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2011年12月 4日 (日)

この一曲~アタワルパ・ユパンキ/牛車にゆられて

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晩秋の夜。レコードジャケットからレコードを取り出す。

レコードスプレーをかけ、ゆっくりとゴミを拭き取る。慎重にターンテーブルに置く。レコー

ド針を注意して載せる。スピーカーのボリュームを上げていく。

ユパンキのギターの前奏が流れる。僕らは、もう、パンパ(大草原)の中、牛車に揺られて

いる。ゆっくりした風の中だ。ユパンキの、大地からわき出てくるような豊かな声で歌が始

まる。そこはユパンキの世界。

ユパンキの唯一の弟子、ソンコ・マージュ(日本人)が言っている『ところでユパンキは「風

景」という言葉をよく使った。風景のなかで最も素晴らしいのは人間だとも言った」ユパン

キの音楽はそんな音楽だ。この曲もそうだろう。


1908年、ブエノス・アイレス州のパンパの中、小さな町に生まれた。父は、デメトリオ・チ

ャベーロ。ケチュア族インディオ。かってのインカ帝国の民族の血が流れていたという。

ユパンキはフォルクローレの歌手にいれられる。フォルクローレは「コンドルが飛んでいく」

を代表とした中南米の音楽だが、彼の歌と演奏を聴けばその分野には入らない音楽家だ

と言うことが分かる。歌い手にして作曲家、詩人、ギタリスト、エッセイスト。1992年没。


1929年「インディオの小路」を発表して認められる。この曲良い曲です。

≪インディオの小路≫

インディオの小路

石の散らばるコージャの道(コージャ~北アルゼンチン北高原に住む種族)

星々と谷とをむすぶ

インディオの路 



古い私の種族が

南から北へと歩んだ道

それはパチャママ(インディオの大地の女神)が山の奥へ

影とかくれる前のことだ


山に歌い

川に泣き

インディオの悩みは

夜にいや増す (以下略)



「牛車にゆられて」作詞はウルグアイの詩人ロミルド・リッソです。

≪牛車にゆられて≫


心棒に油をささぬから

おいらは碌(ろく)でなしだとさ

音の立つのが好きなのに

どうして油をさすものか


これはあんまり退屈だ

わだちをたどって、のろのろと

道をつたって、ごろごろと

楽しみひとつあるじゃない

静かさなんぞほしくない


思うこととてないものを

あるにゃあったが今はもう

古い昔の思いぐさ


おいらの牛車の心棒よ・・・

けっして油はさすものか


夕暮れ時、パンパの中を牛車に揺られて老農夫が家に帰っていく。油の切れた牛車の

心棒の音だけが響いている。家に帰っても子どもたちは貧しい家を出て、家には無愛想な

妻(うちと同じ)がいるだけ。趣味もなく、パンパのなかの一軒家、遊び行くところも無い。

毎日その繰り返し。何にもない孤独な男の心に響くのは、油の切れた牛車の心棒の音。

それだけが彼の相棒。

とにかく、ユパンキは聴いて見てください。本物の、そして、民族の心を歌う音楽というもの

が分かります。


本来は、レコードで聴くのが良いのですが、私も堕落したもんです。CDでばかり聴いてい

ます。ところで、私とかみさんとの間の心棒も油ぎれでギーギーいっているのですが、油を

さすべきか、ささざるべきか?

(参考:ソンコ・マージュホームページ/アタワルパ・ユパンキ傑作大全集/東芝EMI アタ      

 ワルパユパンキ ライナーノート 訳詞:濱田滋郎)

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