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2012年1月18日 (水)

戦争遺跡~雲仙市南串山町京泊漁港(震洋特別攻撃隊基地)

Dscn1748_2

写真が雲仙市南串山町京泊漁港です。ここに「第65震洋特別攻撃隊」の基地があったの

です。終戦直前、敵の上陸を防ぐためでしょうか左右の崖に、穴を掘りそれを格納庫とし、

基地としていたようです。「震洋」は簡単に言えば、ベニヤ製ボートに爆薬を乗せ、それを

操縦し敵の艦に体当たりするというものです。


先日から、千々石の砲台跡を調べていると、偶然に、「熊本の戦争遺跡研究会」から出し

ている本に、千々石関係も載っていることのことで取り寄せ見たら、この京泊の事が載って

いたので、初耳のことでもあり出かけて見ました。

Photo

その前に、「雲仙市歴史資料館南串山展示館」が新設しているとかでいって見たら、知り

合いの先生がボランティアでおられ、詳細に話を聞くことができ、おかげで迷うことなくいく

とが出来ました。

まず、右岸の一番先まで行くと、祈念碑があり、広場になっており格納庫になっていた穴が

ひとつ残っていました。(フェンスのところ)

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祈念碑の碑文にいきさつが書いてあります。(写真はクリックすると拡大します。)

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公園の一角にフェンスで囲まれた穴が。格納庫です。

Dscn1701


対岸から見ると。

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左の四角で囲んだところが格納庫。右が祈念碑です。

さて、この祈念碑側から対岸を見ると。

Dscn1705_2

災害関連事業ということで全面コンクリートで覆われていますが、2カ所だけ遺跡が残し

てあります。

Dscn1713 Dscn1715

Dscn1714_6

今は、こちら側は2カ所しか残してありませんが、この崖沿いに、十数個掘られていたそう

です。この事については、ほとんど、この京泊地区の方しか知らなく、他の地区の方はあま

り知らないとのことでした。

穴を掘ったのは、小富士空16分隊員(甲飛14期生)約130名。まだ、少年期の若い方だ

ということでした。

なお、第65震洋部隊岩切部隊(50名)が編成されたのが昭和20年7月25日。京泊基地

に進出したのがなんと8月15日。玉音放送があった日。終戦の日でした。

最悪でしたら、この50名の命も亡くなっていたかも知れません。平和な戦争のない時代が

続くよう努力しましょう。

(なお、南串山郷土誌には「人間魚雷」と書いてありますが「震洋」が正解でしょう。)

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