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2012年2月28日 (火)

すわ日野江城へ~南島原市北有馬町

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先日、「有家町史談会 嶽南風土記」のブログをを見ていると、日野江城の周囲を整備し

ていると、なにか出てきたとか。 教育委員会の文化財の方に訪ねると、不耕作の畑、又、

所有者不明の土地を市が買い上げ、竹藪になっているところを切り開いたら上の写真の

墓が出てきたとのこと。

なお、近所の方はこの事は知っていて、墓石には元禄の文字が読め、女性の方の墓では

ないかとの話でしたが、何となく右側に建っている像が気になったので、すわ日野江城

へ。ほぼ有家町史談会の記事とダブルのですが。

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昔はなかったのですが、セミナリヨ跡の記念碑です。下はセミナリヨと日野江城の位置の

関係図です(クリックで拡大します)。

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本丸への狭い道を行くと、尾藤碑があります。島原の乱の折、重傷を負いながらも日野江

城にもどり、名号を自然石に刻んで絶命したと言われています。ここの碑の少し下の方に

あります。昔は、竹藪だったのですが、綺麗に払ってありました。

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「元禄八□□歳(?)

月妙紅信女 霊位  

九月二十六日」と読めました。信女ですから女性の方の墓ですね。

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「宝(空)山妙林信女」ですか?年号は見当たりませんでした。下に四角の台石と見えるも

のがあり、建てられるように彫ってありましたので、下の台に建っていたのでしょう。

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「不明 歳(?) 芳身童女 霊位」でしょうか?左が墓石、右は台でしょう。

一番気になっていたのが下の像ですが、お地蔵さんのようでした。

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日野江城の築城が建保年間(1213~1219)、島原城築城に伴う廃城が元和2年(161

6年)、墓に書いてある元禄は1688~1704年。ですから、日野江城が廃城になったあ

との墓でしょうが、見た限りでは地蔵さんまで建て、一般の人の墓ではない感じを受けまし

た。このような所は町内にまだ点在しているそうですが、今後の調査でしょう。


さて、ここまで来たので、頂上まで上がって役小角(えんのおずの)へお参りを。

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説明版によれば「本祠は温泉寺満明密寺傘下の修験道信仰を表現するものとして貴重な

石祠である。」とし「この通称八天様と称する役小角祠は寛文(1661~1673)七年十二

月柘植嘉門他三氏により建立されたもので、・・・」としてありました。


ついでに、有家史談会のブログに書いてあったで佐代姫伝説の「佐代姫神社」を訪ねるこ

とに。どこにあるかと思えば、城の坂を下りきって、少し右側にありました。

看板を読むと、松浦の佐代姫伝説とは少し違っているようですが、伝説は、各地へ散らば

りいろいろ形を変えていくものでしょう。ひょっとしたら違う「佐代姫様」なのかな?

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お堂内ですが、説明版に書いてあるように「男根を奉納して供養祈願すれば、世俗のあら

ゆる願望が叶えられるといわれており・・・」左の方をご覧下さい。

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小さいのから、立派なのまで、私もひとつ奉納しようかな。

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