謎のフルベッキ写真~雲仙市小浜町小浜神社
江戸時代、愛野町出身の五代目玉垣という力士がおり、そこに弟子入りした六代目の玉
垣という名力士が小浜出身ということで、ここ、小浜神社に記念碑があり写真を撮りに行
ったついでに、神社の天井絵などを見学。
拝殿の左側になにやら写真が飾ってあり、何気なく見ていたら、名前も書いてあり、これ見
てビックリ。(写真クリックすると大きくなります。)
写真の下には、「奉納 『明日の日本を方向づけた若き志士たち』」。そして奉納者の名前
が書いてありました。神社に写真を寄進されたのでしょう。
そして、写真には歴史に弱い私でも良く知っている名前がずらりと。
フルベッキという人を中心にして、勝海舟、後藤象二郎、江藤新平、井上馨、伊藤博文、
村田新八、大久保利通、西郷隆盛、、西郷従道、川治利良、黒田清隆、森有禮、陸奥宗
光、中岡慎太郎、大隈重信、高杉晋作、大村益次郎、桂小五郎、岩倉具視、そして坂本
龍馬など44名の名前が。左下の方に、「長崎オランダ塾 慶応元年二月 1865年 撮
影 上野彦馬」。もちろん複写写真でしょうが。
これだけの人物が何のために集まったのか。去年の「竜馬伝」でもこんなシーンは無かっ
たはず。信じられない気持ちで家に帰ってネットで調べると、「フルベッキ」→こちらをクリ
ック。
なお、調べると、「フルベッキ写真」なるものが。
この写真、最初は明治28年、雑誌「太陽」で「ブルベッキが佐賀藩の学生と共に撮影した
写真」となっていたそうですが、明治40年発行「開国五十年史」では「長崎致遠館フルベ
ッキ及び其門弟」として紹介。昭和32年に石黒敬七の「写された幕末」で、「長崎海軍練
習所の蘭人教師とその娘をかこむ44人の各藩生徒」として紹介。
そして、肖像画家の島田高資が、昭和49年、雑誌「日本歴史」に幕末の志士が写ってい
るとの論文を発表して、世に知られるようになったそうです。島田が推定したのは22名で
すが、段々増え現在44名が推定されているそうです。上の写真、確かに44名の名前が
書いてあります。
写真の各名前については、その信憑性が疑われているそうですが、まだまだ論議があっ
ているようです。否定的意見が圧倒的。ただ、実際に一致すると推定される人物もいる
そうです。これ参考になりました→「フルベッキ写真に関する調査結果:舎人学校」
いろいろ読んでいると、フリーメーソン説有り、真ん中あたりの人物が、「大室寅之助」とな
っていますが、これが実は明治天皇になったとか~明治天皇入れ替わり説。とにかく面白
いですから、「フルベッキ写真」でネット検索してみてください。一日楽しい思いができます
よ。
なお、写真の羽織の家紋で真偽を調べた人もいるとか。これだけ、PCの映像技術が進ん
でいますから、各人の写真が残っている人物については検証できないものでしょうか?
この写真、間歇的に話題になるどうですが、それを見られたことは今日はラッキーでした。
なお、写真はネットで明確に写っているのがありますからそちらを見てください。
でも、この写真に写っている人物が全部本物だったら凄いな。小浜神社にお寄りの節は
是非御覧下さい。
(参考:ウィキペデイア・その他ブログ参照)
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コメント
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初めてコメントさせていただきます。
私は小学校2年から中学1年まで父の会社の関係で、
愛野町に住んでいました。
云わば一番多感で色んなものを吸収できる時期だったのですが、
島原半島に残るキリシタンの歴史や、
町のはずれにある十字架のお墓や、
古戦場に残る首塚とか
重ねて長崎の原爆の傷跡など、
子供心には怖い物ばかりで夜眠れなかったりして、
なんだかオドロオドロシイ記憶として残っています。
最近 Sugikanさんのブログを発見して非常に懐かしく、
あの頃怖くて向き合えなかった物をひとつひとつ見ることができ、
とても嬉しく思っています。
まだ拝見し始めたばかりなのでこれからバックナンバーも
楽しませていただこうと思います。
とはいえ私達家族は7県を転々として暮らしましたが、
この長崎県南高来郡愛野町という所は
群を抜いて楽しい想い出がいっぱいで、
千々石、小浜、雲仙、島原、口之津、諫早など
父の車で散々ドライブしました。
また潮干狩り、マテ貝採りなど季節ごとの楽しみ方も沢山あり、
今考えると楽園に住んでいたような気さえします。
現在51才、家族で埼玉県に住んでいますが、
Sugikanさんのブログを両親ともに楽しみに拝見して参りたいと思います。
いや〜愛野町、ホント懐かしい!!
そしてこのフルベッキ写真おもしろい!
こんな物がさりげなくあったりして、
やっぱり島原半島はオドロオドロしいです。
投稿: chiro | 2012年5月 3日 (木) 15時30分
コメントありがとうございました。
愛野町随分変わりました。多分、ここ数十年で島原半島各町で一番変わったのではないでしょうか。
一市一六ヶ町が、合併で三市になりました。国見町~南串山町で雲仙市になり、何となく地域がばらばらになって行くようです。
先日、愛野町出身の江戸時代の玉垣という相撲取りの墓と実家を見にいったり、諫早藩と島原藩の境の藩堺塚を見にいって、なかなか愛野も面白いところです。
史跡、遺跡については元来興味なかったのですが、段々見ているうちに、人の営みということを考えるようになりました。
身の回りにもいろいろなものがあると思います。埼玉にも面白いものがあると思いますよ。
ブラリブラリと歩いてみてはいかがでしょうか?
ブログ、時々覗いてみてください。こちらもボチボチと書いていくつもりです。
投稿: sugikan | 2012年5月 3日 (木) 17時45分