キリシタン地蔵~ああ!勘違い!! (雲仙市千々石町)
(写真1 大繰子(うぐるす)の地蔵)
以前、キリシタン地蔵として紹介した写真で、前垂れをまくるのと罰が当たらないかと、中
身の写真を「島原半島のキリシタン文化~かくれ切支丹の遺物と遺跡」から紹介。
(写真 2)
しかし、よく見ると大繰子の地蔵としてもう一点載っており、他にも腑に落ちないところがあ
りもう一度、見にいって、めくってみると(めくるのは大体好きなのですが。スカートめくり世
代ですから。)なんと。下の写真。まったく違っています。ああ!ミステーク。
(写真 3)
手に持っているのは密教などで使う法具、三鈷杵(さんこしょ)、刃が三本に別れているの
が三鈷杵、中央の刃の周囲に四本の刃をつけたものが五鈷杵、同じく七鈷杵、九鈷杵。
この、三鈷杵に十字が刻まれています。これが根拠で切支丹地蔵ということで記載されて
います。(私が持っているのが、ちんこ。)
(写真 4)
ところが、調べていると近所の人が、三人ほど寄ってきて、「これ前にあった地蔵さんとは
違っているよ」とのこと。
話を聞くと、20年以上前、調査があり戻って来て気がついたら違っていたとのこと。前垂
れをつけているので、すぐには分からなかったのでしょう。誰が調査をしたかを聞いても、
昔のことで記憶なし。どこのと入れ替わったかはもう不明でしょう。
昔、対馬にいたとき大学の調査で仏像を持って行ったまま戻らなかったということもあり、
やはり、ずさんな人はどこにでもいるのでしょう。
では(写真 2)の像はどこにあるのか?同じ大繰子と書いてあるので、2~3日ウロウロし
たが見つからず。そのうち調べると近くの岡東(おかとう)にもあるとのことで、神社の横と
聞き、確かに地蔵さんはありましたが、前垂れをめくってみると普通の弘法大師地蔵さ
ん。
困っていると、おばさんがいたので聞いてみたら、この先の方だと言うことでわざわざ連れ
て行ってもらいました(もう少し若い女の方が良かったが)。
ありました、標柱も有りで間違いないでしょう。めくると(今日三度目のめくり)間違いなし。
(写真2と比べてください。)
「島原半島の切支丹文化」によると、「円頭地蔵でω(オメガ)右手の4本と左手の3本で7
本、7はキリスト教の聖数である。聖体(聖なるパン)には星が彫られている。北斗七星を
暗示している?」「?」がついているのに注意。この本に雲仙の絹笠山の山中にもあると
書いてあるので、行って見たら、あるにはあるましたが若干の疑問が、まだ調査中なので
後日。
さて、おばあさんとしばらく話していると、昔の道とか(今は全然変わったところも有り)、弘
法原という放牧場のことなども聞くことができました。こんな時は、はやりおばあさん。
なお、四月二十一日に、この地蔵さんのところで祭りがあり、お接待(お参りに来る人にま
んじゅうとか、ぼた餅を振るまうこと)もあるとのこと。時間がある方は、地蔵さん見学方々
出かけられたらいかが。
今日は一件落着ということで、中学校を通りかかったら白梅、紅梅とも開花。
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
の俳句など思い出しましたが。帰ったら今日は地蔵さん巡りをしたため、おやつは田舎ら
しく「はっちゃんだご」。都会の方は分かりますか「はっちゃんだご」?
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コメント
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こんばんは。昔、「千々石誌」みたいな町の歴史の本で、島原の乱に参加した
島原半島の人口分布を見たことがあります。
他の町(市町村合併の前)では全員参加してましたが、千々石だけ全員では
なかった・・・と記憶してます。
でも、切支丹に纏わるものが残っているんですね。
「ダゴ」はだんご。アンコとか入っていない、粉を練って蒸しあげたもの・・・でしょうか。
投稿: smokybear | 2012年2月25日 (土) 21時15分
全員参加は有馬地方で、北目は全員でないでしょう。南目も町民全滅と言われていますが、異論を持つ方もおられます。
千々石は、事前に庄屋、代官に悟られ捕らえられたそうです。
原城の田町御門の説明版では、ここを小浜、千々石、天草千四百名で守備したと書いてありますので、何名かは参加したと思われます。
千々石は残念ながら古文書等残されたものが少ないですね。
「はちゃんだごは」サツマイモを干して粉にし保存しておいて、それを水で練って、蒸したものです。私が買ってきたのにはあんこが入っていました。
投稿: sugikan | 2012年2月26日 (日) 12時26分
初めまして。突然の連絡で失礼します。先日、雲仙に行く途中で千々石を通り、キリシタン仏像群という看板を見つけ探したのですが、わかりませんでした。地元の人にも聞いてみましたが、看板の存在すら知らないという感じでした。ネットで調べたところ、あなたのブログがあり、拝見させていただきました。もし、よろしければ詳しい場所を教えていただけないでしょうか。是非行ってみたいです。よろしくお願いします。
投稿: 坂本朋子 | 2017年9月30日 (土) 12時21分
コメントありがとうございます。
実は、島原半島は島原の乱のあったところで、潜伏キリシタン(昔は隠れキリシタン)への興味が異常に強く、「潜伏キリシタン」ありきで話をされる方が多くおられます。
この方面につては、まだ十分な調査がされておりません。
千々石には、「キリシタン仏像群」と言っても、市の指定が3か所ほどありますが、石造物専門の先生と行ったところ、「ただの地蔵さん」の一言でした。
ただ、ローマのカサテナンテ図書館には、千々石からの潜伏キリシタンの文書もあり、旧有馬町(現南島原市)からも、バチカンあての信仰を誓う旨の文書があり(松田毅一氏の「キリシタン研究」に収録)潜伏キリシタンがいた事は事実ですが、遺跡としてははっきりとは説明できない状態です。
千々石は分かりにくい所にあり、一番分かりやすい所は、橘神社の裏手の山の一番上に、展望所があり(車で行って階段を少々上がります)、その一段下にありますが、これも、「ただの地蔵」と言われました。
投稿: sgikan | 2017年10月 1日 (日) 00時31分