所を登って

いったなんて。この道を探しているのですが、また、寒くなってからのお楽しみというところ

で。


この、山領というところ、「隠れキリシタンの像」と思われる像が二つあり、以前載せたこと

がありましたが、その他にも興味があるところがあるので又明日。


「隠れキリシタン像 その1」は→こちらをクリック

「隠れキリシタン像 その2は」→こちらをクリック


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2012年7月18日 (水)

結の浜マリンパーク~夏だ、海だ、ビキニだ(諫早市飯盛町)★森のしらべ(雲仙市千々石町岳地区)

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千々石から長崎へ、海沿いの251号線を通るとき、「結の浜マリンパーク」と言う看板が2

カ所ほどあって、いつも気になって、夏は近いし、牧島の「国指定 曲崎古墳群」に寄って、

ここへ来てみました。


調べて見ると、平成14年にオープンした人工の海水浴場だそうですが、景色も良く、砂浜

も綺麗でした。平日でしたが少しばかり泳いでいる人が。

後に見える山で、右から3番目。ご飯を盛ったような良い形をしていますが、その通り「飯

盛山」です。町名の「飯盛町(いいもりちょう)」の由来になった山だとか。

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右が「下ノ島」左が「上ノ島」だったかな?奥に少し霞んでいるのが雲仙。風光明媚な所で

す。

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施設も十分整えてあります。


駐車場代が、普通車500円、マイクロバス1000円、大型バス2000円、バイク100円。

写真でも撮ろうと思っていたら、早々と入り口におじさんがいましたが、写真撮るだけだか

らと説明したら、少しの時間なら只でということで入れてもらえました。


帰りがけ、お礼を言って、いろいろ喋っていたら、軽自動車で女の子が2~3人、ビキニの

上にタオルを掛けて入っていったので、わたしも今度は500円払って・・・


本当に良い所です。長崎市の方はめっけものの海水浴場。市内からそんなに遠くありませ

ん。251号線に看板が出ていますから是非どうぞ。


少し行ったところに、諫早市指定文化財の「川下の牛のはなぐりも」もあります。膝を痛め

ているので、浜石の所が歩けなく、説明版の写真で

4

さて、家に帰っても誰もいないし、3日連続の外食。一回入ってみたかった所に。

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レストハウス「森のしらべ」です。千々石から雲仙へ登る道の少し下にありますが、道に看

板も出ているのですぐに分かります。


パンフレットによれば、宿泊は1日1組の限定。2階には3部屋、、和室(8帖)、リビングル

ーム(12帖)、ベッドルーム(10帖)。家族で行ってもゆったりできるでしょう。風呂はすぐ横

の渓流の所に「残響の湯」と言うのがありますから、川音でも聞きながらゆっくりと。


一階がレストランになっています。

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本日のランチは、コーヒー付きのトルコライス。かみさんは、このとんかつ、カロリーがどう

のこうのと、3分の1くらいしか食べさせてくれないのですが、今日は一枚食べてきました。

何年ぶりかな、とんかつ一枚食ったのは


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2012年7月17日 (火)

300万本のヒマワリ~諫早湾中央干拓地

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朝からは梅雨が明けたような快晴。かみさんは又どこかへお出かけ。ひとりぼっちで寂しく

留守番するのもしゃくだし、昨日、諫早湾中央干拓地で300万本のヒマワリが咲いている

と、TVの放送があっていたのでそちらへお出かけ。(各写真はクリックすると拡大します。)

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梅雨のせいか、少し咲き具合が悪いようでしたが、ここと、あと1カ所同じようなヒマワリ畑

がありました。バックは多良岳。25ha、東京ドーム5個分でしたか。「読まれた鼻毛が5万

本、取ったピースが5万本、書いた始末書5万枚、飲んだビールが5万本」とか「100万本

のバラ」なんて言う歌がありましたが、、300万本にはかないませんね。数えたら本当に

300万本ありました

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このヒマワリ、観賞用ではなく、愛菜ファーム株式会社というところが、土壌改良のため植

えたものだとか。

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トラックターで、ヒマワリを土の中にすき込んでいました。昨日の放送では八月頃まで見ら

れるとか。


初めての方は、場所が分かりにくいと言うより、諫早湾の干拓の歴史は江戸時代以前から

始まったそうですから。中央干拓地と言っても少し分かりづらいでしょう。

Photo_7 Photo_8

諫早から雲仙に向かう途中、干拓の里とか、諫早少年自然の家の看板がありますから、

左折してしばらくいくと「諫早湾干拓中央干拓」の看板が。あまり目立たないのでよく見て。

あとは、この看板が何カ所かありますから、その通りに行けば「中央干拓地」に行き着け

ます。ヒマワリ畑は探してください。


なお、この中央干拓地に行くとき、川と堤防がありますが、ここが古い干拓地と、新しい干

拓地が分かれる所だったと思います。この堤防の国道側の古い干拓地は、今の時期はほ

とんど稲作。新しい干拓地は、野菜などの畑です。行かれたら見比べて下さい。

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さて、図書館によって、帰りがけが丁度昼食時、どこで食っていこうかと、2軒ばかり回った

のですがお休み。かみさんが、いつもお食事会に利用している、森山町は唐比の「あじ菜」

に。


唐比のハス園の近くですが、ちょっと国道から入り込んだところで、分かりにくいのですが、

本日も満員状態で、リピーターの方が多く、人気の店みたいでした。数名で予約して二階

の座席を取ってもらえば、雲仙、橘湾、天草まで見えて景色も良い所です。

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さて、明日もかみさんは用事で留守だとか。どこに食いに行こうかな。


ヒマワリさんにポッチね。

 

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2012年7月16日 (月)

やまめの里(千々石町)~長崎県雲仙市千々石町岳地区

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昨日、日曜日は町内一斉清掃で5時起床。地区によって違いますが、私の所は道も全面

舗装で草も生えてなく、溝は蓋がかぶせてあって浚うこともなし。30分ほど近所の人と喋

って、家に帰って一眠り。


午前中ちょっと用事があって、帰りがけ丁度昼食時間。かみさんは絵画教室とかいう名

の、私から見れば(誰から見ても)ぬりえ教室にお出かけ。どこかで飯でも食おうかと。


日本の棚田百選の岳地区にちょっとしゃれたペンションがあって、飯も食えるというので行

ってみたら、「本日貸し切り」の札、宿泊客が多かったのでしょう。と言うことで、すぐ近くの

「やまめの里」へ。


昨年も「やまめの里」については書いたのですが、読み返してみると余り雑だったので、今

日は少し詳しく。


場所は、ネットやスマートフォーンで「千々石 やまめの里」で取れますからそれを参考に。

途中から狭い道になるので要注意。

Photo_2 Photo_3

左に清流を見て、途中水分神社があったので、寄って見たら、「寿百歳記念」の灯籠が。

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左が食堂。駐車場はまあ十分にある方でしょう。昔はこんな立派ではなかったのですが。

儲かっているのかな?食堂の左手でやまめを養殖しています。豊富な水量。

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見学者用の通路がありますから、見てみると、あいかわらず凄い数のやまめ。猫が狙って

いましたが、落ち込んだら溺死になることは分かっているらしく、眺めているだけでした。

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食堂の中でも食事はできますが、ここは外で食べるのがベストでしょう。この横に渓流が

流れていて、涼しさを運んでくれます。この日は日曜日のせいか、お客さんが結構入って

いました。


メニューは単品で、塩焼き、姿揚げ、刺身、背切り、おにぎり、ソーメン。私は塩焼きとおに

ぎり(三個。棚田で取れた米。ここの米はおいしいので有名で、わが家でもここの米を使っ

ています)。そーめんの方が良かったかな?


さて、ここには釣り堀があり、

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生け簀のやまめが、こぼれて流れてくるのでしょう。二組釣っていましたが、両方とも20

匹ばかり釣れていました。ただし、買い取り制で、釣り道具、竿一本と餌で、10匹まで2,

100円、追加は1匹で400円。


釣りの苦手な方は、生魚のお持ち帰りも出来ます。1㎏で2,500円。だいたい7~8匹だ

そうです。持ち帰ってバーベキュウすれば最高ですよ。わが家でもやったことがあります

が、串刺しにして炭火で焼けば旨いこと、旨いこと。


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2012年7月15日 (日)

この一曲~一本の鉛筆★美空ひばり

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先日、母から電話があり、「美空ひばり」がどうとか、「一本の鉛筆」がどうとか、とにかく喋

りかかったら、話があちらこちらにいって長電話。何しろ、4時間電話で喋っていたという人

ですから。


やっと「美空ひばり」が昔テレビで歌っていた「一本の鉛筆」の歌詞と、楽譜が無いかとのこ

と。ネットで探したらすぐ出てきましたが。最初聞いたときは、あまり良い曲だなとは思わな

かったのですが、段々聞いているうちに、じわっと好きになってきて。


調べてみると、この歌、第一回広島平和音楽祭のとき、美空ひばりが歌った曲だそうです

が、冷房付きの控え室でなく、8月の暑い中、ずっとステージの横にいて、「あの時、広島

の人はもっと暑かったのでしょう」とつぶやいたそうです。


第15回の音楽祭の時にも病身をおして来て歌ったそうですが、出番の時以外はベットに

横たわって点滴を受けていたそうです。翌年に逝去されました。美空ひばりさんも好きな曲

だったそうです。




一本の鉛筆


あなたに聞いてもらいたい あなたに読んでもらいたい

あなたに歌ってもらいたい あなたに信じてもらいたい

一本の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く

一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く


あなたに愛を送りたい あなたに夢をおくりたい

あなたに春を送りたい あなたに世界をおくりたい

一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く

一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く


一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く

一本の鉛筆があれば 人間の命と 私は書く

(松山善三 作詞 : 佐藤勝 作曲)



この歌、You Tubeでたくさんの方が歌われていますのでご覧下さい。この中で、鈴木君代

さんと言う、僧侶でシンガーの方が「八月六日の朝」の所を「八月六日と九日の朝」と歌っ

ていました。


九日と言えば長崎に原爆が落とされた日。広島平和音楽祭の歌なら六日だけで良いので

すが、九日と入れていただいたのは、祖父を原爆で亡くし、身近に被爆者の方を見て育っ

た私にとってはありがたいことでした。


長崎原爆の日」ということで昨年書きましたが、あれから一年。平和祈念像も2,3日前、

式典に備え綺麗に洗ったそうです。暑い夏がまた来ます。


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2012年7月14日 (土)

スマートフォン買い換え&ところてん屋さんオープン~雲仙市千々石町

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カトリーヌ・ドヌーブ。良いですね。私の待受画面に使っていますが、この大人の色気。「シ

ェルブールの雨傘」「反撥」「昼顔」など、映画界を一世風靡しましたが。


今日は、カトリーヌ・ドヌーブの話では無く、スマートフォンの話でした。

右がiPhone3S、左が今発売の中のiPhone4Sで、サイズが少し違いますが、少しの違いが

手に持って持ってみると意外に違った感じ。


どういうわけか、Appleの製品をなにやらかにやら持っていて

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iPadにiPod classic、nano、そしてiPhone.。iPadの壁紙は、マリリン・モンローですが。


3Sが2年経って、このまま放っておくと、そのまま7月中に自動継続になるために、買い換

えを考えて、いろいろありましたが結局は使い慣れたのを。


さて、aショップにするか、Sショップにするか考えたのですが、2年前Sショップで買った一月

後iPhone4が発売。ちょっと耳打ちしてくれても良いじゃないですか。「一月くらい待てば新

しいのが出ますよ」って。もっとも後で聞くとショップの方にもAppleの情報はまったく入って

こないそうですが、でも、何となく分かるんじゃないですか?


そんな事情もあり、また、Sショップの方は、わが家が電波の届くぎりぎりの所らしく(田舎だ

から)、時々切れることがあり、今回はaショップの方で購入してみました。


ショップによって若干の違いがあり、Sショップではdocomoの携帯から電話帳を(両方使っ

ていて、電話帳はほとんどdocomoの方)移してくれましたが、aショップでは自分でしてくれ

とのこと。なんとか自分でしましたが。保護シールも貼ってくれたのですが(これ私苦手

で)、今回はやんわりと断られました。


この4S、1番便利なのは、TV宣伝でもやっていますが、音声を理解する「Siri」の機能がつ

いていること。今までは見えにくい老眼でボタンを押したり、タッチしたりでメールを打った

りしていたのですが、この「Siri」を使えば、メールでもメモでも電話呼び出しもスケジュール

表も喋るだけで良いという優れもの。


「メールを打つ」といえば、「どの方ですか?」「○○さん」「件名はなんですか?」「ごめん」

「内容はどうしますか?」「昨日は怒ったけど、本当は愛してるんだ」「送信しますか?」で済

み。


時々間違いますが、「8時なら空いてます」を「8時なら相手ます」。まあ、ご愛敬でしょう。

電話かけるときも「○○に電話」で済みますから。文章の方は、あまり長文は無理みたいで

すが、文節に分けながら多少手を入れていけば十分役に立つでしょう。


もう一台のdocomoの携帯もこの機能ついてますが、比較にならないくらい良く取れます。

もっともdocomoのスマートフォーンもこの機能がついているようですが、比較はしていませ

んが、どうなんでしょう?


とにかく、この「Siri」の機能はめっけもんでした。でもまあ、かみさんと私の携帯とスマート

フォン、黒電話、計4台、プラスPCのネット回線代。情報化時代は高くつきますね。


さて、7月と言えば去年も書きましたが、7月から9月までしか開店しないトコロテン屋さん

オープンしました。

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店も、店内も、商品はトコロテンとラムネのみで、昨年と変わらず。変わったのはお互い一

つずつ歳を取ったくらいのもの。勿論、トコロテンは手作りで、この店内の写真の左側に大

きなガス釜が取り付けてあり、そこで作っています。汗を拭きながら、トコロテンを食べるの

も、時代を遡った感じでも良いもんですよ。場所は、千々石第一小学校付近で聞けばすぐ

に分かります。



美容と健康のためにトコロテンとポチよ。

 

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2012年7月13日 (金)

役小角(えんのおづの・おづぬ・おつの)の像 ~雲仙市瑞穂町岩戸神社付近

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瑞穂町の知人から、岩戸神社の付近に「役小角の像」があると言うことを聞き、梅雨の晴

れ間出かけて見ました。場所は黄色の所ですが、赤の四角の所が岩戸神社の入り口。矢

印の方向がキャンプ場になります。

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「役小角」は修験道(山伏、古くは山臥、山中に起臥して修行する事を第一とするという事

から「山臥」というらしいのですが)の祖師として仰がれており、鎌倉中期正嘉元年愚勧住

心らが編んだ「私聚百因縁集」に「役行者ノ事」について「山臥ノ行道尋源皆役行者ノ始テ

振舞シヨリ起レリ」と書いてあり、(役行者(えんのぎょうじゃ)は「役小角」の事です)、山伏

の源が役小角だったことが伺えます。


なお、「役小角」は架空の人物だったと思っていたのですが、実在の人物らしく、「続日本

紀」にも「役君小角流于伊豆島初小角住於葛木山・・・・・」と記述があり、途中、「讒以妖

惑」と書いてあり、伊豆島に讒言で流された事もあるそうです。ウィキペディアにも若干書

いてありますので興味ある方は参照して下さい。


さて、左が「役小角」の像、右には3体の仏像が置いてあり、

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立派な石屋根の祠に入っています。右手は何かを握っているような感じですが、錫杖を持

っていたのでしょう。

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この、足元。一本下駄を履いた足のリアルな表現。爪まできちんと彫りこんでいます。岩戸

神社へお参りに来たときにご覧下さい。見応えがありますよ。


「瑞穂町誌」によると、「水神様」として「田植後に部落総出で、岩戸さんに酒肴を持参して

祝った。」と書いてあり、ここの写真が載っていましたが、この右の3体の仏像も関係あるの

でしょう

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後は岩の岩盤ですが、字が彫ってあり、この日は濡れていて良く読めませんでしたが、

「水波□(不明)神」「明治12(以下不明)」という感じでした。真ん中は十一面観音様でしょ

う。


清水がこんこんと湧いていて、夏向きの良いところですよ。水もきれいで、汲に来ている方

もいるような感じでした。なお、説明版がありましたから下に張っておきます。

(参考:修験道史研究~和歌森太郎著)

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2012年7月12日 (木)

千々石ホテル~雲仙市千々石町

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             (千々石町史談第2号)
      

千々石にも昔ホテルがあったのです。建物はもうありませんが、場所は、公民館の裏側あ

たりになり、当時の千々石町(現雲仙市千々石町)が公園化しています。公園化するまで

は木が生い茂っていたのですが。

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一番上の写真で、門の所に人力車が止まっていますが、この門は現存しています。

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敷石がありますが、これも当時のままで、敷石が終わった所にホテルが建っていたのでし

ょう。


千々石史談第2号の、橘周次郎氏(橘中佐のお孫さんで、現在橘神社の宮司をつとめら

れてます)の記事によると、ホテルを作ったのは、城代良治。橘家(橘中佐)の親戚で千々

石有数の資産家であったそうです。城代家は幕末、財政難に苦しむ島原藩に貸し付けを

おこなうほどの豪農であったそうです。

城代良治は、町会議員、南高来郡々会議員も務めていたそうですが、ホテルの営業時期

については不明だそうです。


さて、雲仙のビジターセンターで、展示会をやっているとき、行って見ると、当時のホテルの

宣伝記事が展示してあり、富貴屋ホテル、一角楼ホテル、九州ホテルに並んで千々石ホテ

ルの宣伝が掲示してあり、

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   (長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース展示より)

左は「雲仙案内記(明治42年)に掲載されたもので、上の方は英字、下の方はロシア語で

書かれています。当時はロシアからの観光客が多かったことが伺えます。また、長崎から

近いこと、石と松林が多く、素晴らしい海水浴場であり、雲仙へのメインの入り口である事

などを宣伝しています。外人客が多かったのでしょう。


長崎から愛野まで2時間、愛野町から人力車で50分、雲仙までチェアー(以前書いたこと

がありますが、椅子に担ぎ棒を付けて担ぐもの)又は馬で5マイルである事が書いてありま

す。


右の記事は、長崎の英字新聞「THE RIGING SUN AND NAGASAKI EXPRESS」と「THE 

NAGASAKI  PRESS」に掲載されたものだそうです。


なお、このホテル跡には大きな岩に囲まれた庭がありますが

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昔を知っている方と話していると、この岩は持って来たものでは無く、雲仙の爆発で吹き飛

ばされてきたか、溶岩だということです。すぐ近くに小学校がありますが、校舎を作るとき

も岩石がたくさん出てきていたそうです。


よく手入れしてありますから、季節が良くなったら二人で来てね。何にも無いけど、返って

落ち着いて、静かで良いとこですよ。

(参考及び写真:「長崎大学工学部工学科社会環境デザインコース」「千々石史談第2

 号」)


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2012年7月11日 (水)

阿比留文字(神代文字)の祠~雲仙市吾妻町

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いろいろ郷土誌を読んでいると興味ある事が書いてあり、「吾妻町史」に、「阿母山(あぼや

ま)の堤には、峯武社掌(旧制の神職の名)による・・・・美津能加美と刻んだ阿比留文字が

建てられている。」と書かれており、ただし、この峯武社掌は大塚古墳(旧守山村・現吾妻

町)の報告書を記述している方でもあり、あまり古いものではないなと思いながらも、「阿比

留文字」は「神代文字」(じんだいもじ・かみよもじ)の一種であり、漢字が伝来する以前の

日本で使われた文字の一種。一度は見てみようと、梅雨の晴れ間をぬって。


ただ、この神代文字については、古くから賛否の議論がありますが、賀茂真淵、本居宣長

などと比べられる平田篤胤は肯定論者の一人です。ここらあたりは、ネットでいろいろ書い

てありますので各自、自習ということで。


なお、阿比留文字は「あびるもじ」「あひるもじ」の標記がありますが、対馬国の卜部氏・阿

比留氏に伝わっているということであり、阿比留という氏名は対馬では「あびる」と読み、

「あびるもじ」の読みが正しいと思います。


とにかく実物を見てみようと行ったのですが、場所がまったく分からなく、丁度、義兄が吾

妻町にいるので話をして、郷土史の写真を見せると、「俺の妹のとこたいと」。と言うこと

で、案内をしてもらいましたが

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赤の四角の所で、まあ、こんな所は知った者しか分からない。

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この祠の中に上に書いたような文字が彫ってありました。吾妻郷土史によると「美津能加

美」と読めるそうです。見るとハングル文字に似ており、阿比留文字はハングル文字との

関係もあるとの説もあり、確かに対馬の阿比留氏に伝わっているものなら、対馬は古くか

ら韓国との交流もあり考えられることでしょう。(ただし、ハングル文字は1446年に李氏朝

鮮4代国王の世宗が、「訓民正音」の名で公布)。阿比留文字がハングル文字に影響を与

えたという方もありますが・・・


ネットで調べるとこの文字の読み方が載っているホームページがありますから、興味ある

方は調べて下さい。


ただ、この祠の横を見ると

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「平成17年5月吉日復元」の文字、どうも理由が分からないので、詳しい方を訪問。この

「復元」については、ここ一体は竹林で竹に持ち上げられ、傾いていたので屋根の部分を

復元したとのこと。中身はそのままとのことでした。



「美津能加美」については、ここの下に堤があり水がたまるようにしてあり、その関係で「み

つのかみ」と彫ったのかと思っていたら、ここの堤で小さい子が溺れ死んだことがあり、そ

れを弔うために建てられたものだそうです。


なお、ここは今は竹藪になっていますが、ここの下の堤の所に土俵があり、この祠の所ま

で観客用の段が作ってあり、昔は賑わったいたそうです。ここに二つ灯籠があったそうです

が、いつの間にか無くなってしまったそうです。



吾妻郷土史には、峯家は一乗院系感応院の修験道であり、修験道の秘字が伝えられた

のではないかと記述されています。しかし、峯武社掌がどうして阿比留文字をここに使った

のかは謎でありました。(参考:吾妻町史)


今日から交通安全運動週間で~す。安全を祈ってポチしましょう。

 

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2012年7月10日 (火)

この絵、どこがすごいの・名画のひみつと鑑賞のルール★佐藤晃子

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梅雨の晴れ間、畑が草ぼうぼうで、久しぶりの草刈りと、土を耕して、合間を見て、古代文

字で書いてある祠があるとかで調べに行ったりと、昔のご隠居様のように日当たりの良い

ところで猫の相手でもして、盆栽でもいじくって、ゆったり老後を過ごそうと思っていたので

すが、人生思ったようにいきませんね。


さて、その間を縫って上の本、面白かったので一気に読んでしまいました。よくNHKで、名

画の謎に迫るという番組をやっていますが、この本も、NHKに負けず劣らず素晴らしい本

でした。

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一つの作品について、6ページを使って解説をしています。まず一つの作品を紹介し、次ぎ

問いかけをしています。右のページ「1 この男女はなにをしているの?」「2 結婚を暗示

している?」「3 画家が残した謎めいたサインとは?」「4 男女の手に注意」「5 新説 妻

はすでに死んでいた?」と言うことで問いかけがしてあり、次の2ページに問いかけの説明

がしてあり、そのあと「もっと知りたい ウラ話」、最後に画家の説明。計6ページと言うこと

です。


取り上げられた作品は、「アルノルフィーニ夫妻の肖像~ヤン・ファン・エイク」「ヴィーナス

の誕生~ボッティチェリ」「モナ・リザ~レナルド・ダ・ヴィンチ」「最後の審判~ミケランジェ

ロ」「小椅子の聖母~ラファエロ」「聖マタイの召命~カラヴァジョ」「夜警~レンブラント」「ラ

ス・メニーナス~ベラスケス」「裸のマヤ~ゴヤ」「オランピア~マネ」「印象・日の出~モネ」

「説教の後の幻影~ゴーギャン」「大水浴図~セザンヌ」「赤い食卓~マティス」「アヴィニョ

ンの娘たち~ピカソ」「源氏物語絵巻~柏木二」「彗可断臀図~雪舟」「楓図~長谷川等

伯」「彦根屏風」「風神雷神図屏風~俵屋宗達」「南天雄鶏~伊藤若冲」「松に孔雀図~丸

山応挙」「富岳三十六景・凱風快晴~葛飾北斎」


実に多彩な絵が取り上げられています。入門書としても最適、この本を読むと、名画を見る

ポイントなどが分かり少しは絵画の通になれますよ。彼女か彼と絵画展なんかに行って、

軽く薀蓄はいかが?


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2012年7月 9日 (月)

力石後日談~雲仙市千々石町 付録:おっぱいパン

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6月13日に「力石★温泉神社&千々石少年自然の家」と言うことで書きましたが、その後

のことを。


記事を書いたあと、四日市大学の高島先生から、力石について情報提供の依頼があり、

そんな研究まであるのかとビックリしましたが、ちゃんと本まで出版されてあり、ホーム

ページもあり→こちらをクリック 。なかなか興味あるものでした。

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連絡するとともに、こちらの力石ついても分からないところがあり、同時に質問をお願いし

ました。


ひとつは、一番上の温泉神社の力石に書いてある文字の判読。もう一つは台にかいてあ

る「美多良志」の文字の意味。

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はやり専門家は専門家ですね。この石は以前調査をしており、その折はこの台はなく、地

面に転がしてあったそうですが、この文字については、「奉納 力石 目方三百四十斤 東

京相撲 荒飛甚大夫 明治十六年三月九日」と書いてあるそうで、340斤というと、1斤が

600グラム、0,6㎏ですから、340×0,6=204㎏で、長崎県の重量刻字では最重量で

あり、年代が刻字してあるものでは最も古いものだそうです。


郷土誌にも、荒飛という力士が小脇に掲げて浜から持って来たという話が書いてあります

が、本当のようです。


先日、かみさんの兄弟会(食事会)で話をしていたら、義兄が若い頃この石を持って、力比

べをしていたとのことで、持ち上げることは出来たが、肩まで持ち上げることは出来なかっ

たとのそうです。ただ、1,2名の者が肩まで持ち上げたそうです。204㎏ですよ。


さて、「美多良志」ですが、この台は「手水鉢」を転用してしるのだろうとの事。「御手洗(み

たらい)」を「みたらし」とも読み(辞書を調べたらちゃんと載っていました)、その当て字では

ないかとのこと。(「みたらし」は神社で参拝者が神様に拝む前に水で手や口を洗い清める

所とあります)


たしかに、この神社の「御手洗」は新しいものができているので、これは古いものに間違い

ないでしょう。寄進するときに「美しい」ことが「多く」、「良い」「志」でありますようにということ

で「美多良志」と当て字にしたのではないでしょうか。


自然の家の力石は、郷土史家と、その当時の事を知っている方と確認に行ったところ、昔

は、山の上に畑があり、山道を登りきったところに「休み場」という所があり、「力石」と書

いた、大きな浜の石が置いてあったとのことです。

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左が山道、ここを牛を引いて登ったこともあるとか。右の写真が「休み場」あたりですが、駐

車場ですっかり変わっています。


もう一つ

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文久二年に建立された郷土出身の力士の碑。この裏にあったそうですが、無くなっていま

した。まだまだ、散逸した力石があると思いますが、勉強していくと面白いもんですね。


付録:おっぱいパン

南有馬まで調べものをして、帰りがけ見つけました。

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浦田観音様というのがあって、拝めば母乳がでるというご利益があるそうですが、それに

あやかって作っているそうです。おやつに買ってきて、しゃぶったり、ねぶったり、揉んだり

した後(久しぶりでした)、いただきました。おいちかったヨ


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2012年7月 8日 (日)

この一曲~ウォーター・イズ・ワイド★メアリー・ブラック

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メアリー・ブラックというと、知っている人は知っているし、知らない人は知らない。当たり前

のことですが。アイルランドの歌手です。アイルランドというとケルトミュージックがあり、エ

ンヤなども有名ですが、メアリー・ブラックもアイルランド音楽の代表歌手でしょう。


メアリー・ブラックの歌はよくTVのCMのバック音楽と使われて、聞けば、ああ、この曲かと

分かると思います。


このCDジャケットで見ると、ロックン・ロッカーという感じですが、ロッカーでありません。

ライナーノーツから引用します。「メアリー・ブラックをとり囲む環境は良くも悪しくも「家庭

的」「手作り」なのです。・・・メアリーの音楽をつくっていくこの「手作り」の姿勢がスタッフ全

員大好きなのです。・・・・・そしてこの姿勢が音にもあらわれ、私たちの心にも伝わってくる

のです。等身大の心やすらぐ温かい音です。」まったくその通りです。


数年前、NHKだったと思いますが、南こうせつが、メアリー・ブラックを訪ねて行く番組があ

りました。彼も又メアリー・ブラックのファンだったのでしょう。


そのなかで、メアリー・ブラックの演奏会の場面がありましたが、大きなホールではなく、い

わば、日本の地区公民館の講堂の少し大きくて、しゃれた作りの所で、椅子を並べている

わけでもなく、近所の人が集まってという感じで、小さな子はフロアーの絨毯に座りながら、

その前で歌っていた記憶があります。こんな感じでのコンサートをする、メアリーブラックを

素敵だと思い、観客の人がうらやましくてたまりませんでした。


このCDから一曲選ぶとなると「ノー・フロンティアーズ」「アレンデイルの薔薇」「ウォータ・イ

ズ・ワイド」「ソング・フォー・アイルランド」いろいろありますが・・・ロマンティックな私に合わ

せて「ウォーター・イズ・ワイド」を。



ウォーター・イズ・ワイド



海は広く わたしは越えていけない

そしてわたしには 飛び越える羽もない

二人を乗せて行ける船を下さい

そうすれば 愛しい人とわたしは海を越えていくでしょう


※ああ 愛は優しく 愛は甘い


それは 初めは最も甘やかな花のよう

でも 時を経て古くなるとひんやりとしてきて

朝の露のごとく消えていってしまう

船がある 海を走る船が

荷物を一杯に積み込まれ 水面に沈み込みそう

でも 私の愛の深さほどではない

どんな風に沈むのか泳ぐのか わたしには分からないが


※同じ


海は広く 私は越えて行けない

そしてわたしには 飛び越える羽もない

二人を乗せて行ける船を下さい

そうすれば 愛しい人とわたしは海を越えていくでしょう (対訳;茂木建)


歌詞だけを書いていても、なんか空しいですね。やはり、歌で聞くべきでしょう。メアリーブ

ラック、You Tubeで少し流れています。是非、お聞き下さい。

(参考:ライナーノーツより)


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2012年7月 7日 (土)

釈迦苦行像~パキスタン・ガンダーラ美術展より

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古い資料を片づけていたら「パキスタン・ガンダーラ美術展」に行ったおりの解説書が出て

きました。


この展覧会。1984年に東京、大阪、福岡で開催され、福岡では6月23日~7月15日に

開催されています。福岡まで見に行きましたが、これ見たときは、ビックリしました。84㎝

×53㎝の像で、そんなに大きな像ではないんですが、展覧会の中では異彩を放っていた

ことを覚えています。


腹部の部分ですが、なんとリアルな表現でしょう。

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解説によれば「シダッルター太子は悟達を求めるため多くの遍歴の後、最後に苦行に入

る。6年間に及ぶ激しい断食修行をなしたと仏典は伝えている。」とあります。


ガンダーラ美術の特徴の一つはリアリズムにあるそうですが、極地にあるともいえる像で

あり、これが本当の釈迦の苦行を伝えるものでしょう。しかし、リアルなだけではなく釈迦

が持つ崇高さが分かると思います。


3~4世紀にガンダーラの工人が作ったそうですが、もちろん名前も分かっておりません。

「ラホール博物館」所蔵だそうですから、是非ご覧にお越し下さい。(と言っても気楽には行

けませんが)


さて、お釈迦様については

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手塚治虫が書いており、手元にあったので読み返してみたら、釈迦の人生が如何に苦行

であったのかが分かります。もっとも作者は後書きで「この漫画の中で、重要な役割をする

シッダルタの周辺の人物は、ほとんどみんな架空のもので・・・」と書いていますが、手塚治

虫の物語は事実より真実に近いのでしょう。


なお、手塚治虫は修行の様子を

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と描いており、これ、上の展覧会を見に行って参考にしたのかなと思っていたら、手塚さん

の作品は1972~1983年に描かれたもの。展覧会があった前の作品で、手塚治虫の想

像で描いたのでしょうが、さすが天才手塚治虫さん。


この作品、全8巻で気楽に読めとはいえませんが、一度は読んでみて人生に対して考えて

みるのも良いかもしれません。(参考:パキスタン・ガンダーラ美術展解説書)


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2012年7月 6日 (金)

千々石(ちぢわ)の地名について~長崎県雲仙市千々石町

住んでいると、そんなにも不思議に思わないのですが、「千々石」と書くと「せんせんいし」

と読まれるし、「ちぢわ」と言うと「千々岩」と書かれるし、今日は「千々石」の地名について。

一般的には、「肥前国風土記」の中の「高来の郡」について書かれたところがあり、それを

根拠にしています。


「・・・土歯(ひじは)の池。俗(くにひと)、岸を言ひて比遅波(ひぢわ)と為す。郡の西北(に

しきた)のかたに在り。この池の東の海辺に、岸あり。高さ百丈(ももつゑ)余り、長さ三百

余りなり。西の海の波濤(なみ)、常に濯(あら)ひ滌(すす)く。土人(くにびと)の辞(こと

ば)に縁(より)て、号(なづ)けて土歯(ひぢわ)の池と曰ふ。池の堤、長さ六百丈、広さ五

十丈余り、高さ二丈余りなり、池の裏(うち)は、縦横と、廿町(はたまち)余りばかりなり。

潮(うしお)くれば、常に突き入る。荷(はちす)・菱、多(さは)に生ふ。秋七八月(ふみつき

はつき)に荷の根甚甘し。・・・」とあり、この「土歯(ひぢわ)」が「千々石」の名前の元になっ

たと言われています。

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赤で囲んだ所が、この間「ちん釣り石」の所で書いた、温泉神社ですが、多分このあたりま

で入り江がきていたのでしょう。


高くて長い岸があると書いてありますが、ここらは有名な千々石断層が走っていて、

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こんな感じで、高くて長い岸という事になるのでしょう。


なお、最初の写真、黄色の部分、数十年前までは蓮根を作っていました。「荷(はちす)の

根甚甘し。」ですから、「蓮(はす)の根」です。

こうして見れば、「肥前風土記」に載っている地勢等とピッタリという事になり、めでたしめで

たしなのですが・・・・


「西の海」については、「高来郡(現雲仙市)の西の海で橘(千々石)湾をいう、その波が岸

に打ちよせるのである。」と書いてあるのもあり、「南高来郡国見町(現雲仙市)付近の西

の海、有明海。」と解釈してあるのもあり、ここら辺は難しいですね。わずか数行のことで、

何百年前の事を解釈しなければならないのですから。


さて、まだ別説があり、これは伝説になりますが、千々石灘のことにつき、「明治十二年

千々石村村誌」によれば、島原半島の諏訪の池に大蛇が住んでいて、熊本県天草の鬼の

池に住んでいる大蛇と相対して、睨み合い、「然ルニ此ノ二大蛇海ヲ隔テヽ大格闘ヲナシ

海中ハ血ヲ以テ紅ヺ染メタリ 依リテ血々灘ト称シ轉ジテ千々石灘トナルト」ともあります。

まあ、こちらの方が何となく面白いですね。


しかし、この村誌にもう一つ。「又、地名の稱ハ地形産物ノ名ヲ取リテ稱スル所アリ 千々

石ハ至ル所小石多キコト眞ニ其ノ名稱ノ如シ 天然ノ山水地形ハ宛然タル千々石ノ感アリ

故ニ是ニ起因セシニアラザルカ」というもので、確かに川の拡幅工事で川を浚っていると、

石の多いこと、多いこと。どうも、これが正解ではないんですか?

(参考:千々「石町郷土誌」「千々石町誌」「風土記~秋本吉郎・校注」「肥前國風土記」)



今日のおやつ:

健診が終わったので安心して、イチゴとクリームたっぷりの白くん君を。暑いときはこれが

一番。

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2012年7月 5日 (木)

特定健診に行きました

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今日は朝から特定健診を受けに行ったので、報告がてら・・・

この特定健診、受けないと、どうなるかというと、役所からチラシが来ておりまして。

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ようするに、平成24年度末までに受診率が人口の65%がを超えないと、雲仙市の国保

が国に支払う負担金が、最大7,000万円になり、国保加入者の国保税が4,000円上が

る可能性があるということらしいです。


いつから、こんな制度になったのか不思議な話ですが、まあ、又国民が知らない間に、こ

っそり法案が通ったものでしょう。なお、去年、千々石町では40%しか受診していないそう

です。


とはいえ、やはり健診はちゃんと受けるのが基本的な健康法。

私の知り合いも、健診を受けたことがなく、回りからうるさく言われて受けたところ、軽度の

ガンが見つかり、見舞いに行ったところ、「受けて良かったよ、ガンが見つかってラッキーだ

ったと思わなきゃ。」と反省していましたが。


さて、特定健診を受けたことがない方がおられると思いますので・・・

まず、集団検診と個別健診があります。個別健診は、実施医療機関で受診することになり

ますが、私が行っている病院は予約制で、ゆったり受けられ、どういうわけか近くのレスト

ランの昼食ランチ券付き。(実施機関に違いがありますが、昼食券付きはここだけでしょう)


集団検診は各地区で集まって受診しますが、順番が朝早くから行って取らないと大変みた

いで、話を聞いたところ、私見ですが各医療機関で個別健診が良いみたい。


あと、有料のオプションとして、肺がん、胃がん、前立腺がん、大腸ガン、腹部エコー、乳が

ん、子宮ガンがありますが、私の場合は、乳がん、子宮ガンは関係ないとして、大腸ガン

(200円)、結核・肺がん(300円・集団検診は無料)、腹部エコー(ちょっとお高くて1,

900円・集団検診の場合は1,300円)で、合計2,400円の支払いでした。もちろん特定

健診だけだったら無料です。(オプションは医療機関によって出来ないところがあります)


病院に8時15分に集合。身長、体重、血圧、採血、検尿ここまでは無料の特定健診。その

後、肺のレントゲン、腹部エコー。「お腹の脂肪で、中の方がよく見えないんですが。」なん

て言われましたが・・・大腸ガンは便を2、3日前取っていたのを提出。あと、お医者さんの

検診で終了。血液検査などの結果は後日郵送とのこと。


一番上の写真ですか?私のお腹です。お賽銭上げて、拝みたくなるような「美曲線」。腹回

り計ったら95㎝でした(少しへっこませたのですが)。この一月間、膝を痛めてゴロゴロして

いたら体重も4㎏増えていました。

お腹の下はどうなっているか?まあ、下の上と言うところですから、見せることもないでしょ

う。

40歳以上の方は早めに特定健診へ。


まだ健診に行ってない方は、罰としてポチよ!

 

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2012年7月 4日 (水)

3行ラブレター~日本テレビ

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雨ばかりで、外にも出られず、憂鬱な毎日で読む本はたまるし、こんな日は、簡単で面白

い本はないかと思って、本屋に行ってみたら、丁度この本が目について。どうせ、婦女子

(差別用語になるのかな?ゴメンナサイ)の読むものだと思ってパラパラとめくって最初に

見えたのが


「長期入院しているあなたに/みんなで千羽鶴をおりました/1羽だけ あなたに渡せなかっ

たラブレターで折りました」(東京都 18歳 女性)

と言うのがあって、これは面白いなと思って、他のも読むと、どうして、どうして。ということ

で買ってきました。


この本、残念ながら見たこと無いのですが、日本テレビの「人生が変わる1分間の深イイ

話」と言う番組の中の「心に響く3行ラブレター」をまとめたのもので第二集になるそうで

す。


中身は

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右のページに「?」マークの部分があって、次のページを開けると左側のように答えが書い

てあるクイズ形式になっています。


「ラブラブ恋人編」、「ラブラブ夫婦編」、「片想い編」、「昔の恋編」となっていますが、あまり

書くと、ネタバレになるので少しばかり面白かったのを・・・


「付き合って2ヶ月 毎日君と一緒の帰り道/心で叫んでいる『がんばれ 俺』/君の手まで 

あと3センチ」(宮崎県 17歳 男性)


「昼休み 君に渡したラブレター/どうか『NO』と返事して下さい/それは友達に頼まれた手

紙だから」(新潟県 15歳 男性)」


「『ずっと俺の彼女でいろよ』って言われたから/『嫌だ』って言った・・・・/だって彼女じゃなく

て『お嫁さん』になるから」(奈良県 16歳 女性)


「あなたに恋愛相談していたら/『勇気だしてがんばって』って言われた/今、勇気だしてい

るのに」(宮崎県 17歳 女性)

がんばれ、青春ですね。皆さんも経験があると思いますが。


「卒業して20年/今でも胸が高鳴る/大好きだった あなたの家の前を通ると」(大分県 

38歳 女性)

20年時以上経っても胸は高まりますよ。私、歳だから心臓麻痺にならないように、回り道

して通っていますが・・・


「実家の押し入れから出てきたあなたからの手紙/あのころ携帯電話があったら/遠距離

恋愛 続いたのかな」(石川県 47歳 女性)

昔は、公衆電話に行って、向こうの下宿の電話にかけて、呼び出してもらって、何時間喋っ

ても10円でしたから、長時間話していたものですが。確かに携帯電話があったら、私の人

生も随分変わっていたでしょう。


有名人のも良いのがあります。

「大好きなあなたから/プロポーズされた夜/この日初めて晩ご飯残しちゃった」(ギャル曽

根)


君からもらったチョコレート/単なる義理チョコだって分かってたけど/机の上に3年間飾っ

ていました」(アンガールズ 田中卓志)


「結婚して25年/会話もほとんどなくなっていた/でも安心する あなたのイビキを聞いてい

るだけで」(兵庫県 47歳 女性)

私の所、イビキがうるさいから別の部屋で寝ろと言われましたが。


「55年前の月夜 手をつないで歩いたあなたから/『近くを通ったら連絡ください』と今年の

年賀状/どきどきしながら会いに行きます」(東京都 75歳 女性)

歳は取ってもですね。75歳の方ですよ。


「あなたが大好きで最後は同じお墓で眠りたいね/長い歳月 色んなことがありましたね/

タンスの中に 記入済みの離婚届が3枚」(大阪府 65歳 女性)

うちなんか離婚届は束になって置いてありますが・・・


これ読んでいて、涙がでてきました。

「突然この世を去った君/寂しくて会いたくて今すぐ行きたいけれど もう少し仕事をさせてく

れ/昔みたいに長距離恋愛の始まりだな」(滋賀県 70歳 男性)

天国とこの世の長距離恋愛なんて。でも、70歳の方ですね。


他にも良いのがたくさん載っています。743円にしてはお買い得の本でした。しばし梅雨の

鬱陶しさを忘れて読みふけりました。お薦めの本です。


さて、私にも経験があるんです。つきあいしてたんですが、お互い跡取りで、F県と長崎県。

お互い故郷に戻りましたが。


「あなたからかかってきた最後の電話/『こちらで結婚することになりました 本当はあなた

と一緒になりたかったんだ』/切れた電話の向こうで泣いているのが分かりました」


少し心配事があって、30年ぶりに手紙出したら、お兄さんから手紙で返事があり、「平成

10年、50歳にて亡くなりました。」って書いてありました。一晩泣きましたが、人生って切

ないですね。





2012年7月 3日 (火)

北有馬町の石橋~南島原市北有馬町

Photo

先週、北有馬町の日野江城のことを書いていて、思いだしたことがあるので・・・


北有馬町は島原半島の中でも石橋が多く、32基のうち12基が現存していると言われてい

ます(2002年現在)。


上の写真はそのうちの一つで、面無橋です。自然石だけで作ったアーチ式の橋ですが、非

常に珍しく、長崎市内に4基あったそうですが、長崎大水害で流されたため、自然石で作っ

たアーチ橋は日本国内で、面無橋だけになったそうです。(説明版より)

Photo_2

まあ、よくこれで崩れないものだと関心します。説明版によると130年以上も経っているそ

うですから仰天ものです。


下の写真は、坂下橋ですが、アーチ部分は切石を使って、密着させていることが分かると

思います。面無橋と比べて見てください。

Photo_3

こちらは田中橋、これも同じようにアーチ部分は切石を使って密着させています。

Photo_4

以前、北有馬町にしばらくいたことがあり、覚え書きにと思って作った資料がありましたの

で、下に張っておきます。各資料はクリックすると拡大しますが、記録のための写真なの

で、良く撮れておりませんのでご了承を。

Photo_5 3

2   4

5_2

地図は大体の目安でとらえてください。


なお、荒田橋は右の写真が昔の道に架かっていたのもで、後日道路工事のため、嵩上げ

をして左の写真のようになっています。赤禿橋は道路を作ったために無くなってしまいまし

た。本当に小さくて可愛い石橋で、下から見ないと分からないくらで、好きな橋だったので

すが・・・


日野江城、原城、北村西望記念館に見学に行かれる方、小浜から諏訪の池(国民休暇村

雲仙)経由で北有馬町に行かれるようでしたら、坂を下っていくと橋の案内が4~5カ所出

ています。

国道から少し入り込みますが、この面無橋だけは見に行ってください。すごいもんですよ。


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2012年7月 2日 (月)

唐比(からこ)ハス祭~諫早市森山町唐比(7月1日)

1

前もって皆さんに、お知らせしようと思っていたのですが、「唐比ハス祭」、昨日書いたよう

に、ポスター、看板など見当たらなかったのでお知らせ出来ず残念でした。7月1日、昨日

「唐比ハス祭」が開催されました。


梅雨だから、雨は降るのは当たり前ですが、前の日から豪雨と、強風。おまけに唐比は盆

地で、湿地帯。道の所も水におぼれ、折角咲いていたハスの花もよれよれになっていまし

た。

2 3

昨年は天候不順のため、花が思ったほど咲いてないため中止でしたが、今年は小雨、

時々強雨の中、「第9回唐比ハス祭」が開催されましたので、写真だけでも楽しんでくださ

い。


最初に、お偉いさんの挨拶ですが、これは面白くないのでカット。雨の中の挨拶だったの

で、全員短めの挨拶。これは良かった。


最初は、どこの町の方か忘れましたが(いつものこと)、よさこい踊りで景気をつけて、次ぎ

に有喜の学校の生徒とOBで作る吹奏楽。人数が少ないみたいですが、太鼓が水に濡れ

るので太鼓関係はテントの中。(写真はクリックすると大きくなります。)

 4 5

「希望が丘高校」の「希望太鼓連」。この最中に雨が強くなり、見ていてかわいそうでした

が、雨にも負けず、しっかり頑張って迫力の演奏。

諫早地方と言えば、「皿踊り」。これも、今は創作の「皿踊り」が出来てきていますが、昔

は、阿波踊りみたいに、自由奔放に踊っていたということで、一度年配の方に見せていた

だきましたが、本当に面白い踊り方でした。

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今日、1番受けたのが「森山ひょっとこ踊り」。アンコールの声がかかりましたが、丁度田植

えの時期、腰が痛くて、どうにもならんと退出。

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髙来町の「岳の新太郎さん踊り」、最後を飾って豪快に「琉球太鼓」。

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出演者も大変なら、見ている方も大変でしたが、思ったよりお客さんも多く、賑わったイベ

ントでした。来年こそ晴れて欲しいと思いながら、会場を後にしました。裏方さんもご苦労さ

んでした。


「唐比ハス祭」は終わりましたが、ハスの花はこれからです。ゆっくり見に行ってください。

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2012年7月 1日 (日)

この一曲~すごい男の唄★三好鉄生

Photo

今日も雨、皆さんに「唐比ハス祭」のお知らせを前もってするつもりでしたが、今年はポ

スターも看板もなく、金曜日のテレビのローカルニュースを見ていたら、今日実施とのこと。

私もやっと知って、出かけていきましたが、雨の中、皆さん一生懸命やっておられました、

明日あたり様子をアップししたいと思います。


日曜日は音楽の事を紹介していますが、不景気だし、うっとうし毎日が続いているので、

何かぱっとした曲をと探していると。


「すごい男の唄」。サントリービールのCFソング。1987年の唄ですから、なんとあれから

25年もたっていたのか。私が小学校のときでした(うそつけ!)。この歌、流行りましたが、

折からビールの季節、ビールでもぐっと飲んで、大声で歌って、気分転換しましょう。(私、

ドクターストップでアルコール禁止なので、ウーロン茶でも飲みながら。)

この歌知らない方はYou Tubeで流れていますから、一緒にどうぞ。



すごい男の唄


ビールをまわせ 底まで飲もう

あんたが1番 わたしは2番

どん!どん!


凄い男がいたもんだ

海でばったり 出会ったら

サメがごめんと 涙ぐむ

ビールをまわせ 底まで飲もう

あんたが1番 わたしは2番

どん!どん!


凄い男がいたもんだ

山でばったり 出会ったら

熊が素足で 逃げて行く

ビールをまわせ 底まで飲もう

あんたが1番 わたしは2番

どん!どん!


凄い男がいたもんだ

川でばったり 出会ったら

ワニが子分に なりたがる

ビールをまわせ 底まで飲もう

あんたが1番 わたしは2番

どん!どん!


凄い男がいたもんだ

森でばったり 出会ったら

虎がスリスり にじりよる

ビールをまわせ 底まで飲もう

あんたが1番 わたしは2番

どん!どん!


ビールをまわせ 底まで飲もう

あんたが1番 わたしは2番

どん!どん!

(仲畑貴志:作曲/服部克久:作曲:編曲)


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