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2012年6月 1日 (金)

魚洗川(いわれご)~雲仙市国見町

Photo

   【八斗木(はっとぎ)むかしむかし~国見町八斗木小学校刊から】



享保年間、国見町多比良(たいら)の地図です。ちょっと分かりににくいのですが、赤いとこ

ろに魚洗川(いわれご)茶屋と書いてあります。


島原半島は、島原から愛野に出るまで、海沿いの道、南目街道(島原~北有馬町)、西目

街道(南有馬~千々石町)と北目街道(島原市~国見町経由~愛野町)そして、山越えの

千々石道の道があります。


南目街道、西目街道、北目街道は比較的緩やかですが、千々石道は雲仙を越え、厳しい

坂を辿る道ですが、この道が一番の近道になり、勝海舟、坂本龍馬が辿った道ではない

かともいわれています。


昔、島原の殿様が長崎へ行くとき(長崎は江戸時代天領で、島原の殿様が監視するのが

役目でした。)その時、この魚洗川で一休みして、昼食を食べたと言われています。

Photo_2

右の四角から、島原、赤く塗りつぶしたところが「魚洗川」、田代原、千々石になります。

現在、このルートを辿った人が何人かいますが、話を聞くと、山間部は道が使われていな

いため荒れ果てて分からなかったそうです。


この「魚洗川」いつも何気なく通ることがあり、標識は知っていたのですが、この前ひょっと

降りて、標識の裏に何か書いてあると思って見ると。

Photo_3 Photo_4

「屋敷跡はこの奧」。裏に書くもんじゃありませんね。全然気付きません。

全体的にはこんな感じの所です。

Photo_5

この道と道の間が奧ですが、植林がしてあり

Photo_6 Photo_7

林の中ですが、入ってみると、たしかに家の石垣が。

Photo_8 Photo_9

Photo_10 Photo_11

この「魚洗川」、時々話を聞くことがあり、千々石で取れた魚を島原に運ぶとき、魚が傷ま

ないように洗っていったそうです。千々石から山越えで島原までといったらちょっと信じられ

ない話。昔の人はスパーマンか?試しにチャレンジしてはいかがでしょう。命の保証はしま

せんが。


調べて見ると、この「魚洗川」、雲仙への湯治客なども通るため、多くの人が通り、茶店を

する家がかなりあって景気が良かったそうです。

凍豆腐(こおりどうふ)も作られ、また馬市も開かれていたようで、「魚洗川のこおりどう

ふ」、「魚洗川の馬」と言えば有名だったそうです。


残念ながら、昭和10年ころ1800メートル下の方に開墾地ができ、ほとんどの人が移住し

たそうです。昭和26年には一軒だけ残っていたそうですが、現在は上の写真のとおり何も

残っていません。道路が出来たため、当時の様子とは全然違っているのでしょう、林の中

の石垣以外は何にも残っておりません。場所は、雲仙から国見に下る途中の所、国道

389号になります。

参考:「八斗木むかしむかし~八斗木小学校」「新島原街道を行く~松尾卓次著」


今日のおやつ:

「いきなりだご」、意味が分からない人は、ネットで調べてね。面白いから。ここのは、あんこ

入りでした。

P6010233 P6010234
 

よかったら、いきなりポッチしてね。

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。「魚洗川」の地名につられて出てきました。
この近辺には「魚洗川遺跡」という旧石器時代の遺跡があって、20年ほど前発掘調査に携わったことがあります。県道(現在国道)の拡幅工事に伴う調査でしたが、当時は道も細く、山奥という印象でした。

コメントありがとうございました。
ありますね。「土黒(ひじくろ)の縄文時代遺跡については、詳細に記録した資料は得られなかった。文化庁の『全国遺跡地図』や長崎県教育委員会の『長崎県遺跡地名表』に『国見町土黒・魚洗川遺跡』として示されている。・・・いすれも明確に土黒川の東側に●点で標示されていて、『土黒・魚洗川』とは『多比良』の誤りのようである」。多分これでしょう。
なお、「あらたな調査で土黒川を挟んで魚洗川遺跡と対照的な地点、魚洗川遺跡のほぼ西の方に、300メートル内外の所で多数の縄文式土器の他、大型の磨製石器斧が採取されている。同調査の概報では魚洗川西遺跡と命名している。」ともありますが、残念ながら標示板等見あたりませんでした。なお、同時に八斗木西遺跡も確認されたそうです。多分、百花台遺跡の調査にともなうものだとおもわれます。
情報ありがとうございました。(国見町郷土誌にて確認しました。)

はじめまして、現在も魚洗川に住む者です

八斗木むかしむかしは私が小学校1年生に刊行されたもので
魚洗川の最後の移転した家は我が家です。

ちなみに現在住んでいる自宅はその当時現地に建った物を
解体して今の場所に立てています。
魚洗川自治会の建物はほとんどです

我が家の畑からも大量の遺物が出ていますよ。
土器類から石器など沢山でました。
私の手元にも沢山残っています。

また、国道拡張時の遺跡調査では母も仕事で出ていました。

コメントありがとうございました。
「八斗木むかしむかし」に、「むかしの魚洗川にのこっていた家」ということで写真が載っていましたが、まあ、住んでいた方からコメントをいただくなんて信じられない思いです。「八斗木むかしむかし」は良い本でした。学校でよく作成したものだと感心して読みました。
ブログを読んでいると、昔の魚洗川、砂防ダムの中にあったとか、周囲を歩いて見て何となくそんな気がしたのですが・・・・
国見の方もボチボチ出かけて、調べるつもりですが、又コメントをいただけるとありがたいです。どんく石、面白いですね。他にも何かあったら紹介していただければと思います。
農業をされているとか、グリーンロードの産直の店で高梨を何回か買ったことがありましたが、ひょっとしたらそちらで作られたものでは・・・

梨は我が家のものです(笑)
面白いところと言えば
国見町の丸尾の稲荷、烏兎神社かなあ
魚洗川の腹の神様
あとは土黒川流域に古い製鉄所跡があったとか
八反田古墳や百花台の堀囲(縄文時代)、結城城
とりあえず思い付くままに…

情報ありがとうございました。
時々あそこの店(名前忘れましたすみません)によって、野菜や果物買っています。

烏兎神社行ってみました。いつかブログで書きたいと思っているところです。良いところですね。結城城も名前は知っているのですが、時機を見て行ってみるつもりです。

その他の所はあまり知らないので、調べながらボチボチいって見ます。
魚洗川あたり、発掘調査があるような話を聞きました。始まったら行ってみるつもりですが・・・
梨は時期がきたら又買いに行きます。

こんにちは。
先日佐賀市で伊能図を見てきました。魚洗川を通るルートもありましたよ。その記事は8月10日にアップする予定です。願わくば、トラックバックを表示していただけることをm(_ _)m。

はじめまして。何気に自分の故郷を検索していたら詳しく記載されていて、びっくりしました。
僕も魚洗川出身で、現在諫早に住んでいます。自分の故郷についてほとんど知らなかったので、
ためになりました。新しい情報があれば、またアップしてください。
ちなみに僕は下魚洗川です。 国見の栗ちゃんさんは、上魚洗川では??

コメントありがとうございました。
記事の魚洗川に住んでおられた方は、全員、百花台に方に移られたそうです。

国見は、「結城城」「筏遺跡」「神代小路」等、と取り上げげています。「千々石deその日暮らし 結城城」などで検索すれば出てくると思います。

ブログ中、「八斗木むかいむかし」の本は、国見町の図書館に置いてありますので、興味があるようでしたら、是非お読みください。

”八斗木むかしむかし” 確か小学生の頃購入したと思います。
とっくに失くしてますが・・・。今度図書館で探してみます。
国見高校には遺跡や展示品が結構あると思います。
自分が通っていた頃、考古学部が珍しい土器が発見し、新聞にも載ってました。

最近では減ったらしいですが、百花台辺りは遺跡発掘調査も盛んで
バイト代も良かったので夏休みは行ってましたね~ ( ̄ー ̄)ニヤリ

久しぶりです。

「八斗木むかしむかし」、小学校の先生、生徒、八斗木の方々、専門家の方で書かれたみたいですが、小学校で出版したものとしては、よくできていると思います。国見町の図書館に置いてあります。是非、読み直してください。図書館の方に言えば、出してくれます。できれば、続編が出ると面白いのですが。

国見高校は高下古墳の調査のとき、かなり、協力をしていたみたいで、一回見にいって見たいと思っています。

最近、国道筋の消防署横の筏遺跡を発掘していました(終了したかな?)。なお、タヌキ山付近も発掘するとの噂も聞いております(しているのかな?)。

はじめまして。
突然の書き込みをお許しください。
私は長崎に住んでおります まつを と申します。

千々石街道のことを調べておりまして、
貴ブログに辿り着くことができました。

元々は一枚の古地図に出会ったことに始まります。
その地図に横一文字に島原半島を横切る道が書いてあって、
これはなんだろうと。
それが千々石街道でした。
さらにその道が魚洗川を通っていたことも知りました。
貴サイトから多くの諮詢を頂きましたことにお礼申し上げます。
順序が逆になりましたが拙サイトに記させていただきました。
http://www17.plala.or.jp/matsuwo/
感謝申し上げると同時に、貴サイトの質の高さに敬意を表します。

コメントありがとうございました。
ブログを読ませていただいて、思いつき思いつきですが、地図については「島原藩主 長崎監視の道」という本があり、ほぼ同じように書いてあります。

島原新港の山側、グリーンロードと開拓道路の間に、千々石道、北千々石道、下千々石道、上千々石道の名前が残っており、多分、千々石からこの道を通っていたものと思われます。(長崎県の小字地名総覧)

古地図の街道の左右に黒丸が書いてあり、これが一里塚で、千々石にもあるように書いてあるのですが、現在はありません。

松尾卓次先生にお聞きしたところ、初期はあったもののその後、荷物運びの小屋などになり、馬を貸したり荷物を運んだりで、一里で何文としていたという事です。

現在、一里塚は、唐比、森山の木秀一里塚が残っているのみだそうです。いつか、ブログに書いた覚えがあるのですが・・・

さて、勝海舟については、勝海舟日記に「大石雑わり、小石、道路満ちて甚だ悪し、雲仙の獄、噴出せしによるか、西洋に云うラアミ(溶岩)年を経しものならむ。」と書いてあります。その次が「会津(愛津)泊」になり、と書いてあり、まして、この時は急ぎ旅。

千々石の魚売りも、魚が新鮮なうちに売らなければならないので、早い道を選んだはずで、この事を考えてみれば、千々石街道を通った事と思われます。

なお、田代原から、千々石へ、多分現在の、田代原~牧場の里の自然遊歩道あたりだと思いますが。「早駈け道」というのがあり、地元の郷土史家の間では、この道を通ったという説を取っています。たしかに、こちらが、千々石、愛野に出るには早そうです。

以上、参考にして頂ければ、幸いです、


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  「いわれご」と読みます。雲仙市(旧国見町)の百花台公園から雲仙岳に登る国道周 [続きを読む]

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