諫早の織部灯籠二基(キリシタン遺跡?)~長崎県諫早市
諫早方面に織部灯籠、別名キリシタン灯籠というのが二基あるというので、見にいってみ
ました。島原城の二階にもあるのですが、やはりこういうものは現地で見ないと。
一基は、諫早の運動場近くのパチンコ屋の横の栗面(くれも)橋を渡渡ると、すぐにきれい
な花壇があります。
青の線の方向に行くと天祐寺、眼鏡橋方面、ここを右に入ると、赤の四角のところに、他
の墓碑と共に立っていました。
一番左側ですがこちらは裏側から見たところになります、前面は一番上の写真です。、
笠、火袋、中台はありません。以前の写真を見ると宝珠もなかったみたいなんですが、本
来の宝珠か、どこからか持ってきたものかは分かりません。
織部灯籠はご存じのように、戦国大名、古田重然(一般には茶人古田織部としての名前
が有名)が、茶室用に考案したものと言われています(異説有り)。
竿の上部が膨らみ遠くから見ると、十字架にみえること、竿の中央部に神父、聖人に見え
る像が彫られていること、膨らみのところにローマ字らしい記号が刻まれていること等から
キリシタン灯籠ともいわれ、隠れキリシタンとの関係も考えている方もおられます。
下の写真、神父さんみたいな像が分かると思います。ローマ字らしきものは分かりません
でした。
さて、もう一基は、諫早観光ホテル道具屋の道を隔てた裏側。金谷町公民館の横に稲荷
社(鳥居には安政六年と彫られてありました)がありますが、そこに飾られていました。
いろんな、地蔵さんや祠が並んでいましたが、近所にあったのをまとめて祀ったのかな?
全部詳しく見なかったのでよく分かりませんでしたが。
ここに、一基。
こちらも最初は、竿の部分だけだったらしいのですが、町内の方が中台から上を付け足し
て作ったそうです。
はやり竿の部分に人の形が。
本来、諫早地方は当時の伊佐早の西郷氏がキリシタンを頑として受け入れず、キリシタン
とは関係ない地方だと思われていたのですが・・・
しかし、、織部灯籠自体諸説有り、ここのものが、禁教前のものであったのか、禁教後の
ものか、キリシタンと関係あるのか無いのか、ただ単に茶室等の飾りとして使ったのか、こ
こらあたりの昔の状況などを考え合わせなければ分からないのでしょうが・・・
なお、千々石にも「神父像(キリシタン遺跡)」というのがあるのですが。
何となく似てると思いませんか?
一応金屋町公民館の説明版も張っておきます。(クリックすると大きくなります。)
さて、皆さんの推理は如何に。
参考: 「諫早を歩く」 山口八郎著
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