西郷四郎(姿三四郎のモデル)と長崎その3~西郷四郎の新聞記事 付録:橘公園桜情報
当時の、東洋日の出新聞です。1902年(明治35年)創刊です。このとき西郷四郎35歳。
西郷四郎の養父の甥、義理のいとこにあたる井深彦三郎という人がいますが、この人が、
鈴木天眼と親しく、この人を通して鈴木天眼と知り合ったようです(?)。
赤で囲んだところ、発行人兼印刷人、西郷四郎の文字が見えます。
西郷四郎は、日露戦争が始まる前年、朝鮮半島に出向き、「特派員西郷四郎十一月十五
日朝鮮義州発信」の記事があるようですが、これは、残念ながら見つけきれませんでした。
辛亥革命が起こった1911年(明治44年)中国の武漢に飛んで、「武漢通信」として記事を
書いています。四角で囲ったところが、西郷四郎の記事です。
「武漢観戦通信」西郷四郎の名前が書いてあります。
「・・・南北両軍いづれも公徳を守りて其破損を避けん事に戒めたりと聞く、然れども塔内に
見れば壁は蜂の巣の如く弾痕を印し、階段には榴散弾の破片の踏みどころなき迄に散乱
し思はず慄然たるを覚ふ、・・・・」いかに、前線まで入ったか様子がうかがわれます。
「・・・黒色洋服姿に紅白木綿の襷を十時に交叉し胸間に敢死隊と書せる標章をかけたる
少壮血気の勇士(学生上がりの義兵と聞く)屯在せり、吾等其前を「辛苦々々(シンクーシ
ンクー)」と慰撫の語を掛けつつ通過すれば、彼等は如何にも満足げなる顔色にて、挙手
の礼を行ふ、而して彼等一体の気合如何にと注視すれば、孰れも昂然たる意気眉宇の間
に表れ、毫塵も意気沮喪、堕気の気配なく、確に斃れし後已むの決心あるをみとめたり。」
柔道を極めた人の目から見た、革命軍の姿でしょう(11月2日漢口からの記事)。
「・・・鉄路に(戦線区域)に出づれば死骸累々、其の悲惨惨憺たる光景は小生の拙筆には
到底能く盡す所に非ず、この死体は皆革命軍のみ、・・・・砲弾一発余等の立てる後方一
四、五間の建築物に命中し非常の響きと共に建築物に命中し非常の響きと共に建物の一
角破壊せり、ここは危険なり、命有つての物種、今茲に流丸の一ツも頂戴するならば飛ん
だ世間の笑はれ物、君子不可近危とここを退却し・・・」(10月30日の記事)随分危うい目
にも遭ったみたいです。
このとき、西郷四郎45歳です。この後1911年、45歳の時結婚しますが、1920年、病気
療養のため、尾道で病没しました。明日は、「西郷四郎の墓」についてです。
付録:今日の橘公園の桜です。
桜開花の基準木はまだ咲いていませんでしたが、軍神橋の下の桜、一本だけ少しです
が、咲き始めていました。
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