雲仙鉄道 その1~昭和2年の長崎日日新聞による★口之津鉄道株式会社
偶然、昭和2年の長崎日日新聞の小浜鉄道開通時の記事を見つけました。記事といって
も、一面全面記事です。
以前から、この鉄道には二つの疑問がありました。一つは、この短区間(愛野町~小浜
町)になぜ、2つの会社があったのか。後で合併をしますが、大正12年開通の温泉鉄道
(愛野町~千々石町)、昭和2年開通の小浜鉄道(千々石町~小浜町)です。もう一つの
疑問は、なぜ鉄道が温泉街まで行かず、手前の北野までしか運行しなかったかです。
この新聞を見ると、やっと疑問が解けました。特に前者には、郷土誌にも載ってない、当
時の愛野、千々石、小浜、北串山(現雲仙市小浜町)、南串山の駆け引きがあったよう
で、詳しく書きたいのですが、今日はアルバイト。老人クラブ(私、まだ年齢が足りずに入っ
てませんが)の総会資料の作成のため、後日書きたいと思います。
また、この路線のことは良くブログに載っていますが、駅跡の駅名の看板写真ばかりが多
く、地元としては、もう少し気をつけて見て欲しいところもありますので、それも合わせて、
飛び飛びになると思いますが、書いていきたいと思います。
この新聞、もう一面鉄道開通祝いの紙面があります。
これを見ると、当時、旅館組合に入っている旅館が47軒ですから、この頃から、かなりの
有名温泉だったと言うことが分かると思います。
さて、この新聞のお祝いの紙面で、鉄道関係が、島原鉄道株式会社、温泉鉄道株式会
社、今回開通の小浜鉄道株式会社、そして口之津鉄道株式会社の社名が。前の3会社
の名前は知っているのですが、口之津鉄道株式会社は初耳。
調べると、大正2年島原鉄道が諫早から島原湊(現南島原)全線開通。その後大正8年口
之津鉄道株式会社が設立(最も社長は植木元太郞、島原鉄道の社長です。何のために
別会社にしたのか?)、大正11年島原湊から堂崎(現南島原市)、昭和3年に加津佐まで
全線開通、昭和18年に島原鉄道が口之津鉄道を合併しています。なお、平成20年に島
原外港から加津佐まで廃線になっています。
しかし、昭和2年にこの島原半島に4つも鉄道会社があったとは初めて知りました。当時
の新聞を読むと面白いですね。いろんな事が見えてきて。
さあ、アルバイト、アルバイト。
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