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2011年11月20日 - 2011年11月26日

2011年11月26日 (土)

諫早市郷土館~諫早市

素晴らしい庭ですね。

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もみじが丁度紅葉してきれいでした。

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ここは、諫早市郷土館の庭です。聞いたところによればこの郷土館の建物は諫早家が諫

早市に寄贈したものとか。税金対策もあるのかな?(こう言うのをゲスの勘繰りと言います

gawk

市の資料館にしては立派な庭です。

場所は、昨日までブログに書いていた天祐寺のすぐ前にあります。

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右が入り口と、庭があるところです。左の方にもいろいろ展示がしてあります。

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左が道しるべ「従来(これより) 右 たらみち  左 むらみち」 と書いてあるそうです。

文字ははっきりと読めます。

右は、天祐寺改修の折、寄贈してもらった鬼瓦です。背丈ほどもありました。他にもいろい

ろおいてありました。


さて、中をご案内したいのですが、撮影禁止とか、パンフレットの写真で我慢してください。

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だだ、お土産を一つ。諫早には現川焼(うつつがわやき)という有名な焼き物があります

が、一時、廃窯して、明治になって復活しました。その、廃窯の折の事が諫早日記に書

いてあり、その写しが置いてありましたので、張っておきます。なお、読み下し文も書いて

ありますので、今日は古文書の勉強だと思って、読んでみてください。よく見てくると、だん

だん判る所も出てきて面白いですよ。

Photo

2_4

ここで終ろうと思ってたのですが、こっそりと写真を一枚。

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右側の方にもまだありました。これも諫早家からの寄贈だそうです。さすが、殿様のご子孫

は違いますね。

他に、兜、鎧、なんと諫早で作られた銃までありました。諫早でなぜ鉄砲が作られたのか、

この経過については「諫江百話」の「諫早の鉄砲鍛冶」に詳しく書いてありますのでお読み

ください。


島原の殿様、鍋島家、松平家のご子孫はこちらには住んでなく、時々帰ってきているみ

たいですが、諫早家も転居されているみたいです。

さて、諫早家の「明珍のよろい」は初代諫早家竜造寺家晴公が着用されていたそうです

が、慶厳寺に納められ、永代供養の志として祀られているそうでうが、なぜ、慶厳時に?


諫早家の菩提寺は天祐寺なのですが・・・

歴史の疑問を考え、調べるのは楽しいですね。




2011年11月25日 (金)

天祐寺~諫早・諫早家墓所②

昨日諫早家墓所のことで忘れていました。

この墓所の一段高いところに、4代目茂真公(しげざねこう)夫妻と2代目直公(なおのりこ

う)の後室の墓があり、この二つは県内で最も立派な石造御霊屋(みたまや)になっていま

す。隣り合って建ててあります。

4代目、茂真公夫妻の墓です。

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2代目直孝公の後室の墓です。

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4代目茂真公の墓が一段高いところになぜ祀られたのかは、いくら調べても分かりません

でした。なにか功績があったのでしょうか?

さて、2代目直孝公の後室の墓がここにあるのか?夫婦で祀ってあるのは御覧のとおりい

くらでもあるのですが。

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こちらが、2代目直孝公の墓です。なにか後室の墓と比べると・・・しかも妻の墓は一段高

いところ。

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これは、20年前くらいに聞いた話で、記憶が曖昧としていますが、2代目の後室は偉いと

ころから来たとか。それで、一緒の所の墓地ではいやだというと事で一段高いところに立派

な墓所を作ったとか。本当のことかどうかよくわかりませんが・・・

でも、何となく身につまされますね。現代、女友達、気のあった同士で墓を作って、一緒に

入って、旦那には「あんたは自分の先祖の墓があるんだから、そっちへ入れば」ということ

があるそうな。


整然と並んだ墓ですが、ここのお寺の歴代住職のお墓です。なお、ここの住職さんはかな

り地位が高い方がなられるとか伺ったことがあります。

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島原の乱戦没者追悼碑です。島原の乱で、勿論幕府軍としてですが、92名の戦死者を出

しています。33回忌、寛文12(1672)年に作られています。

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石造五重塔です。寛文5年四代目の茂真が鍋島勝茂の菩提を弔うために、建てられたも

のです。諫早幼稚園の小高い竹林のあったものを昭和28年移管したものだそうです。

高さ6メートル。びっくりするほど立派なものです。


さて、六地蔵です。

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説明するのが面倒なので説明板ををクリックすると拡大します。お読みください。

背くらべ地蔵です。子どもたちが岩の上の地蔵と背くらべをしていたのでこう呼ばれたそう

です。でも、まあ子どもはよじ登るのが好きなもんですね。

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こちらのほうの道を行くと大門があります。たぶん、こちらが旧参道だったのでしょうか?

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四脚門と呼ばれる形だそうです。

大門の掲額があり、「鎮海勝境」と書いてあります。意味は、「法の海も波を納めて、静か

に和らいだ姿を現し、禅の行をするためのすばらしい環境をもつところ」(諫江百話)だそう

です。

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黄檗宗僧侶独立性易(どくりゅうせいえき)が書いた額だそうです。中国から来たそうで、

文化面でも活躍をいたそうです。


さて、墓所近くの舗装道路を上がっていくと。一番上に。

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虚空堂です。説明はクリックをしてください。

観光地ではなく、お寺様ですから、見学の際は一声かけてゆっくり見学してください。


見るものはたくさんあります。特に私は中庭の佇まいが好きですね。しばしの間ぼんやりと

時間を過ごしていました。おしまい。                                      

                           (参考 「諫江百話」・境内説明板)


2011年11月24日 (木)

天祐寺~諫早・諫早家墓所①

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天祐寺の中庭は銀杏の落ち葉で敷き詰められ、とても落ち着いた佇まいでした。

中庭を囲む回廊の一角に鐘楼が古い姿を見せていました。解説版によれば天文期

(1532~1554)に建てられたそうですが、「諫江(かんこう)百話」には。室町時代

(1521~27)の末期大永年間に建てられたと記されています。


竜造寺に敗れた西郷氏の菩提寺であったそうですが、竜造寺も天祐寺に帰依し、菩提寺

としたそうです。

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山門です。左右に金剛力士像が、あります。ここを上がると最初の写真の中庭です。

さて、一般に天祐寺といっていますが「坤松山(こんしょうざん)天祐寺」が正式名称だそう

です。曹洞宗のお寺です。



諫早家の墓所ということを知っている方はは多いと思いますが、なかなか、中まで見られ

たことがないと思いますので、すこしご案内を。といっても、見る物が多く多分2~3回くら

いに分けて書きます。

看板を載せますので詳しくはこちらをご覧ください。(写真をクリックすると大きくなります)

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看板に従って、説明しますが、看板以外にもいろいろあるのでそれも交えながらご覧くださ

い。

諫早家の墓所です(写真の右側にも広がっています)。いつか、島原の松平家の墓所をブ

ログに載せましたが、まったく違った趣がします。

墓の周りを柵がめぐらせてあります。覚えておいてください。

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立派な墓が並んでいます。すごいですね。

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初代家晴公の墓です。一番奥に祀られています。

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この墓所には、当主の墓18基、正・側室・子息の墓25基、家臣の墓30基、一族の墓4基

雑塔56基、石碑5基、六地蔵石幢(せきとう)4基、石灯籠171基があるそうです。

初代から3代目までの墓碑の後ろに一回り小さい墓碑が並んでいます。

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領主に殉死した家臣のものです。ふつうは領主の墓所の中には建てないという事を聞い

たことがありますが・・・

さて、墓を囲む柵は弥勒四十九院を刻んで石造り卒塔婆とした珍しい形式だそうです。

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柵の内側になりますが、四十九院の名と御本尊様の名前がが彫り込んでんであります。

諫早家の墓所はこれくらいにして他にも貴重なものがありますので。また続く。night

                         (参考 「諫江百話」・寺院内解説版)








2011年11月23日 (水)

14歳からの精神医学~心の病気って何だろう/宮田雄吾

最近、心の病気が大きな問題になっています。昔は精神病院というと周りの人にへんな目

で見られましたが、特に心療内科ができたおかげで、病院にかかるのが昔ほど負担には

ならなくなったようです。

笑い話のようなことですが、私自身も、3年ほど前から隣の犬の鳴き声で(ひどい時は2~

3時間ほど間歇的に鳴く)、ひどい時は手が震え、動悸がひどくなることがあり、心療内科

や精神科に通っている有様ですが、患者さんが意外と多いのに驚きました。

お医者さんと話をしていると、先生も犬の鳴き声で神経症になった経験があったとか、お互

い笑ってしまいました。また、以外にもこの手の患者さんが多いとか。


さて、私も心理学を学んだだけに、この手の本を見るとなんとなく手に取りたくなります。

Photo

本のプロローグにこう書いてあります。少し長くなりますが、

『日本において、何らかの心の病気にかかった経験がある人は17,2%。実に5.8人に1

人にも及ぶ。このように、心の病気は誰でもかかる、ありふれた病気なんだ。

それに心の病気の半分は、体の一部分である「脳」の働きが、一時、悪くなったために起こ

ると言われている。胃が悪くなったりするのと同じように、脳だって働きが悪くなることはあ

る。体の病気が性格と関係なく発生するように、心の病気も”心の強さ”や”性格”とはなん

の関係もない。』


この本は、心の病にかかった実例をアレンジして書いた部分。症状と原因の部分。そして、

ここが一番大事なのでしょうが、友達が、親が、心の病にかかったときどう対応したら良い

のかについて分かりやすく書いてあります。どうかすると、私たちが間違った対応法を

取っているかも分かると思います。


ちなみに、書いてある病、内容は<摂食障害><社交不安障害><脅迫性障害><うつ

病><双極性障害><統合失調症><不登校><暴力行為><リストカット><多量

服用><ストレスにつよくなるために><おもいつめない><トラウマに支配されないた

めに><心の病気を早期発見するために><エピローグ~君の生きる意味を見つけよう

>です。

書名は難しいようですが、14歳の時期の子どもたちに向けて書かれた本で分かり易く書

いてあります。14歳の時期の方でなく、保護者の方も一読して頂ければ、心に病のある子

どもたちのことだけでなく、思春期の子どもの心のあり方がよく分かると思います。



2011年11月22日 (火)

大黒天・磨崖仏~雲仙市小浜町雲仙

雲仙に車で上がるには、いろいろ道がありますが、千々石から上がると、途中、日本の棚

田百選に選ばれた岳地区の入口があります。

今日は、その入り口のところで棚田米を販売していました。

そのルートを上がっていくと、雲仙温泉旅館街に入る手前に、鴛鴦(おしどり)の池と名付

けられた、ダムがあります。駐車場、WCは完備しています。

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数十年前までは、鴛鴦が泳いでいたのを見たのですが、今はいなくなったみたいです。

このダムは、小浜町、千々石町の農業用水と雲仙の水源のために作られたそうです。

田植え時期になると、ここから水を下流の方へ流します。

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たぶん水を流すところでしょう。

入口です。歩くことしばし。

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道はきちんと整備されていますから、歩くのは楽です。

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大黒天に上がる階段です。といっても、あまり急な階段ではありません。

途中、犬を連れたおばあさんに会いましたが、少しばかり話をして、大黒天のところへ行く

と、シバが新しかったので、取り替えに来られたのでしょう。

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さて、大黒天のところです。岩が重なり合っています。お分かりでしょうか、四角で囲んだと

ころです。最初は分からず、お賽銭を上げてひょっと見上げるとありました。

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右手に小槌を持っていますね。もっと近寄ってみます。かなり大きな摩崖仏です。

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良い顔をされていますね。掘った方の人柄がでているみたいです。

この大黒天はダム工事のときに、発見されたと昭和40年の新聞記事にあったそうです

が、「小浜町史談」も見てみましたが捜すことができませんでした。

ここ、雲仙は、昔、修験者の聖地として有名でした。その遺跡でしょう。

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棚田米でもおみやげに買っていって、お願い事をしてきてはいかがでしょう。

なお、大黒天については、いろいろ面白い話がありますよ。「ウィキペディア」の大黒天

民間信仰のところは本当かなと思って、自分のをつくづく見てみましたが、しおたれてしま

って確認でしきませんでした。

2011年11月21日 (月)

旬の食材カレンダー~まめこ

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今や、季節に関係なく、食材が何でも手に入る時代。

夏のトマトが、春のイチゴが冬にでも手に入る時代です。

旬のものは、はやり体に良いもの、特に、地元で取れたが一番良いのでしょう。

この本にも「その土地で作り続けられ、その土地で食べ続けられているものは、その土地

で暮らす人にとって、良いようにできているのです。」

『「だから、海外で「健康に良い!」とブームになっている物を食べるより、地元で食べ続け

られているものを食べた方が体に合っている!」と書いています。


いま、地産地消(地元で取れたものを地元で消費する)ということが盛んに言われていま

す。

この本、著者の「まめこ」さんが、旬の物を求め、地元まで出かけて、生産者の方に取材を

したものです。

漫画の本ですから、楽しく読めます。また、「料理法」「こんなときに効く」「おいしい見分け

方」「保存法」まで書いてありますから、一冊持っていて重宝しますよ。食材を買いに行くと

き、ちょっと見ていくのも良いでしょう。


さて、たびたび、このブログにわが家の野菜が登場しますが。

サニーレタスは毎日食べています。

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ブロッコリーはもうすぐ収穫出来るでしょう。

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大根は少しずつ太り始めています。かみさんの足よりほっそりしていますが。

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さて、今日は大根を使っておでんみたいです。旬の物をたくさん食べましょう。






2011年11月20日 (日)

愛宕山神社(雲仙市小浜町)~絶景かな絶景かな

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愛宕神社から小浜の富津(いつか、六角井戸のことを書きましたが)を見たものです。プロ

のカメラマンが、写真集でこの一段下の国道から写真を撮っていた写真集がありました

が、こちらのほうがはるかにいい写真が撮れるでしょう。私のカメラは10年前買ったデジタ

ルお手軽カメラですからこの程度しか映りませんが(フィルムカメラならニコンF2、コンタック

スG1、以前はライカも持っていたのですが)。もうぼちぼち買い替え時ですかね。でも、もう

重たい写真機を持つ気力もないものですから。


さて、神社といっても期待しないように、祠一つの神社です。

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千々石から、小浜へ向かう国道の小浜側から千々石少年自然の家へ上る道があります

(逆に自然の家から小浜へ下っても良い)。途中小浜側から猿場稲荷への鳥居がありま

す。

それを通り過ぎると、鉄製でできた鳥居があります。階段、手すりはしっかりついています

が、かなりの急こう配。道は荒れ放題になっています。

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いまから数十年前何回か写真を撮りに上ったことがあり、その時はきれいにしてあったの

ですが・・・

さて、この神社のいわれですが、祠の横の石碑に由来が書いてありますが、読みにくいの

で説明を。

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ここの富津は、八十四余戸の地区ですが、享保年間と円享元年(1744)の二回にわたり

大火事があり全焼したそうです。

それまで、「富津」という名ではなく、「日比ケ浦」と言っていたそうですが、「日」は「火」に通

じるということで、乙名(おとな)いわゆる、長老、まとめ役の喜左衛門が発起し、御公儀に

申請し「富津」に改名したそうです。


安政が終わり天明(1781)のとき、火の神の「加久槌ノ神」を奉祀し石祠を建立し、火の用

心に留意したそうです。そう言われてみれば、この神様は富津を見守っているような感じを

受けます。この神様、祠は今から230年も前のものになります。すごいですね!

昔、きれいにしてあったのはその由来を知り、お参りしていたからでしょう。その方々も、年

をとってこの階段を上がるのは無理なのでしょう。若い方が受け継いでくれるといいのです

が。

旧暦の3月12日と6月12日が祭礼になって、若者の宮相撲があっている旨「小浜史談」

に書いてありましたが、今はどうでしょう。ただ、階段を上っていると、上り旗用のポールが

何本かは置いてありましたので、祭礼はやっているのでしょう。


皆さんの周りにも、目立たない祠、地蔵さま等あると思いますが、各々そのいわれがある

もの。いま、そのいわれも忘れられようとしている時代だと思います。

古老の方、若い方に話を語って欲しいと思います。

なお、「由来の碑」は昭和48年5月に建てられていますが、創祠200年を記念して建てら

れたもののようです。

良い風景ですよ。足腰に自信のある方。藪道が好きな方は是非どうぞ。

 

                    (参考 「小浜史談」・石碑「愛宕山神社創建之由来)







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