雲仙鉄道 その2~昭和2年の長崎日日新聞による★2つの鉄道/5箇村の思惑
昨日の続きになりますが、愛野~小浜まで2つの鉄道会社、愛野~千々石の温泉鉄道、
千々石~小浜への小浜鉄道がありますが、どうしてこの2つの鉄道会社があったのか。
「鐵道が敷設さるる迄/島原鐵道の豫定線・・立ち消えになつた愛濱電鐵・・・/五個村聯合
の分裂」、何となく週刊誌みたいな感じですが、これについての内情は郷土誌にも載って
ないので紹介してみたいと思います。全文長いので概略になります。
なお、島原半島に詳しくない方は、上の地図を参考に。緑の枠は島原鉄道が通っている
町です。今回の話題は赤い枠で囲んだところです。なお、この地図は島原歴史懇話会発
行の島原半島大字小字地名集覧に付いている地図からとったものです。興味のあるかた
はクリックすると拡大しますからクリックしてみてください。
さて、新聞の概略です。少し長くなります。
当時、島原半島に都会は、島原が第一、これに続いて温泉郷たる小浜。諫早~愛野まで
の鉄道を島原へ伸ばすか、小浜へ伸ばすかには相当議論があったが、建設費と収益の
問題を研究したが、客の多少より、工事の難易から島原に決定。後日、小浜まで敷設を。
千々石、小浜、串山方面の各村は、他日敷設することを望み、発言権を得るため、島原
鉄道の株式をかなり買ったが、愛野~小浜間は難工事で莫大な公費を要し、工事の運び
に至らず「島鐵では全く匙を投げ出した形であった」。
そこに大正七、八年「島原水電」(注1)の高見氏が電鐵を敷設したら資本金も多く要しな
いだろうと提唱。貨物より人を主とするので電鐵が適当だろうと提案。「愛野、千々石、小
濱、北串山、南串山の五箇村の有志が再三會見して義を進め、茲に愛濱電鐵なるものが
生まれた」。
ただし、あまり力こぶの入れ方が足らず、また、当時、好景気時代で物価労銀が高騰し、
工費も高価になるため、「當局も前途多難を危ぶみて不許可の指令を下したのであっ
た、これを機會として千々石村が脱退したので、五箇村聯盟が分裂」。
しかし、「千々石村有志はひそかに義を進めて愛野村有志と共同し愛野から千々石まで
の温泉鐵道を計画した」。株式を募集し、小濱まで延長する意向を漏らしたので、関係町
村は義務的に応募したのみ。
千々石まで鉄道がのび、もう一歩ということで小浜側が交渉したが、千々石~小浜間は難
工事。加えて経済が反動期に入り、資金調達が困難で「他日機会があったら延長すると
躰よく刎ねられた」。このため「小濱側は獨力をもって萬難を拝して鐵道を敷設せねばなら
ぬ破目になり、所謂窮鼠猫をかむという必死の勇気を鼓して小濱鐵道を計劃するにいた
った」
しかし、短距離に2会社があるのは不利であると、当時の渡邊知事が調停を試みたが、
「愛濱電鐵流産依頼の經過があり、双方とも意気地になっているので折り合わず、續いて
平塚知事時代に補助金が縣議會で議せられた機會に重ねて調停が行われたが又もや不
成功となり、小濱鐵道は獨立会社会社として敷設された」のでした。
なお、乗客は諫早で乗り換え、愛野で乗り換え、千々石で叉乗り換えとなると苦痛になる
ので、協定の上、愛野~小浜まで直通運転をすることに。
ということで、短距離に2つの会社が出来たということです。なお、諫早~小浜の直通は昭
和2年から。両者は昭和8年に合併し、雲仙鐵道と改名をしました。
注1、当時電力は事業者がいろいろあって電力を供給していたみたいです。
長崎県は九州電灯鐵道、島原水力電気、厳原電力、平戸電力等、供給している者1
2、電気鐵道を経営1等々20ばかりあったそうです。
まあ、いろいろあったんですね。私の人生みたい。
ところで、今日地産地消の店で買い物をしていたら、知り合いの女性から声を掛けられ、
丁度昼飯時で、今日は珍しく、いつものCOZYでお二人様昼食でした。楽しかったかっ
て?知り合いの女性というのがなんと、かみさんでしたから・・・帰りにお口直しに「ドラえも
んケーキ」を買ってきて一人で食べました。
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