天祐寺~諫早・諫早家墓所①
天祐寺の中庭は銀杏の落ち葉で敷き詰められ、とても落ち着いた佇まいでした。
中庭を囲む回廊の一角に鐘楼が古い姿を見せていました。解説版によれば天文期
(1532~1554)に建てられたそうですが、「諫江(かんこう)百話」には。室町時代
(1521~27)の末期大永年間に建てられたと記されています。
竜造寺に敗れた西郷氏の菩提寺であったそうですが、竜造寺も天祐寺に帰依し、菩提寺
としたそうです。
山門です。左右に金剛力士像が、あります。ここを上がると最初の写真の中庭です。
さて、一般に天祐寺といっていますが「坤松山(こんしょうざん)天祐寺」が正式名称だそう
です。曹洞宗のお寺です。
諫早家の墓所ということを知っている方はは多いと思いますが、なかなか、中まで見られ
たことがないと思いますので、すこしご案内を。といっても、見る物が多く多分2~3回くら
いに分けて書きます。
看板を載せますので詳しくはこちらをご覧ください。(写真をクリックすると大きくなります)
看板に従って、説明しますが、看板以外にもいろいろあるのでそれも交えながらご覧くださ
い。
諫早家の墓所です(写真の右側にも広がっています)。いつか、島原の松平家の墓所をブ
ログに載せましたが、まったく違った趣がします。
墓の周りを柵がめぐらせてあります。覚えておいてください。
立派な墓が並んでいます。すごいですね。
この墓所には、当主の墓18基、正・側室・子息の墓25基、家臣の墓30基、一族の墓4基
雑塔56基、石碑5基、六地蔵石幢(せきとう)4基、石灯籠171基があるそうです。
初代から3代目までの墓碑の後ろに一回り小さい墓碑が並んでいます。
領主に殉死した家臣のものです。ふつうは領主の墓所の中には建てないという事を聞い
たことがありますが・・・
さて、墓を囲む柵は弥勒四十九院を刻んで石造り卒塔婆とした珍しい形式だそうです。
柵の内側になりますが、四十九院の名と御本尊様の名前がが彫り込んでんであります。
諫早家の墓所はこれくらいにして他にも貴重なものがありますので。また続く。
(参考 「諫江百話」・寺院内解説版)
« 14歳からの精神医学~心の病気って何だろう/宮田雄吾 | トップページ | 天祐寺~諫早・諫早家墓所② »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 日本音楽の面白さ(2024.10.01)
- 台風10号~確かに通ったはずなのですが?(2024.08.31)
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 勝手に開花宣言~橘公園(令和6年3月28日)(2024.03.28)
- 観桜火宴のお知らせ(2024.02.19)
コメント