飯盛鬼塚古墳/諫早市飯盛町★犬丸古墳跡/雲仙市千々石町
今日は、長崎の漢方のお医者さんの所へ。朝9:30に着いたのですが、診療が終わった
のが昼の12:30。待つだけで疲れました。
お医者さんと話をしていると、この間からTVで漢方の番組をやっているので、そのせいか
電話の相談、新しい患者さんが増えどうにもならない状態とか。また、近年の天候不順、
季節の変わり目で、自立神経が乱されて来院する患者さんが増えているそうです。
そのうえ、この時期にもインフルエンザの患者さんがまだ多くて、インフルエンザなんかは
あまり関係ないんだけどと言うお話。
今日は、新患さんが多いせいか時間がとくにかかったみたいです。漢方は、同じ風邪の症
状でも、やせている、太っている、体力のある人、無い人など、各人に合わせて薬を処方
するため、話を聞きながら、脈を取ったり、腹の触診などがあって、新患さんの場合は早く
て30分、だいたい40分はかかりますから、2~3人いるともう待つ時間が大変。
とくに、ビックリするのは若い女性の多いこと。漢方も万能ではないんですがね、というお
医者さんの話なんですが・・・流行すれば何でも飛びつく日本人の悪い癖ですね。
さて、いつも長崎に行くとき、飯盛町の所に「飯盛鬼塚古墳」の看板が気になったので帰り
がけ行ってみました。看板から2.2㎞です。皆さん方も、行く機会が無いと思いますので
写真で見てください。
6世紀後半の古墳だそうです。今は上の写真の様に回の畑が盛土してありますが、本来
は橘湾、天草灘を一望出来る高台だったそうです。
縦2,1m、横1,4mの横穴式石室。発見当時墳丘はなかったそうです。天井石は失われ
ていたそうですが、2,5mほどだと思われるそうです。副葬品として、金環(耳飾り)、須恵
器、鉄農具があったそうです。見晴らしは最高だったでしょう。
千々石の古墳です。こちらは「古墳跡」ということで、本来ここらあたりは小さな丘陵で、開
拓をしていたときに出土したそうです。今は、原型はとどめていません。
棺は臥棺で、長さ5尺、横3尺で、中から太刀、曲玉があったそうです。当時の人は地方
豪族の墓として石碑をたて、「崇徳興仁」と刻んでいます。真ん中の石碑です。一説では、
郡司の制度が大化の改新後のことで、1700前頃ではないかと言われているそうです。
場所は、千々石商店街の宮本書店の横から100mくらい入ったところです。
説明版に、すこし古ぼけていますが、発掘当時の写真が展示されています。
人骨も分かると思います。小さな古墳でも、見ていくといろいろあって面白いですよ。当時
を想像しながら。
(参考:各説明版より引用)
昼過ぎたので、お食事へ。久しぶりに日本食を、矢上の食堂ですが、いつも人が多くて、
駐車場一杯。日替わりの、揚げ出し豆腐定食、ドリンク付き。735円也。
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