雲仙鉄道 その7~雲仙鉄道と戦争遺跡 付録:諫早市森山図書館の牡丹
愛野から千々石に抜ける海岸道路ですが、ここが雲仙鉄道が走っていた跡です。右手を
見ていただければ分かると思いますが、まったくの絶壁でこれが千々石断層です。今で
も、大雨、台風がくると岩が崩れ、すぐに通行止めになります。左の海の方岩がゴロゴロし
ていますが、干潮のときはもっと沖の方まで続いています。多分、線路を引くときも岩だら
けで大変だった事がうかがえます。
数十年前は、この道は草だらけで通れたものではありませんでした。整備するにあたり、
道路は愛野町と千々石町にまたがり、千々石側は諫早へ行くというメリットがあるものの、
愛野には何の利点もないということで多少もめたことがあったような記憶があります。
さて、この廃線になった鉄道跡に戦争の遺跡があります。これを知ったのは以前紹介し
た熊本の戦争遺跡研究会から出している「子供と歩く戦争遺跡 Ⅲ」でした。
千々石の方から行くと最初のトンネル。
この右側のフェンスが張ってありますが、横から入ると。
このフェンスは完璧に入れませんが、中を見ると。
岩盤を掘った跡があります。これをトンネルの中20メートルほど入ると補修した跡が分か
ります。トンネル側から、上の写真のように岩盤を掘っていったもので、ここに砲台があっ
たといいます。廃線になったトンネルを利用したものです。
砲台の射線は千々石の海岸を向いています。多分上陸する敵に向かってのものだと思わ
れます。
もう一つ、線路とは離れますが、愛野~千々石の峠の展望所にレストランがありますが、
その下にも砲台跡の穴があり、横6m、高さ5m、奥行き4mあったそうです。近くの土産
物屋の方に訪ねたところ、子供の頃そこで遊んだことがあるとか、場所を聞いて調べよう
と思ったのですが、ちょっと入れる状態ではなく、また、機会を待ちたいと思います。
こちらの射線も海岸に向いているそうで、本土上陸決戦に備えたものでしょう。
この、両方の砲台は第103分隊の稗田秋儀兵曹長の部隊であったそうです。
あと、富津付近の戦争遺跡については、以前書いておりますので→「戦争遺跡~額栗石」
をクリックしてください。
汽車道跡の小浦バス停付近に案内板がありますが、書いたとおり、たどり着くのは困難で
しょう。
なお、千々石の釜山にもあると書いてありますが、これは確認出来ませんでした。もっと
も、山頂に設置してあったなら、今は「千々石少年自然の家」が建っているので、なくなっ
てしまっているでしょう。
あと、雲仙鉄道とは関係ありませんが、島原半島の橘湾沿いには、南串山町京泊の港に
震洋の基地、これも以前書いていますので→「戦争遺跡~雲仙市南串山京泊漁港」をク
リックしてください。もう1カ所、加津佐の岩戸山に砲台があり、四十五口径十五糎砲」4台
が設置される予定であり、3基がほぼ完成、一門はいつでも発射が可能だったそうです。
これらの遺跡も残念ながら段々忘れられてしまう存在かも知れません。トンネルの砲台跡
はすぐに見られますので、鉄道跡を走る折はご覧下さい。
付録:
今日、諫早の森山図書館に行ったら、あちらこちら牡丹が咲いてきれいでした。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花
と言いますが、昔は、うちのかみさんも・・・・
ウォーキングロードいつもきれいです。早場米は田植えが終わっていました。
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