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2011年11月26日 (土)

諫早市郷土館~諫早市

素晴らしい庭ですね。

P1060722


もみじが丁度紅葉してきれいでした。

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ここは、諫早市郷土館の庭です。聞いたところによればこの郷土館の建物は諫早家が諫

早市に寄贈したものとか。税金対策もあるのかな?(こう言うのをゲスの勘繰りと言います

市の資料館にしては立派な庭です。

場所は、昨日までブログに書いていた天祐寺のすぐ前にあります。

P1060720

右が入り口と、庭があるところです。左の方にもいろいろ展示がしてあります。

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左が道しるべ「従来(これより) 右 たらみち  左 むらみち」 と書いてあるそうです。

文字ははっきりと読めます。

右は、天祐寺改修の折、寄贈してもらった鬼瓦です。背丈ほどもありました。他にもいろい

ろおいてありました。


さて、中をご案内したいのですが、撮影禁止とか、パンフレットの写真で我慢してください。

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P1060821_4

だだ、お土産を一つ。諫早には現川焼(うつつがわやき)という有名な焼き物があります

が、一時、廃窯して、明治になって復活しました。その、廃窯の折の事が諫早日記に書

いてあり、その写しが置いてありましたので、張っておきます。なお、読み下し文も書いて

ありますので、今日は古文書の勉強だと思って、読んでみてください。よく見てくると、だん

だん判る所も出てきて面白いですよ。

Photo

2_4

ここで終ろうと思ってたのですが、こっそりと写真を一枚。

P1060740_4


右側の方にもまだありました。これも諫早家からの寄贈だそうです。さすが、殿様のご子孫

は違いますね。

他に、兜、鎧、なんと諫早で作られた銃までありました。諫早でなぜ鉄砲が作られたのか、

この経過については「諫江百話」の「諫早の鉄砲鍛冶」に詳しく書いてありますのでお読み

ください。


島原の殿様、鍋島家、松平家のご子孫はこちらには住んでなく、時々帰ってきているみ

たいですが、諫早家も転居されているみたいです。

さて、諫早家の「明珍のよろい」は初代諫早家竜造寺家晴公が着用されていたそうです

が、慶厳寺に納められ、永代供養の志として祀られているそうでうが、なぜ、慶厳時に?


諫早家の菩提寺は天祐寺なのですが・・・

歴史の疑問を考え、調べるのは楽しいですね。




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コメント

はじめまして。
諫早ですか。
仕事で去年まで、大村に週3日、約半年行ってました。
諫早から大村まで終電逃して歩きました。
あんなに遠いと知っていたら、そんな無謀はしなかったのに。

コメントありがとうございます。

そりゃ無茶ですよ。特に夜は。
といっても、こちらも仕事で子どもたち百名近く連れて、42.195Km何回も歩きましたが。

いつだったか、長崎で飲んで諫早駅で降りようとしたら寝込んで博多まで行ってしまいました。運悪く最終電車。戻れなくて、博多でまた飲み直しましたが。

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