この一曲~Me and Bobby McGee/ジャニス・ジョプリン
ジャニス・ジョプリンこの名前を覚えている人は少なくなってきているでしょう。1960年代
のロックシンガーを代表するひとりです。映画「ローズ」のモデルです。
作詞作曲はクリス・クリストファソン。ロース奨学生(ケネディ、クリントン等もこの奨学生)、
オックスフォードヘ留学。ヘリコプターの操縦士として退役後、陸軍士官学校の英語教授に
なるが、1965年ドロップアウト、ソングライターに。
「Frrdom's just another word.For nothing left to lose.」
「自由とは、別の言葉で言うと、失うものが何もないこと。」有名なフレーズです。
私はこの曲を聴くたびに、先日書いた、シルヴァスタインの「ぼくを探しに」を思い出すので
す。
この曲の2番。少し長いですが。
「Me and Bobby McGee」2番
ケンタッキーの炭鉱地帯から
カリフォルニアの太陽の話まで
ボビーとアタシは
どこまでも気があったわ
どんな天気になっても
何が起こっても
そうよアタシのボビーは
全世界からアタシを守ってたわ
ある日サリーナ近くで
彼と別れたの
彼は生まれ故郷を探していたのよ
うまく見つかったのならいいけれど・・・
でもアタシの思い出の内のたった一日のために
未来のすべてを売り払っても良いわ
ボビーの体に
ぴったり寄り添うためになら・・・
自由ってことは
失う物がなにもないってこと
何もない・・・ボビーは行ってしまったわ
(訳:竹内邦愛)
ボビーと別れた”me”。
”missing piece”を探しに出た”ぼく”は、ついにぴったりした”missing pice”をみつけ、快適
に旅を続けるが、別れていく。
自由ってことは、失うことが何もないってこと。”missing piece”がある限り”ぼく”は自由でな
いし、”ボビー”がいる限り、”me”は自由でない、なぜなら両方がいる限り、失う物があるか
ら。愛する者を失っても自由が良いのか。不自由でも愛する者を持っていた方が良いの
か。
長田弘著「アメリカ心の歌」にはこう書いてある。要約すると、ジャニス最後のカナダツァー
に出たとき、汽車の中で誰かがジャニスにギターを手渡す。「わたしだけが知っている曲は
一つきり」・・・ジャニスは「ミー・アンド・ボビー・マッギーを」うたいだす。・・・そしてこの歌が
われわれの国歌であるかのように、とジャニスの最後の日々の記録(デイヴィド・ドルトン「
ジャニス~ブルースに死す」田川律・板倉まり訳)は伝える。旅のあいだずっと、われわれ
は何百回も歌った。
ジャニスは何を考えながらこの歌を歌っていたのか。
ジャニス1943年生まれ、1970年27歳であまりにも早い死。シルヴァスタイン1930年
生まれ。「ぼくを探しに」が書かれたのが1976年。はやり、1960年~1975年までのベト
ナム戦争があの時代に大きな影を落としていたのでしょう。あの混沌とした時代を生きてき
た者しか分からないかも知れません。
さて、「捨離断」というのが流行っていますが、ひょっとしたらみんな「自由ってことは、失う
ことが何にもないっていうこと」を心のどこかで求めているのでは・・・
私も「捨離断」したいのですが、捨てられるのは私の方かな。かみさんから。
ともあれ、天国のジャニスよ2000年代に生きる我々が、失うものをなんと多く持ちすぎた
ことか。
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