天祐寺~諫早・諫早家墓所②
昨日諫早家墓所のことで忘れていました。
この墓所の一段高いところに、4代目茂真公(しげざねこう)夫妻と2代目直公(なおのりこ
う)の後室の墓があり、この二つは県内で最も立派な石造御霊屋(みたまや)になっていま
す。隣り合って建ててあります。
4代目、茂真公夫妻の墓です。
2代目直孝公の後室の墓です。
4代目茂真公の墓が一段高いところになぜ祀られたのかは、いくら調べても分かりません
でした。なにか功績があったのでしょうか?
さて、2代目直孝公の後室の墓がここにあるのか?夫婦で祀ってあるのは御覧のとおりい
くらでもあるのですが。
こちらが、2代目直孝公の墓です。なにか後室の墓と比べると・・・しかも妻の墓は一段高
いところ。
これは、20年前くらいに聞いた話で、記憶が曖昧としていますが、2代目の後室は偉いと
ころから来たとか。それで、一緒の所の墓地ではいやだというと事で一段高いところに立派
な墓所を作ったとか。本当のことかどうかよくわかりませんが・・・
でも、何となく身につまされますね。現代、女友達、気のあった同士で墓を作って、一緒に
入って、旦那には「あんたは自分の先祖の墓があるんだから、そっちへ入れば」ということ
があるそうな。
整然と並んだ墓ですが、ここのお寺の歴代住職のお墓です。なお、ここの住職さんはかな
り地位が高い方がなられるとか伺ったことがあります。
島原の乱戦没者追悼碑です。島原の乱で、勿論幕府軍としてですが、92名の戦死者を出
しています。33回忌、寛文12(1672)年に作られています。
石造五重塔です。寛文5年四代目の茂真が鍋島勝茂の菩提を弔うために、建てられたも
のです。諫早幼稚園の小高い竹林のあったものを昭和28年移管したものだそうです。
高さ6メートル。びっくりするほど立派なものです。
さて、六地蔵です。
説明するのが面倒なので説明板ををクリックすると拡大します。お読みください。
背くらべ地蔵です。子どもたちが岩の上の地蔵と背くらべをしていたのでこう呼ばれたそう
です。でも、まあ子どもはよじ登るのが好きなもんですね。
こちらのほうの道を行くと大門があります。たぶん、こちらが旧参道だったのでしょうか?
四脚門と呼ばれる形だそうです。
大門の掲額があり、「鎮海勝境」と書いてあります。意味は、「法の海も波を納めて、静か
に和らいだ姿を現し、禅の行をするためのすばらしい環境をもつところ」(諫江百話)だそう
です。
黄檗宗の僧侶独立性易(どくりゅうせいえき)が書いた額だそうです。中国から来たそうで、
文化面でも活躍をいたそうです。
さて、墓所近くの舗装道路を上がっていくと。一番上に。
観光地ではなく、お寺様ですから、見学の際は一声かけてゆっくり見学してください。
見るものはたくさんあります。特に私は中庭の佇まいが好きですね。しばしの間ぼんやりと
時間を過ごしていました。おしまい。
(参考 「諫江百話」・境内説明板)
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