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2012年5月14日 (月)

日本最古のキリシタン伏碑(墓碑)~雲仙市小浜町飛子名土手之元

Photo

日曜日の長崎新聞を読んでいたところ、キリシタン墓碑の記事が。

Photo_2

スキャナーがA4までなので途中で切れていますが、南島原市と長崎純心大学が相次いで

調査報告書を発行したとか。要約すると。


南島原市は、「日本キリシタン墓碑総覧」ということで、全国のキリシタン墓碑202基の形

式、石材、寸法、製作時期、銘文等を調べたもの。


長崎純心大学は、墓碑のルーツの解明。ポルトガル、スペイン、イタリアまで調査をし、ポ

ルトガルで日本の伏墓と同型の16世紀前後の墓碑を多数確認したとか。日本の伏碑

は、ポルトガルの宣教師の指導で作られたと推測をしているそうです。


なお、ポルトガルの墓碑は1世紀前後にローマから伝わったそうで、ローマの古代墓碑か

らも日本の伏碑と同形の墓碑を確認したそうです。日本のキリシタン墓碑が歴史的にもい

かに貴重なものか分かると思います。


キリシタン墓碑にはまとまった書物がなく、やっと出てきたかという感じですが、一般には

手に入らないみたいで、県内公立図書館に寄贈するそうです。


さて、この記事の中で、最古のキリシタン伏碑(墓碑)は、雲仙市小浜町飛子名の土手之

元一号墓碑だと判明と書いてあり、小浜町と言えば隣町。ここの墓碑は見たことがなかっ

たので出かけましたが、途中でひどい道に迷い込み、抜け出すのに1時間ばかり、おかげ

で車の横をこすりましたが 捜してみれば、何のことはなく車ですぐ行ける所でした。

Photo_3

4基の墓碑が並んでいますが、一番奥の墓碑が日本最古の伏碑です。説明版はなく、案

内の標識だけが立っていましたが、長崎県指定史跡の説明を読んでみると、「畑の中に

叢林があり、その中にあった花十字紋入り半円柱蓋石型と無紋無銘の切妻石型の2基は

昭和2年に指定されていた。昭和54年2月環境整備の時、地中の中から2基の無紋無銘

の切妻蓋石型墓碑が新しく発見され同年7月追加指定された。地中からいくつかの墓碑

が出土し、しかも台石の固定状況からみて、島原の乱以前にこの地域にキリシタン共同

墓地があったのではないかとも推定される。」とあります。有家町の場合も畑の中に埋も

れたり、うち捨てられたりしたものが多くありました。禁教後、壊され畑の石垣に転用され

たり、そのままにされていたのでしょう。

Photo_4

前面に花十字が刻まれているのですが、ほとんど薄くなっていました。前に紹介した、有

馬商業高校(2009年閉校)の郷土研究会がだした冊子(1983年発行)によると、右のよう

な花十字です。

Photo_6 Photo_7 

後から見た写真と横から見た写真です。

Photo_8

Photo_9

慶長9年の銘が刻まれているということですが、見るのを忘れ、あとで写真を拡大して見た

のですが、安物のカメラで確認出来ませんでした。


慶長9年といえば、安土桃山の最後の時期、慶長8年に徳川家康が江戸幕府を開いてい

ます。

禁教令は豊臣秀吉が天正時代に出していますが、狭義の意味では慶長17年と慶長18

年に江戸幕府が発令したものだそうです。慶長9年は、島原半島は切支丹大名、有馬晴

信が治めていた時代で、まだまだキリシタンが盛んな時代だったのでしょう。

見ていると、時代の重みを感じてきます。



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