戦争遺跡~雲仙市南串山町京泊漁港(震洋特別攻撃隊基地)
写真が雲仙市南串山町京泊漁港です。ここに「第65震洋特別攻撃隊」の基地があったの
です。終戦直前、敵の上陸を防ぐためでしょうか左右の崖に、穴を掘りそれを格納庫とし、
基地としていたようです。「震洋」は簡単に言えば、ベニヤ製ボートに爆薬を乗せ、それを
操縦し敵の艦に体当たりするというものです。
先日から、千々石の砲台跡を調べていると、偶然に、「熊本の戦争遺跡研究会」から出し
ている本に、千々石関係も載っていることのことで取り寄せ見たら、この京泊の事が載って
いたので、初耳のことでもあり出かけて見ました。
その前に、「雲仙市歴史資料館南串山展示館」が新設しているとかでいって見たら、知り
合いの先生がボランティアでおられ、詳細に話を聞くことができ、おかげで迷うことなくいく
とが出来ました。
まず、右岸の一番先まで行くと、祈念碑があり、広場になっており格納庫になっていた穴が
ひとつ残っていました。(フェンスのところ)
祈念碑の碑文にいきさつが書いてあります。(写真はクリックすると拡大します。)
公園の一角にフェンスで囲まれた穴が。格納庫です。
左の四角で囲んだところが格納庫。右が祈念碑です。
さて、この祈念碑側から対岸を見ると。
災害関連事業ということで全面コンクリートで覆われていますが、2カ所だけ遺跡が残し
てあります。
今は、こちら側は2カ所しか残してありませんが、この崖沿いに、十数個掘られていたそう
です。この事については、ほとんど、この京泊地区の方しか知らなく、他の地区の方はあま
り知らないとのことでした。
穴を掘ったのは、小富士空16分隊員(甲飛14期生)約130名。まだ、少年期の若い方だ
ということでした。
なお、第65震洋部隊岩切部隊(50名)が編成されたのが昭和20年7月25日。京泊基地
に進出したのがなんと8月15日。玉音放送があった日。終戦の日でした。
最悪でしたら、この50名の命も亡くなっていたかも知れません。平和な戦争のない時代が
続くよう努力しましょう。
(なお、南串山郷土誌には「人間魚雷」と書いてありますが「震洋」が正解でしょう。)
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