雲仙鉄道 その5~昭和2年の長崎日日新聞による★空前の難工事
千々石から小浜まで、開通当時は、「小浜鐵道株式会社」(いきさつは 雲仙鉄道 その2
に書いています)といっていましたが、この千々石から小浜へが難工事。長崎日日新聞に
よると、「山を拓き谷を埋め空前の難工事~海に沈んで高所を通ふ日本では類なき鐵
道」。
起工式が大正12年、工事を請負に付したのが翌13年、同年4月に工事に着手。開通す
るまでに5年半。この時代、重機もなく、ひたすらに発破、スコップ、つるはし、もっこ等で
人海戦術を行ったのでしょう。新聞によると。
●ダイナマイト五万四千八百貫。一貫が約3,75㎏ですから。
54,800×3,7=202,760㎏
●鉱山火薬二千五百貫
2,500×3,7=9,250㎏
●雷管四十七万個
●導火線五十万尺 一尺が約0,3メートルですから
500,000×0,3=150,000メートル
人員として昨年(昭和元年)七月三十一日までに
●土木用のの人夫延べ99,585人 ●工夫延べ人員74,469人
●鍛冶延人員16,500人 ●その他人夫工夫5,200人
上の写真は、上千々石駅を出てすぐの所ですが、緑の線の所、土を盛り上げ土手を作り
線路を通したことが分かると思います。赤の四角の所、左右行き来出来るようにトンネル
が掘っててあります。
この、土手を盛り上げたところ、たくさん見られます。
赤い線のところが線路跡ですが、ここも盛り土して作ってあります。
ここを、人間の手で盛り上げたかと思うとまったくすごい。
トンネルは3カ所ありますが、ここの山は岩盤でですから、発破をかけ、つるはしで掘って
いったのでしょう。
緑のトンネルといわれる所ですが、ここも上の赤い線のところで繋がっていたところを、掘
り切っていたものです。左右の岩盤を見れば、どんなに困難な工事かが分かると思いま
す。ただ、ここは岩盤が崩れやすく、以前は大雨、台風等のときは通行止めになったもの
です。
よく見ていくと、補強の後があります。鉄道工事の時か、道路になった後かは分かりませ
んが、保線もここらあたりは大変だったと思います。
これほどの難工事ですから、資金の方も思うように運ばす、「此の資金の關係上終點は
北野に止め、湯町までは時機を見て延長する事に成ったのである・・・」
これで、なぜ小浜の温泉街まで汽車が行かなかったのか、私の疑問が解けました。なお、
終点からは「湯町との約十五間には頻繁に自動車(賃金貳拾銭)を運転せしめて連絡を
密にし、翌客の便に供する事になったが、僅かな距離であるから歩くのも決して苦痛では
ない。」と書いてありますが、諫早で乗り換え、ここでも叉乗り換え、やはり不便を感じたの
でしょう、乗り換えなしのバスの方に乗客を取られてしまします。
最終駅です。「小濱駅」ではなく、「肥前小浜駅」になっています。これも、「木津の濱」と同
じで、「小濱駅」は若狭にあるため、「肥前小濱駅」になったそうです。
車で通るときも、少しは止まって見ていってください。いかに、凄い工事をしたか肌で感じ
られます。
「島原鉄道 その1」から「その4」までは、左のカテゴリー「島原鉄道」をクリックしてくださ
い。
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