釜蓋城ぬけ穴か?~雲仙市千々石町
先日、橘神社の裏山の釜蓋城のことを書きましたが、(釜蓋城→こちらをクリック)上の写
真は展望台であって、こんな天守閣を持っていた城ではなく、いわゆる山城です。
この展望台を作るにあたっては、天守閣を持った城と勘違いされるから止めてくれと、某
所からクレームがあったとか仄聞しましたが・・・・
さて、先日の常会のおり世間話をしていたら、うちの畑に何のための穴か分からないのが
あり、調査にも何回か来て、どうも釜蓋城への抜け穴ではないかとの話であったとか。
とにかく穴ときけば・・・
畑の所に確かに穴が。
下の方は土でかなり埋まっていますが、はやり変な感じの作り方。いつの頃からあったの
か、いわれ等も伝わっていないとか。
中の方もちゃんと石が組んでありましたが、数メートル行った所で岩みたいなのが崩れ落
ちて、ふさがっていました。人がしゃがみながら行ける程度でしょう。
下の写真の後方の森が釜蓋城になり、穴の方向は城の方向を向いています。
穀物の貯蔵庫ではと思ったのですが、それはないとか。
この釜蓋城には抜け穴があったという話は数年前聞いたことがあるのですが・・・
今は、山が削られグラウンドになってしまいましたが、このグラウンドの一角に雪が降って
も積もらないところがあるとかで、ひょうっとしたらと関係あるのではないかと言う話でし
た。
瑞穂町の杉峰城にも抜け穴らしきものがあるとか。城と抜け穴、何となく良い取り合わせ。
考えれば、ここは千々石ミゲル(天正遣欧使節)が幼少時、龍造寺から攻められ逃れ延び
た城。龍造寺は2万の兵を神代(雲仙市国見町)に集めたといいますから、この、小さな城
を囲まれてしまうとそう簡単には抜け出せないでしょう。ひょっとしたら、この抜け穴から逃
げ出したと考えると感慨深いものがありますね。歴史は、推理とロマンですから、楽しく考
えましょう。
参考:「千々石郷土誌」「瑞穂町誌」
« 島原藩・諫早藩~藩境石塚★雲仙市愛野町 | トップページ | かいじゅうたちのいるところ~モーリス・センダック »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「謎の探検家 菅野力夫」~若林純著(2021.01.13)
- 久しぶりの「週刊ポスト」(2021.01.06)
- 「正月用」マスク(2020.12.30)
- まるいもの(2020.12.25)
- よく見れば「点字」・・・(2020.12.21)
「史跡」カテゴリの記事
- ②「一切経の滝」と「稚児落しの滝」~雲仙二つの滝★稚児落しの滝編(2020.11.06)
- ①「一切経の滝」と「稚児落としの滝」~雲仙二つの滝★一切経の滝編(2020.11.04)
- 「原城」の名称について~苦労しています(2020.05.14)
- 「島原藩江戸屋敷」~下屋敷(?)について・其の二★ちょっと脱線(2020.04.23)
- 「島原藩江戸屋敷」~下屋敷(?)について・其の一(2020.04.20)
初めまして。
長崎市が主催する長崎伝習所に所属する長崎活性化の活動を行う塾『東京で長崎ーッ!と叫ぶ塾』(拙氏名リンクのURLご参照)の塾長をしています黒沢と申します。
この塾は、長崎の活性化に繋がる活動を行っている団体で、近々、長崎PRのウェブサイトを立ち上げる予定です。
つきましては、そのサイト内にて、貴ブログのこの記事のトップにございます、釜蓋城外観の画像を使用させて頂きたく、ご連絡させて頂きました。
使用方法は、ダウンロードさせて頂いた貴画像をそのまま表示し、使用目的は、釜蓋城の形を画像で知って頂くためです。
また当塾は営利目的の塾ではありませんので、貴画像の使用による収益は発生致しません。
画像にクレジットの明記が必要であれば、必要テキストをお知らせ頂ければ、そのまま表示させて頂きます。
何卒よろしくお願いいたします。
投稿: 黒沢永紀 | 2015年8月10日 (月) 15時25分
釜蓋城の写真でしたら、ご自由にお使いください。こちらの宣伝にもなります。
なお、千々石の風景、橘湾を見るには最適ですが、場所が少し分かりにくいので、橘神社あたりで道を聞かれる旨、書かれた方が良いかと思います。
投稿: sugikan | 2015年8月11日 (火) 23時47分
貴画像の使用をご快諾頂き、まことにありがとうございます!
さらに、アクセスに関する注意書きも教えて頂き、重ねてお礼申し上げます。
それではサイトページに記載させて頂きます。
また、サイトページには貴ブログのURLも記載させて頂きます。
9月上旬アップを予定してますので、アップしましたら改めてご連絡させて頂きます。
投稿: 黒沢永紀 | 2015年8月15日 (土) 02時45分