« 2011年11月27日 - 2011年12月3日 | トップページ | 2011年12月11日 - 2011年12月17日 »

2011年12月4日 - 2011年12月10日

2011年12月10日 (土)

昼の島原ウィンターナイトファンタジア~夜に行ってね

Dscn0053_2

どうも、自分で言うのもなんですが、困ったもんです。ヘソ曲がりで。coldsweats01

人が右と言えば左、左といえば右、上といえば下、花より枯れ木が好き、枯れ蓮のほうが

好き、若い子より熟女が好き(上限あり)。ということで、島原ウィンターナイトファンタジア

を昼に行って見てきました。(本当は夜のイルミネーションイベント)

海のところで、親子でポップコーンを投げていたら、カモメが見事なくらい寄っていました。


さて、催事会場です。

Dscn0079_2

まだ、左の方にも広がっていますが。いろいろ、設置してありました。

イルミネーションやってたら奇麗だったろうな。weep

Dscn0042_2 Dscn0043_2

Dscn0044 Dscn0045

Dscn0065_2 Dscn0041

ロマンティクアーチですね。恋人の名前や、願い事を書くと願うそうです。

Dscn0069

Dscn0072

わたし、しませんよ。南京錠あたりで一生、人生を縛られるのは嫌ですから。


さて、昼来ましたがやはり、イルミネーションイベントは夜に来るもんですね。

しかも、2人で。1人で行ったら侘しくてたまりませんよ。1人で行くのはおやめなさい、寒く

もあるしね。それが嫌なら私みたいに昼行くこと。

でも、配線なんか見たらすごいもんですね。なんでもイベントの裏方は大変なものです。昼

に行かないとそのことは分からないでしょう。


場所は島原港(フェリー乗り場)緑地公園。来年1月7日までやっているそうです。夜6時か

ら10時までイルネーション。12月23日、24日は翌日の2時まで点灯をし、サンタさんが

プレゼントをしてくれるそうです。詳しくは→こちら

23日か、24日か行ってみましょうかね。さて、誰と行こうかな(かみさんは除く)。lovelyheart04





2011年12月 9日 (金)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町その3

さて、いよいよ千々石の銅像です。千々石に「上山(じょうやま)」という所があります。

P1040031

橘中佐の銅像は最初この上山の橘湾(当時千々石灘)を一望する、自然巨岩の石の上に

建てられたのです。

2_2

Photo

Photo_3

銅像は大正7年11月に竣工。除幕式は大正8年2月9日。3m30cm実に堂々たる銅像

です。除幕式は、各方面の方が参加をし盛大に開催されたと言うことでした。

Photo_4

上山から見た現在の風景です。

P1050490

橘中佐像が建っていたところの現在の写真です。どこに建っていたか分かりますか?

P1050479

P1030814

この建物は、昭和27年9月8日、奈良県高市郡明日香村の仏頭山上宮皇院菩提寺橘寺

の別院として、長崎仏輪会の篤信者の方により建立されたみたいですが、昭和48年奈良

本山橘寺に移管され現在は無人の寺になっています。町内の方に聞いても経過等知って

いる方はおられませんでした。

ただ、この写真は真夏に撮ったのですが、意外に綺麗にしてあり、何方か手入れをしてあ

る様子がしました。


さて、どこに銅像がと思って探したのですが、分かりません。山の中腹にとも聞いていたの

で、山の中まで調べたのですが、全然分かりません。

調べに行くこと2~3回、建っていた所の証拠がやっと分かりました。

俗に六角堂と言っていますが、そのすぐ横の所の巨石の所だったのです。

P1040017

四角で囲んだところ。木で隠れて良く分からなかったのですね。この岩の上に橘中佐の銅

像が建っていたのです。

P1050485

よく、 銅像等には由来、顕彰銘がつけてありますが、

Photo_5

昔の写真で見てもこの部分に銘板が設置されていることが分かります。

これで、やっと銅像の設置場所が分かりました。

そしてこの銘板は現在、橘神社の銅像の横の所にあったのです。四角で囲んだところで

す。サイズも上山のとぴったりでした。

Dscn0017

Dscn0020

橘中佐銅像銘とあり、大正8年2月9日と刻んでありますから、除幕式の日です。

橘中佐の家系、経歴、軍歴等が書いてあり、書いた方は最後に「宮中顧問官従三位勲一

等文学博士三島毅撰時於齢九十」と読めました。

もう、間違いはないでしょう。(写真をクリックすると大きくなります。)


さて、大切な話を忘れていました。

静岡の銅像は供出され、なくなりましたが、同じく千々石の銅像も第二次大戦終末期に、 

戦争用材の供出に迫られたのですが、町民有志の懇願により供出を免れたのです。

また、敗戦により、占領軍のよる撤去の命令を恐れ、町民の手で隠蔽されたのです。


隠蔽場所について町民の多くの人の話を聞けば、上山の森の中に隠したと言う話が多く、

山の中を多少調べたのですが、証拠等まったく分かりませんでした。

ただ、「千々石史談」第2号の「橘中佐と日露戦争の残影」(本多一義氏)の中には、「終戦

後には軍事主義の象徴とされ、占領軍の心中により撤去の運命に迫られた。しかし志あ

る町民はこれを隠蔽し(千々石町民が銅像を白い布に包み密かに千々石海岸に埋めたと

伝わるが、誰が、いつ、どの場所に隠蔽したのかは現在でも不明)・・・」と書いてあるので

すが、私も調べましたがついに分かりませんでした。

「うちの、爺さんが橘中佐を隠したのを手伝ったげな。」という話ぐらいはどこかで聞けると

思ったのですが、まったく陰に隠れたままでした。


橘中佐の像の所に説明版があります。しかし、ここに書かれてあるほど簡単な物で

はなかったのですね。

P1040043_2

さて、この後、隠蔽された所から、昭和22年生家の橘家に安置。

昭和29年に現在地に移設。移設当時の写真です。

Photo

その後、昭和51年銅像の台座改を修約1,5メートル嵩上げし、現在にいたっています。

なお、橘神社が創建されたのは昭和15年のことです。


(参考:「千々石町史」「千々石郷土誌」「千々石史談創刊号・第二号」 又、千々石、特に

第三四連隊に関する静岡、名古屋のブログを参考にさせていただきました。)


☆だいたい、橘中佐にはあまり興味がなく、銅像が最初上山にあったということを聞き、見

に行き、まったく場所が分からなかったことから、段々に興味を持ち始めたのです。これが

7月で結局ブログをまとめるまで5か月ほどかかってしまいました。

ただ、千々石の方も、北村西望作成の銅像が二つあったこと、特に、名古屋、静岡の部

分については知らない方も多く、また、二つの銅像についてはまとめて詳しく書かれたの

がなく、一応まとめてみたものです。

参考文献の原典調査もしていないため、間違いも多いと思いますが、ここらが私の限界で

す。興味を持たれた方は各自なりの方法で調査してみてください。推理小説を読むより面

白かったですよ。でも、あ~疲れたcatface

                                 (橘中佐二つの銅像 終了)



2011年12月 8日 (木)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町その2

さて、昭和19年終戦直後、金属供出で一つの銅像は消えてしまいましたが、戦後、陸上

自衛隊板妻駐屯地が、昭和37年富士演習場坂妻廠舎跡に創設されたおり、基幹部隊の

陸上自衛隊第34普通科連隊が、県民の要望で、静岡歩兵三十四聯隊の連隊番号を受

け継いだため、日清戦争から大東亜戦争にいたる、橘中佐をはじめとする、遺品、資料

等が関係者のよって委託されることになったのです。

このため昭和39年駐屯地内に資料館が建設され、駐屯地設立の2周年記念の時、郷土

記念館横に、元三十四聯隊出身、静岡県伊豆町の彫刻家堤達夫氏による橘中佐の胸像

が作成されたのです。

2

さて、この資料館が老朽化したため、駐屯地二十周年の時、新しい資料館が出来たので

した。この時、この胸像がコンクリート製であり、永久保存出来ないということで、銅像再建

運動がおこり、胸像を作られた堤達夫氏によって銅像が作成され、胸像は資料館に移設

されたそうです。

03130068_s1

銅像は、台座3メートル像の高さ2,1メートルという堂々たるものだそうです。

この事から、橘中佐が単に軍人ではなく、人格者として人に慕われていたことが分かると

思います。

さて、銅像は左手で軍刀を握り、右手が胸元の双眼鏡を支え、富士山に向かってそうで

す。

Photo_3

なお、除幕式は中佐の曾孫橘一樹(11歳)と、中佐の最後を看取った内田軍曹の曾孫内

田久美子さん(11歳)の手で行われたそうです。

1977_0831_ss1

また、このときは、千々石からも故床井町長他奉賛会6名も参加され、故床井町長が挨

拶を述べられたそうです。

橘神社の銅像とは、双眼鏡を握っていたり、握ってなかったり、若干の違いはあるようで

すが、基本的には同じような感じを受けます。(下が橘神社の銅像です)

P1050472

さて、長崎県で生まれた橘中佐が、静岡県においても未だに尊敬を集めていることは、生

誕地、南高来郡(現雲仙市)千々石町の人間にとっては非常にありがたいことでありま

す。


なお、板妻34連隊においては、「たちばな祭」を開催していたようです。「第30回たちばな

祭」りまでは記録があるのですが・・・

部隊に、連絡しないで、訪問した方があったのですが、中には入れてもらえないようでし

た。なお、「たちばな祭」は現在行われていないという話だったそうです。


と、ここまで書いて調べると、「六幼関係」(多分、東京、名古屋、広島、熊本、大阪、仙台

にあった幼年学校出身者の集まりみたいでした)というブログを調べると、昭和23年9月

15日の部分に「●名古屋 名幼会は解散したので特に全体を把握していないので全般の

報告事項はないが、毎年8月末開催の陸自板妻の普通科34連隊は名幼第2代目校長と

縁の番号であり、首山堡での戦死日に因んで「橘祭」を斎行している。今年は8月27日に

実施、有志5名が参列した」という記事があり、形を変えておこなっているのではないでしょ

うか?

この、記事を書くについては、静岡県で発信している下記のブログを参考にさせて頂きま

した。

「橘駐屯地」 特に「橘祭」 の所はご覧ください。

また、「やまひこブログ」というのに、昭和33年頃の静岡新聞に、実際に橘中佐のもとに

いた部下の方の対談が載せてあり、それがコピーされております。中佐の面白いエピソー

ドも載っておりますのでお読みください。


まだまだ続きますよ、次はいよいよ千々石の銅像についてですが、これにもいろいろあり

まして・・・・お楽しみに coldsweats02            (続く)






2011年12月 7日 (水)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町 その1

近年、千々石の橘神社の初詣での方が増えているとか。

来られた方は、神社の入り口右手の方に、橘中佐の銅像が建っているのを見られたと思

います。

P1050470

この銅像最初からここに建てられたわけではないのです。このことは千々石の90%の人

が知っており、観光客の99%の方が知らないことです。

橘中佐については、いろいろな本、資料がありますから、今回はこの銅像について書きた

いと思います。


さて、この銅像2つ作られていたのです。話が長くなるので、2~3回に分けて書きたいと

思います。

橘中佐が、戦死されたのは明治37年8月31日。

明治45年、軍神としての姿を永遠に残したいとの町民有志の呼びかけで建設委員会を

立ち上げましたが、、明治天皇のご崩御により中断。大正3年になって再開されました。

この建立事業に陸軍部が協力することになり、両者共同の形で、像2体建設の計画となり

ました。発起人等氏名は省略します。


ここから不明な点が、製作者は北村西望。35歳。初めての銅像制作であったそうです。

制作した所が、郷土史によると「大阪砲兵廠にて二体鋳造・・・」となっているのですが、

千々石史談の第二号で、橘周次郎氏が書かれた「故橘周太銅像の由来」によると、

森本丹之助氏著「軍神橘中佐」に、「(銅像の)製作者は、郡内有馬出身の北村西望氏に

し、大正7年5月東京都府西が原美術工場にて起工し、同年7月、原型落成し同年10

月、東京都下なる北豊島郡加藤工場に於いて鋳造し、・・・」とあり、また、造幣局において

作られたという方もあり、はたして、大阪砲兵廠なのか、東京の加藤工場なのか、はたま

た造幣局だったのか、真偽は不明です。


もうひとつ。

一体の設置場所が先ほどの森本氏の本によると「一はこれを東京府に」とあり、郷土史に

も「もう一体は東京中央幼年学校へ」と書いてあります。

しかしながら、ブログで「名幼歴史」(名古屋陸軍幼年学校)というのがありますが、その中

で、「大正12年3月廃校時に卒業生に配布したアルバム」の「旧校アルバム」を見ると明

らかに、橘神社と同じ銅像が名古屋陸軍幼年学校にあるのです。(下写真)

Tachibana_11

また、ブログの「千々石ネット」によると「もう一体は名古屋陸軍幼年学校に安置され、そ

の後(名古屋陸軍幼年学校廃校のためか?)東京市市ヶ谷陸軍士官学校に移管され、さ

らに昭和2年3月駿府城址の歩兵三十四聯隊(橘中佐が大隊長をしていた部隊)に安置

されたが、この像は昭和19年4月4日金属回収で供出された」とあります。


なお、「板妻駐屯」のブログの「第6回橘祭」では「もう一体は同中佐が校長をつとめていた

名古屋幼年学校に建立されていた。その後幼年学校が閉鎖されたため、昭和2年3月、

駿府城跡の静岡聯隊の営門付近にうつされた・・・」とあります。

幼年学校閉鎖が大正12年ですから昭和2年まで3年ほど間がありますね。やはり東京の

方に一時移されていたのでしょうか?


考えると、橘中佐は名古屋陸軍幼年学校の校長の経歴がありますから、最初は名古屋

陸軍幼年学校に建てられたと考えるのが自然みたいな感じがするのですが?

多分、名古屋陸軍幼年学校が大正12年に廃校になったため、この銅像は東京に移され

たかどうかは分かりませんが(陸軍士官学校?東京中央幼年学校?)、最終的には、橘

中佐が大隊長をしていた、第三四聯隊に移されたのです。


千々石史談第2号「橘周太中佐戦死百年」に「昭和19年4月4日駿府(静岡県)の橘中佐

銅像の脱魂出陣式が行われる。(4月17日、金属回収として供出)としてありますからこ

の時点で、1体は姿を消したことは間違いないでしょう。

さて、銅像の一つは姿を消しましたが、橘中佐と34聯隊さらに静岡県との関係?また、

千々石の銅像は?話は続くよどこまでも。 coldsweats01                

                                         (続く)



2011年12月 6日 (火)

家庭菜園~晩生(おくて)タマネギを植えました。

前々から、玉ねぎの苗を持ってくるというので、待っていたら日曜日、軽トラック一杯持っ

てきました。いくら何でもということで百本ほど頂戴。聞いてみたら夫婦二人で、九万本ば

かり植えてきたとか、まあ、プロ農家はすごいですね。

さて、2週間ほど前畑を耕しておきました。2,5m程度の広さです。

P1060578 P1060581

石灰、油粕、堆肥、鶏糞を適当に混ぜ、管理機でかき混ぜ準備万端。

P1070178_2

結構良いタマネギの苗で、種屋さんから買うより上ものでした。

P1070186 P1070188

畝が幅90センチ、高さ15センチだとか。

苗は15センチ間隔。私の親指と中指が大体17~18センチ。

P1070192

P1070189

畝に2条植えということですからこんなもんでしょう。指で間隔を測りながら、そのまま指で

穴を開けていきました。指が痛むのであまりお勧めしませんが…

P1070193

さて、後はこの穴に植えて土をかぶせるだけすが、根の白いところが見えるように浅植え

です。なかなか慣れないと難しいですね。なんとなく、倒れないか心配で、深植えになった

りして。

P1070201

植え付け完了です。これで約百本弱です。

さて、昨日書きましたが、マルチの問題。義兄が2名専業農家、苗をもらった人にも確認

をしたところ、はやり晩生(おくて)のタマネギにはマルチはかけるなということで、その分

は楽でしたが、今後草取りが少し大変だと思います。マルチをすると雑草が生えて来ない

点楽なのですが。

霜が降る時は藁、もみ殻などで苗を守ってください。私も、あと1~2週間したら、もみ殻を

蒔いておくつもりです。それから、追肥の件、教科書では定植後3週間目と3月の成長期

に必要だそうです。


我が家の野菜ですが、今年は暖かく虫がいつまでもいて、かなり被害を受けました。

P1070219 P1070221

右がキャベツ、左が白菜、この時期のこの被害は初めてでした。

P1070209 P1070213

大根は知らない間に、かみさんの足より太っていました。ブロッコリーは大きくなりました

が、いっぺんに九個もなったため、食べるのは夫婦二人で大変です。

P1070226

少し小ぶりですが、冬にできるタマネギもあるとか苗と一緒にもらいました。

ついでに、ソラマメの苗も5株ほど植えてみました。本当は種から植えるのがいいのです

が、一回作りすぎて・・・

Dscn0015

タまねぎ、百本植えただけで、疲れ果てました。とにかく中腰ですから。この程度が素人と

しては良いでしょう。でも。九万本も植えるなんて、私でしたら一年以上かかるでしょう。






2011年12月 5日 (月)

第5回雲仙市産業まつり~特産まんぞく市

P1070131

昨日、雲仙市の産業まつりが、開催されました。なにしろ、7町合併のため面積も広く、参

加者の皆さんも大変だったと思います。来場者も多く、会場も一杯でした。

P1070157

出品物は、雲仙市の特産物、いりこ、雲仙豚、魚、えたりの塩辛、菓子類、かまぼこ、お

茶、豚肉燻製、乳製品等々盛りだくさん。やはり、人気があるのが食べ物。

P1070134 P1070135

左の写真は、買ってきたものを食べるところ。満席でした。

右の写真はまだ100名ばかり並んでいたのですが、「日本一うまいジャガイモの産地」南

串山町の婦人会が作っている肉じゃがの行列です。ここの行列が一番多かったみたい。

試食で只のためかな?

P1070147 P1070151

左の写真は、蠣を焼いて食べているところ。美味しそうでした。

右は婦人会のバザーの様子。品物はほとんど売り切れ状態。私のかみさんも写真に写っ

ているのですが、さあ、どれでしょう。

P1070144

長崎国体が、平成26年開催されるため、国体のがんばらんば隊も来て、がんばらんば体

操をしていました。「がんばくん」と「らんばちゃんです」ちなみに「がんばらんば」とは長崎

弁で「頑張ろう」ということです。

P1070160

雲仙観光大使のお嬢さんも頑張ってPRしていましたよ。


さて、吾妻町にハタ保存会があって、ちょっと聴きたかった事があったのですが、

写真で分かりますか、テントの右側のお嬢さんが長時間いろいろ聞いているのですね。

何か、見たような方だなと思ったら、衆議院議員の福田えりこさんでした。

眼鏡をかけていたので、良くわからなかったので、胸を見ると(胸のふくらみではありませ

ん、洋服の左胸です)国会議員バッチがつけてあったので間違いないでしょう。

以外に小柄な方でした。選挙は頑張ってください。応援しますよ。

P1070162 P1070163

さて、私はというと川島英五の「目立たぬように はしゃがぬように」というのが生き方です

から、ひっそりと会場を後にしました。帰りは、コンビニで新発売「三色弁当」買ってきて、

おひとり様昼食でした。


2011年12月 4日 (日)

この一曲~アタワルパ・ユパンキ/牛車にゆられて

P1070129_3

晩秋の夜。レコードジャケットからレコードを取り出す。

レコードスプレーをかけ、ゆっくりとゴミを拭き取る。慎重にターンテーブルに置く。レコー

ド針を注意して載せる。スピーカーのボリュームを上げていく。

ユパンキのギターの前奏が流れる。僕らは、もう、パンパ(大草原)の中、牛車に揺られて

いる。ゆっくりした風の中だ。ユパンキの、大地からわき出てくるような豊かな声で歌が始

まる。そこはユパンキの世界。

ユパンキの唯一の弟子、ソンコ・マージュ(日本人)が言っている『ところでユパンキは「風

景」という言葉をよく使った。風景のなかで最も素晴らしいのは人間だとも言った」ユパン

キの音楽はそんな音楽だ。この曲もそうだろう。


1908年、ブエノス・アイレス州のパンパの中、小さな町に生まれた。父は、デメトリオ・チ

ャベーロ。ケチュア族インディオ。かってのインカ帝国の民族の血が流れていたという。

ユパンキはフォルクローレの歌手にいれられる。フォルクローレは「コンドルが飛んでいく」

を代表とした中南米の音楽だが、彼の歌と演奏を聴けばその分野には入らない音楽家だ

と言うことが分かる。歌い手にして作曲家、詩人、ギタリスト、エッセイスト。1992年没。


1929年「インディオの小路」を発表して認められる。この曲良い曲です。

≪インディオの小路≫

インディオの小路

石の散らばるコージャの道(コージャ~北アルゼンチン北高原に住む種族)

星々と谷とをむすぶ

インディオの路 



古い私の種族が

南から北へと歩んだ道

それはパチャママ(インディオの大地の女神)が山の奥へ

影とかくれる前のことだ


山に歌い

川に泣き

インディオの悩みは

夜にいや増す (以下略)



「牛車にゆられて」作詞はウルグアイの詩人ロミルド・リッソです。

≪牛車にゆられて≫


心棒に油をささぬから

おいらは碌(ろく)でなしだとさ

音の立つのが好きなのに

どうして油をさすものか


これはあんまり退屈だ

わだちをたどって、のろのろと

道をつたって、ごろごろと

楽しみひとつあるじゃない

静かさなんぞほしくない


思うこととてないものを

あるにゃあったが今はもう

古い昔の思いぐさ


おいらの牛車の心棒よ・・・

けっして油はさすものか


夕暮れ時、パンパの中を牛車に揺られて老農夫が家に帰っていく。油の切れた牛車の

心棒の音だけが響いている。家に帰っても子どもたちは貧しい家を出て、家には無愛想な

妻(うちと同じ)がいるだけ。趣味もなく、パンパのなかの一軒家、遊び行くところも無い。

毎日その繰り返し。何にもない孤独な男の心に響くのは、油の切れた牛車の心棒の音。

それだけが彼の相棒。

とにかく、ユパンキは聴いて見てください。本物の、そして、民族の心を歌う音楽というもの

が分かります。


本来は、レコードで聴くのが良いのですが、私も堕落したもんです。CDでばかり聴いてい

ます。ところで、私とかみさんとの間の心棒も油ぎれでギーギーいっているのですが、油を

さすべきか、ささざるべきか?

(参考:ソンコ・マージュホームページ/アタワルパ・ユパンキ傑作大全集/東芝EMI アタ      

 ワルパユパンキ ライナーノート 訳詞:濱田滋郎)

« 2011年11月27日 - 2011年12月3日 | トップページ | 2011年12月11日 - 2011年12月17日 »

フォト
2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

ブログランク参加中クリックしてね

最近のトラックバック

amazon

無料ブログはココログ