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2012年4月16日 (月)

2012 諫早つつじ祭り&山城案内板設置~お城のお勉強

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今日も、雲仙鐵道の続きをと思っていたのですが、下の諫早つつじ祭りのチラシが気にな

って。といっても、千々石のつつじの名所といわれるわが家(自称)ですから、つつじの方

にはあまり関心はないのですが、「山城案内板設置」の文字が目にちらちらと。この、眼鏡

橋の後の小高い所が城になります。

Photo

城については、「曲輪」だとか、「虎口」だとか、「搦め手」だとか、話をきいてもピントこない

ところがあり、勉強がてらこちらの方に出かけました。、


土曜、日曜はイベントもあり、人が多いだろうと、今日、月曜日行ったら予想どうり。河川

の方に駐車場がありましたが、ガラガラ。つつじも色気づくのが早いのと、遅いのがあるの

か、満開のつつじ、まだ小さい蕾、いろいろありましたが、今週の土、日、各種イベントが

あるようで、ちょうど満開になるでしょう。


さて、案内板は。こんな感じで、番号が振ってありましたから順番に回ることに。

なお、上のパンフレット、クリックすれば拡大しますから下の記事の参考にしてください。

P4160222

ここから、各掲示板を要約をしますので、皆さんもお城の勉強と思って、読んでください。

このお城、今は諫早公園ですが、戦国時代伊佐早地方(諫早市)を統一した、西郷尚善

(なおよし)が作ったそうです。「高城(たかしろ)」、別名、「亀城」とも呼ばれたそうです。


豊臣秀吉の命に従わなかったため、4代目信尚は、佐賀の龍造寺家晴(初代の諫早家に

なります)に攻められ追い出されますが、江戸時代「一国一城令」でこのお城姿を消したそ

うです。


さて、最初の桜馬場、多数の馬が用意され、調教、馬術の練習場であり、戦の集合場で

「武者だまり」とも呼ばれたそうです。

Photo_2

2番目の大手門です。城の表口。本丸へ通じる虎口(こぐち)に設けられた門があったとこ

ろで、厳重な作りだったと考えられています。

Photo_3

3番目の折坂虎口。虎口とは、城内への出入り口のことで、狭い道という意味もあり、敵と

の攻防が繰り広げられ、攻め登る敵の勢いをなくすため、狭く急な坂と曲がり角の両方の

仕組みになっています。

Photo_4

4番目の東の丸です。攻め登る敵をこの場所で待ち受け、頂上の本丸へ行かせないた

めの広場。本丸の防衛、物見などの目的で作られたそうです。

Photo_5

5番目の武者走り(むしゃばしり)(帯曲輪、腰曲輪)。城の中腹を一周しています。現在は

広くなっていますが、昔は人一人が通るくらいの狭い道だったそうです。敵の様子を見て、

移動して攻撃をしたそうです。何回かこの公園来たのですが、この道知りませんでした。

Photo_6

6番目の虎口(こぐち)です。本丸へと行く最後の出入り口です。戦の重要な場所で下の階

段は狭くて急にして、敵の勢いを止めます。

Photo_17

7番目の高矢倉です。敵を弓で攻撃したり、見張り台として用いられたそうです。見張り台

は現在ありません。

Photo_8

8番目は本丸(本曲輪)です。山城の中心となるところ。ここに高城という城があったそうで

す。山の一番上、かなりの広い広場になりますが、ここの奧に忠霊塔があって、

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この字、よく見たら、なんと「元帥伯爵東郷平八郎書」と書いてありました。ここで、終りかと

思ったらこの後、藤原明神と高城明神がありました。本明川の山下渕に大亀がいて敵が

攻めてくると、手足をのばし山を押し上げて、攻めることが出来ないとの伝説があり、「亀

城」とも言われたそうで、明神の石塔は亀の彫り物の上に立っていました。

Photo_10

この後の広場に本丸の説明版が。

Photo_11

ここの奧の所に階段があり、降りると9番目の搦め手(からめて)になります。

城の裏口で、殿様の逃げ道です。昔は木橋が架かっており、逃げた後切り落として追跡を

絶っていたそうです。

Photo_12

10番目の空堀です。敵の侵入を防ぐため掘られた溝です。水が張られている水堀と、こ

の城のように水が張られていない空堀があるそうです。ここ確信が持てませんが、多分こ

こだと思います。いまは島原鉄道が走っています。

Photo_13

11番目の土塁、石塁(せきるい)です。敵の進入を防ぐために土を積み上げた砦で、空

堀を掘るときの土で作ったそうです。

Photo_14

最後の西郷井戸です。城で使う水はここからくみ上げたそうですが、西郷家と龍造寺家の

戦いの時、西郷軍の首をこの井戸で洗って、龍造寺家晴に差し出したそうです。

Photo_15 Photo_16

城の一番上まであがると息切れしますが、これに甲冑をつけて戦いながら登るというと、

大変どころではないでしょう。


回ってみて、説明版がきちんとして回りやすく、説明も丁寧で、城の作りについても勉強に

なりました。これからは、お城のことについては少しは知ったかぶりで話も出来るでしょう。


全部回って、5000歩程度でした、お城について興味のある方は是非お寄りください。

なお、説明板は諫早観光物産コンペンション協会が作ったもので、ブログの説明はこの説

明版の要約です。本物はもっと詳しく分かりやすく良く書かれてあります。


疲れたのでおやつでも。小浜シェダムールさんの、なんだっけケーキの名前また忘れた。

ここの2階、喫茶室になっており、ケーキバイキングもやっていますが、コーヒーのみに行

ったら、隣の男が、ケーキ5個とジュース2杯とコーヒ。バクバク食っていましたが、見てい

て具合が悪くなった。

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参考:各説明版から



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