橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町その2
さて、昭和19年終戦直後、金属供出で一つの銅像は消えてしまいましたが、戦後、陸上
自衛隊板妻駐屯地が、昭和37年富士演習場坂妻廠舎跡に創設されたおり、基幹部隊の
陸上自衛隊第34普通科連隊が、県民の要望で、静岡歩兵三十四聯隊の連隊番号を受
け継いだため、日清戦争から大東亜戦争にいたる、橘中佐をはじめとする、遺品、資料
等が関係者のよって委託されることになったのです。
このため昭和39年駐屯地内に資料館が建設され、駐屯地設立の2周年記念の時、郷土
記念館横に、元三十四聯隊出身、静岡県伊豆町の彫刻家堤達夫氏による橘中佐の胸像
が作成されたのです。
さて、この資料館が老朽化したため、駐屯地二十周年の時、新しい資料館が出来たので
した。この時、この胸像がコンクリート製であり、永久保存出来ないということで、銅像再建
運動がおこり、胸像を作られた堤達夫氏によって銅像が作成され、胸像は資料館に移設
されたそうです。
銅像は、台座3メートル像の高さ2,1メートルという堂々たるものだそうです。
この事から、橘中佐が単に軍人ではなく、人格者として人に慕われていたことが分かると
思います。
さて、銅像は左手で軍刀を握り、右手が胸元の双眼鏡を支え、富士山に向かってそうで
す。
なお、除幕式は中佐の曾孫橘一樹(11歳)と、中佐の最後を看取った内田軍曹の曾孫内
田久美子さん(11歳)の手で行われたそうです。
また、このときは、千々石からも故床井町長他奉賛会6名も参加され、故床井町長が挨
拶を述べられたそうです。
橘神社の銅像とは、双眼鏡を握っていたり、握ってなかったり、若干の違いはあるようで
すが、基本的には同じような感じを受けます。(下が橘神社の銅像です)
さて、長崎県で生まれた橘中佐が、静岡県においても未だに尊敬を集めていることは、生
誕地、南高来郡(現雲仙市)千々石町の人間にとっては非常にありがたいことでありま
す。
なお、板妻34連隊においては、「たちばな祭」を開催していたようです。「第30回たちばな
祭」りまでは記録があるのですが・・・
部隊に、連絡しないで、訪問した方があったのですが、中には入れてもらえないようでし
た。なお、「たちばな祭」は現在行われていないという話だったそうです。
と、ここまで書いて調べると、「六幼関係」(多分、東京、名古屋、広島、熊本、大阪、仙台
にあった幼年学校出身者の集まりみたいでした)というブログを調べると、昭和23年9月
15日の部分に「●名古屋 名幼会は解散したので特に全体を把握していないので全般の
報告事項はないが、毎年8月末開催の陸自板妻の普通科34連隊は名幼第2代目校長と
縁の番号であり、首山堡での戦死日に因んで「橘祭」を斎行している。今年は8月27日に
実施、有志5名が参列した」という記事があり、形を変えておこなっているのではないでしょ
うか?
この、記事を書くについては、静岡県で発信している下記のブログを参考にさせて頂きま
した。
また、「やまひこブログ」というのに、昭和33年頃の静岡新聞に、実際に橘中佐のもとに
いた部下の方の対談が載せてあり、それがコピーされております。中佐の面白いエピソー
ドも載っておりますのでお読みください。
まだまだ続きますよ、次はいよいよ千々石の銅像についてですが、これにもいろいろあり
まして・・・・お楽しみに (続く)
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