長崎と西郷四郎~長崎歴史文化博物館「孫文・梅屋庄吉と長崎」展にて
今日は諫早の病院で定期検査。前立腺のなんとかかんとかの値が上がっているので、来
週は病院での楽しいお泊まり検査。看護師さんは、かみさんと違って優しくていいし。ガミ
ガミ言われなくてすむし。でも、近頃は男の看護師さんも増えて来ているし・・・看護師さん
の指名制度ってありませんかね。キャバレーみたいに。
予定より早く終わったので、長崎の漢方医さんの所へ。ところが、今日は休診。木曜日は
休みだって分かってたはずなのに馬鹿だなと反省。
時間があったので、昼サロへと思ったのですが、アルコールはドクターストップ、金はない
し真面目に資料を捜しに長崎歴史文化博物館へ。
しっとりと雨で濡れている風情も良いですね。団体客も来てなかったし、平日だし静かなも
のでした。あ~あ長崎は今日も雨だった。
御白州。意外と狭いですね。遠山金さんは今日は代休だとか。
さて、「孫文・梅屋庄吉と長崎」展をやっていたので、せっかくだから見ていきました。
受付の人、サボっているのではありません。私の写真の邪魔になるので横にどいたので
すが、一緒に写ってしまいました。
なかに、一番上の写真の孫文の大きな像が。これだけは撮影して良いと書いてありました
ので、写真を撮って、主な人物の名前が横にが書いてあったので見ると。
なんと「西郷四郎」の名が。講道館の四天王言われ、「姿三四郎」のモデルと言われた。
しかも肩書きは「東洋日の出新聞社」になっています。これ、ほんまかいなと思って、監視
している館員の可愛いお姉さん(多分臨時かアルバイトか?)を呼んで、「これ、あの西郷
四郎」と聞いたのですが、「分からないと」ということ。たぶん、「西郷四郎」の名前も知らな
いのでしょう。
白線の四角で囲んだ人物です。帰って調べてみると、やはりその通りでした。ウィキペディ
アによると、講道館の師範代になり加納治五郎が洋行した折、講道館を出奔、大陸浪人
と言われた宮崎滔天と共に大陸運動に身を投じ(ここらまでは知っていたのですが)、19
02年鈴木天眼が長崎で「東洋日の出新聞」を刊行すると、同新聞の編集長を務め、長崎
で柔道、弓道を教え、長崎遊泳協会の設立に関わり、同協会の監査として日本泳法を指
導したそうです。
長崎の遊泳協会と言えば、古式泳法の小堀流。長崎市の方はねずみ島を思い出すでしょ
う。
この西郷四郎の物語は長崎遊泳協会のホームページ、「資料室」の「新聞記事」の中の
「姿三四郎を追って」(朝日新聞・福島版だそうですが)に詳しく書いてあります。「革命以
前に孫文はここにあった日の出新聞の土蔵にかくまわれていた。・・・」なんて書いてありま
す。面白いこと請け合いです。
病気を得て病気療養中の広島県尾道が終焉の地になったそうです。
西郷四郎については、我が尊敬する、夢枕獏先生の「東天の獅子」と読み比べれば、もっ
と面白くなると思います。企画展は3月25日までだそうですから、興味ある方は行って見
てください。
知りませんでした。西郷四郎が長崎と孫文と関係があるなんて。勉強不足でした。
反省をこめて、博物館付属のレストランへ食事をしに。
例によって、一番豪華で一番安い銀嶺ランチを。もちろんお一人様ランチです。
外を見れば曇りガラス。「曇りガラスを手で拭けば」なんて歌がありましたが、拭いても先
の見えない人生。ああ、悲しき我が心、ですか。
帰りは、こんなのも売店で売っていたので孫への土産に。
しっつこいけど、知らなかったな。
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