航空殉難九勇士之墓~雲仙市千々石町岳地区
「航空殉難九勇士之墓」です。
ガダルカナル島で全滅した第29連隊を新たに再編成し、その連隊長が、昭和19年2月2
日、新軍旗(当時の軍旗は命より大切な物でした。)を持ってガダルカナルの部隊に飛行
機で向かう途中、悪天候とエンジンの不調で、雲仙岳の山腹に激突し、搭乗した9名全員
が死亡し、それを供養するため、岳地区の方が、五十回忌の時に供養をし墓碑を建てら
れた、という事で千々石町郷土誌には書かれていました。
墓碑の横には9名の名前が彫られています。
ところが、裏の方を見ると
「昭和二十二年 建立者千々石婦人会 土地寄附 山本□(判読不明)次郎」となっている
のです。
第2次大戦が終わったのが、昭和20年8月15日、大戦が終わった2年後に立てられたも
のです。要するにこの碑が昭和22年に最初建てられ、その後50回忌に、奉賛会を作り、
上の写真のように整備したものでしょう。この碑だけが古びているのを見ても分かると思い
ます。一番右の碑文(説明版)の最後には「平成2年8月15日 航空殉難九勇士(立碑)奉
賛会」と書いてありました。
ところで、この「千々石町婦人会」が、なぜ建立者なのか、ずっと分からなかったのですが、
ふと考えてみると当時の千々石の婦人会の会長さんが「橘イツヨ」(町誌の別ページには
「五代」と記述してあり、ここらへんはしっかりしてもらいたいものですが)。橘中佐の妹さん
です。多分丸印で囲んだ方に間違いないと思います。
愛国婦人会会長が「橘エキ」。橘中佐の未亡人です。それに次いで国防婦人会、戦後の
千々石町婦人会を継いだのが、橘イツヨさんです。昭和33年まで務めておられます。
はやり、軍神橘中佐の妹として、この殉難の話を聞いて、婦人会で建てられたものでしょ
う。
場所は、日本の棚田百選で有名な岳地区の共同墓地。千々石のヤマメの里に行く途中に
あり、道のすぐ横にあります。
この間も出しましたが、千々石の岳地区の棚田です。田植えはすっかり終わっています。
参考:碑文(航空殉難九勇士奉賛会説明板) 千々石町郷土誌
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コメント
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はじめまして
西郷四郎のことを調べていましたところ貴兄のブログに出合い、興味深く拝読させて頂きました。私は香川県の小豆島の教育委員会に勤務する者です。昨年、天草の乱の後に島原半島へ小豆島の住民が大勢移住している関係で南串山町を訪問させて頂きました。また、今年2月には南串山町の皆さんも小豆島に来てくれました。
もしよければ私のブログ、覗いてみて下さい。
投稿: テストパイロット | 2012年6月24日 (日) 00時59分
コメントありがとうございます。
ブログ拝読させていただきました。多彩な記事興味深く読みました。
西郷四郎については、もうお読みになったと思いますが、長崎遊泳協会のホームページをチェックしてみてください。
小豆島との関係は、こちらの郷土誌に良く載っております。
南串山町の郷土資料館に知り合いの先生がおられるので、小豆島からの移住の部分読ませていただきました。
小豆島はキリシタンとの関係も深いとか。こちらも、キリシタンの関係が多くボチボチ勉強しているところです。
教育委員会勤務とか。4年前までは私も同業者でした。これからもよろしくお願いします。
投稿: sugikan | 2012年6月24日 (日) 10時14分
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
投稿: 職務経歴書の書き方 | 2012年7月 3日 (火) 12時38分
コメントありがとうございました。
「殉難九勇士の墓」については、橘イツヨさん、岳地区の皆さんの結束が生んだものです。
そのままにしていたら、誰にも知られず、歴史の中に埋もれてしまったと思います。
庶民の歴史を大事にする心を見た思いがしました。
またのお越しを待っております。
投稿: sugikan | 2012年7月 3日 (火) 21時49分