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2011年9月18日 - 2011年9月24日

2011年9月22日 (木)

小休止しますm(_ _)m

先週より、目の調子がおかしく、眼科に行ったところ「歳を考えてパソコンしなさい!」とのこ

とで「禁パソ」を言い渡されました。調子が戻ったら、また、再開します。

いま、橘中佐の銅像について調べているのですが、

P1050470

この銅像、橘神社が建てられたときに、同時に建設されたと思っていませんか?

橘神社が建てられたのが、昭和15年に社格を長崎県社として立てられたのですが、橘中

佐の銅像は平成大正7年に完成したのです。しかも、2体作成されたのですが、また、こ

のあたりから再開したいと思いますのでお楽しみに。

2011年9月21日 (水)

訂正m(_ _)m 日本一小さな発電所げな

7月7月に「日本一小さな発電所げな」と言う記事を書きましたがもっと小さな発電所があ

ったのです。

何気なく、ネットを見ていたら、PRS法ホームページがありまして、「新エネ等電気利用法」

の事だそうですが、要するに新エネルギー対策のことですね、法案等々についは上のホ

ームページでリンクをしていますのでご覧ください。そのホームページに風力発電とか、太

陽発電、地熱発電等の資料も出ていました。

水力発電については

Q   水力発電の認定要件は何か。
A 出力千キロワット以下の水力発電所であって、以下のものである。
・水路式の発電所
・ダム式又はダム水路式の水力発電所については、水道、工業用水道若しくはかんがいのための水又は河川の流水の正常な機能を維持するための水の放流に伴って発生する水力を用いるもの(いわゆる水道利水発電、工業用水利水発電、農業用水利水発電、維持流量発電)

Q11

水道利水発電、工業用水利水発電、農業用水利水発電、維持流量発電に該当することはどのように確認するのか。

A いわゆる水利使用規則上の記述により判断することを原則とする。

と言うことだそうです。


水力発電の一覧についてはホームページの真ん中の欄「2011.7.8 情報ダウンペー

ジの欄を更新しました」をクリックするとダウンロードのページが出ますので、水力発電設備

をクリックして貰うと全国1000KW以下の発電しているところが出てきます。

電力会社以外にも企業、農協、一般会社、小さな所では「長野県波田水車発電所 1W」と言

うのもありました。京都では「合資会社嵐山保勝水力発電所 5.5W」もありました。

内容を見ると、いろんなところでいろんな目的で発電所を作っているところがあるようです。

エネルギーに関しては、電力会社におんぶにだっこするだけではなくいろんな事が分かって

きたような一日でした。


さて、近所のキャベツ畑のキャベツも段々大きくなり始めています。

さすがプロ、良い仕事ですね。わが家の菜園ではこんなにキチンとは植えきれません。

P1050617


川の改修も始まりました。

P1050618

工事の進行状態も見ていて楽しいですね。時々進行状態も載せていきますね。





2011年9月20日 (火)

島原の乱と宮本武蔵

今日は朝から雨、病院に行ったら患者さんが一杯。待ち時間があるので、ちょうど良いと

思い今日のブログはなにを書こうかと思っていたら、女の人から、しかも独身の知り合い

の方から声をかけられました。八十九歳の。良くしゃべること。おかげで、考えがまとまり

ませんでした。


さて、この間、原城へ行ったことを書きましたが、なにか頭の中に忘れていたものがあった

のですが、やっと今日になって思い出しました。あの宮本武蔵がこの島原の乱に加わって

いたのですね。もちろん幕府側です。何に書いてあったか、覚えているようで、覚えてない

ような。吉川英治は巌流島のところで終わっているし、小半日捜してやっと分かりました。

やっと見つけました。

P1050609

この本、吉川英治の「宮本武蔵」と読み比べると面白いですよ。どちらの方が真実に近い

か。司馬遼太郎の方は短編なので一時間ほどで読めると思います。

さて、この本のを読んでいくと、当時、養子の伊織が小倉の小笠原藩に武蔵の推挙で仕

官していた関係で、小倉の小笠原藩の陣地にいたそうです。西望公園の図で見ると

P1050267_2

図の真ん中の白丸で囲んだところです。各藩の番号が振ってあって「69 小笠原右近大

夫(小倉)」と書いてあります。



さて、武蔵の働きというと、本に書いてありますが、石を投げられ傷を負い活躍はできなか

ったみたいです。裏付けとして、陣中の武蔵から有馬直純に宛てた文書があります。こ

の、資料に載っていました。

Photo

旧南有馬町のまちづくり課が作った資料です。

Photo_2

この中に「拙者も石にあたり すねたちかね申・・・」と書いてあります。脛が立てない状

態なのでかなりの重傷だったのでしょう。

このようにして登っていったところを石があたったのでしょう。

P1050203


この資料の中に、「四郎法度書」もありましたので、一揆群の覚悟が分かると思います。Photo_3

最後の益田四郎は天草四郎の本名です。

さて、原城に来られたとき、ここで宮本武蔵も戦っていたことを思い出してください。








2011年9月19日 (月)

また皿まわしをしてきました~炭酸泉・上の川湧水(雲仙市・小浜)

また、頼まれてボランティアで皿まわしをしてきました。本当は隠し芸なので「隠して」いた

のですが、いつの間にかばれていました。

隣町の敬老会です。皆さん元気ですね、昔は老人クラブは六十歳から加入でしたが、いつ

の間にか六十五歳からになっていました。

いつだったか、公民館のホールで高齢者の方が大会をしていたので、なんだろうと思って

覗いたら、舞台の看板に「老人クラブ青年部結成大会」と書いてありました。今の高齢者

の方が、草食系男子よりパワフルなのではないでしょうか?


今日の敬老会の対象の方は七十歳以上の方だそうでしたが、まだまだ若い若い。

私のたらい回しです。

P1050562_2 

少しお手伝いをして、お婆ちゃんにも回して貰いました。

P1050549_2

今日回したものは、小皿、中皿三枚回し、中華丼、ステンレスお盆、まな板、土鍋の蓋と

本体、プラステックのたらいでしたが、結構喜んで頂きました。

P1050591

帰りがけ、道に迷って裏通りを回っていたら、こんな所がありました。小学生が描いた説明

文でしょうか、下に小浜小学校平成18年度生と書いてありました。なかなか良くできてい

ます。

P1050567

中に入ると、池があり右の写真のように水がボコボコしていました。よほど熱いのかと思っ

て、手を入れたらぬるいお湯でした。

説明文によると、自然湧水で、25~27度だそうです。炭酸ガスと硫化水素を多く含み皮

膚病に効くそうです。浴用以外にも味がサイダーに似ていると言うことで、小浜に来られた

方の飲料にも使われたこともあるそうです。飲んでみると、なるほどサイダーの味がしまし

た。

P1050572 P1050574

少し行くと、有名な上の川湧水でした。

P1050584_2   

ここには、水を汲に来る人が次々と。ペットボトル数本に入れている方も。地元の中学生

もクラブに行く前に水を汲んでいました。

P1030976

後ろの方は庄屋元跡です。石垣が立派なのはそのせいでしょう。

たまには、裏通りを行くのも良いですね。いろんな発見があります。



2011年9月18日 (日)

四千万歩の男~井上ひさし

稲もすっかり稔り、9月末~10月上旬頃稲が刈られるでしょう。新米が待ち遠しいです

ね。私はちゃんと棚田の米を予約していますよ。待ち遠しいですね。

近くの田んぼを歩いていたら、毎年名物の案山子。

P1050511

いろいろありますよ。

P1050494 P1050495

さて、今日は本の紹介です。1990年に出た本ですから、もう21年前の本ですか。井上ひ

さしの「四千万歩の男」です。もちろん、伊能忠敬を書いた本です。井上ひさしは高校の時

にかなり読んだ事があります。この本知ってはいたのですが、厚い本だしどうしようかと思

っているうちに月日がたっていました。

P1050529

まだ、全部は読んでいないのですが、伊能忠敬については知らない人はいないでしょう。

しかし、その測量法について知っている人は少ないと思います。わたしも、水戸黄門なみ

に弟子を2~3名をつれて温泉にでもつかりながら計っていったと思っていたのですが、

本を読むとかなり過酷な測量だったことが分かります。

一日歩く距離が、本によると「閏年四月二一日十一里半~歩数にして四万九千二百歩」

「四月二十二日十里二十九丁四十一間~歩数にして四万六千七百七十四歩」このような

調子でで歩いています。もちろん道が曲がるたびに角度を測ります。どんなに手間がかか

ることか。

距離は歩測で、二歩で一間(約1.8m)です。歩測で計ったのですよ!

歩く歩数が一日四万歩以上です。夜はそれをまとめて、天体観測。

私は毎日一万歩歩きますが、四万歩はとても無理ですね。一日くらいだったらできますけ

ど。毎日はとても、とても。忠敬そのとき五十六歳です。

とにかく驚くのは二歩一間ですね。

これが、狂うと全体が狂ってしまい、正確な地図は書けません。私は身長が160cm(わ

たしゃも少し背が欲しい)で、一歩が60~70cmで歩きますが、二歩一間90cmで歩くと

かなりきついですね。よっぽど足が長いならですが。

よほど、訓練をしたのでしょうが、一日中歩いて狂い無く二歩一間。しかも四万歩以上毎

日歩くのはひどかったでしょう。


まだ、第一巻の途中ですが、これからが楽しみです。

なお、長崎関係の旧街道を調べたのネットがあったので下にリンクします。皆さんの住ん

でいるところの旧道を調べるのも面白いですよ。

又、島原半島の街道については下記の本に詳しく書いてありました。

P1050527

車道ばかりが立派になって、旧道は段々分かりにくくなっています。家の近くの旧道くらい

歩いてみませんか?

なお、伊能忠敬は千々石の庄屋宮崎家に泊まったそうです。

P1050516

真ん中の空色の標柱に庄屋跡(宮崎家)とそれだけしか書いてありませんでした。当時と

はここらあたりは全然違っているのでしょう。何か淋しいですね。子孫の方もよく分かりま

せんでした。

長崎県の主な街道(リンクしていますからクリックしてみてください)




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