十字架陰刻自然石のキリシタン墓石出現~島原新聞より
昨日は「日本キリシタン墓碑総覧」について書いてみましたが、島原の中世の時代を考え
るのに、雲仙の修験道とキリシタンは避けて通られないところです。
ぼつぼつ、本でも読んでいるのですが、なかなか難しい。今月の2日~3日に北有馬町で
「キリシタン大名サミット」という催し物が開かれ参考になりましたが、その後、ボランティ
アガイドで頑張っている知人から、新しいキリシタン墓が見つかったらしいとの情報が。
あちらこちら調べて見ると、島原新聞(島原半島のローカル紙です)の5月24日~25日の
二日間にわたって「十字架陰刻自然石キリシタン墓碑出現」ということで掲載されていまし
た。
記事によると、キリシタン墓碑はほとんどが島原半島南部に集中し、ポルトガル由来の西
洋式伏碑であるため、「一般にキリシタン墓碑と言えば、半円筒型(蒲鉾形)または家(庵、
切妻)型、板状に整形された「伏墓」を指すと考えられてきた。」
「ところがイエスズ会の記録によると、日本のキリシタンの初期には在来の仏塔形式の塔
型墓碑で代用し・・・これはイエスズ会か当初、日本の伝統・文化・習慣に沿う布教方針を
採ったことと合致するもので・・・すなわち、キリシタン墓碑は和風仏塔形式ではじまり、時
代と共にその形態を変えながら、最後ーある理由ーによって慶長年間後半になって出てき
たのが、所謂、西洋式の伏碑墓碑であった、と言うことができる。」
「実際、従来の伏碑中心のキリシタン墓碑観からすると、島原半島にキリスト教が入ってき
た永禄六年(1563)から、蒲鉾型伏碑が現れる1604年までキリシタン墓碑は存在しなか
ったという、矛盾を生じることになるが、その理由については誰も説明していない。」
ということで、キリシタン墓碑は従来の伏碑だという認識を改めなければならないという
事、この墓の発見でキリシタン墓碑の変遷を研究することにより、キリシタン時代の中身、
真実が明確に見えて来るのではないかとの記事でした。
これが、今回見つかった自然石に十字架が陰刻されたキリシタン墓碑です。扁平な石で
48㎝×42㎝の自然石に彫られているそうです。
場所は西有家町の松原墓地の石垣や藪の中などの隠れた場所を調査しているときに発
見されたものだそうです。詳しくは、島原新聞5月24日、25日をお読みください。購読はイ
ンターネットでも申し込みできます。「島原新聞」で検索してください。
なお、発見者は有家町史談会の方ですから、多分、詳細は有家町史談会から刊行してい
る「嶽南風土記」に載るのではないかと思います。
昨日書いた、「日本キリシタン墓碑総覧」とはスタンスが違うみたいで、もっと新しい墓が
発見され、議論され、真実が明らかになると楽しみなのですが。
(文・写真:島原新聞より転載)
本日のおやつ:
諫早駅の近くのマルキョウの近くで見つけたケーキ屋さん「ペシェ・ミニョン」さんの杏仁豆
腐です。
ポッチお願いね。
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コメント
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キリシタン伏墓という墓制を恥ずかしながら初めて知りました。
戦国期キリスト教布教の様相を知るために貴重なものですね。
勉強になりました。教えていただいてありがとうございます。
また、訪問させていただきます。
ポチっ。
投稿: ナツメの10ちゃん | 2012年6月17日 (日) 07時07分
ポチッ、ありがとうございました。
キリシタン墓碑については、研究が充分でなく、まだまだ議論の最中です。
とくに、隠れ切支丹遺跡については地元でも、いろいろ意見があり、難しいですね。難しいから面白くはあるのですが・・・多少は冷静な目が必要なようです。
調べていくと面白いですよ。
また、お寄りください。
投稿: sugikan | 2012年6月17日 (日) 09時12分
ナツメの10ちゃん様
追伸です。佐賀の方とお見受けしましたが、
雲仙市愛野町に「従是西佐嘉藩領」とかいた藩境石と、諫早藩(後佐嘉藩諫早領)との藩境石塚も残っています。5月1日と5月9日のブログに書いていますから、興味がありましたらお読みください。
投稿: sugikan | 2012年6月17日 (日) 09時39分
初めまして、先日上五島へ旅した時に頭ヶ島教会側の キリシタン墓碑群へも行ってきました。
その写真を見た方から「和洋折衷ですね」とコメントされ、調べているうちに辿り着きました。
タイムリーな記事を一部引用させて頂きました。
ご都合が悪かったら削除致します。
事後報告で済みません。
それにしても興味津々の記事が満載ですね。
これからも時々お邪魔させて下さいね。
投稿: moon | 2012年6月20日 (水) 19時14分
コメントありがとうございました。
moonさんのブログ拝見させていただきました。きれいな写真で良いブログですね。心安らぎます。
キリシタン墓碑の研究についてはについては、いろいろ議論があり、まだまだ充分に分からないことが多いみたいです。
私のブログで良かったらご利用ください、ただ、時々思い違いで書いていることがありますので、その時はすみません。
私の好きな言葉です。「デンマーク人嘘つかない。でも間違をするときはある。」
こちらも時々お邪魔します。
投稿: sugikan | 2012年6月20日 (水) 22時27分