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2011年12月 7日 (水)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町 その1

近年、千々石の橘神社の初詣での方が増えているとか。

来られた方は、神社の入り口右手の方に、橘中佐の銅像が建っているのを見られたと思

います。

P1050470

この銅像最初からここに建てられたわけではないのです。このことは千々石の90%の人

が知っており、観光客の99%の方が知らないことです。

橘中佐については、いろいろな本、資料がありますから、今回はこの銅像について書きた

いと思います。


さて、この銅像2つ作られていたのです。話が長くなるので、2~3回に分けて書きたいと

思います。

橘中佐が、戦死されたのは明治37年8月31日。

明治45年、軍神としての姿を永遠に残したいとの町民有志の呼びかけで建設委員会を

立ち上げましたが、、明治天皇のご崩御により中断。大正3年になって再開されました。

この建立事業に陸軍部が協力することになり、両者共同の形で、像2体建設の計画となり

ました。発起人等氏名は省略します。


ここから不明な点が、製作者は北村西望。35歳。初めての銅像制作であったそうです。

制作した所が、郷土史によると「大阪砲兵廠にて二体鋳造・・・」となっているのですが、

千々石史談の第二号で、橘周次郎氏が書かれた「故橘周太銅像の由来」によると、

森本丹之助氏著「軍神橘中佐」に、「(銅像の)製作者は、郡内有馬出身の北村西望氏に

し、大正7年5月東京都府西が原美術工場にて起工し、同年7月、原型落成し同年10

月、東京都下なる北豊島郡加藤工場に於いて鋳造し、・・・」とあり、また、造幣局において

作られたという方もあり、はたして、大阪砲兵廠なのか、東京の加藤工場なのか、はたま

た造幣局だったのか、真偽は不明です。


もうひとつ。

一体の設置場所が先ほどの森本氏の本によると「一はこれを東京府に」とあり、郷土史に

も「もう一体は東京中央幼年学校へ」と書いてあります。

しかしながら、ブログで「名幼歴史」(名古屋陸軍幼年学校)というのがありますが、その中

で、「大正12年3月廃校時に卒業生に配布したアルバム」の「旧校アルバム」を見ると明

らかに、橘神社と同じ銅像が名古屋陸軍幼年学校にあるのです。(下写真)

Tachibana_11

また、ブログの「千々石ネット」によると「もう一体は名古屋陸軍幼年学校に安置され、そ

の後(名古屋陸軍幼年学校廃校のためか?)東京市市ヶ谷陸軍士官学校に移管され、さ

らに昭和2年3月駿府城址の歩兵三十四聯隊(橘中佐が大隊長をしていた部隊)に安置

されたが、この像は昭和19年4月4日金属回収で供出された」とあります。


なお、「板妻駐屯」のブログの「第6回橘祭」では「もう一体は同中佐が校長をつとめていた

名古屋幼年学校に建立されていた。その後幼年学校が閉鎖されたため、昭和2年3月、

駿府城跡の静岡聯隊の営門付近にうつされた・・・」とあります。

幼年学校閉鎖が大正12年ですから昭和2年まで3年ほど間がありますね。やはり東京の

方に一時移されていたのでしょうか?


考えると、橘中佐は名古屋陸軍幼年学校の校長の経歴がありますから、最初は名古屋

陸軍幼年学校に建てられたと考えるのが自然みたいな感じがするのですが?

多分、名古屋陸軍幼年学校が大正12年に廃校になったため、この銅像は東京に移され

たかどうかは分かりませんが(陸軍士官学校?東京中央幼年学校?)、最終的には、橘

中佐が大隊長をしていた、第三四聯隊に移されたのです。


千々石史談第2号「橘周太中佐戦死百年」に「昭和19年4月4日駿府(静岡県)の橘中佐

銅像の脱魂出陣式が行われる。(4月17日、金属回収として供出)としてありますからこ

の時点で、1体は姿を消したことは間違いないでしょう。

さて、銅像の一つは姿を消しましたが、橘中佐と34聯隊さらに静岡県との関係?また、

千々石の銅像は?話は続くよどこまでも。 coldsweats01                

                                         (続く)



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