山武士神社の謎、そして、これは何?~南島原市北有馬町
今年の5月16日に「山武士神社とは?~日野江城麓」という記事を書きましたが、多少の
事が分かりましたので。(5月16日の記事はこちらをクリック)
これには2つの謎がありました。一つは一番左の石碑に「山武士神社」と書いてあること。
「山武士」とは何か。もう一つの謎は真ん中の祠の扉の裏に千々石庄屋の名前が、「千々
石里正 宮崎九郎右衛門延高造立」と彫ってあり、なぜ千々石の庄屋がここに祠を建てた
かでした。
一つ目の謎はヒントは「日本史」を書いたルイス・フロイスの書簡でした。「1583年・口之
津発・バードレ・ルイス・フロイス書簡」、口之津は日野江城がある北有馬とは近くです。
この書簡の中で、「日本には十三の異なった宗派のあることはすでに承知せられたと信
ずるが、このほかに第二位のものがあって、その一つは山伏Yamabuxis,すなわち山の武
士Soldados de serra と称するものである。」この事から、「山武士神社=山伏神社」である
事が伺えると思います。
なお、当時の山伏についてフロイスは、「彼等の通常の勤めは(彼等の言うところによれ
ば)悪魔を人体より追い出すこと、未来を予言すること、シガノと同じく手によって人生を観
ること、悪魔を呼び、健康、長寿及び富貴のため護符を売り、また妖術及び魔術を行って
生活をたてることである。彼等は道路において諸人の払う税を払わぬ特権を有し、また道
を歩いて都市及び村落に着く前に、腰に携ふる大きな貝を吹いて到着を知らせ、彼等を
信ずる者が勤めを求むる便を図る。彼等が悪魔の召使いであり恐ろしき人であることは容
貌にあらわれている。」
これを読むと当時の山伏が、ある程度の特権を持ち、フロイスがいかに嫌悪しているか分
かると思います。
さて、第二の謎、千々石の宮崎庄屋の件ですが、これには地元の郷土家が子孫を訪ねた
ところ、当時はS市に在住。古文書等は処分をしたということでした。S市からN市に移つら
れたそうですが、居所不明だそうです。残念ながら、第二の謎は解けませんでした。
さて、北有馬に来たついでに不思議なのもが、何に見えますか?
回りの状況を見ると
説明版があるのですが、これがボロボロで、「隠れキリシタン墓碑 青面金剛」と書いて
あり、「地元の人は(不明)呼んでいる 真言密教(不明) 守護の仏神と言(不明) 本碑は
聖母マリ(不明) 隠れ(不明) 墓碑ではないかとして 切支丹研究家の注目を集めている
特異な碑で(不明) 明和7年に建立されている (不明)成十八年三月 北有馬町観光協
会」ということです。
顔には何か文字らしきものが彫ってあるのですが、読めません。
横と後から見た写真ですが、一枚岩からなっていることが分かります。イエスを抱くマリア
と見る人もいますが、なんなんでしょう?隠れ切支丹の遺跡なのでしょうか?とにかく不思
議な感じがする石碑です。この小さなのがこの地域にあと2,3あると聞きましたが、また
時間をゆっくりとって見にいきましょう。
(参考:「修験道とキリシタン~根井浄著)
今日のおやつ:
いつものピュアリッツさんの「はちみつのスペシャルケーキ」。
健康診断が近いので、今日を最後として「おやつ」はしばらく辛抱します。
健康診断が心配なひとは、無事なようにおまじないのポチよ。
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