雲仙鉄道 その4~昭和2年の長崎日日新聞による★隠れた名所/木津
汽車道から見た木津です。日日新聞の紙面を見ると。
四角の所に大きく木津の事が載っています。「初めて世に現はれる新名所 木津辨天」と
言う見出し。「小濱名所としては富津の辨天が随一とされて居たが、今回鐵道の開通によ
りて、隠れたる名所が初めて世に紹介さるる事となった、夫は木津で、景勝の地として豫
てより評判であったが何分交通不便のため滅多に訪れる人がいなかったのである。・・・・
木津辨天の風光は富津辨天のひでない、・・・・」。
「木津駅」ではなく、「木津の濱」、新聞にこの事も載っていましたが、これは奈良に「木津
駅」というのがあるので、「木津の濱」にしたそうです。記念碑には「木津の浜駅」となって
いますが正規には「木津の濱」。せっかくの近代化産業遺跡に指定するなら当時のままの
文字で書いて欲しいものですが・・・
バスの停留所をみると。「木津駅跡」になっていました。
道沿いに、デーサービスがありますが、ここは木津の保育所跡、その前は富津小学校の
分校、「木津分校」だったたそうですが、入り口の右に記念碑が、近ごろ、こんな所ばかり
目がいって・・・
横左から「高校建設」、上から「紀念」。ここらは、小浜高校しかないはずなのですが、ここ
の職員も、木津の人にも聞いてみたのですが、誰も書いてある文字には、気づいてすらい
ませんでした。50年配の人に聞いても、小学校に行くときはすでに建ってとのこと。
なんなんでしょう?
木津には宗像神社がありますが、灯籠には文政の文字がわずかに読めました。
宗像神社の入り口に、恵比寿様2体と、ひじき様と呼ばれる神様が祀られています。
一番左が「ひじき様」です。祠には何にも入っていませんでした。
この「ひじき様」、「おばま 史跡めぐりガイド」によると、右側に「安政六巳未歳(1859)九
月穀旦建立」とあるそうで、残念ながら文字があるのは分かるのですが、風化して読み取
れませんでした、続けて、「志自岐権現のことであろう。穀旦は吉日のこと。志自岐権現は
小豆島移民の守護神といわれている。」と書いてありました。島原の乱後、無人になった
村に小豆島から移民させられた事は事実なのですが、こんな所まで来たのでしょうか。
なお、ここには「丹波構え」という家の作りがあり、数軒の家をぐるりと一囲みし門も一つに
してあるそうです。
壇ノ浦の合戦の平家の落人が隠れ住んだと名残であるといわれています。
50才くらいと70才くらいの人が話をしていたので、「平家のご子孫であられますか。」と聞
いたところ、一笑にされました。なお、「丹波構え」について聞いたところ、以前はこの道の
所まで浜辺であったとか。単なる波よけではないかと言われましたが、私も専門家ではな
く、良く分かりません。
ここの恵比寿様は実にいい顔をされていますので、時間があったら見にいってください。
参考:「小浜町史談」「あばまー史跡めぐりガイドー」
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