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2011年12月

2011年12月31日 (土)

男女のしかた~最後はめでたく(十八禁)

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今年最後はおめでたく「男女のしかた」もちろん「しかた」とは「しかた」のことで、あの事で

す。

名所に行っても、陰陽石なんて、あれとあれが置いてありますね。だいたい、あの事は本

来はおめでたく、神聖な事なのです。

さて、ブログで良俗に反することは、削除される事があるそうですが、この本の著者「夏目

房之助」はあの文豪「夏目漱石」の由緒ある孫に当たる方で、そうそうこのブログ削除する

するわけにはできないでしょう。ただし「夏目房之助」さんは漫画家です。この本も漫画で

す。房之助さん読んだのが中学校の時だそうです。さすが、文豪の孫。



さて、この本の元本は「閨の御慎みの事」「男女仕附方」「女閨訓抄」の3冊。この本につい

て、本文とともに漫画で説明してあるものです。


「閨の御慎みの事」は大名のお姫様が、輿入れするとき、なにの時の教科書として与えら

れたひとつでであるといわれています。私も、某大名お姫様の性教育の時に使う屏風絵を

見せていただいたことがあります。立派なものでありました。絵はもちろん、お二人のあれ

もであります。

当時は、多分十数歳でお輿入れだったのでしょうが、あれを、その年で見せられたら多分

にショックを受けられたのではないでしょうか。いまでは、何の事ないのですが。ネットでい

くらでも・・・


「閨の慎みの事」はお姫様の教科書のため例えば「殿御の御寵愛勝れて昼の房に入りた

もうことあれば、むげに拒み給うは情に背き給うなり。されど夜の房時にもいや増して一層

深く慎み給い、如何によろこぶとも、うちかけをも脱ぎ給うべからず。殿佳境に入り給え

ば、静かに起きて厠に至り陰処の始末して、其の帰る時に、腰元にも仰せられず、自ら御

手ぬぐいを水に湿して持ち帰り跪いて顔を背け殿に差し上げ給うべし。云々」

良いですね。さすがお姫様、風情がありますね。今の女子と違って。


「男女仕附方」は江戸時代の戯作と言われています。前書とは違ってずいぶん違っていま

す。

「女もまたたださせたいが一ぱいにて、そのうちにさすがにはずかしさがまじるゆえ、男に

あいて寝るや否や、陰門ぐちゃぐちゃとうるおい出し、ややすれば上気して、頬は上気して

、顔はホカホカとあつくなり、或いはむねはどきどきとして睦言手管の段にはいたらず、や

がて男のかたより割り込めば、足をからみ手をからむの術も知らねば、石地蔵のころがし

たように股をひろげ自由になる、是もまたかわゆらし。(略)」というようなことが延々と書い

てあります。


最後の「女閨訓」は江木欣欣女史の子女の結婚教書といわれるもので、明治時代のもの

です。

「夫れ男女交合して一体となるの原理は、凹なる処を凸なる物をもておぎなうにあり。(略)

然れども只単に男根を女陰に刺し込むのみにては、素より楽しみに至るものに非ず。

必ず動揺摩擦して熱を生じ、その熱男女の心肝を貫き、茲に大いに精を洩らし、気を逝り

て初めて快楽の極致に至るものなり、夫れ専ら此事を楽しまん事に一心を傾け、些かも

他念あるべからず(略)」

書けばきりがないので止めますが、もっとすごい表現がありますが、あれは大体古来おお

らかであったのではないでしょうか。

ネットであからさまにやっていますが、どうも、おおらかさとは感じが違うと思うものです。


セックスレス、少子化時代。たまには、こんな本も読んで、なにについて考えてみません

か。一応「十八禁」にしてみましたが、今の若い人には完全には読めないでしょうね。

もうすぐ姫初め、頑張れる方は頑張ってください。

わたしも、今年は頑張りますよ。相手が変われば…

(文引用:男女のしかた~夏目房之助著)


2011年12月30日 (金)

島原市湧水(島原市)~今年のことは水に流して(その2)

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有名な四明荘です。(説明板はクリックすると大きくなります)

夏にこんな所で昼寝でもしたら、気持ちいいでしょう。

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湧水館です。

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有名な恋の(失礼)鯉の泳ぐまちの所です。鯉は、他のところで泳いでいました。

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水屋敷も有名なのですが、休日で残念でした。

さて、後はアーケード街を歩いて、湧水を写してきました。写しすぎてどこがどこか、説明で

きないので写真だけお楽しみください。(写真はクリックすると拡大します。)

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これも湧水を利用したものです。

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鯉ならぬ、金魚さんが泳いでいました(右写真)。鯉を見た後はなにか、けなげな感じで。

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18銀行さんですね。これも湧水利用です。

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親和銀行さんも負けていませんね。写真左下です。

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写真をクリックして拡大してもらうと「しんわの泉」と書いてあります。

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さて、ひとつ残念なのが。御用御清水。中学校の一角にあり由緒ある湧水なのですが。

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中は荒れ放題でした、折角なのに。

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島原にはまだまだ、大小の湧水がありますが、ほんの一部だけの紹介でした。

でもこれだけ水を見れば、今年の嫌なことも水に流せるでしょう。

最後に、皆さんも暖かくなれるように、島原温泉の足湯です。

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帰りがけは「ほたる」というところで昼食を。真ん中のハート形の卵焼きが何ともカワユイで

すね。混ぜご飯。うどんもおいしかったですよ。あと、小エビのてんぷら、茶碗蒸し。

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お隣には地場産のお土産物屋さんが。野菜プリン(雲仙産)トマトの甘納豆(熊本産)を買

ってきました。

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なお、島原の湧水につては「島原観光協会」のホームページ「湧水散策おすすめコース」

に詳しく書いてありますので、参考にしてください。 (終了)


2011年12月29日 (木)

島原湧水(島原市)~今年のことは水に流して(その1)

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さて、今年も終わりに近すぎました。

終わったことは、水に流そうと(東北震災みたいに水に流せないこともありますが・・・)水

に関することを。

島原市は湧水で有名なところです。普通カルタでは「犬も歩けば棒にあたる」と言います

が島原では「犬も歩けば湧水にあたる」というそうです。(本当にしないでね)

上の写真は、島原桜門湧水です。場所は島原の武家屋敷から少しいったところです。

島原半島は雲仙岳の影響でしょう。湧水のあちらこちら湧いております。

千々石も、水が涸れることもなく、長崎市がひどい水不足の時、千々石の水をタンカーで

運んでいったものでした。

島原でも、ここ桜門湧水が有名で、汲んで行く人がたくさんいます。写真を撮っているとき

も次から次へと、水を汲む人が車を道に止め通行の邪魔になるため、駐車場をわざわ

ざ広げたという話を聞いたことがあります。

駐車場の向こうに見えるのが、この湧水を管理している方の店です。

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見ていると、皆さん水を汲むばかり、個人で管理しているので浄財を、というお願いが書い

てあるのですが、あまり入れていく様子もなし。せめてもは、店で買い物でもして行くかと思

うと、それもあまりなし。私も一口飲ませて頂きましたが、私は、ちゃんと買い物をして行き

ました。ご愛用の「日田天領の水」を。

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柏野(かしわの)湧水です。このペットボトルの数。まだ、軽トラックにも積んでありました。


さて、島原の湧水は、各自ボーリングして、各々自由に使えるようにしてあります。

個人宅ですが、玄関横を見てください。

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商店街にも、このような風景がいたるところにみられます。

洋服屋さんですが、横のところに。デザインはアメリカ在住の方みたいです。

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有名な武家屋敷ですが、これも湧水です。

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街の中にも湧水が流れています。

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私の親戚も島原にありますが、昔はこの水を家の中に引き入れ、水をためるところを作っ

て、夏はスイカを冷やして食べた思い出があります(信じられないでしょうが、冷蔵庫がな

かった時代。江戸時代ではありませんよ。ちゃんと昭和の時代です。)

さて、写真をあちらこちら取ってきましたので、明日は、それをアップします。

今年嫌なことがあった方は、写真の水でも見ながら、水に流してください。(続く)


2011年12月28日 (水)

グリンロード(雲仙市愛野町~島原市)~ちょっと寄ってみんね・面白かばい(石材工業店展示場)

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雲仙市愛野町から島原市に至る道路、通称グリーンロードと言いますが、ここを通るたび

に、気になる石材工業屋さんの展示場があるのですが、時間があったのでちょっと寄って

みました。

お墓の展示が主ですが、そのほか、モニュメント、石彫刻、ガーデニング用の作品など、

ユーモラスなものがたくさんあったので写真を撮ってきてみました。一番上の写真も石でで

きているいます。


何か桂三枝のいらしゃ~い、という感じですね。

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見ざる、言わざる、聞かざると言いますが、かえるみたいですね。

でも、何か変わっていて愛嬌がありますね。

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左が猫は分かりますが、右は何でしょう。トトロにでてきても不思議ではないような感じ。

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フクロウは縁起物として、良いそうです。

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この犬は良いですね。吠えないし、餌もいらないし、大小便の世話もしなくて良いし。

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可愛いのばかりで、ひとつ庭に飾っておきたいような感じ。



さて、墓もたくさん展示してありましたが、

全部こんな説明書きがついていました。

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私の所も3年ほど前、墓を造ったのですが、墓石はほとんどがインド、中国産などの外国

の石だとか。日本の石で良いのはかなり高価になるとか。

うちのもインド産でしたか。石材屋さんが中国に、設計図をファックスすると、中国の方で

設計図通り石を切ってくるとか。それを、こちらの方で文字入れをしたり最終の仕上げをし

て組み立てます。

時代といえば時代ですが、私もインド産の石の下、中国で作った墓に入るかと思うと・・・

でも、まあ国際的な墓に入ると思うと、良しとしましょう。


ここの、お店、国見町の道路沿いですぐに分かります。

墓、ガーデニング用の石材等、全部値段が書いてあります。(別に宣伝しているわけでは

ないのですが、参考にはなりました。)

正月、島原方面へ里帰りの方はちょっと寄ってみませんか、子どもも喜びますよ。


2011年12月27日 (火)

消防自動車だよ~消防団年末警戒開始

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昨日、学校の方で消防車の赤色灯が集まっていたので、すわ火事かと思っていってみたら

年末警戒の開始式でした。

消防自動車かっこいいですね。

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この、後ろ姿なんかも惚れ惚れしたものです。どうかした女性もかなわない姿ですね(かみ

さんのことではありません)。

しかし、考えてみると消防自動車、白バイなど興味を持つのは男の子ばかりで、なぜなの

でしょう?

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自治消防団全員集合です。農業、建設業、漁業、勤め人様々な方が加入していますが、

近年、若い人が入らず困っているそうです。少子化が問題になっていますが、子どもたち

がこの年齢になったとき自治消防団がどうなるのか心配なものです。

なにせ、町内に火事が起こったとき最初駆けつけてくれるのが、この消防団だからです。

何とか、町民の安全の為に頑張って欲しいものです。

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これだけ(写真に写っていないのもありますが)集まると壮観なものですね。

全部新車に変わっているみたいです。

今晩から、毎日消防詰め所に集まり、町内のパトロールが始まります。毎日、寒い夜に大

変なものだと思います。

皆さんも、火元には注意しましょう。

わたし?火遊びは得意なのですが。消す方は下手くそで・・・

2011年12月26日 (月)

子ども会~ミニ門松作り

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昨日25日は自治会の子ども会での、ミニ門松作りとクリスマス会。

どういうわけか、図工の通知表2しか取ったことがない私の所へ、ミニ門松の作り方の指

導をということで依頼が。先日ブログ(詳細は12月22日のブログ)で書いた、ミニ門松の

作り方を一部修正して教えることに。今回は自治会長さん、老人クラブの方が協力を。

とにかく、竹の準備が一番大変ですが、ここらは竹林を持った方がいくらでも。おまけに、

竹の準備は自治会長さんと、老人クラブで。ここまで、あれば80パーセントはできたも同

然。

自治会は50世帯ですが、子ども会(小学生)はなんと7名。来年は1年生がいないため5

名しかいないとか。これから先どうなることか。


門松用の竹を尖らせて切るのは大人でもなかなか難しいもの。

ところが、丸鋸が登場

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これで、切っていくと、同じようにスイスイと

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といっても、左右で一人6本、7名分、合計42本切るのは大変な作業。これくらい先を尖ら

せれば見栄えが良くなるもの。

本当は、子どもたちにやらせたかったのですが、時間の問題と、3年生の女の子もいたり

して、6年生もノコギリで切らせようとしたら、使ったことがないせいか、びびってしまい・・・

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昨日、紹介した作り方では、土台が塩化ビニールのパイプで、誤魔化すため、綱を巻きま

したが、今日は本物の竹でそのままで使うことに。

また、砂の代わりに、植林したところに行けば桧木がいくらでもありますから、桧木の枝を

一杯に詰めて、中の竹を固定させました。

自治会長、老人クラブの会長、元校長先生に手伝ってもらって、何とかでしました。

といっても、子どものこと、はやりそのままでは若干見栄えが劣るので、100円ショップの

飾り物をたくさんつけさせて、できあがり。

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何とか、様になったようです。時間と人出があれば、子どもたちにノコギリの使い方なども

教えて作りたかったのですが・・・・この後、子ども会はクリスマス会でした。



小さい地区とはいえ、段々と人の関係が薄れ、どの子がどこの家の子か知らなくなってい

る時代、こんな小さな集まりも良いもんですね。



2011年12月25日 (日)

この一曲~高石ともや/野の花のうたが聞こえますか

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高石ともやの歌を初めて聴いたのは、浪人時代、聴いた曲は「受験生ブルース」。

何とも、びっくりすると共に、身につまされる曲でした。

それから次の年上京、フォークソング一色とでも言う時代でした。私はどちらかというと、前

書いたようにジャズ派だったのですが、高石ともやをはじめ、岡林信康、RCサクセッショ

ン、かぐや姫、イルカ、高田わたる・・・いろいろいました。


さて、就職して、それどころではなく、一時フォークソングのことを忘れていましたが、ふと会

ったのが、この107ソングブックシリーズのレコード。全10枚です。8枚しか手に入りません

でしたが。

このとき、高石ともや福井県名田庄村(現おおい町)の廃校になった校舎に一家で住んで、

名田庄村(なたしょむら)をもじってナターシャーセブンを結成。その時のレコードです。

テレビでもその模様の放映がありました。見てて面白かった。

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一時、このレコードばかり聴いていましたが、長崎へ帰郷。またしばらく忘れていましたが、

出会ったのが最初の写真のCD付の本、というより、CDに本がついたやつみたいな本。

1993年発刊です。

目次をあげると

■青春の終わり・時代(60年代)の終わり

■若狭・名田庄村・村ぐらし 30代前期

■宵々山、ホノルル・マラソン、ナターシャセブン 30代後期

■引っ越し、厄年、トライアスロン 40代前期

■友あり、遠方へ訪ねる 40代後期

■なお旅の途中 50年代

こうしてみれば、高石ともやの生きてきた道が分かると思います。


高石ともやはマラソン、トライアスロン、1011キロマラソンなどのランナーですが、この本

のはしがきに「走り来て23年ー走り続ける面白さ / 唄いきて28年ー唄いつづける面白

さ」と書いてあります。

現在の彼のホームページを見ると「走り来て40年ー走り続ける面白さ / 唄い続けて45年

ー唄い続ける面白さ」と書いてありました。この本を出して、もう、そんなにたつんですね。

でも、高石ともや70歳まだ走っていますよ。本年ホノルルマラソン連続35回出場(最多連続

出場記録)、4時間49分05秒。


さて、「さあ陽気にゆこう」、良い曲ばかりですが、特に「野の花のうたが聞こえますか」。

この歌を聴いたとき、どうしてか分かりませんが、目がしらが熱くなったものです。自分たち

もどれだけの道を歩いて来たのか、どこへ歩いて行くのか・・・

曲のきっかけは、京都生協25週年だそうです。

「野の花のうたが聞こえますか」


小さな花が咲いています

いつもの朝

いつもの道

ただそれだけの

今日のできごと


※生きてゆくことは

こんなに自然なこと

野の花のうたが聞こえますか


楽しいときはいっしょに笑って

苦しいときは

助けあったね

ただそれだけの

家族の歴史

※繰り返し

二五年早いものですね

流れた月日

あなたの笑顔

ただそれだけの

ぼくらの記念日

※(くりかえし)

若い方には、分かり難い曲だと思いますが、年と共に段々分かって来るでしょう。

幸せは、はやり足もとに、何気ないところにあるのでしょう。

高石ともや80歳、90歳になっても唄い続け、走り続けて欲しい物です。あの時代を一緒

に生きてきた僕らとしては。お互い倒れるまで頑張りましょう。

高石ともやホームページ

高石ともやウィキペディア

2011年12月24日 (土)

餅つき機?餅こね機?

さて、正月といえば、お餅。

昔は、杵と臼でついて、一家中、一日がかりでつくったものでした。人手もいりました。

いまは、スーパーに行けば、パック入りの餅がいくらでも手に入る時代。杵と臼を使った餅

つきは、テレビで見るくらいで、経験したことがある方は少ないでしょう。杵のつき手と、臼

のこね手のタイミングは以外と難しく、私もやってみましたが、危なくて止めました。

いまは、家庭用の餅つき機があり、蒸すところから、つくところまでやってくれ、便利になり

ました。これなら、小家族の所でもできますね。

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昔は、義弟のところで大人4人子ども4人の8名で、わいわいやっていたもんですが、いまは

夫婦二人で内職みたいな感じでやっています。

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左は、まだまだ、右はできあがり。まるで奥様の肌のように、真っ白で、すべすべで、ふっく

らしたお肌。(単なる太り過ぎの肌か)。 失礼しました。

こうしてみると、餅つき機?餅こね機?

さて、できあがったら、桶に取り、ちぎりますが、ちぎっていく仕事が大変。とにかく、熱い上

に、分量も揃うように、ちぎっていきます。だいたい、お年寄りの仕事でした。

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今日は、あんこ入りの餅ですからあんこを包みます。

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後は、綺麗に丸めていくのですが、これが何とも楽しいのですね。感触がまるで若い女性

の肌のような感じで。

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さて、できあがりです。形も若干不揃いですが、まあ、一年に一回の事ですから。

子どもも結構喜びますよ。皆さんの所もどうですか。買った物よりおいしいのは請け合いま

す。あんこも自家製で甘さを抑えて結構なお味でした。

でも、はやり杵と臼の餅にはかないませんね。ところで、機械の名前を見たらちゃんと「餅

つき機」と書いてありました。「餅こね機」ではありませんでした。

昔みたいな杵と臼で、ぺったんぺったん、とする餅つきは段々無くなっていくのでしょうね。

昔は、朝から味噌汁に入れて10個食ったとか言う話も、田舎ではざらにありましたが。

若い人は、あまり餅も食べなくなったみたいだし・・・・



2011年12月23日 (金)

橘神社(雲仙市千々石町)/世界一大門松完成~速報・本日、大門松竣工清祓式挙行

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本日午前中、ボランティアの方が飾り付けの最後の作業、やっとで仕上がりました。

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ギネスブックの、認定書。本物ですよ。

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昼から、橘神社の神主さんのもと、竣工清祓式がありました。

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建設業、農業、消防職員、元学校の校長先生、役場職員、新聞店、神社の関係者の方々

などのボランティア、ふるさとに何かをの熱い思いの大門松です。これが出来てから、参拝

客も長崎の諏訪神社に次ぐものとなりました。

全長13.3mの大門松です。昨年より多くの方に来ていただければと思います。

ライトアップも今日からやってますよ。午後6時~午後12時(10時までだっけ?またボケ

た。)までだそうです。なお、正月三が日は朝まで点灯しているそうです。

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                  初詣はぜひ橘神社へ。


2011年12月22日 (木)

ミニ門松づくり(簡単・豪華)~竹不要・100円ショップとホームセンターで材料を。

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さて、もうすぐ正月、正月と言えば門松。今日は、玄関用のミニ門松を。

今はどこにでも売っていますが、はやり手作りの方が趣のあるもの。


田舎では、竹がすぐ手に入り作れますが、都会ではなかなか竹林など無く、手に入れにく

いもの。そこで、竹を使わない、ホームセンターと100円ショップで材料を準備して作る門

松をご紹介します。


なお、私、小中学校を通して図画は2しか取ったことがありませんで、まあ、器用なあなた

ならもっと素晴らしい物が出来ると思います。

基本的姿勢として、見栄えが良ければそれで良し。女性の化粧と同じです。  失礼

準備するもの。

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塩化ビニールの管12㎝×12㎝、と直径3センチのを使いました。少し値段はしますが、

5年はもてるでしょう。布、こも、タオルなど。できれば細い縄、100円ショップでの飾り物。

ヒノキの枝。撮ってありませんが、ラッカースプレーの緑色、砂(公園の砂とか、運動場の

砂は持て来ないでね)。


塩ビの管は運が良ければ、家の工事の切れっ端などもらえるでしょう。

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土台になる塩化ビニールの底にガムテープで蓋をします。

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土台より少し広めに、布、こもなどを、この場合は100円ショップのタオルを使いました。

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ずれないようにガムテープを巻いて(針金でも可)、縄を上まで巻いていきます。

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塩化ビニールを写真のように切って、スプレーで色をつけ、ガムテープで止めます。縄は

好み、あっても良し、無くても良し。

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中が動かないように、高さを調整しながら砂を入れていきます。砂がなかったら、発砲スチ

ーロールをちぎって詰め込んでも良いのではないかと思います。切り口はもうすこに斜め

にと尖らした方がかっこ良いでしょう。少し、左に曲がってますがってますが、なにせ図工

は2ですから、おまけに若い頃は左がかっていたので・・・


後は、桧木の枝を詰め込んで、切ってそろえます。

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最後に、100円ショップで買ってきた飾り物をつけると。

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何となく、さまになるでしょう。いちばん上の写真は玄関に飾った物です。

桧木や杉の枝が手に入らないときは100円ショップの飾り物で洋風に。

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門松は、調べてみるとこれといった決まりはないようです。松、竹、梅は使うようですが、

これも、100円ショップで造花があります。南天もあれば(難を転じるのもじり)。


竹を斜めに切りましたが、これも平らに切った門松もあるし、自由に考えて作ったら面白

いのではないでしょうか?この時代ですから、ピンクの門松りだとか、不景気を吹き飛ば

すような金色の門松もどうですか。


なお、土台はミルクの空き缶でも、もっとおおきな物を作りたかったらオイルの丸い缶、バ

ケツ等でも良いでしょう。あとは、あなたのアイディアで。

門松は2つで一組ですから、もう一つ作るのを忘れないようにご注意。


おめでたくポチね。

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2011年12月21日 (水)

人間臨終図巻~山田風太郎

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今日は、「竹を使わないミニ門松の作り方」というのを書こうと思っていたのですが、本屋さ

んに行くと、この「人間臨終図巻」が文庫で、四冊の分冊で出ていました。


上の写真にあるのが、最初出た本。上巻が1986年、下巻が1987年となっています。今

回、四冊で出版された間に三冊の分冊でも出たようです。

しかし、写真の本は箱入り、本の表紙はクロス張りと豪華本、見た目にも、また重量もあ

り、いかにも表題とピッタリの感じ。しかし、まあ、持ち運びするのには不便で、やはり、文

庫本でバックに入れて気楽に読みましょう。

ということで、今日はこの本を取り上げてみました。


さて、山田風太郎については先日「育児日記」について書きましたが、この本、山田風太郎

の冷徹な目で死というものを見つめると、人生の喜劇も、悲劇も見通せるのかなと思われ

る本です。


十八歳で死んだ、八百屋お七から、百二十一歳で亡くなられた泉重千代さんまでの、450

名の臨終の模様と、その人生のエピソードが語られています。

最初の方は、若い方ばかりなので、エピソードが少なく、若干面白みはありませんが、後に

なっていくうちに段々面白くなってきます。


ぱらっとめくって、寺田寅彦、略して書きますが、幸田露伴が寺田寅彦の所へ見舞いに行

った帰り。「寺田君よりおれのほうがまだ幸せかも知れない」それは悪妻で有名な夫人を

持つ露伴が、同じ悪妻で有名な紳子夫人の様子を見ての感慨であった。なんて、書いてあ

ります。しかし、なぜ、紳子夫人が悪妻になったのか、続いて書いてありますが、読むとそ

の驚くべき事実と悲哀が分かります。後は読んでからのお楽しみ。


意外だったのは、山田耕筰。

「医者ができるだけ水分を摂取することを進めると、水などそうガブガブ飲めないが、と言っ

てビールをがぶ飲みにした。」とここまでは良いのですが、金田一春彦の著によると「五千

人も会葬者があり、・・・・・しかし、山田氏の場合は、生前の放縦な生活がたたって、彼の

息子も娘も葬式には来なかった。」続いて、一番目の妻、永井郁子の言葉「残酷で、浮気

で破廉恥で、彼の人間性は0です」と言った。あの、素晴らしい曲を作った山田耕筰が・・・


スエズ運河を作ったレセップス、64歳の時に21歳の女性と結婚し、男の子と女の子半ダ

ースずつ作ったそうです。しかし、その後は・・・

私も、2~3人くらいは作る自信はありますが。切りがないので止めますが、とにかく面白

い、といっては「臨終図巻」ですから、不謹慎ですが、とにかく一読を。


年をとるとどうしても、自分の死ということを真剣に考え始めます。この高齢者の時代この

本きっとベストセラーになるでしょう。


さて、私?近頃夜ふと目が覚めると、薄布の羽衣をまとった若くて綺麗な天女様が、天井

の片隅から4,5名出てきて「こっちが良いよ」と誘うんですね。向こうの方が面白そうで、そ

ろそろ向こうの方へ、かな。



蛇足ながら、文庫の四冊目の解説を筒井康隆が書いていますが、立ち読みで正確ではあ

りませんが~この本を読んだ限り、年をとるにつけ肺炎と、転んで、骨折のため寝込み病

気になって亡くなる方が多かったと書いてありました。

永六輔も長生きのコツとして「風邪ひかない、転ばない、食い過ぎない」」と言っています。

また別の方は「運動、恋愛、微笑み(ほほえみ)」と言っています。

そうですね、運動は当たり前、恋愛は心の若返り、微笑みは人とのつながり。

いいですね。「運動、恋愛、微笑み」言ったのは、私ですが。蛇足の蛇足ですみません。


2011年12月20日 (火)

コノヒトタチつっつくべからず~シェル・シルヴァスタイン

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上が表表紙、下が裏表紙です。


シルヴァスタインの本について、紹介しようと思っているのですが、どうしても「おおきな木」

「僕をさがしに」「ビッグ・オ-」について触れなければならないのですが、あの本、なかなか難

しいですね。絵もストーリーも難しくはないのですが、特に「おおきな木」については、解説書

まで出ていて。訳も最初に出版された、ほんだきんいちろう氏の本、最近訳された村上春樹

氏のがあって、読んでみると翻訳の感じが随分違って、悩みます。


と言うことで、簡単なところから。

この本、子どもたちも喜びますよ。表紙に出てくるような、変わった動物、怪獣(?)たちがたく

さん出てきます。大人が読んでも愉快になる本です。子どもだって、大人だって、水木しげる

さんの妖怪は好きでしょう。そして、その怪獣についての説明が面白い。

出版は1964年東京オリンピックが開催された年です。シルヴァスタイン34歳の時の作

品。珍しくというか、唯一のフルカラーみたいです。日本での出版は2009年。随分間があ

りますが、絵本というより詩集のような本です。

訳は、パスカル短編文学新人賞、伊藤整文学賞、芥川賞、谷崎潤一郎賞、各賞を受賞し

た川上弘美さんです。

ただ、訳に関しては原典をあたっていないのでよく分かりませんが、題名を見ると「DON'T 

BUMP THE GLUMP!」というように韻を踏んでいますから、本文の方も言葉遊びがたくさん

あったことと思います。訳も大変だったでしょう。


出てくるのは、ムシノイドコロ、タチマチーナ、シマシマちゃん、ちっちゃいくん、ソノニイルン

ダ、テアイオカ、ヘマヘマさん、世にもおそろしいフシュウウウウウ。まだまだありますが、あとは

読んでからのお楽しみ。自分が知っている人に似ているような怪獣も出てきたりして・・・

ほとんど短い文ですから、一つくらい文を紹介したいのですが、絵がないと面白くないので省

略します。

子どもに読んでやっても良し、一人で読むのも良し。楽しいですよ。







2011年12月19日 (月)

橘神社の門松~速報・世界一の門松準備

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昨日、橘神社あたりを歩いていたら、世界一の門松作りの最中。

竹を組み上げるところは、先日終わっていたのですが、今日は飾り付けの作業。

杉やヒノキを山から切ってきてそれを、門松に取り付け。分量を見るととてもじゃない量。

写真手前が山から切り出してきた、杉やヒノキです。クレーン車まで使っての作業でした。

神官さんもヘルメットを被って。

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今日行ってみると大体は出来ていましたが、最後の仕上げがまだで、特に下の方がまだ

飾り付けが出来てなく。最終的には12月23日(天皇誕生日)の朝から作業。昼の1時から

大門松竣工清祓式をおこなうそうですから、皆さんお越しください。


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さて、神社もぼつぼつ正月の準備

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掲示板に、この間まで張ってなかったのですが、ポスターが張ってありました。最近流行の

「婚活願」「就活願」も入れたら繁盛するのでは?

手水場に行くと、これも今まで張ってなかった掲示板が準備してありました。

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この間、私がブログで書いた「神社での作法」が効いたのでしょうか(というわけはない)。

ちゃんとした作法は知っておいた方が何かと良いでしょう。


絵馬にこんなのが・・・

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誰でも、そう思うんですよね。でも、現実は甘くない。私も同じ事を考えていたのですが。

まあ、とりあえずお二人の幸せを祈りましょう。


12月23日は是非橘神社へ。作業を見ているのは楽しいですよ。

神社のどこかに、ハートストーンもありますよ。一緒に来て見つけて幸せになりましょう。

(私の10月24日のブログにも載せてあります。)


2011年12月18日 (日)

この一曲~アリア/フリードリヒ・グルダ

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上は「グルダ ノン・ストップ」。下は「世界音楽物語(世界の音楽が語るもの)」。

下は、レコード、CDとも、持っているのですが。

グルダ略歴等については、ウィキペディアにリンクしていますのでそちらを読んでいただけ

ればと思います。

グルダ作曲の「アリア」は「グルダ・ノンストップの方に入っています。

グルダは、クラシックのピアニストですが、のちジャズにも興味をもち、彼のグループも持っ

たほどです。


グルダの言葉「世界の音楽が語るもの」の自分自身の解説によると「これらの人為的な分

類(クラシック、ポピュラー、アヴァン・ギャルドetcの音楽の分類)が、いかに不条理でば

かげたことを知っていただき・・・とりわけ聴衆の皆さんに音楽の西東のつながりとその関

連、また世界的な音楽的対話を聴くことを通じて、ひとつの共通体験として理解し、それを

立証するものです」。そのために、このレコードに録音してある音楽会を開催したのです。

演奏は、NCC(民謡の新しい仲間たち)、もちろんグルダ、そしてジャズの巨匠、ディジー・

ガレスピーまででて一緒にセッションをしているのです。とくに、NCC(ほとんど日本では名

前は聴かれませんが)の唄は、感動ものです。

悪く言えばごた混ぜ。良く言うと、音楽の多面的な素晴らしさを教えてくれる演奏会です。

まさに、グルダの上記の言葉どおりです。


さて「アリア」ですが、これには思い出があり、1969年2回目の来日をした時の録画が

NHKで昔やってた「思い出の演奏」で放映していていたのです。

これを見て、演奏はもちろんグルダの人柄にもひかれたのです。レコードのジャケットと

同じ格好で演奏をしました。

オーチャードホールでの演奏会と、NHKスタジオで行ったジャズセッションでした。

オーチャードホールの方は、観客に語りかけかけ。たとえば「じゃ、ショパンを一曲、そして

ショパンに近いドヴィシーの曲を。ショパンはノックターンを弾こう、みんな好きだし、そして

僕も好きだから、ドヴィシーの方は、ラヴィーヌ将軍だ。」てなことで、弾き始めるのですが、

名前を言わないで弾く曲もあるのですが、弾き終わって「今のは僕の曲、エクササイズ5

番」と、誰も知らない曲ですよね。会場からも少し笑い声が。

さて、一曲終わって、しばらく舞台を歩き回り『もう夜も遅い、だからシューマンの「夜」を弾

こう」。


アンコールのとき、舞台の端に立ち、マイクを客席に向け「何か聴きたい曲があるかい」。

分かっている方もあるのですね。「アリア」と言う声がかかりました。グルダ「僕のアリアでい

いのかい」。アリアと名のつく曲はたくさんありますから。グルダ、にっこり笑って弾き始めま

した。動画でもやっていますが、あの雰囲気は到底分からないでしょう。

もう一曲グルダ編曲の民謡「辻馬車の歌」が弾かれましたが、弾き終わると、すぐにピアノ

の蓋を閉めたのです。要するにこれで完全終了だよとの表示です。スマートなやり方です。

そのままだったら、いつまでもだらだらとアンコールの拍手が終わらなかったでしょう。


さて、グルダ、観客に語りかけながらコンサートを進めるのですが、弾きながら観客席を見

ることの多いこと。はやり、弾きながらお客さんと対話をしているのだなと思いました。

グルダのような世界的な演奏会家で、あのようなコンサートは見ることはできないでしょう。

2000年に亡くなりました。70歳。 (参考:各レコードライナーノーツ)





2011年12月17日 (土)

マイウォーキングロード~小浜海岸の冬(雲仙市)

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小浜海岸の冬といっても、そんなに寒くもなく、風もなく、歩くにはほどよい寒さでした。

さて、海岸には相変わらず釣り人が、この頃は夫婦づれの釣り人が多くなりました。

といっても、餌をつけたり、魚を外したりは、まだまだ男性の役目が多いみたいです。


例の日本一の足湯は土曜日のせいもあってか、結構お客さんが来ていました。(利用料は

只です)

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横には温泉の蒸気を利用した、蒸し釜があり、ジャガイモ、卵、たこ、サツマイモ、アスパラ

ガス、とうもろこし、ほうれん草、お金のある方は、車エビ、さざえ等が横の方で販売してあ

ります。

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ここのすぐ横に、海上露天風呂「波の湯 茜」というのがあるのですが・・・・

露天風呂だから覗けないかと、いつもの○平根性を出して横から覗いたのですが、がっち

りとコンクリートで囲んであって残念・・・泳げないから海の方からもいけないし・・・

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さて、ここの海岸の道に沿って、細長い公園があり、芝生で歩きやすくもあり、ローンテニス

(?)、とか、なんとかバスケット等の施設もあるのですが、利用する人は少ないみたいで、

もったいない気がします。

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ここを歩くたびに、気になっていたのですが・・・

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「塩売りります」と看板が貼ってあったので、製塩所とは思っていたのですが、いつも人が

いなく、今日は運よく丁度作業中だったので、お話を伺うことができました。小浜出身で現

在長崎在住、週何回か作業に来ているとのこと。

中を見せてもらうと

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温泉のお湯の35%が捨てられていることに目をつけ、使っていない温泉のお湯を引き入

れ、容器を浮かし、海水を蒸発させるそうです。容器ひとつにドラム缶一杯の海水で、一日

で乾いてしまうそうです。温泉のお湯95℃。手をつけたら本当に熱かった。

なお、海水は橘湾の海底深くボーリングして、汲み上げた海水と、小浜温泉の温泉水をブ

レンドして作るそうです。詳しくはホームページがあるようです。興味のある方はご覧くださ

い。

味は、他の塩より少しざらりとして、マイルドです。多少甘さを含むそうで、置いておくと蟻

が寄ってくるとか。

「雲仙エコロ塩株式会社」


さて、帰りはいつもの「シェダムール」へ。

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左は「白い悪魔」、右は「カシスの楽園」。もちろん、「白い悪魔は」かみさんに差し上げまし

た。ケーキの名前は教えませんでしたが。


忘れていました。この間紹介した資料館のポスターです。

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「虹の湯柱」

温泉が噴き上げるとき、太陽の角度との関係で、湯気のところに虹ができるのでしょう。

ブログの写真では分かりにくいですが、良ければ予定表か書いてありますので興味のある

方はお越しください。

(各写真クリックすると拡大します)




2011年12月16日 (金)

島原半島ジオパークをひと筆書きで一周する~島原半島旅のお供に

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島原半島が、日本で初めて、世界ジオパークに選ばれたのはニュースなどで報道され、ご

存じだと思います。


現在、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸5カ所が日本での「世界ジオパ

ーク」だそうです。

ジオパークは、自然を親しむための公園。「地質遺産」と訳されるそうですが、日本ジオパ

ーク委員会では「大地の公園」訳しているそうです。


本書は、地質学を中心に書いてありますが、読んでみると専門の学術的に偏ったものでな

く、現地を知っている私たちが読んでみても分かりやすく、、ここは、こんな所だったのか

と、改めて見直す事ばかりでした。また、写真も多く、食べどころ、見どころなども書いてあ

り、多分、この本を一冊、旅のお供に持って行くと、単に観光地を見るだけの旅行で終わ

るのではなく、自然の素晴らしさ、不思議さ、驚異を感じるのではないでしょうか。


雲仙では雲仙新山が生まれ火砕流が起こり、東北では震災が起こり、私たちはもっともっ

と、謙虚に自然を知り、自然に対することが必要なのではないでしょうか。この本を読んで

いくと自然があなたにいろんな事を語りかけて来ますよ。


なお、この本「長崎文献社」から出版されていますが「旅する長崎」シリーズ、「長崎遊学」

シリーズなど、いろんな方面から見た長崎に関する事を紹介しています。長崎に来られる

方はチェックをしてみてください。


島原半島に旅行に来られる方、ぜひ旅のお供にお薦めします。

なお、来年世界ジオパーク国際会議が島原で開催されます。

2011年12月15日 (木)

マイウォーキングロード~諫早運動公園の冬



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今日、明日はかみさんが留守。

何となく、天使と悪魔とがいなくなったような空虚な気がします。演劇でも、小説でも、悪魔

と天使が出てくる名作がありますね。やはり、両方いないと面白くはないもの。

うちのかみさん、天使と悪魔の両方の顔を持っていますから(悪魔の時が多いが)、やはり

家にないと何となく寂しい。


さて、久しぶりに諫早の運動公園に行ってみました。ここの良いのは

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この、プレートが道に貼ってある事。これで、自分の歩いた距離が分かります。


冬であっても、3年後の国体会場を目指し、工事現場は燃えています。凄い重機が何機

も活躍をしています。

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寒いにもかかわらずジョギングにウォーキングと、皆さん頑張っておられました。

ここで歩くのが、一番運動量が多くなるようです。

なにせ、諫早の奥様方の美しい後ろ姿と、お○りの、ぷりんぷりんとしたのを見ながら、遅

れないように歩くのですから。

しかし、皆さん歩くのの早いこと、追い抜いたことは、まあ、ありません。追い抜かれてばか

りです。追い抜かれれば、悔しいもの。考えていたらグッドアイディア。

皆さん、時計と反対回りに歩いているのですね。皆さんと逆に回れば、悔しい思いもせず

にすむと思い、時計回りにあるきました。これで、追い抜かれ心配はなし。

ただ一つ、後ろ姿は美しい若奥様だと思っていたのですが、前からみれば何ですね。諫早

のおばちゃま方ばかりでした。残念。


さて、マイペースで歩いていたらこんな石碑が。

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第24回長崎国体が開催されたのが、1969年そのために諫早家から諫早市、長崎県に

寄贈されたものでしょう。競馬場があったのですね。

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サブグラウンドの川沿いにちゃんと名前は残っていました。

諫早家もすごいものですね。ここに、競馬場があったなんて、もう50年以上も前のことです

から知らない人も段々増えて行くことでしょう。淋しいことですね。


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小さな祈念碑に

第24回国民体育大会/参加記念植樹/○(読めず)100本/桧 100本)とだけ書いてあり

ました。

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池の所に、お魚のえさ一袋50円とありました。今まで、気づきませんでした。

お魚さんは、工事でどこかに移動しているのかな?お魚さん見えませんでした。


たまには、ゆっくり歩くのもいろんな発見があって良いですね。

2014年が69回の長崎の「がんばらんば国体」。少し盛り上がりが少ないようですが、「が

んばらんば」

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2011年12月14日 (水)

長崎市「浜町」&「Don-Gree」

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長崎市浜町、「はままち」ではありません、地元では「浜んまち」とか「浜のまち」とかいいま

す。

昨日、病院に行った帰りに、用事があり、久しぶりにアーケード街を歩いて見ました。ドラッ

グストアーが特に増えていましたが、地元の薬屋さんは潰れているみたいな感じでした。

町も変わって行くのでしょう。

それと、健康指向でしょうか、現地直送の店が出来ていましたが、どの店も満員でした。

左は大村「夢ファームのシュシュ」かな?

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下の写真左は「旬屋」です。右が諫早市唐比にある本店です。よく行っていますがいつも

お客さんで一杯です。このような店商品にラベルが全部張ってありますよね。

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このように、生産地、生産者名がラベルが書いてあると安心感がありますね。我が町の店

にも、ラベルが貼ってあり、名前を見るとどこの畑でどのようにして作っているかすぐ分か

ります。名前を見て、あの人は、愛想が悪いから買うの止めたとか。あそこは美人の奥さ

んがいて愛想良いからこちらを買っていこうとか。(勿論私はしますよ。だから、いつも愛

想良くしましょう。どこで、影響するかわかりませんよ。)

外国産は遺伝子組み換えとか、残留農薬とか、とかく心配なもの。


さて、「大丸」昔は「岡政」というデパートだったのですが、閉店。なにか淋しいですね。

閉店して、塀で囲んであったのですが、その塀を利用して一番最初の絵が張ってありまし

た。一番上の写真です。「キッズゲルニカ」というそうです。

ピカソが平和を願って「ゲルニカ」という作品を描きましたがそれと同じサイズ3,5m×7,

8mという大きさで40数カ国、約230点を世界各地で開催されているそうです。

勿論、長崎の子どもも参加しています。近くを通ったら是非ご覧ください。

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見れば、ジャンボ宝くじの売り出し中、勿論買いました。こう、見えても1等の組違い10万

円当たった実績がありますからね(30年前だけど)。でも、あのとき1億円当たっていたら

人生変わっていたでしょう。


帰りは諫早市飯盛町「Don-Gree」(どんぐり)で食事、古民家を改造したのでしょう。家の

梁の大きいこと。長崎から雲仙へ向かう国道の道下で、ちょっと分かりにくいのが玉に瑕。

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頼んだのは、「シェフの気まぐれワんプレート(30食限定)」。内容は「ミートポテトコロッケ」

「海鮮ムースのクレープ包み焼き」「コーンスープ」「デミタスコーヒー&ちょこっとデザート」

その他。¥1,000円でした。

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左のパンは自家製とのこと。オリーブオイルと何とかを(忘れてもうた)混ぜた物をつけて

食べました。

味?よく、評論家と称する人が、ここは旨いの、まずいの書いていますが、あれ、推理小

説で読む前に犯人を教えているのと同じではないですか。本も 、読んで自分で考えるの

が楽しいもの。料理も、自分で味わって判断するもの。

でもヒントは出しますよ。「お客さんは多かった」。後はあなたのご推理で。

案内された席が、冬日がぽかぽか当たるところ。かみさんはいないしひとりで、ゆったり

と至福のひとときを過ごしました。時には、こんな一日があっても・・・




2011年12月13日 (火)

この男?~シェル・シルヴァスタイン

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さて、この男誰だと思いますか。ひどく凶暴な犯罪者、指名手配人。死刑囚。とにかく、まと

もな人間には見えないでしょう。


長田弘著「アメリカ心の歌」を読んでいたら、この男の事が載っていたのです。どこかで聞

いた名前だと思っていたらなんと、この男が、かってのあのベストセラー「ぼくを探しに」「ビ

ッグ・オーとの出会い」「おおきな木」などを書いた「シェル・シルヴァスタイン」なのです。

それなりの年の方は自分で読んだり、又、若い方は、小さいときお母さんから読んでもらっ

たり、お母さんになった方は、子どもさんに読んでやったりしたことがあるのでははないで

しょうか?世代から世代へ引き継がれている本です。


さて、彼について調べてみると調べてみると、「プレイボーイ誌」に漫画を書いたり、音楽を

作ったり、戯曲を書いたり、映画音楽を担当したり、脚本を書いたり、詩を書き、勿論絵本

作家でもあります。

「スクール・ライブラリー」の最優秀児童作品賞受賞、グラミー賞受賞、アカデミー賞ノミネ

ート、カントリー・ミュージック・ソングライター殿堂入り。才能豊かな人だったのでしょう。

なお、彼の曲は、ジョニー・キャシュ、ボブ・ディラン、エミールー・ハウス、ロレッタ・リン、ジ

ェリー・リー・ルイス、クリス・クリストファーソンなど、カントリーのそうそうたる歌手に歌われ

ています。

彼自身が歌っているのが動画でも若干見られますが、歌うのはへたですね。


さて、この男に興味をもって調べていますが、何せ田舎のこと、本屋とてTUTAYA程度。あ

ちらの公民館図書室、こちらの図書館と数館回って数十冊借りてきて、比較しながら読ん

でいますが、自分の本ならとにかく、図書館の本には貸し出し期限というものがあって、融

通の利かない図書館は貸し出し延長は不可とか。思うように読めなくて・・・


とにかく、面白かったり、考えさせたり、もっとシェル・シルヴァスタインを知ってもらいたく、

すこしづつ、彼の本を紹介したいと思います。でも、顔と、中身とは合わないものですね。

私も同じですが・・・・私の方は、彼と反対で、外側は良いのですが・・・

(参考資料:「アメリカの心の歌」、長田弘著/「おおきな木」の贈り物、マイケル・G・ボーガ

 ン著 水谷阿紀子訳)

2011年12月12日 (月)

島原城~枯れ蓮の風景(長崎県島原市)

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先日、島原に行った帰りに2~3カ所寄って見ました。島原城の蓮はすっかり枯れ果てて

しまっていました。

普通、春は左上の枝に桜が咲いているところ。初夏は蓮の花が綺麗に咲いている所の写

真はたくさんあると思いますが、こうして、枯れ蓮の風景も、お城とぴったり合うのではない

でしょうか。

■枯蓮や戦いの果てはかくあらむ   せつ子

という俳句がありますが、城の堀の中の枯れ蓮を見ると、本当にそんな感じがあります。

何回も書くように、花も良いですが、枯れた風景も又一興です。


ここを使って「レンコン堀り大会」をやっておりますが、今年はもう終わっているみたいでし

た。蓮の根が蓮根(レンコン)です。念のため。


レンコンは、諫早市の森山町唐比でも作って作っているようですが、大変な作業のため、

作る方も段々少なくなっているようです。

千々石でも以前作っていたのですが、今は普通の畑にしてしまっています。

あの作業を見ていると、この間書いた「遺言川柳」の

■いらないよ はてなく続く レンコン畑

が分かるような気がします。



さて、枯れたくもなかったのですが、私も段々枯れてきたみたいで、枯れた良さが分かる

女性があらわれませんかね。



2011年12月11日 (日)

この一曲~レスピーギ/リュートのための古風な舞曲とアリア・第3組曲第3楽章シチリアーノ

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TVのCMソングだとか、映画の音楽、デパート等での環境ミュージック。

オリジナルの音楽もありますが、既製の曲を使っていることがありますね。


映画「羊たちの沈黙」ではバッハを使っていました。化粧品の宣伝ではメアリーブラックの

「アレンデイルの薔薇」とか「ウォーター・イズ・ワイド」などを良く使っています。向田邦子の

「阿修羅のごとく」では、なんと、トルコ音楽『古い陸軍行進曲「ジェッデイン・デデン」』を使

っており、あれには、まあ驚きましたね。

どこかの局の天気予報のバックミュージックでグルダの「アリア」を使っていましたが、これ

には関心しました。こんな所でこの曲をかけるとは。

このような音楽を選ぶ人がいるのでしょうが、はやりCMとかドラマとか内容にあっているか

どうか、センスが問われるところです。どうかすると、短パンにネクタイをして、革靴を履い

たようなちぐはぐな選曲があったりして。


さて、昭和天皇がなくなられた時、歌舞音曲の類が自粛されましたが、用事があり、某デ

パーパートに行った時、音楽がかかっていました。それがこのレスピーギの「リュートのた

めの古典的な舞曲とアリア・第3組曲第3楽章シチリアーナ」だったのです。

レスピーギといえば「ローマの松」が有名で、NHKラジオのN響アワーかトスカニーニー指

揮するNBC交響楽団の音楽番組のでオープニング曲としてやっていたような・・・

レスピーギはあまり興味がある音楽ではないのですが、CDは2~3枚は持っていたのです

が、ほとんど聴いていていませんでした。


しかし、デパートの中で、その古典的で厳粛な、涙を伴わない悲しさを湛えた音楽を聴き、

いかにも天皇陛下が崩御された時の音楽にふさわしいなと思ったのでした。

その時は、どこかで聴いた曲だと思いながらも思い出せず、家のCDを捜すとこの曲だっ

たのです。

まったくあの時節に、あの曲を選んだ方のセンスの良さというか、才能には脱帽しました。

この「リュートのための古典的な舞曲とアリア」はとても良い曲です。皆さんにもお勧めをし

ますので機会があったら聴いてみてください。


TV、CM、映画等の音楽も内容とあっているか、良く聴いてみてください意外と面白いです

よ。

ところで、私の葬儀のときかけてもらいたい曲。バッハの「マタイ受難曲」と川島英吾の「時

代遅れ」~目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 人の心を見

つめつづける 時代遅れの男になりたい~

こんな生き方をしてみたかったのですが。手遅れですね今となっては。


2011年12月10日 (土)

昼の島原ウィンターナイトファンタジア~夜に行ってね

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どうも、自分で言うのもなんですが、困ったもんです。ヘソ曲がりで。

人が右と言えば左、左といえば右、上といえば下、花より枯れ木が好き、枯れ蓮のほうが

好き、若い子より熟女が好き(上限あり)。ということで、島原ウィンターナイトファンタジア

を昼に行って見てきました。(本当は夜のイルミネーションイベント)

海のところで、親子でポップコーンを投げていたら、カモメが見事なくらい寄っていました。


さて、催事会場です。

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まだ、左の方にも広がっていますが。いろいろ、設置してありました。

イルミネーションやってたら奇麗だったろうな。

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ロマンティクアーチですね。恋人の名前や、願い事を書くと願うそうです。

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わたし、しませんよ。南京錠あたりで一生、人生を縛られるのは嫌ですから。


さて、昼来ましたがやはり、イルミネーションイベントは夜に来るもんですね。

しかも、2人で。1人で行ったら侘しくてたまりませんよ。1人で行くのはおやめなさい、寒く

もあるしね。それが嫌なら私みたいに昼行くこと。

でも、配線なんか見たらすごいもんですね。なんでもイベントの裏方は大変なものです。昼

に行かないとそのことは分からないでしょう。


場所は島原港(フェリー乗り場)緑地公園。来年1月7日までやっているそうです。夜6時か

ら10時までイルネーション。12月23日、24日は翌日の2時まで点灯をし、サンタさんが

プレゼントをしてくれるそうです。詳しくは→こちら

23日か、24日か行ってみましょうかね。さて、誰と行こうかな(かみさんは除く)。





2011年12月 9日 (金)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町その3

さて、いよいよ千々石の銅像です。千々石に「上山(じょうやま)」という所があります。

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橘中佐の銅像は最初この上山の橘湾(当時千々石灘)を一望する、自然巨岩の石の上に

建てられたのです。

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銅像は大正7年11月に竣工。除幕式は大正8年2月9日。3m30cm実に堂々たる銅像

です。除幕式は、各方面の方が参加をし盛大に開催されたと言うことでした。

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上山から見た現在の風景です。

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橘中佐像が建っていたところの現在の写真です。どこに建っていたか分かりますか?

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この建物は、昭和27年9月8日、奈良県高市郡明日香村の仏頭山上宮皇院菩提寺橘寺

の別院として、長崎仏輪会の篤信者の方により建立されたみたいですが、昭和48年奈良

本山橘寺に移管され現在は無人の寺になっています。町内の方に聞いても経過等知って

いる方はおられませんでした。

ただ、この写真は真夏に撮ったのですが、意外に綺麗にしてあり、何方か手入れをしてあ

る様子がしました。


さて、どこに銅像がと思って探したのですが、分かりません。山の中腹にとも聞いていたの

で、山の中まで調べたのですが、全然分かりません。

調べに行くこと2~3回、建っていた所の証拠がやっと分かりました。

俗に六角堂と言っていますが、そのすぐ横の所の巨石の所だったのです。

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四角で囲んだところ。木で隠れて良く分からなかったのですね。この岩の上に橘中佐の銅

像が建っていたのです。

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よく、 銅像等には由来、顕彰銘がつけてありますが、

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昔の写真で見てもこの部分に銘板が設置されていることが分かります。

これで、やっと銅像の設置場所が分かりました。

そしてこの銘板は現在、橘神社の銅像の横の所にあったのです。四角で囲んだところで

す。サイズも上山のとぴったりでした。

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橘中佐銅像銘とあり、大正8年2月9日と刻んでありますから、除幕式の日です。

橘中佐の家系、経歴、軍歴等が書いてあり、書いた方は最後に「宮中顧問官従三位勲一

等文学博士三島毅撰時於齢九十」と読めました。

もう、間違いはないでしょう。(写真をクリックすると大きくなります。)


さて、大切な話を忘れていました。

静岡の銅像は供出され、なくなりましたが、同じく千々石の銅像も第二次大戦終末期に、 

戦争用材の供出に迫られたのですが、町民有志の懇願により供出を免れたのです。

また、敗戦により、占領軍のよる撤去の命令を恐れ、町民の手で隠蔽されたのです。


隠蔽場所について町民の多くの人の話を聞けば、上山の森の中に隠したと言う話が多く、

山の中を多少調べたのですが、証拠等まったく分かりませんでした。

ただ、「千々石史談」第2号の「橘中佐と日露戦争の残影」(本多一義氏)の中には、「終戦

後には軍事主義の象徴とされ、占領軍の心中により撤去の運命に迫られた。しかし志あ

る町民はこれを隠蔽し(千々石町民が銅像を白い布に包み密かに千々石海岸に埋めたと

伝わるが、誰が、いつ、どの場所に隠蔽したのかは現在でも不明)・・・」と書いてあるので

すが、私も調べましたがついに分かりませんでした。

「うちの、爺さんが橘中佐を隠したのを手伝ったげな。」という話ぐらいはどこかで聞けると

思ったのですが、まったく陰に隠れたままでした。


橘中佐の像の所に説明版があります。しかし、ここに書かれてあるほど簡単な物で

はなかったのですね。

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さて、この後、隠蔽された所から、昭和22年生家の橘家に安置。

昭和29年に現在地に移設。移設当時の写真です。

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その後、昭和51年銅像の台座改を修約1,5メートル嵩上げし、現在にいたっています。

なお、橘神社が創建されたのは昭和15年のことです。


(参考:「千々石町史」「千々石郷土誌」「千々石史談創刊号・第二号」 又、千々石、特に

第三四連隊に関する静岡、名古屋のブログを参考にさせていただきました。)


☆だいたい、橘中佐にはあまり興味がなく、銅像が最初上山にあったということを聞き、見

に行き、まったく場所が分からなかったことから、段々に興味を持ち始めたのです。これが

7月で結局ブログをまとめるまで5か月ほどかかってしまいました。

ただ、千々石の方も、北村西望作成の銅像が二つあったこと、特に、名古屋、静岡の部

分については知らない方も多く、また、二つの銅像についてはまとめて詳しく書かれたの

がなく、一応まとめてみたものです。

参考文献の原典調査もしていないため、間違いも多いと思いますが、ここらが私の限界で

す。興味を持たれた方は各自なりの方法で調査してみてください。推理小説を読むより面

白かったですよ。でも、あ~疲れた

                                 (橘中佐二つの銅像 終了)



2011年12月 8日 (木)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町その2

さて、昭和19年終戦直後、金属供出で一つの銅像は消えてしまいましたが、戦後、陸上

自衛隊板妻駐屯地が、昭和37年富士演習場坂妻廠舎跡に創設されたおり、基幹部隊の

陸上自衛隊第34普通科連隊が、県民の要望で、静岡歩兵三十四聯隊の連隊番号を受

け継いだため、日清戦争から大東亜戦争にいたる、橘中佐をはじめとする、遺品、資料

等が関係者のよって委託されることになったのです。

このため昭和39年駐屯地内に資料館が建設され、駐屯地設立の2周年記念の時、郷土

記念館横に、元三十四聯隊出身、静岡県伊豆町の彫刻家堤達夫氏による橘中佐の胸像

が作成されたのです。

2

さて、この資料館が老朽化したため、駐屯地二十周年の時、新しい資料館が出来たので

した。この時、この胸像がコンクリート製であり、永久保存出来ないということで、銅像再建

運動がおこり、胸像を作られた堤達夫氏によって銅像が作成され、胸像は資料館に移設

されたそうです。

03130068_s1

銅像は、台座3メートル像の高さ2,1メートルという堂々たるものだそうです。

この事から、橘中佐が単に軍人ではなく、人格者として人に慕われていたことが分かると

思います。

さて、銅像は左手で軍刀を握り、右手が胸元の双眼鏡を支え、富士山に向かってそうで

す。

Photo_3

なお、除幕式は中佐の曾孫橘一樹(11歳)と、中佐の最後を看取った内田軍曹の曾孫内

田久美子さん(11歳)の手で行われたそうです。

1977_0831_ss1

また、このときは、千々石からも故床井町長他奉賛会6名も参加され、故床井町長が挨

拶を述べられたそうです。

橘神社の銅像とは、双眼鏡を握っていたり、握ってなかったり、若干の違いはあるようで

すが、基本的には同じような感じを受けます。(下が橘神社の銅像です)

P1050472

さて、長崎県で生まれた橘中佐が、静岡県においても未だに尊敬を集めていることは、生

誕地、南高来郡(現雲仙市)千々石町の人間にとっては非常にありがたいことでありま

す。


なお、板妻34連隊においては、「たちばな祭」を開催していたようです。「第30回たちばな

祭」りまでは記録があるのですが・・・

部隊に、連絡しないで、訪問した方があったのですが、中には入れてもらえないようでし

た。なお、「たちばな祭」は現在行われていないという話だったそうです。


と、ここまで書いて調べると、「六幼関係」(多分、東京、名古屋、広島、熊本、大阪、仙台

にあった幼年学校出身者の集まりみたいでした)というブログを調べると、昭和23年9月

15日の部分に「●名古屋 名幼会は解散したので特に全体を把握していないので全般の

報告事項はないが、毎年8月末開催の陸自板妻の普通科34連隊は名幼第2代目校長と

縁の番号であり、首山堡での戦死日に因んで「橘祭」を斎行している。今年は8月27日に

実施、有志5名が参列した」という記事があり、形を変えておこなっているのではないでしょ

うか?

この、記事を書くについては、静岡県で発信している下記のブログを参考にさせて頂きま

した。

「橘駐屯地」 特に「橘祭」 の所はご覧ください。

また、「やまひこブログ」というのに、昭和33年頃の静岡新聞に、実際に橘中佐のもとに

いた部下の方の対談が載せてあり、それがコピーされております。中佐の面白いエピソー

ドも載っておりますのでお読みください。


まだまだ続きますよ、次はいよいよ千々石の銅像についてですが、これにもいろいろあり

まして・・・・お楽しみに             (続く)






2011年12月 7日 (水)

橘中佐二つの銅像~雲仙市千々石町 その1

近年、千々石の橘神社の初詣での方が増えているとか。

来られた方は、神社の入り口右手の方に、橘中佐の銅像が建っているのを見られたと思

います。

P1050470

この銅像最初からここに建てられたわけではないのです。このことは千々石の90%の人

が知っており、観光客の99%の方が知らないことです。

橘中佐については、いろいろな本、資料がありますから、今回はこの銅像について書きた

いと思います。


さて、この銅像2つ作られていたのです。話が長くなるので、2~3回に分けて書きたいと

思います。

橘中佐が、戦死されたのは明治37年8月31日。

明治45年、軍神としての姿を永遠に残したいとの町民有志の呼びかけで建設委員会を

立ち上げましたが、、明治天皇のご崩御により中断。大正3年になって再開されました。

この建立事業に陸軍部が協力することになり、両者共同の形で、像2体建設の計画となり

ました。発起人等氏名は省略します。


ここから不明な点が、製作者は北村西望。35歳。初めての銅像制作であったそうです。

制作した所が、郷土史によると「大阪砲兵廠にて二体鋳造・・・」となっているのですが、

千々石史談の第二号で、橘周次郎氏が書かれた「故橘周太銅像の由来」によると、

森本丹之助氏著「軍神橘中佐」に、「(銅像の)製作者は、郡内有馬出身の北村西望氏に

し、大正7年5月東京都府西が原美術工場にて起工し、同年7月、原型落成し同年10

月、東京都下なる北豊島郡加藤工場に於いて鋳造し、・・・」とあり、また、造幣局において

作られたという方もあり、はたして、大阪砲兵廠なのか、東京の加藤工場なのか、はたま

た造幣局だったのか、真偽は不明です。


もうひとつ。

一体の設置場所が先ほどの森本氏の本によると「一はこれを東京府に」とあり、郷土史に

も「もう一体は東京中央幼年学校へ」と書いてあります。

しかしながら、ブログで「名幼歴史」(名古屋陸軍幼年学校)というのがありますが、その中

で、「大正12年3月廃校時に卒業生に配布したアルバム」の「旧校アルバム」を見ると明

らかに、橘神社と同じ銅像が名古屋陸軍幼年学校にあるのです。(下写真)

Tachibana_11

また、ブログの「千々石ネット」によると「もう一体は名古屋陸軍幼年学校に安置され、そ

の後(名古屋陸軍幼年学校廃校のためか?)東京市市ヶ谷陸軍士官学校に移管され、さ

らに昭和2年3月駿府城址の歩兵三十四聯隊(橘中佐が大隊長をしていた部隊)に安置

されたが、この像は昭和19年4月4日金属回収で供出された」とあります。


なお、「板妻駐屯」のブログの「第6回橘祭」では「もう一体は同中佐が校長をつとめていた

名古屋幼年学校に建立されていた。その後幼年学校が閉鎖されたため、昭和2年3月、

駿府城跡の静岡聯隊の営門付近にうつされた・・・」とあります。

幼年学校閉鎖が大正12年ですから昭和2年まで3年ほど間がありますね。やはり東京の

方に一時移されていたのでしょうか?


考えると、橘中佐は名古屋陸軍幼年学校の校長の経歴がありますから、最初は名古屋

陸軍幼年学校に建てられたと考えるのが自然みたいな感じがするのですが?

多分、名古屋陸軍幼年学校が大正12年に廃校になったため、この銅像は東京に移され

たかどうかは分かりませんが(陸軍士官学校?東京中央幼年学校?)、最終的には、橘

中佐が大隊長をしていた、第三四聯隊に移されたのです。


千々石史談第2号「橘周太中佐戦死百年」に「昭和19年4月4日駿府(静岡県)の橘中佐

銅像の脱魂出陣式が行われる。(4月17日、金属回収として供出)としてありますからこ

の時点で、1体は姿を消したことは間違いないでしょう。

さて、銅像の一つは姿を消しましたが、橘中佐と34聯隊さらに静岡県との関係?また、

千々石の銅像は?話は続くよどこまでも。                 

                                         (続く)



2011年12月 6日 (火)

家庭菜園~晩生(おくて)タマネギを植えました。

前々から、玉ねぎの苗を持ってくるというので、待っていたら日曜日、軽トラック一杯持っ

てきました。いくら何でもということで百本ほど頂戴。聞いてみたら夫婦二人で、九万本ば

かり植えてきたとか、まあ、プロ農家はすごいですね。

さて、2週間ほど前畑を耕しておきました。2,5m程度の広さです。

P1060578 P1060581

石灰、油粕、堆肥、鶏糞を適当に混ぜ、管理機でかき混ぜ準備万端。

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結構良いタマネギの苗で、種屋さんから買うより上ものでした。

P1070186 P1070188

畝が幅90センチ、高さ15センチだとか。

苗は15センチ間隔。私の親指と中指が大体17~18センチ。

P1070192

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畝に2条植えということですからこんなもんでしょう。指で間隔を測りながら、そのまま指で

穴を開けていきました。指が痛むのであまりお勧めしませんが…

P1070193

さて、後はこの穴に植えて土をかぶせるだけすが、根の白いところが見えるように浅植え

です。なかなか慣れないと難しいですね。なんとなく、倒れないか心配で、深植えになった

りして。

P1070201

植え付け完了です。これで約百本弱です。

さて、昨日書きましたが、マルチの問題。義兄が2名専業農家、苗をもらった人にも確認

をしたところ、はやり晩生(おくて)のタマネギにはマルチはかけるなということで、その分

は楽でしたが、今後草取りが少し大変だと思います。マルチをすると雑草が生えて来ない

点楽なのですが。

霜が降る時は藁、もみ殻などで苗を守ってください。私も、あと1~2週間したら、もみ殻を

蒔いておくつもりです。それから、追肥の件、教科書では定植後3週間目と3月の成長期

に必要だそうです。


我が家の野菜ですが、今年は暖かく虫がいつまでもいて、かなり被害を受けました。

P1070219 P1070221

右がキャベツ、左が白菜、この時期のこの被害は初めてでした。

P1070209 P1070213

大根は知らない間に、かみさんの足より太っていました。ブロッコリーは大きくなりました

が、いっぺんに九個もなったため、食べるのは夫婦二人で大変です。

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少し小ぶりですが、冬にできるタマネギもあるとか苗と一緒にもらいました。

ついでに、ソラマメの苗も5株ほど植えてみました。本当は種から植えるのがいいのです

が、一回作りすぎて・・・

Dscn0015

タまねぎ、百本植えただけで、疲れ果てました。とにかく中腰ですから。この程度が素人と

しては良いでしょう。でも。九万本も植えるなんて、私でしたら一年以上かかるでしょう。






2011年12月 5日 (月)

第5回雲仙市産業まつり~特産まんぞく市

P1070131

昨日、雲仙市の産業まつりが、開催されました。なにしろ、7町合併のため面積も広く、参

加者の皆さんも大変だったと思います。来場者も多く、会場も一杯でした。

P1070157

出品物は、雲仙市の特産物、いりこ、雲仙豚、魚、えたりの塩辛、菓子類、かまぼこ、お

茶、豚肉燻製、乳製品等々盛りだくさん。やはり、人気があるのが食べ物。

P1070134 P1070135

左の写真は、買ってきたものを食べるところ。満席でした。

右の写真はまだ100名ばかり並んでいたのですが、「日本一うまいジャガイモの産地」南

串山町の婦人会が作っている肉じゃがの行列です。ここの行列が一番多かったみたい。

試食で只のためかな?

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左の写真は、蠣を焼いて食べているところ。美味しそうでした。

右は婦人会のバザーの様子。品物はほとんど売り切れ状態。私のかみさんも写真に写っ

ているのですが、さあ、どれでしょう。

P1070144

長崎国体が、平成26年開催されるため、国体のがんばらんば隊も来て、がんばらんば体

操をしていました。「がんばくん」と「らんばちゃんです」ちなみに「がんばらんば」とは長崎

弁で「頑張ろう」ということです。

P1070160

雲仙観光大使のお嬢さんも頑張ってPRしていましたよ。


さて、吾妻町にハタ保存会があって、ちょっと聴きたかった事があったのですが、

写真で分かりますか、テントの右側のお嬢さんが長時間いろいろ聞いているのですね。

何か、見たような方だなと思ったら、衆議院議員の福田えりこさんでした。

眼鏡をかけていたので、良くわからなかったので、胸を見ると(胸のふくらみではありませ

ん、洋服の左胸です)国会議員バッチがつけてあったので間違いないでしょう。

以外に小柄な方でした。選挙は頑張ってください。応援しますよ。

P1070162 P1070163

さて、私はというと川島英五の「目立たぬように はしゃがぬように」というのが生き方です

から、ひっそりと会場を後にしました。帰りは、コンビニで新発売「三色弁当」買ってきて、

おひとり様昼食でした。


2011年12月 4日 (日)

この一曲~アタワルパ・ユパンキ/牛車にゆられて

P1070129_3

晩秋の夜。レコードジャケットからレコードを取り出す。

レコードスプレーをかけ、ゆっくりとゴミを拭き取る。慎重にターンテーブルに置く。レコー

ド針を注意して載せる。スピーカーのボリュームを上げていく。

ユパンキのギターの前奏が流れる。僕らは、もう、パンパ(大草原)の中、牛車に揺られて

いる。ゆっくりした風の中だ。ユパンキの、大地からわき出てくるような豊かな声で歌が始

まる。そこはユパンキの世界。

ユパンキの唯一の弟子、ソンコ・マージュ(日本人)が言っている『ところでユパンキは「風

景」という言葉をよく使った。風景のなかで最も素晴らしいのは人間だとも言った」ユパン

キの音楽はそんな音楽だ。この曲もそうだろう。


1908年、ブエノス・アイレス州のパンパの中、小さな町に生まれた。父は、デメトリオ・チ

ャベーロ。ケチュア族インディオ。かってのインカ帝国の民族の血が流れていたという。

ユパンキはフォルクローレの歌手にいれられる。フォルクローレは「コンドルが飛んでいく」

を代表とした中南米の音楽だが、彼の歌と演奏を聴けばその分野には入らない音楽家だ

と言うことが分かる。歌い手にして作曲家、詩人、ギタリスト、エッセイスト。1992年没。


1929年「インディオの小路」を発表して認められる。この曲良い曲です。

≪インディオの小路≫

インディオの小路

石の散らばるコージャの道(コージャ~北アルゼンチン北高原に住む種族)

星々と谷とをむすぶ

インディオの路 



古い私の種族が

南から北へと歩んだ道

それはパチャママ(インディオの大地の女神)が山の奥へ

影とかくれる前のことだ


山に歌い

川に泣き

インディオの悩みは

夜にいや増す (以下略)



「牛車にゆられて」作詞はウルグアイの詩人ロミルド・リッソです。

≪牛車にゆられて≫


心棒に油をささぬから

おいらは碌(ろく)でなしだとさ

音の立つのが好きなのに

どうして油をさすものか


これはあんまり退屈だ

わだちをたどって、のろのろと

道をつたって、ごろごろと

楽しみひとつあるじゃない

静かさなんぞほしくない


思うこととてないものを

あるにゃあったが今はもう

古い昔の思いぐさ


おいらの牛車の心棒よ・・・

けっして油はさすものか


夕暮れ時、パンパの中を牛車に揺られて老農夫が家に帰っていく。油の切れた牛車の

心棒の音だけが響いている。家に帰っても子どもたちは貧しい家を出て、家には無愛想な

妻(うちと同じ)がいるだけ。趣味もなく、パンパのなかの一軒家、遊び行くところも無い。

毎日その繰り返し。何にもない孤独な男の心に響くのは、油の切れた牛車の心棒の音。

それだけが彼の相棒。

とにかく、ユパンキは聴いて見てください。本物の、そして、民族の心を歌う音楽というもの

が分かります。


本来は、レコードで聴くのが良いのですが、私も堕落したもんです。CDでばかり聴いてい

ます。ところで、私とかみさんとの間の心棒も油ぎれでギーギーいっているのですが、油を

さすべきか、ささざるべきか?

(参考:ソンコ・マージュホームページ/アタワルパ・ユパンキ傑作大全集/東芝EMI アタ      

 ワルパユパンキ ライナーノート 訳詞:濱田滋郎)

2011年12月 3日 (土)

諫早湾干拓

P1060847

以前から、社会問題になっている諫早湾干拓の水門です。

用事があり、堤防の道路を走ってみました。堤防は、7キロ。前に見える山は多良岳。

P1060868

道路の脇も、このように延々と続いています。

P1060850_3


この、水門のゲートが開くかどうかが、問題になっているのです。

P1060853_3

諫早近隣に住んでいる私としては開門、閉門、どちらの意見も分かるのですが・・・

以前書いたように、まだ堤防が出来ていない時、台風、大雨の時は、海の満潮と川の流

れ込みが重なり、森山地方は国道まで水浸し、植えたばかりの稲は、沈没状態で、それ

が数日続いていたものでした。堤防が出来たおかげで、そのようなこともなくなりました。


自然体系が変わってしまい、漁業に大きな被害が出ているのも分かります。又、海流が変

わったため有明海の自然も変化をしているのでしょう。又、入植された方の問題もありま

す。

学者の意見を聞いても、両派あり、こちらを聞けばこちらが正しいような。あちらを聞けば

あちらが正しいような。政治的解決と言っても駆け引きばかりで全然解決に動けない状

態。

誰かが、民主主義とはお互いの立場の違いを容認し、納得するまで話し合うことだ、と言

った覚えがあります。しかし、ここまでこじれると、解決までに数十年はかかるでしょう。


ここを通るたびに、どうあれば良いのか思案をします。

長崎に「思案橋」がありますから、こちらは「思案堤(てい)」とでも名付けたらどうでしょう。

「思案堤ブルース」か?あまり売れそうにないな。

冗談を言っている場合ではないのですが・・・


2011年12月 2日 (金)

ケーキの思い出~悪夢の一日

昨日、病院に行ってきましたが、血液検査の結果、血糖値が低くなっているとのこと。

うれしくなって、ケーキ屋さんによってきました。諫早地方の方ご存じですよね。

P1070042

シェリールです。諫早商業高校のすぐ近くになります。TVチャンピオンという番組で、確

か、どこのケーキ屋さんのか当てる番組にでて三位になった方が、オーナーとか聞いたこ

とがあります。ホームページもありますから見てください。たのしいホームページですよ。娘

も言っていたのですが、特にシフォンケーキが専門とか。


調べてみると、シフォンケーキの歴史も面白いですね。

ウィキペディアによると、1927年アメリカの保険外交員ハリー・ベーカーによって考案され

たそうで、レシピを公表しなかったため、製法が謎とされていたそうですが、1948年ゼネ

ラルミルズ社に売却されたそうです。単純に考えればハリー・ベーカーさん1884年生まれ

ですからが43歳の時に考えたケーキですね。よっぽどケーキ作りが趣味だったのでしょう

か。

P1070093

マロンのシフォンヌケーキです。ほんのりとマロンの香りが。かみさんににケーキなど買っ

てきたのを見つかると、私が立派なメタボのため怒られるので、こっそり買ってきて、こっ

そり食べました。旨かったですね。

特に、こっそりというのが良いですね。こっそりと吸う煙草、こっそりと飲む酒、こっそりとす

る浮気(と言うことだそうです、他人から聞くと)


さて、ケーキというと思い出がひとつあります。

まだ、結婚して数年のことでしたが、仕事からの帰りがけふと「あ!今日は25日、妻の誕

生日だ」と思ったのでした。急いでケーキ屋さんによって、一番高い誕生日ケーキを買って

きて、家に帰って広げると、かみさん、なにか怪訝な顔。

「なに、これ」

「お前の誕生日だろう」

「なに、言ってんのよ、誕生日は来月でしょう」

頭の中真っ白。そう「25日」ばかり頭にあって「月」を考えてなかったのですね。かみさん、

冷たい目をして台所に。私が悪い、本当に私が悪かった。その夜はケーキのやけ食いを

しました。あんなに、食べたことはなかった。まさに、悪夢の一日でした。

かみさん、数日は自分の誕生日を間違がわれたことが気に入らないらしく何となく冷たい

態度。こちらも何となくカチンと。

それで、本当の誕生日には?仕事が終わったらそのまま居酒屋へ行きましたよ、午前様

でした。



2011年12月 1日 (木)

秋の収穫祭(キノコ)&「雲か山か」~雲仙市愛野町

P1060888

先週の日曜日でしたが、たまたま、愛野から島原のグリーンロードを走っていたら、「雲仙

きのこ本舗」という、キノコ栽培をしているところで、収穫祭をやっていたので立ち寄ってみ

ました。いつも、この道は通っていて遠くから工場は見ていたのですが。

この犬、作り物ではなく、本物です。お出迎えです。

P1060882 P1060883

収穫祭はなかなかのにぎわい。プチきのこ詰め合わせ500円と、きのこ鍋のスープを買

ってきました。

P1060887

見学会もあったので、一緒に参加してみました。

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やはり、キノコ作りは種類によって湿度、温度管理が違い、工場管理もかなり厳しいものの

ようでした。

P1060911 P1060912

特に右側「酸素欠乏危険作業主任者の職務」まで貼ってありました。すごいいですね。「酸

素欠乏危険作業」とは。(クリックすると大きくなります)

ナメコ、エノキダケ、舞茸、エリンギ、椎茸を作っているそうですが、エノキダケは九州での

生産の80%を占めているそうです。きのこだけでなく、素麺、うどんなどの即席麺も作って

いるそうです。

工場に入ったのは初めてで良い経験でした。企業秘密の所はしっかりと見せてもらえませ

んでしたが。日曜気はキノコ鍋でした。ヘルシーでなかなか、いけますね。

P1060923

さて、工場の横に直営店「雲か山か」があります。

多分、頼山陽の漢詩「泊天草灘(あまくさなだにはくす)」の最初の行「雲耶山耶呉耶越・・・

(くもかやまかごかえつか)」によったものでしょう。

Photo

そともなかなかのガーデニング。興味のある方はご参考に。


今日12月1日は病院へ。帰りがけ思い出して店に入ってみました。商品の販売コーナーも

あるのですが、一階の食事所です。ちょっとしゃれてますね。

P1070048_3

頼んだのは「養々麺定食」。炊き込みご飯、きのこの天ぷら、自社製品の養々麺でした。

養々麺はお湯をかけて3分間の即席麺ですが「おぬし、なかなかやるな」という感じでし

た。

箸の下にちらっと見えているのは、京都の一休堂の天然薬味です。

P1070053_2

さて、コーヒーを2階で。なかなか良い感じ。

P1070060_2 P1070059_2

窓からは、多良岳が。本でも読むか、ブログの下書きでもするか。落ち着いたところです。

P1070071_2

もう一つ、店の中できのこ狩りが出来るのです。市価より安く、何より取り立てが魅力です

ね。

P1070082_2

入り口の看板ですが、少し地味なので注意を。愛野町~島原市のグリンロードの愛野口

からすぐ入ったところです。

P1070088_2

通りががっかたら寄って見ませんか。

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