名犬矢間の墓~雲仙市小浜町雲仙 付録:棚田百選千々石町岳地区清水棚田
私の友人がブログを始め(十人十色。そのひとつ。)犬の話を書いていたので、こちらも
雲仙の犬の話を思い出し・・・
島原の乱後、それまで島原藩城主であった松倉勝家が詰腹を切らされたのち、後任として
浜松藩城主高力摂津守忠房が島原藩主に任ぜられますが、この家臣の加藤善左衛門清
輔が温泉山(雲仙)の管轄を命じられました。(以前も書きましたが、当時は「温泉」と書い
て「うんぜん」と読みました。)
加藤氏は島原の乱によって焼かれた神社仏閣の再建に着手すると同時に、雲仙の別所
近くの原頭(はらがせ)というところの開墾を広げつつ、湯壺の経営に乗り出したそうです。
小浜の本多家が浜の湯太夫なら、加藤家は山の湯太夫です。
その加藤家の何代目になるか分かりませんが、「矢間」という名犬が飼われ、主人はいつ
もお使いを頼んでいたそうです。しかし、ある日、首にくくった荷物を山賊が襲って奪い「矢
間」は殺されたそうですが、村人が皆で弔らったそうです。
場所は、
西有家、口之津町方面との分かれ道の所。四角で囲んだところは「キリシタン殉教道」の
案内板がある所。その少し先です。なお、ここには、雲仙がキリシタン責めの場所になった
とき、小浜と有家方面から登ってくる合流地点です。ここには、当時の道しるべが立ってお
り左右に
「これよりうんぜん十八丁」、「左みなんめみち 右をばまみち」(みなんめみちは南目道、
をばまみちは小浜道)と彫ってあるそうですが、大分摩耗してかろうじて読める程度でし
た。
ここから右の道のすぐ先に「矢間の墓」があります。
ちゃんと浮き彫りにしてあります。
一番上に「名犬」。次の段に「矢間」「墓」、左に月日が「十一月□四日」。年号は分かりま
せんが、「名犬」という字が、左から右に書いてあります。古い時代なら右から左に「犬名」
と書いてあるはずですが・・・多分、近年になって作られたのでしょうが、話が長い時代伝わ
り、このような墓が作られたところをみると、よほど利発で地域の人に愛されていた犬なの
でしょう。
犬好きの方は、雲仙に行かれるとき、ちょっと寄って拝まれてはいかがでしょう。
(参考:「小浜町史談」「おばま~史跡巡りガイド~」)
付録:
全国の棚田百選に選ばれた千々石岳地区の清水棚田ですが、ここの田植えは余所より
早く植え終わっていました。
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